2019年9月17日火曜日

李榮薫他『反日種族主義』と朱益鍾『大軍の斥候』(2)

(1)から続く、以下は『大軍の斥候』書評の各章からの抜粋。「・・・」は同書のページ数。詳しくは詳しくは「書評 朱益鍾『大軍の斥候 韓国経済発展の起源』書評:李栄薫編著『反日種族主義』その2)」私のWebsiteの2019年の論文で参照してください。

(第2章 孕胎)
1930年代の京城紡織
第2章では、京城紡織を率いることになる金氏についての説明から始まる。「蔚山金氏備邊郎公派に属する金氏家は、朝鮮王朝初期以来、全羅南道長城地方に生活基盤をもつ湖南名門家の後裔である。」(35)金氏は、「勤勉さと質素さ、経済動向に対する正確な感覚」(44)で、着実に土地の所有規模を拡大した。
金氏の若い世代、「金性洙と秊洙は、日本留学を通じて近代社会と近代知識を体験、勉強し、近代化という時代の課題を自覚した。しかしそれよりもっと重要なことは、留学生活を通じて当時最高のエリートたちのネットワークを構築したことである。」(60)

(第3章 不安な出発)
1930年代の京紡の役員
ようやく京城紡織が設立される。「創立発起人は1919年5月に創立総会を開催し、同年10月に設立許可を得た。・・・総2万株のうち3,790株を発起人が引き受け、残り1万6,210株は一般から公募した。」(78)
いよいよ朝鮮人主導の本格的な株式会社が創設された。すでに日本では、幅広く株主を求めた多数の株式会社が設立され、その一部が海外にも進出していた。京城紡織はその動きに学んでいたのである。

(第6章 絶頂期へ:1938~1945年まで)
1930年代後半の日本の満洲への本格的な進出にともなって、京城紡織も満洲での事業の拡張を進める。「朝鮮でこれ以上の事業拡張を望めなかった金秊洙が朝鮮の外、満洲で活路を模索し始めたのは当然のことともいえる。その結果物ともいえるのが、1939年12月に京城紡織の出資で設立した資本金1千万円の南満紡績株式会社(以下、南満紡績と略する)である。」(174)

終章
朱益鍾氏は全体のまとめとしてこう書いている。「エッカートは、殖産銀行からの借入れや出資、日本の貿易商からの原料綿糸の供給、日本の紡織会社からの設備導入と技術提供、日本人綿布商を通した製品販売、総督府の干渉による労働争議の解決、日本の満洲進出に伴う満洲進出などを詳細に実証した。京城紡織の日本人企業および総督府との緊密な交流・協力関係を明かしたのは、エッカートの大きな功績である。
しかし、韓国人企業や企業家は日本帝国が養育した存在であるという彼の結論は、取引関係を支援、あるいは依存関係とみる一種の論理飛躍である。」(204)
しかし、朱氏はその関係は一方的ではなく、次の通りであると説明している。「つまり、京城紡織と植民地金融機関、日本人企業の関係は、基本的に前者に対する後者の支援、協力の関係というよりは、一般的な取引関係、すなわちgive-and-takeの相互利益関係であった。」(205)

私も、Japanese Companies in East Asia: History and Prospects: Expanded and Revised Second Editionで詳しく検討しているように、朝鮮人企業と朝鮮総督府、日本企業との関係は、市場経済と市場中心型コーポレート・ガバナンスを基盤にした相互依存関係であり、私の基本的な用語であるCollaborationとAllianceの関係であったと考えている。両者は、市場経済と企業活動の発展について、共通の目標と課題を抱えていた。

終章の最後の節は「優れた学習者:大軍の斥候」と記され、書名の理由を示している。「優れた学習者で成功的な後発者であった日本植民地下の京城紡織は、李光洙が表現したように「後ろに迫る大軍の斥候」であったのである。」(218)

朱益鍾氏の研究は、広範囲で具体的な資料を駆使し、エッカートの研究を朝鮮(韓国)側の立場と役割を明確にさせつつ、いちだんと推し進めたものと言えるだろう。朝鮮・韓国経済史に興味を持たれた方にはぜひとも読んでいただきたい書籍である。

朱益鍾氏も著書の一人である、『反日種族主義』について詳しくは、私の論文書評:李栄薫編著『反日種族主義』その1落星垈経済研究所の経済学者などによる批判」を、2019年の論文でご覧ください。
戦間期朝鮮経済史と反日種族主義批判の最近の動向をまとめた『論文・書評集:戦間期朝鮮経済史と反日種族主義批判』は、以下に掲載しています。新保博彦の日本語版Website TOPページ

