2016年7月26日火曜日

経済・経営の理論と歴史の古典(2) リーマー『列国の対支投資』

バーリ・ミーンズに続いて紹介したいのが、シー・エフ・レーマー*著、東亞經濟調査局譯『列國の對支投資』(Foreign investments in China, 原著:1933年)である。バーリ・ミーンズの著作に比べれば影響は小さいが、戦間期の世界と日本の対外投資、特に対中投資を理解するのには、忘れてはならない重要な文献である。
*著者名Remer, Charles Frederickは、左ではレーマーと記載されているが、後の翻訳ではリーマーが採用されている)

戦間期の日本経済を特徴づけるのに、「日本帝国主義」という用語が、未だに十分な理論的・数量的な裏付け無しに、経済発展に否定的な意味で使用されている。しかし、現在の直接投資による受入国の経済発展に対する積極的な貢献を少しでもとらえられれば、戦間期の日本の対中直接投資が、現代と同様の経済発展の牽引役であったことも理解できるはずである。『列國の對支投資』は、戦間期の世界と日本の対中直接投資を理解するために欠かせない重要な著作である。

目次は以下の通りである。
第一篇 總論-外國の投資及び支那の國際經濟=金融的地位
 第一章 緖論 / 1
 第二章 支那の人口及び資源 / 9
 第三章 傳統的支那 / 26
 第四章 現代的經濟關係 / 40
 第五章 支那に於ける外國投資の一般的描寫 / 57
 第六章 事業投資の槪觀 / 82
 第七章 事業投資の意義 / 106
 第八章 支那政府の外債 / 120
 第九章 外國の投資と國際貸借 / 156
 第十章 華僑よりの送金 / 187
 第十一章 貿易及び正貨移動 / 202
 第十二章 支那の國際貸借 / 221
 第十三章 支那の國際的經濟的地位 / 242
 第十四章 結論 / 248
第二篇 各國篇(以下の章編成は略)

リーマーの研究の主な内容をまとめたのが、左の表である。表によれば、1931年の対中投資の総額は32.4億ドルで、中国政府債務が7.1億ドル、直接投資が25.3億ドルである。1902年には総額で7.9億ドル、1914年には16.1億ドルであったから、短期間で急増したと言える。何よりも直接投資額の大きさは、注目に値する。

リーマーは、「財産が外国人の管理及び支配の下にある」(65)投資を、直接投資と定義している。また、上記の表からもわかる通り、「直接投資は、中国における外国投資の主要形態である」(70)とも述べている。
この時期に、直接投資が、世界の新たな時代の新たな重要な投資形態であり、中国においてもそれが主要な形態であることを指摘したことの意味は非常に大きい。
現在では、世界で直接投資が経営資源の移転を伴うため、経済発展に大きな役割を果たすことができるので、投資国だけでなく受入国も競って発展させようとしているのは周知の事実である。

さらにリーマーの重要な指摘は続く。彼は、「支那の経済組織は、1903年に現代的会社形態の組織が用いられるようになされるまで、外国から借り入れる能力がある事業単位を持たなかった。」支那の会社法の最近の形態は、1929年に国民政府によって発布された。しかし、「会社形態の成功は現在まで大ならず」と指摘している。(107)
企業組織の確立、中国経済の近代化がいつ始まったのか、その後どのように発展したのかについての、中国の実情もまたこの著作が説明してくれる。このような現実が、外国の直接投資を増大させていた背景でもある。

この著作については、私の著書Japanese Companies in East Asia: History and Prospects: Expanded and Revised Second EditionのChapter 1 Foreign Direct Investment in the Inter-war Period and Japanese Investment in Chinaで検討している。
また、東亜研究所の一連の研究も、リーマーの研究とともに、包括的な優れた研究である。東亜研究所編『諸外国の対支投資 : 第一調査委員会報告書』、東亜研究所編『日本の対支投資 : 第一調査委員会報告書』。機会を改めて紹介したい。

この著作は国立国会図書館デジタルコレクションで読むことができる。だが現在は著作権の問題があるので、国会図書館に行くか、全国の公共図書館、大学図書館等(国会図書館の承認を受けた図書館に限る)でしか利用できない。
シー・エフ・リーマー著、東亞經濟調査局譯『列國の對支投資』
また、この著作の原文はHathiTrust Digital Libraryで全文ダウンロードして読むことができる。
Foreign investments in China / by C.F. Remer ...

