2020年4月18日土曜日

『流行性感冒 「スペイン風邪」大流行の記録』(1922年)

流行性感冒 「スペイン風邪」大流行の記録』(内務省衛生局編、東洋文庫  778、2008年)を、4月30日までダウンロードして読むことができる。図書館から借りられず、高額な中古品のみが出回っている今、このような試みを決断された平凡社に心から敬意を表したいと思います。
上掲書は1922(大正11)年に刊行された。原書の第7章が省略されているが、454ページにも及ぶ大著である。

解説者西村秀一氏(ウイルス学)は、この著作の意義を次の様にまとめておられる。
「『流行性感冒』は、報告書の形をとってはいるが、単に本邦での流行の拡がりの疫学的資料、流行被害の羅列ではない。背景となるそれ以前の流行や各国での経過、そして当時の世界の科学者の考え方をも包含しつつ、たとえば病原体論争へのかかわり方で見られるように、すべての局面で偏りのない判断を試みようとする真摯な科学的姿勢が随所に見られる、また引用文献のしっかりした学術書でもある。その一方で、これといった有効な武器をほとんど持たず、それでもこの流行の拡がりを少しでも食い止めようと、その持てる資源と英知でこの流行に立ち向かった当時の人びとの軌跡を具体的に知ることができる好書でもある。」

目次は、以下の通り。
第一章 海外諸国に於ける既往の流行概況、第二章 我邦に於ける既往の流行概況、第三章 海外諸国に於ける今次の流行状況並予防措置、第四章 我邦に於ける今次の流行状況、第五章 我邦に於ける予防並救療施設、第六章 流行性感冒の病原、病理、症候、治療、予防、第七章 英吉利及北米合衆国に於ける流行状況並予防方法の概要(加藤防疫官復命書)[省略、後日改めて紹介したい]、第八章 我邦に於ける流行性感冒に関する諸表。

以下では、2つの章を中心に紹介したい。
p.159に掲載された当時のポスター
第四章
冒頭で流行の概況がまとめられている。(Tは大正)
流行期が3回あり、患者数が2380万人と膨大で、第一回で全人口の約4割に達し、当時の日本社会を大きく揺るがした。3期合計の患者に対する死者数比率は1.63%、人口1000人に対する死者は6.75人とされる。この死者数については、速水氏の調査で過少と評価されているので
私のブログ速水融『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ-人類とウイルスの第一次世界戦争』(2)」で検討する。
また、この比率の、当時の世界各国の比率との比較は、これも同ブログで考察したい。なお、『流行性感冒』は、日本の統治下にある朝鮮と台湾についても調査しているので、私のブログ「スペイン・インフルエンザ:朝鮮・台湾とインド」で検討する。

第五章
流行性感冒の予防要項(p.177-)の注目すべき点を紹介しよう。
第一 病原及伝染径路(この項目は全文)
一、病原体としてプアイフエル氏菌、濾過性病原体又は他の菌を挙ぐる者あるも現今に於ては未だ学者間に意見の一致を見ず。
二、重症の流行性感冒には肺炎を伴ふもの最も多し。流行性感冒肺炎にはプアイフエル氏菌及肺炎双球菌重要なる意義を有す。
三、病原体の排泄口及侵入門戸は主として口腔及鼻腔なり。
四、感染は主として咳嗽(がいそう、せき)、噴嚔(ふんてい、くしゃみ)等の際に於ける飛沫伝染に因る。唾痰、鼻汁其の他寝具、食器、手拭等感染の媒介をなすことあり。
五、病原体保有者が伝染源となることあり。
p.185に掲載された当時のポスター
第二 予防方法(この項目は抜粋)、第一 伝染径路の遮断
甲、飛沫伝染の防止
一、咳嗽、噴嚔に関する注意、二、「マスク」の使用、
乙、患者の隔離
一、一般家庭、イ、患者はなるべく別室に隔離し別室なきときは屛風、衝立の類を以て健康者と隔つること。患者はなるべく早期に入院するを可とす。
丙、集会、集合の制限
一、演説会、講演会、説教等、二、学校、幼稚園等、(二)学校閉鎖、三、劇場、寄席、活動写真館等、四、祭礼、祝賀会、法会、葬式等に於ける多人数の集合はなるべく之を避くること。五、交通機関 咳嗽、噴嚔に関する注意、「マスク」の使用、唾痰の処置をなるべく励行すること。
丁、消毒
戊、含嗽(がんそう、うがい)
第二 予防注射第三 一般衛生
以上は、一部の紹介であるが、非常に詳しく基本的な対策を示している。掲載した2枚のポスターは、その基本的な内容を一般の人向けに伝えようとしたものである。

現在との相違についていくつか補足しておくと、『流行性感冒』は、1 都市全体の封鎖や交通機関の停止、2 工場を含む企業活動の停止、などについてふれていない。大正期の政府の権限はけっして小さくないが、経済活動を停止、停滞をさせてはならないということが当時の社会の強い要請になっているのだろうか。この点は現在の世界のかなりの国で行われている対応策とは異なっている。

もうひとつは政府の役割である。大恐慌期以降、現在では一般的になっている、政府による積極的な財政政策、金融政策、大小の個々の企業への支援、補償などについて、『流行性感冒』には注目すべき記述は無い。
その代わり、恩賜財団 済生会、慈恵救済資金、大礼恩賜賑恤資金等の各種慈善団体の、主に予防や治療についての活動が期待され、政府や自治体からの企業や個人に対する支援や補助はあまり行われていないようである。
これらの対応策について、現代と比較して改めて検討する必要がある。

なお、第六章は主に医学的な研究の分野なので、『流行性感冒』の解説者西村秀一氏(ウイルス学)をはじめ専門家の検討を参照していただきたい。

今まさにコロナ・ウイルスの第一波の渦中で、その正確な実態も十分に明らかではなく、第二波、第三波の可能性も否定できず、全体像がつかみにくい時期ではあるが、スペイン・インフルエンザの時期と現在との様々な角度からの比較研究は、ますます重要な課題となるだろう。ぜひ多くの方々に読んでいただきたい、スペイン・インフルエンザについての基本的な文献のひとつである。

さらに詳しくは、書評論文「スペイン・インフルエンザに関する3つの基本文献の紹介論文】(クリックしてください)をご参照ください。

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