2021年12月27日月曜日

強まるバブル懸念の指標とバブル研究の古典(2)

 「強まるバブル懸念の指標とバブル研究の古典(1)」では、現在のバブルの懸念を示す代表的な指標を紹介したが、(2)ではバブル研究の著名な古典を紹介したい。

まず、キンドルバーガー『熱狂、恐慌、崩壊 金融恐慌の歴史』(日本語訳、2004年)から始めよう。同書は3回翻訳されている。本論文が取り上げるのは、原書第4版MANIAS, PANICS AND CRASHES 4th ed. A History of Financial Crisesの翻訳である。第4版は、キンドルバーガー自身が著した最後の版である。2回目の翻訳となる。その後、第6版の翻訳が出た。『熱狂、恐慌、崩壊 (原著第6版) 金融危機の歴史』(日本語訳、2014年)である。第6版はR.Z.アリバーが加筆している。

キンドルバーガーの著作の最大の特徴は、第1に付録B 金融危機の類型一覧表 (1618-1998)にまとめられているように、近代の金融危機全般を取り上げ、危機に先行する投機対象、通貨膨張源、投機の頂点、危機(破綻、恐慌)、最後の貸手についてそれぞれを特徴付けたことである。第2に、他の著作とは異なって、危機の記述だけではなく、危機に対する最後の貸手の役割に特に注目したことである。彼の方法は、「数理経済学、計量経済学、あるいは両者を包含している「新しい経済史」に対抗するものとして「文献経済学」」(同書7ページ、以下括弧内の数字は同様である)だと言う。

論文では、次にガルブレイス(John Kenneth Galbraith)の『新版 バブルの物語―人々はなぜ「熱狂」を繰り返すのか』(2008年日本語訳刊行)を検討したが、このブログでは省略する。

次に、チャンセラーの『バブルの歴史 チューリップ恐慌からインターネット投機へ』(2000年)を取り上げたい。同書の原題は、DEVIL TAKE THE HINDMOST: A History of Financial Speculationである。DEVIL TAKE THE HINDMOSTは諺で、(遅れた者は鬼に食われろとばかり)われがちだ, 早いもの勝ちだという意味である。副題は金融投機の歴史になる。なお、この著作には新訳がある。『新訳 バブルの歴史─最後に来た者は悪魔の餌食』(2018年刊)である。著者のエドワード・チャンセラー(Edward Chancellor)は、フリーランスのジャーナリストで経済学者ではない。チャンセラーが記述している内容も、一六九○年代の起業熱から、一九二九年の大暴落を経て現代のカウボーイ資本主義、神風資本主義にまでの長い歴史に及ぶ。

チャンセラーは、キンドルバーガーと同様に、「投機の熱狂」に注目している。キンドルバーガーよりもより明瞭に投機の熱狂が現れる局面を、シュンペーターに依拠して説明している。「オーストリア出身の経済学者、J・A・シュンペーターは、投機の熱狂が通常、新しい産業や新しい技術が登場し、それらの可能性が過大に評価され、新規事業(ベンチャー)に引きつけられる資金が過剰になったときに発生すると指摘している。」(54)

本書エピローグは、「経済学者の暴走」と名付けられていて、幾人かの重要な経済学者への批判を試みている。金融派生商品の危険性を指摘しなかった、ノーベル経済学賞を受賞したマートン・ミラーと、連邦準備制度理事会(FRB)のアラン・グリーンスパン議長がやり玉に挙がっている。特にページが割かれているのは、ジョン・メリウェザーが設立したロング・ターム・キャピタル・マネジメント(LTCM)である。

キンドルバーガーは最後の貸手の役割を重視したが、チャンセラーはやや漠然とした用語であり、ガルブレイスが効果を否定した、投機に対する規制の必要性を主張した。

ぜひ多くの方々が、大著ではあるが示唆に富むこれらの書籍に取り組んでいただきたいと思う。なお、私の論文は以下に掲載しています。「強まるバブル懸念の指標とバブル研究の古典」2021年の論文

強まるバブル懸念の指標とバブル研究の古典(1)

アメリカ株式市場では、バブルの懸念が強まっている。その現状と、バブル研究の古典について紹介した論文を、私のweb siteに掲載したが、その簡単な紹介を2回に分けて行いたい。

バブルの懸念が強まっていることを示す重要な指標のうち一つ目は、S&P 500 Cyclically Adjusted Price to Earnings Ratio(景気循環調整後の株価収益率(CAPEレシオ))だろう。2013年にノーベル経済学賞を受賞したロバート・シラー博士によって提案されたCAPEレシオは、株式の実際の株価収益率を反映している。計算式は、株価/ 10年間の平均インフレ調整後収益である。
2021年9月のその比率は38.34で、1980年からの変動は、図1の通りである。 青い線はS&P 500のCAPEレシオ、赤い線はS&P 500の株価である。S&P 500のCAPEレシオは、新型コロナ感染症の拡大で一時的に20台に下落したものの、その後は急速に回復し、2000年のバブル期の40に近づいている。

