2021年7月30日金曜日

中国共産党100年、ぜひ読むべき2冊

今年(2021年)7月1日、中国共産党は創立100周年を祝った。この100年間に、中国共産党は中華人民共和国を成立させ、その独裁政権による強力な指導で、世界で第2番目の経済大国に成長した。しかし、中国共産党が犯した誤りと悲劇も、その成果に匹敵するほど重大であった。

整風運動と毛沢東思想の確立

中国共産党と毛沢東について、十余年にわたる調査と数百人におよぶ関係者へのインタビューにもとづいて、包括的に批判したのが、ユン・チアン、ジョン・ハリデイ『真説 毛沢東 誰も知らなかった実像』、講談社、2017年(Jung Chang and Jon Halliday, Mao: The Unknown Story, Anchor, 2005)である。

中国で毛沢東思想が確立したのは、1942年からの整風運動の直後だった。整風運動は、表向きは、「学風」、「党風」、「文風」の三風を整頓するという意味であったが、「整風運動がもたらした最大の成果は、国民党とのありとあらゆる関係が徹底的に明らかにされたことだった。毛沢東は「社交関係表」を作り「全員にあらゆる種類の社交関係を細大漏らさず書かせよ」と命じた。整風運動を終了するにあたって、当局は一人一人の党員に関する調査書類(檔案)をまとめた。」(ユン・チアン、ジョン・ハリデイ、6908、Kindle版での位置)

調査の対象とされたのは、王明をはじめ、のちに何度も批判の対象となる周恩来、彭徳懐、劉少奇など名だたる中国共産党の指導者たちが含まれていた。その結果、「整風運動以前の代表約五〇〇人のうち、半数はスパイの疑いをかけられて言語に絶する迫害を受けた。自殺した者もいれば、精神に破綻をきたした者もいた。多くが代表から外された。かわりに、毛沢東に対する忠誠の証明された新しい代表が何百人も任命された。」(7467)整風運動を通じて毛沢東は個人崇拝を確立し、毛沢東思想が共産党の指導理念となった。こうして、現在の共産党の原型が形成された。

コミンテルンとソ連から派遣され延安に滞在したピョートル・ウラジミロフ『延安日記』は、整風運動について次にように書いている。「延安では自殺するものが後を断たない。市中はまるで強制収容所のようだ。」(123)毛沢東による整風運動と同様の粛清は、スターリンの大粛清よりも前の1930-31年に始まり、共産党の歴史のあらゆる時期に、特に文化大革命と天安門事件を経て、今に至るまで続く。

この書籍と関連する文献、そしてアメリカの誤った対応については、私の「ローズヴェルトの対中政策と整風運動に関する文献の紹介」 論文で紹介しています。あわせてクリックしてご参照ください。

四千五百万人を死に追いやった大躍進(1958-62)

近代中国歴史上最も悲惨で、世界に類を見ない惨劇となった大躍進を明らかにしたのが、フランク・ディケーター『毛沢東の大飢饉: 史上最も悲惨で破壊的な人災 1958-1962』、草思社、2019年(Frank Dikötter, Mao's Great Famine: The History of China's Most Devastating Catastrophe, 1958-1962, Bloomsbury Publishing, 2010)である。

中華人民共和国が成立して十年も経っていない一九五八年から六二年にかけて、毛沢東は、十五年以内にイギリスに追いつき追い越すという、無謀な「大躍進」を開始した。この政策を担ったのが人民公社である。「河南省嵖岈(さが)山には、一九五八年二月に小麦一ヘクタール当たり四千二百キロを目標に掲げた全国初の人民公社(「スプートニク人民公社」と呼ばれた)が登場した。」(同書、96)その後、全国各地に人民公社が設立され、生産目標を競うことになった。「各公社では日常生活のあらゆる面が軍隊式に統制され、土地や労働を含むほぼすべてが集団化された。

この無謀な計画は期待された成果を生まなかっただけではなく、無理矢理大量に動員された農民の生活を破壊した。これらの事業の犠牲者である、「(雲南省陸良県で)飢餓による初めての死者が出たのは、一九五八年二月だった。六月には、あちこちで飢餓による浮腫(むくみ)の患者が現れ、千人が餓死した。」(87-8)このような事態が起こっているにもかかわらず、政府・共産党は穀物の輸出に力を入れた。「党は農村部の需要を無視した政治的な優先順位を決め、政府は契約の履行と国際的な評判を維持するために穀物輸出量を増やす決定を下した。こうした姿勢は、一九六〇年の「出口第一(何より輸出優先)」政策の採択に表れた。・・・こうした優先政策のつけは膨大な農民の死という形で回ってきた。」(233-4) 

大躍進と人民公社という無謀な政策、その結果として生じた大飢饉、この過程を推進したのは毛沢東であったが、一党独裁を維持する共産党内部では激しい対立と闘争、そして妥協と追随を伴っていた。毛沢東の推進する政策に反対する党員は「反党集団」「反党グループ」「右傾分子」「右派」として徹底的に排撃され追放された。

「中国において、一九五八年から六二年にかけて、少なくとも四千五百万人が本来避けられたはずの死を遂げたーこれが本書の見解である。」(15) しかし、「・・・たとえば、ポル・ポトやアドルフ・ヒットラー、ヨシフ・スターリンが引き起こした大惨劇に比べると、大躍進の真の姿はほとんど知られていない。」(14)ちなみに、ユン・チアン、ジョン・ハリデイは、大躍進の犠牲者を3800万人と推定している。(12082)

