2019年8月22日木曜日

未発見の大作 伊藤若冲「十六羅漢図」

近年、江戸時代の有名な絵師の作品の発見が相次いでいる。しかし、伊藤若冲にはまだ未発見の大作がある。
大阪商工協会∥[ほか]編「臨幸記念名家秘蔵品展覧会図録」、1933年の中に、府立大阪博物場所蔵として、若冲筆「十六羅漢」との記載があり、下記の図(白黒)が掲げられている。しかし、現在のところ、未発見である。海外に流出したのだろうか?
この情報は、太田彩『伊藤若冲 作品集』のコラム「不思議な画面ー枡目描き」、p.137を利用させていただいた。同書の写真はやや小さいので、改めて原書からコピーした。
全体図、八曲一双
十六羅漢とは、「世にとどまって仏法を護持する16人の羅漢(阿羅漢、尊敬を受けるに値する者)。・・・玄奘訳『法住記』に十六羅漢の名が列記され、以後、中国や日本で「十六羅漢像」が盛んに描かれるようになり、敦煌にも五代ごろの壁画がある。」(定方 晟、日本大百科全書)
左の四曲

太田氏の著作に依れば、若冲には、十六羅漢図は他にもあるが、十六羅漢全員が描かれていない。その意味では、若冲の仏教観の理解するためにも、とても重要な作品のひとつであるだろう。

右の四曲
まず、この作品の特徴は、若冲の作品とされる「鳥獣花木図屏風」や、「樹花鳥獣図屏風」と同様に、枡目描きで描かれており、鮮やかな色を多用していることが推測される点である。

ほぼ中央にはお釈迦様が、周囲には十六羅漢がひとつひとつ豊かな表情で、個性を持って描き分けられている。
ただ、十六羅漢の視線は様々な方向を向いているので、ダ・ヴィンチの最後の晩餐の様なひとつのテーマで描かれているのとは異なっているように思われる。

作品の下の部分を中心に、様々な花が咲き乱れている。画面左端には、他の枡目描き作品にも登場する白象が見え、他の動物もいるようだが、残念ながら画像が粗いので確認できない。

なお、この画像には落款が無いようである。「鳥獣花木図屏風」や、「樹花鳥獣図屏風」と同様に、今後も若冲の作品がどうかについての専門的な研究が進められるだろう。
なお、太田彩氏のコラムは、上記2作品についての重要な問題提起も含まれるが、改めて考えてみたい。
ともあれ、この十六羅漢図が早く発見され、公開されることを期待したい。

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2019年8月13日火曜日

甦った鈴木其一の作品を満載、河野元昭『鈴木其一』

鈴木其一の本格的な研究書、河野元昭『鈴木其一』(東京美術、2015年)をぜひおすすめしたい。掲載された作品数は非常に多く、其一の多様な作品を深く味わうことができる。また、其一と同時代の人々、例えば北斎などの作品との共通性なども知ることができる。それを理解するための河野氏の解説は専門的で詳しいが、一部にはかなり難解な部分もあるように思われる。

「其一は、彼が活躍を続けていた幕末の頃、江戸で最も人気のある画家の一人でした。その名声は明治時代に入っても保たれていましたが、やがて忘れ去られていったようです。其一が不死鳥のようによみがえるのは、昭和四十七年(一九七二)のことです。」(同書、はじめに、以下では引用はページ数のみ)

同書は、3つの章から構成されている。
第1章 草書落款時代 文化10年(1813)~天保3年(1832)
第2章 噌々(かいかい)落款の時代 天保4年(1833)~天保14年(1843)
第3章 菁々(せいせい)落款の時代 弘化元年(1844)~安政5年(1858)
なお、彼の師、酒井抱一については、其一とともに、「奈良・大和文華館で酒井抱一展、Houitsu Sakai in Nara」で紹介したことがある。

以下で鈴木其一の代表的な5作品を紹介するが、それら以外にも、「朝顔図屏風」、「群鶴図屏風」、「柳に白鷺図屏風」などのよく紹介される作品も、もちろん掲載されている。








