日経ナショナル ジオグラフィック社は次のように紹介している。「1905年、ひとりのドイツ人青年が世界を知る旅に出た。アメリカ、日本、朝鮮、中国、インドネシア、インド、スリランカなどを1年半かけて周遊、多くの写真を撮影した。とくに日露戦争直後に滞在した日本では、まったく異なる文化に感銘を受け、すっかり日本に魅了される。まだ世界が広かった時代、豊かな地域性を残した社会を旅した貴重な記録。大戦前の世界がいきいきとよみがえる。写真117点収録。」掲載された写真は大きくて美しく、とても見やすい。
目次は、以下の通りである。グランドツアー、大西洋:広がる水平線、新世界:いくつかの冒険、太平洋:宙に浮いた時間、極東:不思議に満ちた世界、インド洋:憂鬱な帰国、その後の世界である。このブログでは、ワルデマールが特に興味を持った日本を中心に紹介したい。
まず、冒頭の1枚は、出発の船上の1枚、あふれんばかりの船客だが、そのあまりの数の多さに大丈夫かなと心配してしまう。
まず、冒頭の1枚は、出発の船上の1枚、あふれんばかりの船客だが、そのあまりの数の多さに大丈夫かなと心配してしまう。
次の1枚は船の下のデッキの写真(省略)だが、「迫害や貧困を逃れる移民たちであふれていた」(21)との説明がある。いつの時代もこうして豊かな地域への移民が見られる。
最初の訪問地は、アメリカン・ドリームの前哨地である、ニューヨークの摩天楼だった。20世紀の冒頭に、すでに巨大なビル群が威容を誇っていた。アメリカでは、この後の訪問地のどこにも見られない近代化が進んでいた。
マルタンは書いている。「当時のヨーロッパ人はアメリカを「無限の可能性を持つ国」と呼んでいた。彼らが新大陸に対して、いかに大きな期待を抱いていたかがわかる。」(30)
ワルデマールは、その後アメリカ西部をめざし、途中、壮大なカナディアン・ロッキーにも立ち寄る。「新世界:いくつかの冒険」(25-100)は、アメリカ・カナダ編である。その後、太平洋に出て、ハワイに立ち寄る。「太平洋:宙に浮いた時間」(101-112)である。
の冒頭の1枚。極東の旅は、日本から始まる。この庭園がどこか記載が無いが、「ワルデマールは日本の美しさにとりこになった」(115)との説明がある。
下の写真は、表紙となった1枚。「九州の別府を訪れたとき、悪天候のためワルデマールは足止めを食うはめになった。そこでワルデマールは十七歳の芸者「コダマサン」と十五歳の舞妓「ヨボキチ」を席に呼んだ。」(136)そのときのものである。「二人の芸者の写真は私にとってこの上なく貴重なものだ。」(138)と回想している。
ワルデマールは、日本の様々な芸術作品に興味を持った。「ヨーロッパでジャポニスムの熱がわき起こってから数年がたっており、ロダン、モネ、ゴッホは歌麿、北斎、広重が描く浮世絵に夢中になった。ワルデマールもナカノに日本美術の手ほどきを受け、あらゆるジャンルに興味を持った。」(133)
日本の旅の最後のうちの1枚が、富士山である。「ワルデマールが日本と日本人に寄せた強い共感が写真に息吹を与え、浮世絵と写真のあいだに掛け橋を作ったかのようだ。確かに日本は「すべてが不思議な国」だった。」(138)
ワルデマールは、日本を出て、朝鮮、中国、シンガポール、インドネシア、ビルマ、インド、セイロンなどを旅し、インド洋、スエズ運河、地中海、アルプスを経由してドイツに帰った。
この時代には、本書と同様に貴重な旅行記が数多くある。イザベラ・バードの『朝鮮紀行』は紹介したが(上記の目次をご覧ごください)、ハーバート・G・ポンティング 『英国人写真家の見た明治日本』、ハインリッヒ・シュリーマン『シュリーマン旅行記 清国・日本』は、改めて紹介したい。 本書を含むこれらの旅行記は、20世紀初頭の世界と日本を理解するのにとても役に立つ。