この書籍について詳しくは、私の書評 『毛沢東の大飢饉』」論文で紹介しています。あわせてクリックしてご参照ください。

中国ではその後、よく知られている文化大革命天安門事件が起こる。これらについての重要な文献は改めて紹介したい。

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2021年7月1日木曜日

藤田治彦『もっと知りたいウィリアム・モリスとアーツ&クラフツ』

ワクチン接種もようやく高齢者で進み、美術展も少しづつ開かれ始めた。今、奈良県立美術館では、特別展「ウィリアム・モリス 原風景でたどるデザインの軌跡 が開かれているので、久しぶりに出かけてきた。興味深い展覧会だったが、やや規模が小さく、モリスの全貌を知るのには必ずしも十分でないと感じた。
そこで、モリスのすべてを理解するために、とても優れた書籍だと思われる、藤田治彦『もっと知りたいウィリアム・モリスとアーツ&クラフツ』(東京美術、2009年)を紹介したい。
まず、目次は以下のとおりである。

はじめに 民衆の芸術を追究し芸術の新たな地平を開拓したモリス、第1章 若きモリスとアーツ&クラフツ前史─良き仲間たちとの出会い、特集▼ラファエル前派と後継者たち、第2章 生活に美と創造の喜びを─商会設立から改組まで、特集▼V&Aとモリス関連コレクション、第3章 理想の社会をめざして─環境保護運動への展開と社会主義、特集▼モリスとテムズ川、第4章 十人分を生きた晩年─アーツ&クラフツとケルムスコット・プレス、第5章 アーツ&クラフツ運動の広がり─ロンドン発の穏やかな世界革命とその理念、おわりに アーツ&クラフツ運動の歴史的位置づけ

ウイリアム・モリスは1834年に生まれた。第2章は、モリス27-41歳の幅広い作品を紹介している。ステンドグラス、家具、壁紙、染色、採飾手稿本などである。右は、モリス最高の絵付家具、聖ゲオルギウスのキャビネットである。「1862年ロンドン万博のためにモリス自身が絵付けした。・・・モリスによる絵付家具では最良の作である。」(27、数字は同書ページ数、以下同じ) すでにこの時期にモリスの多彩な作品を見ることができる。これらの作品を制作するために、1861年にモリス・マーシャル・フォークナー商会が創設された。

第3章では、モリス42-53歳の時期の作品が紹介される。壁紙、染色、タペストリーなどである。壁紙にはよく紹介される「るりはこべ」「セント・ジェイムズ」、そして左の「いちご泥棒」などがある。「インディゴ抜染の藍に赤(アリザリン)と黄色(ウェルド)を組み合わせた最初のテキスタイル。工程全体の完了には数日を要する〈いちご泥棒〉は、商会のコットン・プリントのなかで最も高価なものの一つになったが、最も人気のあるファブリックでもあった。」(49)第2章の時期には壁紙「アカンサス」がすでに発表されていたが、これらの作品はそれを受け継ぐものであった。
我が家にもいくつかモリス・デザインのものがあるが、そのひとつが、価格がそれほど高くなかった「いちご泥棒」のカーペットである。
第3章には、もうひとつ重要な作品群がある。タペストリーである。「第3回アーツ&クラフツ展出品の自信作」である「」は多数の動物や鳥を配置した、121.9×452.0(cm)の大作である。
右は、同じモチーフの、さまざまな生命を育む神秘と豊穣の森を表す「きつつき」(53)である。モリスの作品にしばしば登場するアカンサスの葉が中央の木に絡み、二羽の鳥が翼を休めている。

ところで、モリスは商会の活動を拡大するだけではなく、社会への関心を広げていった。古建築物保護協会を創設し、ラスキン、カーライルと活動を共にした。「八三年からは本格的に社会主義活動に参加する。しかし、モリスは労働組合や社会主義政党の結成をめざすような職業的社会主義者ではなかった。・・・ハマスミス社会主義協会というローカルな組織をつくり、活動を続けた。」(44)

モリスは、1896年に62歳で亡くなったが、第4章は54-62歳の晩年を対象にしている。晩年の重要な作品が、大型のテキスタイルや、ケムスコット・プレスの書籍群である。左は、「ヤコブ・デ・ヴォラギネ著『黄金伝説』」である。表紙、本文をデザインしただけではなく、この本のために書体「ゴールデン体」まで作られた。
今では、電子書籍が普及しているが、それは同時にデザインされた印刷版への関心も高め、この点でもモリスへの評価も高まるのではないだろうか。

第5章では、アーツ&クラフツ運動がヨーロッパ、アメリカそして日本に広がっており、日本の民藝運動もその一つであることが明らかにされている。

ところで、今モリスの作品は展覧会で見ることができるだけではなく、簡単に入手できる。住吉さやかさんは、「モリス商会消滅後、そのデザインはSanderson and Sons社Liberty of London社が買い取り「Morris & Co.」というブランド名で現在も販売されています。」と紹介されている。

以上のように、藤田治彦『もっと知りたいウィリアム・モリスとアーツ&クラフツ』は,80ページの書籍の中に、モリスのすべての時期の多くの作品と詳しい解説を満載している。モリス作品を愛用している人をはじめ、多く人に読んでいただきたいと思う。

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