やはりまず掲げるのは、其一の最も有名で特徴的な作品である「夏秋渓流図屏風」(六曲一双)である。同書によれば、第2期の代表的な傑作とされている。(29)
何よりも驚かされるのは、金地を背景として豊かな色彩で覆い尽くされていることである。流れる水は全体が濃い青色で波は金線、山の大部分は緑一色、水辺と水中の岩は黒を中心とした限られた色である。木々は比較的写実的で、右隻には真っ白な百合、左隻には赤く色づいた紅葉がある。全体が非常に写実的であるように見えて、実は深く濃い色で激しく流れる渓流が創造されている。そうした創造が逆に自然の力強い姿を見事に写しているように思われる。
私は、私のWebsiteの英語版のTOPページにこれを背景として使っている。



左:昇竜図、制作年記載無し
「昇竜はお目出たい図様にもかかわらず、この雲は妖雲と呼びたい。・・・いや、幕末バロック(37頁参照)と呼ぶにふさわしい。」(64)
「夏秋渓流図屏風」の色彩豊かな画面とは打って変わって墨一色の濃淡で昇竜を描いている。竜の背景には黒い雲が覆っていて竜の動きを強調している。もうひとつの興味深い其一の作品である。

左:三十六歌仙図、弘化2年(1845)
再びカラフルな作品。「天地の目もあやな配色と蠕動する流水には、其一の個性の一端がよく示されている。」(78)三十六歌仙の衣装のそれぞれが非常に強い色を用いて鮮やかに、またその表情も丁寧に描き分けられている。
そして、やはり琳派に独特の青色の流水が様々な扇とともに背景を作っている。

左:向日葵、制作年記載無し
背景はすべて捨象され、一本のみの向日葵が描かれている。花の部分は徹底して写実的に、植物図鑑のように描かれているが、「葉は淡墨に緑青をたらし込み、金泥で葉脈を描いて」(『江戸琳派の美』、p.72)装飾的に対照的に表現している。

下:四季花鳥図屏風、六曲一双、1854年、「三十六歌仙図」とともに、第3期の代表的な作品とされている。(76)
右隻は春から夏にかけての植物が約二十六種類。左隻は秋から冬にかけての植物が約二十二種類。背景は金地以外には無く、花の種類で季節の移ろいを表してはいるものの、季節感が強く感じられない。それぞれの花は空中に浮いており、自然に深く根ざして咲く花には見えない。其一が創造した装飾的な自然であり、それがこの画のねらいだったのだろう。


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2019年8月3日土曜日

「東京裁判」4K版、今日から公開

読売新聞、8月2日夕刊
以下は、読売新聞8月2日夕刊の記事である。
「対米英開戦時の首相、東条英機らA級戦犯の法廷での言動を生々しくとらえたドキュメンタリー映画「東京裁判」(初公開1983年)の4Kデジタルリマスター版が今月公開される。」

関東では今日から上映される映画館もあるが、関西では読売新聞によれば、大阪のシネ・ヌーヴォ、京都シネマ、神戸・元町映画館で10日から公開とのことである。

ところで、私のブログでは「東京裁判」を、主題として2回取り上げた。ぜひご参照ください。
DVD 東京裁判をもう一度紹介します」(2018年8月16日木曜日)
DVD「東京裁判」を改めて見直す」(2012年8月16日木曜日)

『戦争裁判余録』から
なお、そのブログでは、被告人弁護団のベン・ブルース・ブレークニー(Ben Bruce Blakeney, 1908年-1963年3月4日)弁護人と、ファーネス弁護人の弁護の内容を、東京裁判の本質と、アメリカの民主主義の強さを表すものとして詳しく紹介している。

上記の読売新聞は、米国人弁護人について、次のように紹介している。「彼らは「勝者による敗者の裁判は不公正」だと指摘。真珠湾攻撃を殺人罪で裁くなら広島への原爆投下を命じた者の名前も挙げると迫っている。」

