2014年11月20日木曜日

奈良・大和文華館で酒井抱一展、Houitsu Sakai in Nara

(「洗練の極致 光琳と琳派」、p.26-27)
奈良の大和文華館で、特別展「酒井抱一展」が開催された。奈良で酒井抱一が、特に左の「夏秋草図屏風」が見られるなんて想像もしていなかったので、さっそく行ったが、ブログへの記載が遅れてしまった。

「酒井抱一(宝暦11年~文政11年/1761~1828)は姫路藩主酒井雅楽頭家に生まれ、若い頃から大名家の子息として教養を積む一方で、吉原の妓楼主、遊女、狂歌師、戯作者などとも親しい交流があり、様々な教養を身に付けてい」た。(特別展 酒井抱一 江戸情緒の精華 Website)

「11代将軍徳川家斉の父、治済(はるさだ)の依頼で、光琳作の「風神雷神図屏風」の裏に描いた作品。雷雨に打たれた夏草は雷神の、野分に吹かれる秋草は風神の、ちょうど裏に配されている。右隻には薄(すすき)の陰にそっとたたずむ白百合や仙翁花(せんのうげ)といった光琳の命日月の花が、左隻には追慕の情を意味する藤袴(ふじぱかま)が描かれている。銀地が亡くなった人を悼むノスタルジーの色であるところから、これらを描くことで光琳を追想しようとしたともいわれている。」(「小学館ウィークリーブック 洗練の極致 光琳と琳派」、p.27)

上記の画像ではよくわからないが、画面の多くの部分を占める銀地の屏風は酒井抱一の独自の美意識の表れであり、先行者である尾形光琳の「風神雷神図屏風」や「紅白梅図屏風」が金地を使ったのと対抗したのだろうか。また、右上に流れている夕立の後のにわたずみ(潦、雨が降って、地上にたまり流れる水)や、草花の緑青、朱などの非常に濃い色が多用されている。

ところで、酒井抱一の業績を継いだのが、鈴木其一である。下は、鈴木其一の代表作「夏秋山水図屏風」である。抱一とは異なって、其一は中央に向かって左右から激しく流れ込む水を、金泥と群青で鮮やかに描いている。動きそのものの力強さと現実感は、これまでの琳派とはやや異なる。

(「洗練の極致 光琳と琳派」、p.30-31)









来年は琳派400年記念祭が予定されており、「琳派は日本が創造した、世界に誇る最上の美である」として様々な企画が準備されている。酒井抱一の作品にもう一度関西で会えるかもしれないし、鈴木其一の作品にも出会えるかもしれない。とても楽しみである。

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