左上の写真
写真内の右上:東京留学中の金性洙(左)と金秊洙、左上:1921年の金性洙、左下:1921年の金秊洙(エッカート著の冒頭写真集2ページ目)右上の写真写真内の上:1930年代の永登浦にあった京城紡織株式会社の航空写真、下:1930年代の京紡の役員、後列(左から):金在洙、李康賢、崔斗善、尹柱福、前列(左から)閔ピョンス、玄俊鎬、金秊洙、朴興植(エッカート著の冒頭写真集5ページ目)

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李榮薫他『反日種族主義』と朱益鍾『大軍の斥候』(1)

李榮薫他『反日種族主義』
韓国の文在寅政権による継続的かつ徹底した反日政策に対して、ようやく韓国内の研究者が包括的に批判した著作が刊行された。李榮薫ソウル大学名誉教授らが著した『反日種族主義』(2019年)である。同書には、李榮薫氏とともに、金洛年、金容三、朱益鐘、鄭安基、李宇衍の諸氏が論文を載せている。

『反日種族主義』と李承晩TV
この著作はとても興味深いものの韓国語で書かれているので、日本人の多くは読めない。しかし、李榮薫ら著者達は、その主張が有力メディアが取り上げる機会が少ないので、YouTubeで李承晩TVを開設した。第1回は以下の通りである。日本語字幕も付いているので、とても便利である。
1. 反日種族主義を打破しようシリーズを始めるにあたって

朱益鍾氏はじめ6名の著者、池上彰SP、2020.2.2
(2020.2.3追補)
『反日種族主義』に投稿した研究者の研究
李承晩TVは一般向けに作成されているので、残念ながらその主張の詳しい説明はされていない。また、『反日種族主義』に参加する研究者の研究も、日本語や英語に幅広く翻訳されていない。
翻訳済みあるいは日本語で書かれた主なものは、李榮薫『大韓民国の物語 韓国の「国史」教科書を書き換えよ』(日本語訳、2009年)、金洛年『日本帝国主義下の朝鮮経済』(日本語版、2002年)、朱益鍾『大軍の斥候 韓国経済発展の起源』(日本語訳、2011年)ぐらいである。優れた研究が多いので、今後、日本語訳や英語訳が刊行されることを期待したい。

朱益鍾『大軍の斥候』
これらの中で、私と同じ専門分野を対象にした『大軍の斥候』は、2011年に堀和生監訳・金承美訳で日本経済評論社から刊行された。本ブログでは、2回に分けて同書を紹介したいが、詳しくは「書評 朱益鍾『大軍の斥候 韓国経済発展の起源』書評:李栄薫編著『反日種族主義』その2)」私のWebsiteの2019年の論文で参照してください。

『大軍の斥候』の構成は以下の通りである。
序章、第1章 巨大な新しい波、第2章 孕(よう)胎、第3章 不安な出発、第4章 周辺部において:1920年代、第5章 中心部へ:1930~1937年、第6章 絶頂期へ:1938~1945年、終章
著者の朱益鍾氏の略歴は、日本語版によると以下の通りである。「1960年生まれ、ソウル大学経済学科および同大学院卒業、現在ソウル信用評価情報株式会社信用評価担当取締役理事。経済学博士、専攻は韓国近代経済史、韓国近代産業発達史、企業史。」

この著作の最も重要な特徴は、京城紡織とそれに関連する産業・企業についての具体的な資料が非常に豊富であることである。特に朱氏が企業史研究者であることからわかるように、京城紡織の財務諸表をあらゆる時期について駆使している。また、本文だけではなく、日本語版巻末にも多数の図表が掲載されている。
これらの多数の資料と図表を用いた議論において、朱氏は予断と偏見に基づくイデオロギー的な批判は徹底して避けている。金氏一族や朝鮮人企業家への根拠の曖昧な賛辞や、朝鮮総督府や日本企業への一方的な批判は行わずに、それぞれの資料から得られた結論をそのままわかりやすく述べている。

このような優れた方法によって、『大軍の斥候』はエッカート『日本帝国の申し子』が切り開いた朝鮮・韓国資本主義論に新たな展開を生み出した重要な労作である。『反日種族主義』への関心が高まっている今、改めて専門の研究者だけではなく、一般の多くの人々が読んで欲しい著作である。

各章ごとの紹介は、次回ブログの(2)を参照してください。

エッカートについて詳しくは、私の論文「書評 エッカート『日本帝国の申し子』」を、2020年の論文ご覧ください。

『反日種族主義』について詳しくは、私の論文書評:李栄薫編著『反日種族主義』その1
落星垈経済研究所の経済学者などによる批判」を、2019年の論文でご覧ください。
戦間期朝鮮経済史と反日種族主義批判の最近の動向をまとめた『論文・書評集:戦間期朝鮮経済史と反日種族主義批判』は、以下に掲載しています。新保博彦の日本語版Website TOPページ

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