この夏休みとお盆の期間に、多くの方がこの4K版をぜひ見ていただきたいと思う。

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2019年8月2日金曜日

今の香港を理解するのに必須:遊川和郎『香港 返還20年の相克』(2)

(1)から続く

第5章 迷走する民主化と軽量化する行政長官
Wikipedia. 2014年香港反政府デモ
2 雨傘運動とその後」では、「2014年6月10日、中国政府は『香港白書』を発表した。・・・同白書は、「1997年の返還以来、香港の民主的な政治制度は安定、発展してきた」と現状を肯定するとともに、「香港の『高度な自治権』は固有なものではない、中国中央指導部の承認によって与えられるものだ」と高圧的に民主派の動きをけん制した。」(166)ことが明らかにされる。
 この白書を背景にして、2014年に中国全人代常務委員会から「8.31決定」が出された。それは、「これまで1200名の選挙委員による投票を18歳以上の全ての香港市民(約500万人)に拡大する一方、立候補者は指名委員会の半数以上の同意を必要とすることとし、事実上民主派からの立候補を排除した。確かに「1人1票」の選挙権は認められたものの、被選挙権は中国側がコントロール可能ということである。」(167)
 この決定に対して、9月には香港の学生達は、催涙弾から身を防ぐために雨傘を使って抗議と反対の意思表示を行った。これがいわゆる雨傘運動であった。「実際に運動を指揮した学生団体のリーダーが「學民思潮 Scholarism」の黃之鋒 Joshua Wong(Facebookのページにリンクしています)と香港学生聯盟(学聯)代表の周永康だった。」(168)しかし、学生達の占拠を伴う運動は具体的な成果を得られないまま終結した。

第6章 劣化する国際経済都市
 第6章では、再び経済に焦点が合わされる。まず、「1 老化する財閥」では、30年一日の財閥ランキングが表6-1、表6-2の対比で示される。「2 都市間競争での劣後」では、香港と上海が比較される。
 興味深いのは、香港を都市国家、あるいは人口数百万人規模で1人あたりのGDPが1万ドルを超える経済体との比較した、「世界のスモール・オープン・エコノミー」(208-)である。貿易や金融での優位を活用している国、あるいはハイテク産業への特化を進めている国などの事例が紹介されている。香港がどれを採用できるか、今は明らかではないが、中国への依存を弱め、より自立した経済を構築しようとすれば、この点を明らかにしていく必要があるだろう。

終 章 竜宮城のリニューアル
 終章の最後の小節:「休養生息」(立ち止まって考える)で、遊川氏は本書を次のように締めくくっている。「「一国二制度」や「50年不変」が返還交渉当時、国際社会にも受け入れられた背景には、改革開放に乗り出したばかりの中国自身が50年の聞には変わっているだろうという現実的な期待があった。すなわち2047年までの50年は中国に対して与えられた猶予期間でもある。これまでの20年問、中国は目覚ましい経済発展を実現したが、体制維持の窮屈さは逆に増していることが問題である。最終的には「一国二制度」の「一国」のあり方が問われている。」(222)
 しかしながら、この終章は、中国「一国」がどうなるかという問題とともに重要な、もうひとつの香港自体の将来像にはあまり明確には触れていない。香港の経済的・政治的自立のためには何が必要かについて、独立派を含む民主派が具体的な政策を立案できるかどうかが問われていると思われるが、遊川氏もこの点について詳しく触れていただきたかった。

 最後に、香港の現状を包括的に検討した本書はその欠落を埋める重要な著作で、本書を通じてひとりでも多くの読者が、現在の香港の経済的・政治的な動きと今後の可能性について考える機会になることを、改めて期待したい。

なお、(1)で紹介した、私のWebsiteに掲載した書評では、2 補論:香港の金融市場と企業を付けた。そこでは、香港の金融市場と主要な企業の特徴を見ると、香港での民主化への、若い世代を中心とする幅広い人々による活発な動きにもかかわらず、経済と政治の両面での、香港の中国からの自立と民主化への道筋はなお大きな困難があることも指摘した。