もうひとつの指標は、バフェット指数である。バフェット指数は、GDPに対する米国株式市場の総評価額の比率である。2021年12月16日の時点で、バフェット指数は、米国の総市場価値:50.2兆ドル、年間GDP:23.6兆ドルで、$ 50.2T÷$ 23.6T = 213%となる。この数値は、過去の平均を66%も上回り、最も高い水準にあり、市場の総評価額が異常に高いと言える。

これらの主張に対する重要な反論は、私の論文を参照してください。論文では、もうひとつの指標である恐怖と欲望指数も取り上げた。

2021年の年末まで、アメリカの株式市場は、コロナ禍の落ち込みから急速に回復し、上昇を続けてきた。論文1節で紹介した3つの指数から、それらの指数が、過去と比較して非常に高く、バブルではないかとの危惧が拡がっている。もちろん、バブル説には、本文に紹介したような有力な反論もある。

以上の検討は市場全体の傾向であるが、一方で、市場の一部では、最近のIPO、例えば電気自動車メーカーのリビアンなどが上場後高騰するなど、異常な熱狂と興奮状態がなお見られる。しかし、他方で、調整も始まっている。バブル期初期に人気を博したキャシー・ウッド氏率いる米アーク・インベストメント・マネジメント(ARK Investment Management)の商品の価格が停滞している。

市場がさらに熱狂し続けるのか、それとも一時的あるいは本格的な調整が始まるのかは、上記の指数によっても正確な予想は難しい。ただ、確実なことは、各国での大幅な金融緩和の縮小、急激なインフレーション対して金利の引き上げなどを迫られているため、株式市場は何らかの調整が避けがたいと言えるだろう。

次のブログでは、バブル研究の古典が、バブルと金融危機をどう捉えてきたかを紹介したい。

なお、私の論文は以下に掲載しています。「強まるバブル懸念の指標とバブル研究の古典」2021年の論文

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論文「中国の監視社会と監視カメラ・顔認証企業」を、私のHPに掲載しました。

新保博彦の政治・経済コラム(2021年11月15日掲載)から移動しました。2021.12.27) 

論文「中国の監視社会と監視カメラ・顔認証企業」を、私のHPに掲載しました。 目次は以下の通りです。

I 世界と中国の監視カメラ、2 中国の監視カメラ・顔認証企業、3 アメリカによる中国監視カメラ・顔認証企業への制裁、おわりに:監視社会化への対応

左の図は、「世界で最も監視されている20の都市–1,000人あたりのカメラ」で、最も監視されている都市は、中国の太原(山西省)で、10位以内に中国は8都市、中国以外は、ロンドンとインドのインドール。20都市を見ると、中国は16。これらの事実から、中国は、最も監視カメラによって監視されている社会であることがわかる。

中国は世界で人々を最も監視している社会であるが、同時に監視するための監視カメラを生産している企業が最も成長している国でもある。世界の「物理的セキュリティセクターで最も影響力のある」企業のランキングでは、中国企業は10位以内に4社、特に上位2社の杭州海康威视数字技术股份有限公司(Hangzhou Hikvision Digital Technology Co., Ltd.)浙江大华技术股份有限公司(Zhejiang Dahua Technology Co.,Ltd.)は、他社を引き離している。
また、中国では監視カメラで用いる顔認証技術も発展していて、上海商汤智能科技有限公司(SenseTime)北京旷视科技有限公司(Beijing Kuangshi Technology Co., Ltd. (Megvii))上海依图网络科技有限公司(YITU Tech)が代表的な企業である。科大讯飞股份有限公司(iFLYTEK Corporation)は、人工知能全般を事業とする企業である。
第2節では、これらの企業の現状を詳しく検討した。

中国全体の監視社会化を支えているのは、中国の監視カメラ製造企業や顔認識企業であることは言うまでも無い。これらの企業の技術を用いて、中国が監視社会化を徹底して実施しようと試みているのが、新疆ウイグル自治区においてである。それは、21世紀のジェノサイドと呼ぶことができる。

こうした事態を受けて、アメリカ政府は、中国の監視カメラ製造企業や顔認証企業に制裁を科している。「エンティティー・リスト(EL)」には、上記の多くの中国企業が対象になっている。さらに、アメリカ政府によって、これらの企業の一部を含む59の中国企業への証券投資が禁止された。

中国での監視社会化の進展、少数民族への弾圧への適用などに対して、アメリカ以外でも先進各国ではその危険性への批判が高まり、監視社会化を制止しようという動きが高まりつつある。欧州連合(EU)は人工知能(AI)の利用を制限する包括的な規制案を公表した。最も厳しい「禁止」は、すでに中国では一般的になっている、政府が個人の「格付け」にAIを用いることなどが対象となる。

なお、私の論文は以下に掲載しています。2021年の論文
中国社会と企業の最近の動向をまとめた『論文集 超管理社会をめざす中国と中国企業』は、以下に掲載しています。新保博彦の日本語版Website TOPページ


論文「新型コロナウイルス感染症と中国製薬・バイオ企業」を、私のHPに掲載しました。

新保博彦の政治・経済コラム(2021年10月7日掲載)から移動しました。(2021.12.27)