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2016年7月21日木曜日

経済・経営の理論と歴史の古典(1) バーリ・ミーンズ「近代株式会社と私有財産」

このブログでは、今読み直されるべき経済・経営の理論と歴史についてのいくつかの重要な古典を順次紹介したい。まず、バーリ・ミーンズ「近代株式会社と私有財産」(The Modern Corporation and Private Property, 1932)である。コーポレート・ガバナンスを論じる場合は今でも常に参照される重要な古典である。左はその北島忠男訳、1958年刊である。

目次は以下の通りである。
第1編 財産の変革
第2編 諸権利の再編成
第3編 証券市場における財産
第4編 企業の改組
付録

この書籍の中でもとりわけ重要なのは、豊富な企業のデータを掲載した第1編である。今日ほど情報公開が発展していない1920-30年代に、非銀行業200社とその関連の重要なデータを収集し、以下のような結論を導き出している。

右の図は、バーリ・ミーンズが収集したデータを、私が日米コーポレート・ガバナンスの歴史的展開でまとめた表である。(表はクリックすると拡大できます)

バーリ・ミーンズが収集したのは200社であるが、私の右の表はそのうち上位30社を一覧にしている。バーリ・ミーンズは、支配の特徴によって、次のように分類した。
ほとんど完全な所有による支配はA、過半数支配はB、過半数所有がない法的な手段による支配はC、少数支配はD、経営者支配はGである。

この区分で30社をみてみると、Gの経営者支配は13社で、資産額は211.5億ドル、30社合計の55.3%に達する。次に大きなグループはDの少数支配で11社、資産額は109.4億ドル、28.6%になる。
Cは4社で12.1%、AとK(株式の過半数が広く分散されていると信じられ、経営支配力は、大きな少数株式所有者か経営者のいずれかに所有され、おそらくは後者により所有されている)が、それぞれ1社である。Aは、Ford家が全部所有するFordのみであり、KはBethlehem Steel Corp.で、どちらも製造業の企業である。

バーリ・ミーンズが200社について導き出した、経営者支配(G)が、究極的な支配において58%を占め支配的であるという結論が、30社についてもほぼ同様にみいだされることがわかる。

バーリ・ミーンズの結論は次の通りである。
「所有権が充分に細分されているところでは、経営者は、その所有権についての持分が取るに足らない程のものであっても、以上のようにして、自己永存体となることが出来る。この支配形態は、正しくは、「経営者支配」と呼ぶことの出来るものである」 (Where ownership is sufficiently sub-divided, the management can thus become a self-perpetuating body even though its share in the
ownership is negligible. This form of control can properly be called “management control.”)

ところで、バーリ・ミーンズの結論を踏まえて、今日の27か国の企業を包括的に分析した著名な論文は、RAFAEL LA PORTA, FLORENCIO LOPEZ-DE-SILANES, and ANDREI SHLEIFER, Corporate Ownership Around the Worldである。
この論文の結論は以下の通りである。
We find that, except in economies with very good shareholder protection, relatively few of these
firms are widely held, in contrast to Berle and Means’s image of ownership of the modern corporation. Rather, these firms are typically controlled by families or the State.

このように、彼らは、現代でもバーリ・ミーンズ型の企業は支配的ではないと主張しているが、今日でもバーリ・ミーンズの方法と結論が参照されているほど影響は大きい。バーリ・ミーンズ「近代株式会社と私有財産」は、今でも改めて読まれるべき古典である。

ちなみに私も、以下の私のWeb siteで、最近ではドイツやフランス企業を例として、家族や国家の影響が今なお強いことを明らかにしているが、それは固定的ではなく、徐々に収斂していることもまた指摘しておく必要がある。

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2016年7月6日水曜日

太田彩『伊藤若冲作品集』で若冲の全作品を愉しむ

太田彩さんの『伊藤若冲作品集』が刊行された。左図は内表紙である。

作品集の目次は次の通りである。
「はじめに 広がる若冲、伝わる若冲の想い
近づいて観る動植綵絵ー生命を映す色彩の魔術
評伝 伊藤若冲ー十八世紀の京に生きる
動植綵絵ー畢生の大作を愛でる、愉しむ
 動植綵絵 釈迦三尊の荘厳画として制作された全三十幅
 若冲の彩色画ー明らかになったその驚くべき表現技法に迫る 《動植綵絵》を好例として
 コラム 動植綵絵の謎
生命美を彩るー生命への真摯なまなざし
 コラム ありのままの姿を美とした、十八世紀という時代
 文芸ネットワークと若冲
 墨画の妙
 不思議な画面ー枡目描き
 僧侶との交わりー自身を高め、深める
特集 版画
若冲その後 魅了し続ける若冲」