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今の香港を理解するのに必須:遊川和郎『香港 返還20年の相克』(1)

2019年の後半に入って、香港から中国本土への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」改正案に対する香港の人々の反対運動はいちだんと拡がってきた。一方でマフィア組織「三合会」などによる反対運動への襲撃もあり、対立は深刻になってきた。
 こうした香港の現状について包括的に明らかにする研究も、ようやく少しずつ増えてきた。遊川和郎『香港 返還20年の相克』は、香港の歴史と現在、経済と政治、現在の民主化運動などの基本的な問題を、多様な資料にもとづきわかりやすく理解することができる最も適切な書籍のひとつである。

この書籍は2017年6月に刊行された。目次は、以下の通りである。
序 章 愛される都市
第1章 香港返還前史
第2章 共存共栄関係の終焉
第3章 形骸化する一国二制度
第4章 累積した経済政策の誤り
第5章 迷走する民主化と軽量化する行政長官
第6章 劣化する国際経済都市
終 章 竜宮城のリニューアル
 本書には、本文中に多くの図表と写真、巻末には注と主要参考文献が付き、さらに巻末には、詳細な年表、香港人の意識についての調査結果なども付属していて、具体的なデータに基づいて、本書の理解を深めることができる。できれば、最重要な項目でも良かったので索引が欲しかった。それがあれば本書のキーワードがさらに深く理解できたろうと思われる。ただし、この著作にはKindle版があるので、とりあえずそれを使うことができる。

本ブログの書評は、私のWebsiteに掲載した書評を簡略化したものです。ここをクリックしていただくと、書評全体と読むことができます。(本文8ページ)

以下では各章の順序に従って紹介したい。
第2章 共存共栄関係の終焉
 第2章では、香港の経済的な発展の要因(41、数字は本書のページ数)とその役割の低下(47)がまとめられている。まず、「2 香港はなぜ発展したのか」では、簡潔に香港の発展要因をまとめている。
 「①東アジアの中心という地理的な優位性(ハブとしての立地、アジアの主要都市に4時間以内でアクセス可能)、②喫水が12-27メートルという天然の良港という2つの所与の条件に、③レッセフェール(自由放任)と英国流の統治、④現地の人達の「もっと稼ぎたい」という旺盛な経済意欲、⑤さらに1980年代以降は中国の改革開放によって隣接する広東省と一体化しながら発展を加速させ、植民地にもかかわらず目覚ましい発展を遂げたと言える。」(41)
 しかし、強力な国家政策で改革開放を進める中国の発展の過程で、「中国の成長に伴う香港の役割低下」(47)が始まった。「香港のGDPの対中国比は1994年をピーク(香港が中国の24.2%)に低下し始め、2000年には中国の14.3%、2010年にはわずか3.8%、2015年2.9%と見る見るうちに小さくなった。」(47)

第3章 形骸化する一国二制度
 このような香港における中国経済と企業の役割の増大は、当然のこととして中国からの政治的な支配の強化をもたらそうという動きを強める。
 「本来「伝家の宝万」であるべき中国による司法解釈は都合よく行われるようになり、2016年までに5回行われた。」
  そして、最も重要な5回目が2016年11月の立法会で議員が行った故意の宣警の有効性、議員資格についてであった。最初の立法会選挙で選管に出馬を阻まれた1人は、本土民主前線 Hong Kong Indigenous梁天琦 Edward Leungで、選挙後に議員資格を奪われたのが、本土派の新政党青年新政 – Youngspirationから初当選した游蕙禎 Yau Wai Ching梁頌恆 Baggio Leungだった。(それぞれのFacebookのページにリンクしています)こうして、本土派などの立法会への進出はできなかったが、香港の独立を視野に入れる明確な主張を盛り込んだ若い世代の登場が明らかになった。

以下の各章については、このブログの(2)を参照してください。

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