2020年8月11日火曜日

疫病と闘い続ける北斎

YouTubeチャンネルを開設しました。新保博彦のチャンネルです。以下の内容を含む「北斎の須佐之男命厄神退治之図と晩年の大作群」を作成しました。(2023.5.22)

現代に生きる我々は、新型コロナの拡大に苦しんでいる。しかし、過去の人々は、我々以上に様々な疫病に苦しんでいた。日本を代表する画家北斎は、当時の人々とともに疫病との闘いに一貫して挑み続けていた。いくつかの代表的な作品を紹介したい。


まず、「須佐之男命厄神退治之図」(1845年)である。この図は、私のブログ「北斎晩年最大の傑作、須佐之男命厄神退治之図 No.1」(2017年1月23日)で紹介したが、もう一度掲げたい。

凸版印刷によれば、同社は、「関東大震災で焼失した「須佐之男命厄神退治之図」の残された白黒写真から、凸版印刷の最先端デジタル技術を活用し、撮影された当時の彩色された絵馬を原寸大で推定復元しました。」

絵馬では、中央やや右上の白い装束を着た須佐之男命」が、朱色と思われる服をまとい、腕には疱瘡の痕が見える疱瘡神(疱瘡(天然痘)を疱瘡をもたらすと信じられた疫神)、紫の衣をまとった梅毒の厄神、風邪をはやらせる疫病神、風邪の神などと闘おうとしている。この創作意図が明白で、壮大なスケールの作品は、北斎の作品のひとつの集大成とも言えるだろう。
すみだ北斎美術館

もうひとつ有名なのが、⾁筆「朱描鍾馗(しゅがきしょうき)図」(絹本⼀幅)である。北斎は同様の作品を何度も描いたが、右は、弘化3(1846)年の作品である。春朗の落款を持つ(最初期の)唯一の肉筆画の作品は『もっと知りたい葛飾北斎』p.15に掲載されている。

この作品について、すみだ北斎美術館は次のように説明している。「中国の厄病除けの神とされる鐘馗を描いた図です。当時流⾏った疱瘡には⾚いものが効くという俗信があったため、端午の節句にも疱瘡除けの願いを込めて鐘馗の幟が飾られていました。・・・数え87歳のときに描いた作品です。」
北斎が、この種類の画を何度も描き続けたのは、当時の様々な疫病が繰り返し人々を苦難に陥れたと言うことだろう。

日本美学研究所
もうひとつ疫病に対して北斎が闘ったと考えられる作品が、肉筆画「鎮西八郎為朝図」(1811年頃)である。この作品は大英博物館が所蔵している。為朝も、北斎によって何度も描かれており、有名なのは『鎮西八郎為朝外伝 鎮西弓張月』である。

「源為朝は平安時代の勇猛な武将で古来より為朝の名を記した札を家に貼ると為朝の武威を恐れ 疫病が退るとされてきました」(築地・波除神社
右は波除神社の「疫病除け神符」である。

このように、北斎を疫病と闘い続ける絵師としてみてみると、万能の天才北斎のもうひとつの姿が見えてくるように思われる。

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