太田彩さんの研究については、私の以前のブログ「『伊藤若冲 動植綵絵 調査研究篇』、Jakuchu Itoh」でも「『若冲原寸美術館 100%Jakuchu!』、原寸図で若冲を楽しむ」でも紹介した。これまで紹介した太田さんの研究は動植綵絵に関するものが中心だったが、今回は若冲のすべての作品についての研究となっている。

まずは動植綵絵についてである。動植綵絵については、三十幅が1ページごとに掲載されている。そして、「若冲の彩色画ー明らかになったその驚くべき表現技法に迫る 《動植綵絵》を好例として」の箇所で、七つの技法について、次のようにまとめている。
1 裏彩色の効果、2 絵の具の緻密な使い分け、3 裏彩色のトリック、4 輝く白の表情、5 裏彩色を使った空気遠近法、6 顔料と染料の複雑な併用効果、7 赤の衝撃。

次に、ページはぐっと下がって、「墨画の妙」を紹介しておこう。
『伊藤若冲作品集』では116ページに菊花図が掲載され、小林忠氏が筋目描きと呼んだ若沖の独創的技法を紹介している。「これは墨の広がりが互いに接する時にその境界となる部分に支持体の紙の色が残るという画せん紙の性質を利用したもの」(117)である。
ところが残念なことに、『伊藤若冲作品集』では,図が小さく説明が理解しにくい。ここでは、『pen 若冲を見よ』(2015.4.1)の図を右に掲載した。この書もまた、若冲の作品を見事な図版で楽しむには格好の書である。

続いて、「特集版画」である。
若冲が生きた時代は、浮世絵版画発展した時代である。これらを若冲はどのように学び、自身の作品にどのように導入しようとしたのか、興味深いテーマである。

左図は、「拓版画」と呼ばれる作品である。「白黒のみで表現する効果を十分に知り得て、単純化したモチーフのなかにも十分に風情、表情を示している」「またひとつは多色摺の花鳥版画である。地を黒くしている点では拓版画を意識しているが、墨面は木版摺で、色面は型紙を用いて筆で彩色する合羽摺の技法も用いているとみられ」(122)る。

そして、右の「桝目描き」である。
「画面全体を同じ大きさの小さな正方形の集積とし、そのなかにそれぞれに彩色を施して図様を描き上げるという、ほかに例を見ない描き方による作品が、近年の若冲人気のひとつの原動力になっている。」(137)

この方法による作品は4つある。右の<白象群獣図>と、<鳥獣花木図屏風>(プライス・コレクション)、<樹花鳥獣図屏風>に、現在所在が不明の幻の作である。
現存の三点のうち、若冲の確実な作品であると見解が一致するのが<白象群獣図>である。しかし、若冲の印が無い2つの作品については、描法やモチーフの点で、若冲の作品であるかどうかについて論争がある。

以前に私のブログで紹介した、佐藤康宏氏の『もっと知りたい伊藤若冲 改訂版』は、プライス・コレクションの作品としてしばしば登場する<鳥獣花木図屏風>は、「絶対に若冲その人の作ではない」と断定している。重要な批判であるので、太田さんも指摘するように、今後、「多角的に、客観的に考察が論じられることを期待したい。」(137)

最後に、左の図「売茶翁像」を紹介したい。 売茶翁は大典とともに、若冲が敬愛する人であった。若冲はこれらの人々の影響を強く受けているようである。

ところで、「動植綵絵」は自然界に生を受けたありとあらゆるものを描こうとする試みであるが、人物が登場しない。他の作品でも、このような僧を除いて、人物画は少ない。特に同時代を生きる市井の人々が描かれていない。様々な人々の日常を豊かに描いた、同時代の浮世絵とは大きく異なる点である。

若冲が人々の日常生活に関心が無かった訳では無い。若冲が錦の青物市場の危機を救うため奔走していたことが今では明らかにされている。では、なぜ周辺の人々を描かなかったのだろうか?

ともあれ、太田彩さんの『伊藤若冲作品集』は、動植綵絵をはじめとする若冲の膨大な作品の全体を、研究の最前線の成果による解説を付けた、すばらしい書籍である。内容と比較して価格も決して高くなく、画像も美しいので、ぜひとも多くの人々が読まれることをお薦めしたい。

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