第4章では、日中戦争から帝国崩壊までの時期について、「1 総督府の膨張」では総督府の財政を、「2 食糧増産計画と農業統制」では食料生産の状況を具体的に示した。「4 軍事工業化―総力戦に不可欠な領域化」では、希少鉱物とその用途、製鉄所、軽金属工業、肥料・化学材料その他について詳しく紹介している。この過程のすべてで、野口遵の日本窒素をはじめとする多数の日本企業が活躍していることが改めて詳細に紹介されている。最後に帝国日本全体と朝鮮の1944年末の基礎資材生産能力をまとめている。
(水豊ダム、Wikipedia) |
さらに注目すべきなのは、「他方、「鮮満一如」が謳(うた)われたように、朝鮮と満洲の経済的結びつきが強まった。」(166)事実である。水豊ダムの例は最も大規模な事例だが、他にも京城紡織の金秊洙が南満紡績を設立し、満洲で活躍したという事実があることも私の著作では強調した。
世界最大の鴨緑江水力発電機(東芝未来科学館) |
第5章の「2 戦時期との連続・断絶」で、木村氏は、「北朝鮮の連続性、南朝鮮の非連続性」という特徴付けを、3つの南北比較で試みている。北朝鮮には、全体主義というイデオロギー、統制経済、軍事化という特徴が付けられ、それは日本統治下の北朝鮮から受けついだとされている。
わかりやすい類推ではあるが、私はこの結論について、木村氏の第5章までの分析や、それへの私の補足とは対立するばかりか、戦前日本の経済と企業について誤解を招く表現だと指摘しておきたい。確認しなければならないのは、野口遵が率いる日本窒素など日本企業などによる、市場を基礎とする企業活動は、拠点を北朝鮮に置いており、北朝鮮から朝鮮をけん引していたという事実である。また、これらの日本企業の電力・化学などを中核とする産業構成は、必ずしも軍事産業とは言えない。これに対して、北朝鮮の全体主義というイデオロギー、統制経済、軍事化からなる社会主義経済と、それを支える国有企業は、ソ連とその支援を受けた現在の北朝鮮指導部によって外部から軍事的・強制的に持ち込まれたものであり、日本の遺産を「継承」したのではない。
終章では、貿易、投資、人の移動などで順に、朝鮮統治の結果が検証されている。なかでも興味深いのは、「投資は内地に巨額の利益を生んだか」の箇所である。
「内地人投資者は対朝鮮投資から高利潤を上げたといわれる。」しかし、「朝鮮の対外投資収益支払額(すべて内地向けとみなす)は一九三〇年代、内地の国民所得の〇・五%未満、非農業部門の財産(利潤・利子)所得に対しても、一・五%未満にすぎない(表6-3)」(197-8)この低さは、当時の朝鮮在住の日本人はいうまでもなく、在朝鮮日本企業が得た収益の多くを朝鮮に再投資していたことを表している。日本は対朝鮮投資の利益の多くを内地に環流させたわけではなかった。
そして、以下のまとめで本書が締めくくられる。「総合的にみれば、日本は朝鮮を、比較的低コストで巧みに統治したといえよう。巧みに、というのは、治安の維持に成功するとともに経済成長(近代化と言い換えてもよい)を促進したからである。」(202)
木村光彦氏の実証主義に徹した朝鮮論による『日本統治下の朝鮮』は、日本統治下の朝鮮経済を理解するため基礎的な事実を広範囲に明らかにした。今後、この課題を考えるための基本的な著作となるだろう。新書という形式でもあり、多くの専門家ではない読者に幅広く読まれることを期待したい。イデオロギーや民族感情、政治的配慮ではなく、実証主義に徹した歴史研究こそが、日本と韓国・北朝鮮の関係を抜本的に改善する基礎である。