2016年1月26日火曜日

日本で戦前から活動する社会事業財団を紹介します。Japanese Foundations since the Inter-war Period

最近、私は日本を中心として戦前から活動する社会事業財団について調べているが、調査中にいただいた各財団の貴重な文献を簡単に紹介したい。いずれも貴重だが、残念ながら公共の図書館にはあまり所蔵されていない。

まず、戦前で個人が設立した最大の財団である原田積善会を紹介したい。1920年に左の写真の原田二郎が、1020万円を拠出して、最初の大型財団原田積善会が創設された。
「原田二郎は、1849年10月10日、松阪市殿町で同心(清一郎)の長男として生れた。東京に遊学ののち、大蔵省に勤め、31才で横浜の第74国立銀行(現在の横浜銀行の前身)の頭取となり手腕を発揮するが、事情があって職を辞し松阪に戻った。
その後37才で東京に居を移して療養生活(胸部疾患)を送ったのち、1902年54才の時、明治の元勲の一人である井上馨 の依頼を受け、家運の傾きかけた大阪の鴻池家とその経営する鴻池銀行(後の三和銀行の前身)の整理、再建に当った。
1919年に鴻池の建て直しに成功してその職を去ったが、翌1920年原田二郎家を絶家のうえ全財産を拠出し、積年の計画であった原田積善会を設立。その後10年間財団の代表者として運営に当ったが、1930年5月5日、82才で死去した。」(原田積善会HPより、一部省略、改行などの修正を加えた)

会の事業支出は、最初の年度の1920年には15.9万円であったが、年々増加し、1936年以降は年間100万円を超え、全年度の合計が2116万円に達した。当初の資産の2倍を超える規模となった。
会の資産は、1920年に1360万円であったが、10年後の1930年には2610万円、1943年には5000万円を超えている。3.7倍である。このような急増の背景には、積極的な投資活動があった。
原田積善会の壮大な事業そのものだけではなく、それを支える投資活動、さらには情報公開の適切さは、この会の創設者とそれを後継した人々の先駆的な精神と、当時のそれらを支える社会の特徴を良く表している。
右は、送っていただいた、原田積善会が刊行された『原田積善会90年のあゆみ』(2011年)である。会は何度も同様の資料を公刊されているが、これが最も新しい。なお、戦前の『財団法人原田積善会事業概要』などは、近代デジタルライブラリーで読むことができる。これらで、どのような事業が行われているかをご覧いただきたい。
また、私のWebsiteでの論文「日本の財団:戦前と戦後」でこれらを全体として検討しているので、ご参照ください。
(右上が森村市左衛門)
戦前から活動している財団としてはもうひとつ紹介しておきたいのが、森村豊明会である。
我が国最初の近代的財団は森村豊明会で、1914年に森村市左衛門の寄付で創設された。その創設には、直前のアメリカの財団の影響があると言う(林雄二郎・山岡義典 『日本の財団』、中公新書)。
森村豊明会は、日本女子大学教育学部とそれに付属する幼稚園と小学校の新設資金などの拠出を第1番目の寄付の対象とするなど活発に活動した。
「森村市左衛門は、1839年、江戸京橋で代々続く武具商の家に長男 として生まれました。
市左衛門は、弟の豊を慶応義塾で英学を学ばせ、1876年に豊を始め、大倉孫兵衛、廣瀬実栄、村井保固、新井領一郎、大倉和親らと共に森村組(現森村商事㈱)を設立して、1878年ニューヨークに森村ブラザーズを開き、日本の陶器を中心とする特産品を販売し、「正直・親切」の精神が認められ事業が拡大、其の後、1904年に日本陶器合名会社(現在の㈱ノリタケカンパニーリミテド)を設立。以降、陶業技術を活かして、衛生陶器、送電線の碍子、自動車のプラグなど、各分野に進出して現在のTOTO㈱、日本ガイシ㈱、日本特殊陶業㈱などの各社に発展しました。
晩年まで教育の重要性を説き、慶應義塾、北里大学などに継続的に寄付を続けるほか、森村学園を開校、日本銀行、第一生命、富士紡績等の設立に参画、晩年キリスト教の洗礼を受け各地で講演。1919年に80歳でその生涯を終えました。」(森村豊明会HPから、一部省略、改行などの修正を加えた)
右は、送っていただいた森村豊明会『マル木の礎 新訂版』(1996年)である。貴重な文献がいくつも掲載されているが、森村豊明会の活動を示す詳細な資料は、残念ながらあまり残されていない。

戦前の日本は、この二つをはじめとする財団が活発に活動していた。当時の日本は市場経済と市場中心型コーポレート・ガバナンスを発展させていたが、それとともにこのような企業家達の先駆的な社会事業を目的とする財団活動があったことを忘れてはならない。
私のWebsiteではこれらを順次検討しているが、このブログでもその結果を簡略に紹介して行きたい。


2016年1月10日日曜日

七十二候を味わう、 the seventy-two divisions of the four seasons

明けましておめでとうございます。今年も新保博彦のブログをよろしくお願いいたします。

新年にあたり、改めて七十二候と二十四節気について考えてみた。
七十二候(しちじゅうにこう、the seventy-two divisions of the four seasons)とは、「二十四節気の各節気を、初候・二候・三候に三分したもの」で、二十四節気(にじゅうしせっき、the 24 seasonal divisions of a year in the old lunar calendar)とは「太陰太陽暦で季節を正しく示すために設けた暦上の点。一太陽年を24等分し、立春から交互に節気・中気を設け、それぞれに名称を与えた。」ものである。

とは言ってもわかりにくいので、これを毎日の生活で理解できる3つの商品を紹介したい。
それぞれの画像はクリックすれば大きくなるので、ぜひ大きくしてご覧ください。


まずはじめに、『カレンダー2016 七十二候めくり 日本の歳時記 (ヤマケイカレンダー2016) 』である。
カレンダーなので毎日机やその他の場所で楽しめる。何より掲載されている写真が大きく秀逸である。
今日(1月10日)は、芹乃栄(せりすなわちさかう)で、「冷たい空気に身が引き締まるころ。清冽な水の流れるそばには、青々とした芹が育っています。」との説明が写真とともにある。



次に、2012年に初版が出版された、『日本の七十二候を楽しむ ―旧暦のある暮らし』である。これは本なので、カレンダーよりは2ページにわたる詳しい説明が並ぶ。
候のことば:春の七草、旬の日:つめきりの日、旬の行事:どんど焼き、旬の魚介:鱈(真鱈)などである。春の七草、鱈には絵も付いている。





これらの作品もとてもすばらしいが、持ち歩くのはやや大変である。スマートフォンで気軽に学べるもののひとつが、うつくしいくらしかた研究所の暦というページである。
ここでは、小寒(しょうかん)、第六十七候 せりすなわちさかうの説明はもちろん、旬のレシピ
ムール貝のパエリアの詳しい説明が載っている。
このページの最下段まで進めば、スマートフォン用のアプリがダウンロードできるようになっている。



10年ほど前になるが、客員研究員としてアメリカのUCSDに滞在している際に、英会話の教室に少しの期間通っていた。そこには、台湾や韓国の若い学生や研究者が熱心に参加していて、彼らとの交流はとても楽しかった。最後の時間に、私が日本を紹介する機会があり、日本には四季があり、日本人はその変化を感じ楽しみながら生活していると言ったことがある。
その気持ちは今も変わらないが、上のようなもので、毎日を味わっていけば、本当に生活が豊かになると思う。ぜひお薦めしたい。

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