2021年12月2日木曜日

吉田博の絵画、NIKKEI The STYLE「世界を駆けた画家夫妻」

私は、これまでの私のブログで、版画家吉田博のすばらしい作品群を紹介してきた。ところが、日本経済新聞11月28日、NIKKEI The STYLE「世界を駆けた画家夫妻―吉田博と吉田ふじを(上) 繊細な描写、米国人を魅了」は、画家吉田博とその妻ふじをを紹介している。とても興味深い記事なので紹介したい。

日経による吉田博の経歴は次の通りである。「吉田博は、風景画の名匠として、明治・大正・昭和期に活躍した。1876年(明治9年)に現在の福岡県久留米市に生まれた博は、1902年(明治35年)に発足した太平洋画会の中心画家となり、水彩、油彩、版画の風景表現に大きな足跡を残した。・・・吉田ふじをは1887年、現在の福岡市出身で、洋画家、吉田嘉三郎の三女に生まれる。養子に入った博と、米欧旅行から帰国後の1907年に結婚。子育てをしながら、画業を続け、戦後は抽象絵画も発表、99歳で亡くなる数年前まで絵を描き続けた。」(ふじをについては改めて紹介したい、なお、「」は日経からの引用)

安永幸一、福岡アジア美術館編「吉田博資料集」(弦書房)によれば、博達は3年2カ月にわたって米欧諸国と北アフリカを写生して巡る大旅行を試み、各地で展覧会を開き、高い評価を得たと言う。上は博の1906年の油彩画「ヴェニスの運河」である。ふじをにも博の作品と並ぶ「ベニス」という水彩画があり、ともにヴェニスの町並みとともに、アドリア海の澄み渡った青空とそれを写す水面が描かれている。「歴史ある水上都市の光と影を確かな遠近感で写しとった。」と日経は書いている。ところで、この作品は、『𠮷田博 全木版画集』のp.206に掲載されているが、空の青さとその光が差す全体の印象は、日経版の方が強く鮮やかである。(なお、姓について、日経は吉田、画集は吉田と表記している。)

養沢 西の橋」は、1896年に描かれた水彩画である。「西多摩、現在の東京都あきる野市にある渓流を描く。」渓流は博の版画作品でもしばしば取り上げられるテーマであるが、この絵では渓流が中心ではなく、緑に覆われた森を背景に、ごつごつとした岩をぬって流れる渓流が描かれている。



霧の農家」は、1903年頃の水彩画である。「霧に包まれた農村の湿潤な大気と朦朧感の描出」と日経は特徴付けている。遠くにぼんやりと輝く日の光、その淡い光を受けて木々を写す水面などすべてが朦朧となっていて、水彩画という方法を見事に生かした表現ではないかと思われる。「米国の美術関係者を驚かせたのも、こうした繊細を極めた風景表現だったろう。」

『𠮷田博 全木版画集』に掲載されている水彩画は4点のみで、初期の上記2つの作品は掲載されていない。その意味で、NIKKEI The STYLEが紹介した作品は、𠮷田博のすべての仕事を理解する上で欠かせない作品となっている。


追記:・「中」(2021.12.5)は、吉田博の版画を紹介しているので、このブログでは追記を省略したい。
・「下」(2021.12.12)は、「戦中戦後、画業へ情熱」というテーマで、吉田博とふじをの、それ以前とは大きく性格が異なった作品が紹介されていて、とても興味深いので、機会を改めて紹介したい。(2021.12.19)

これまで私が作成した吉田博についてのブログは以下の通りです。

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