2021年1月7日木曜日

谷崎潤一郎『陰翳礼讃』(写真は大川裕弘)甦る

左は、谷崎潤一郎『陰翳礼讃』に、大川裕弘氏が写真を加えて編集された著作。(パイインターナショナル、2018年)掲載された多数の写真で、「谷崎の名作がビジュアルブックとして甦る」
『陰翳礼讃』は、雑誌『経済往来』の1933年12月号と1934年1月号に連載された。日中戦争から第2次世界大戦へ向かう直前の、東洋を強く意識する社会の雰囲気もよく理解できる。

独特の長い文章で始まる『陰翳礼讃』の最初の話題はである。その意外なテーマが読者を驚かす。

「茶の間もいいにはいいけれども、日本のは実に精神が安まるように出来ている。それらは必ず母屋から離れて、青葉の匂や苔の匂のして来るような植え込みの蔭に設けてあり、廊下を伝わって行くのであるが、そのうすぐらい光線の中にうずくまって、ほんのり明るい障子の反射を受けながら瞑想に耽り、または窓外の庭のけしきを眺める気持は、何とも云えない。」(22、数字は同書ページ、以下同じ、写真は20)

私達のトイレは室内にあり、徹底的に清潔にできていて、最近はトイレのふたは自動で開き、水も自動で流れる。現代に生きる若い世代は、この写真で始めて厠を理解できるだろう。

「もし日本座敷を一つの墨絵に喩えるなら、障子は墨色の最も淡い部分であり、床の間は最も濃い部分である。私は、数寄を凝らした日本座敷の床の間を見る毎に、いかに日本人が陰翳の秘密を理解し、光りと蔭との使い分けに巧妙であるかに感嘆する。」(130-1、写真は16-7)

座敷にももちろん明かりはある。しかし、外から差し込む光が床の間やそれぞれの調度品を照らすとき、様々な影が生まれる。その複雑な影の様を「東洋の神秘」(131)というのは大げさ過ぎると思うが、ただ家庭の中までどんどん近代化し、究極の明るさを追及する風潮に対して光と影の対照を強調するのは興味深い。

ところで、日本の伝統的な芸術作品の多くが屏風に描かれ、それらにはしばしば金地が用いられている。その作品の良さや金地の意味がよくわかるのは、下の様に暗がりから作品が浮かび上がる時かもしれない。

「・・・もう全く外の光が届かなくなった暗がりの中にある金襖や金屛風が、幾間を隔てた遠い遠い庭の明かりの穂先を捉えて、ぽうっと夢のように照り返しているのを見たことはないか。その照り返しは、夕暮れの地平線のように、あたりの闇へ実に弱々しい金色の明かりを投げているのであるが、私は黄金というものがあれほど沈痛な美しさを見せる時はないと思う。」(144、写真は158-9)

陰翳
とは何か?谷崎は、しだいに弱まりつつあった仏教的な世界観によって、陰翳を次のように説明している。
「けれども前にも述べたように、われわれ東洋人は何でもないところに陰翳を生ぜしめて、美を創造するのである。・・・われわれの思索のしかたはとかくそういう風であって、美は物体にあるのではなく、物体と物体との作り出す陰翳のあや、明暗にあると考える。」(183-4、写真は230-1)

谷崎は最後を抑制しながらこう結んでいる。「私は、われわれがすでに失いつつある陰翳の世界を、せめて文学の領域へでも呼び返してみたい。文学という殿堂の檐(のき)を深くし、壁を暗くし、見え過ぎるものを闇に押し込め、無用の室内装飾を剝ぎ取ってみたい。それも軒並みとはいわない。一軒ぐらいそういう家があってもよかろう。まあどういう工合になるか、試しに電灯を消してみることだ。」(242)

コロナの感染拡大で、豊かな都市の象徴でもある煌々と輝くライト群も、少しずつ輝きを小さく少なくしている。このような時期に、様々な場で「試しに電灯を消してみる」ことで、別の世界を甦らせるのはとても意義があるように思える。

谷崎の独特な世界をビジュアルに表現した『陰翳礼讃』は、確かに古典を甦らせることができた。ぜひ、われわれ世代だけではなく、光輝く現代に生きる若い世代に読んで欲しいと思う。
また、古典をビジュアルに甦らせる作品が次々と現れることも期待したい。