論文「新型コロナウイルス感染症と中国製薬・バイオ企業、2021年9月 (COVID-19 Infection and Chinese Pharmaceutical and Biotech Companies)」を、私のwebsiteに掲載しました。

目次は以下の通りです。

はじめに、1 新型コロナウイルス感染症とワクチン開発、2 中国製薬・バイオテクノロジー企業、3 破壊的イノベーションとしてのワクチン開発

取り上げた中国企業は、中国医药集团有限公司(以下简称“国药集团”)、China National Pharmaceutical Group Co., Ltd. (Sinopharm)、国药控股股份有限公司(SINOPHARM GROUP CO. LTD.)、科兴控股生物技术有限公司(Sinovac Biotech Ltd.)、康希诺生物股份公司(CANSINO BIOLOGICS INC.)、复星国际有限公司(FOSUN INTERNATIONAL LTD.)、上海复星医药(集团)股份有限公司(SHANGHAI FOSUN PHARMACEUTICAL (GROUP) CO., LTD.)などです。

中国の主要なワクチン開発企業は、相互に緊密に連携しつつ、中国政府や人民解放軍による、資本、人、補助金、さらには共産党などを通じての強い影響・支配下にあり、中国のワクチン開発は、政府・軍・共産党主導であることなどを明らかにしています。ぜひご参照ください。

なお、私の論文は以下に掲載しています。2021年の論文

中国社会と企業の最近の動向をまとめた『論文集 超管理社会をめざす中国と中国企業』は、以下に掲載しています。新保博彦の日本語版Website TOPページ

2021年12月2日木曜日

吉田博の絵画、NIKKEI The STYLE「世界を駆けた画家夫妻」

私は、これまでの私のブログで、版画家吉田博のすばらしい作品群を紹介してきた。ところが、日本経済新聞11月28日、NIKKEI The STYLE「世界を駆けた画家夫妻―吉田博と吉田ふじを(上) 繊細な描写、米国人を魅了」は、画家吉田博とその妻ふじをを紹介している。とても興味深い記事なので紹介したい。

日経による吉田博の経歴は次の通りである。「吉田博は、風景画の名匠として、明治・大正・昭和期に活躍した。1876年(明治9年)に現在の福岡県久留米市に生まれた博は、1902年(明治35年)に発足した太平洋画会の中心画家となり、水彩、油彩、版画の風景表現に大きな足跡を残した。・・・吉田ふじをは1887年、現在の福岡市出身で、洋画家、吉田嘉三郎の三女に生まれる。養子に入った博と、米欧旅行から帰国後の1907年に結婚。子育てをしながら、画業を続け、戦後は抽象絵画も発表、99歳で亡くなる数年前まで絵を描き続けた。」(ふじをについては改めて紹介したい、なお、「」は日経からの引用)

安永幸一、福岡アジア美術館編「吉田博資料集」(弦書房)によれば、博達は3年2カ月にわたって米欧諸国と北アフリカを写生して巡る大旅行を試み、各地で展覧会を開き、高い評価を得たと言う。上は博の1906年の油彩画「ヴェニスの運河」である。ふじをにも博の作品と並ぶ「ベニス」という水彩画があり、ともにヴェニスの町並みとともに、アドリア海の澄み渡った青空とそれを写す水面が描かれている。「歴史ある水上都市の光と影を確かな遠近感で写しとった。」と日経は書いている。ところで、この作品は、『𠮷田博 全木版画集』のp.206に掲載されているが、空の青さとその光が差す全体の印象は、日経版の方が強く鮮やかである。(なお、姓について、日経は吉田、画集は吉田と表記している。)

養沢 西の橋」は、1896年に描かれた水彩画である。「西多摩、現在の東京都あきる野市にある渓流を描く。」渓流は博の版画作品でもしばしば取り上げられるテーマであるが、この絵では渓流が中心ではなく、緑に覆われた森を背景に、ごつごつとした岩をぬって流れる渓流が描かれている。



霧の農家」は、1903年頃の水彩画である。「霧に包まれた農村の湿潤な大気と朦朧感の描出」と日経は特徴付けている。遠くにぼんやりと輝く日の光、その淡い光を受けて木々を写す水面などすべてが朦朧となっていて、水彩画という方法を見事に生かした表現ではないかと思われる。「米国の美術関係者を驚かせたのも、こうした繊細を極めた風景表現だったろう。」

『𠮷田博 全木版画集』に掲載されている水彩画は4点のみで、初期の上記2つの作品は掲載されていない。その意味で、NIKKEI The STYLEが紹介した作品は、𠮷田博のすべての仕事を理解する上で欠かせない作品となっている。


追記:・「中」(2021.12.5)は、吉田博の版画を紹介しているので、このブログでは追記を省略したい。
・「下」(2021.12.12)は、「戦中戦後、画業へ情熱」というテーマで、吉田博とふじをの、それ以前とは大きく性格が異なった作品が紹介されていて、とても興味深いので、機会を改めて紹介したい。(2021.12.19)

これまで私が作成した吉田博についてのブログは以下の通りです。