Pandemic Influenza: The Inside Storyから |
まず、スペイン・インフルエンザの世界的な影響である。このテーマを明らかにすることで、日本の位置がわかる。速水氏は冒頭で以下の様に述べておられる。
「スペイン・インフルエンザによる死亡者は、世界全体で二〇〇〇万から四五〇〇万、日本では内地だけでも筆者の計算では五〇万人近くに達する。当時の世界の人口は二〇億たらず、日本内地が五五〇〇万人であったことを思うと、約一~二パーセントである。」(13)ただ、なぜかここではこの数値の出所が示されていない。
論文は5つの表を作成しているが、右の表では、主要国のデータを中心にまとめた。インフルエンザの影響を最も深刻に受けたのは、インドである。死者が1850万人で人口1000人に対する死者比率が60.5(原表では6.1)に達する。中国は多くの文献で不正確で、この論文も人数を幅広く推測している。
(なお、世界合計の人口1000人に対する死者比率は~25-50(原表では~2.5-5.0))
上記論文は、日本については『流行性感冒』の数値を採用している。右の表では、主に英米をはじめとする主要先進国のデータを掲載したが、日本の死亡率はドイツを除く先進各国と、ほぼ同じ水準である。後発資本主義国日本が、先進資本主義各国の水準にインフルエンザを何とかおさえ込んだと言えるだろう。
Wikipediaから |
ここでは、アメリカの各都市の対応を比較した興味深い論文があるので紹介しよう。
Howard Markel, MD, PhD他6名の、Nonpharmaceutical Interventions Implemented by US Cities During the 1918-1919 Influenza Pandemicである。論文では、主にセントルイス、ニューヨーク、デンバー、ピッツバーグが比較され、セントルイスが早くから実施した学校閉鎖や公共の集会の中止などの非医学的な介入が、インフルエンザの抑え込みに対して効果があったことが示されている。
日本について、速水氏が指摘するように、「こういった事態に、東京府、東京市は何もしなかったのか。何をすべきか分からなかった、というのが実相であろう。」(163)しかし、このセントルイスの対応と、『流行性感冒』に示された日本の対応策にはそれほど大きな違いは無かった。日本においても非医学的な介入が一定の効果を示したと推測される。
「人々はインフルエンザにどう対したか?」
上の問いについて速水氏は、「未曾有の大量の死者をもたらしたスペイン・インフルエンザに対し、政府や医学界は何も対策を講じなかったのか。
答えはイエスでもあり、ノーでもある。・・・何とかやりくりして、最悪の事態を回避した。何の準備もなかった当時のことを考慮すれば、これには「天晴れ」印を付したいくらいである。スペイン・インフルエンザによる死亡者数が、人口の〇・八パーセントでとどまったのも、いく分かはこういった対策が効いたのかもしれない。」(432-3)と述べている。
「教訓」
速水氏は続ける。「以上のように、スペイン・インフルエンザの病原体は、当時の専門研究者にとっても想定し得る範囲外のものであり、そうである以上、流行を食い止める方法を見つけることは不可能であった。・・・しかし、この過程に、日本の研究者はなんら関与していない。」
「結論的にいえば、日本はスペイン・インフルエンザの災禍からほとんど何も学ばず、あたら四五万人の生命を無駄にした。」(435-6)
速水氏のこの箇所での結論は、前段の評価とは異なって大変厳しい。しかし、日本の当時の実情についての包括的な調査の実施、それによる死亡率を含む影響の解明、低い死亡率に抑えようとした日本の様々な対応策を、当時の先進資本主義国と比較してみると、後発資本主義国日本が大きく遅れているとは言えない。
ただし、日本でスペイン・インフルエンザが長く忘れられ、研究も遅れてしまったのは事実である。その主な理由としては、直後に日本を襲った関東大震災や、急速な経済発展を達成し海外進出を加速した日本で、先進各国との競争と対抗が大きな課題となったことなどが挙げられるだろう。
ともあれ、速水氏の『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』は、戦後日本での初めてのスペイン・インフルエンザの包括的な研究であり、豊富な実情の資料の発掘とともに、「超過死亡(excess death)」という方法による、その影響の見直しを提示された。コロナウイルスの終わりがなかなか見えにくい今こそ、多くの方に読んでいただきたい基本的な文献である。
なお、次回のブログでは、クロスビー『史上最悪のインフルエンザ』を取り上げたい。