2022年12月28日水曜日

関西EU研究会で久しぶりの報告

(2022年)12月17日、甲南大学で開催された関西EU研究会で、2015年の退職後初めて、学会・研究会での報告を行った。

テーマは、左の画像にあるとおり、「ロシアのウクライナ侵攻の背景と対ロ経済制裁」であった。左は当日用いた、Google Slideの表紙画像である。

そのGoogle Slideのデータは、私のwebsiteに掲載したので、ご参照ください。

報告の概要は次の通りで、2と3の箇所を特に詳しく報告した。簡単な自己紹介  3 - 4(数字はスライド番号)、1 ウクライナ危機、2022 年初頭  5 - 6、2 プーチン政権と⼀体化するロシア国有企業群  7 - 93 制裁で打撃を受けるロシア企業とオリガルヒ  10 - 12、4 ソネンフェルド調査最新版におけるドイツ企業  13 - 14、5 ウクライナの対ロシア戦争の3つの領域  15 - 16、【補足1】論文「ロシアの衰退と、ウクライナ戦後の世界体制」  17 - 18、【補足2】今回の報告を引き継ぐ私の研究  19、【補足3】溝端佐登史氏と下斗米伸夫氏の最新の研究  20、参考:私のこれまでの主な研究  21 - 22。

1から4までは、すでに公開した、私の論文集の要約である。論文集については、私のwebsiteに掲載し、私のBlogでも紹介している。ぜひあわせてご参照ください。

報告時間は約1時間、その後1時間以上の熱心な議論が続いた。研究会のメンバーは関西の経済、政治などのEU研究者であるが、様々な角度からの専門家としての貴重な質問と意見が述べられ、私にとっては今後の研究にとても有益だった。

今回は、久しぶりの学会・研究会報告であり、また始めてChromebookを用いた、印刷物ではなくwebsite上の私のデータを利用するという試みであったので、やや緊張したが、無事終了した。

研究会後には、懇親会が和やかに開催されたが、残念ながら高齢者の私は、感染に気を付けるため、短時間で退出した。

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2022年11月10日木曜日

金柄憲『赤い水曜日―慰安婦運動30年の嘘』

2022年10月に、『赤い水曜日―慰安婦運動30年の嘘』(金柄憲(キム ビョンホン)著、金光英実訳)が文藝春秋社から刊行された。原著は2021年に刊行されている。1991年8月に金学順(キムハクスン)が元慰安婦の過去を最初に証言してから30年が経過したが、著者の金柄憲氏は、その全過程での事実と証言をひとつずつ様々な角度から検証し、「日本軍慰安婦被害者は一人もいない」という結論を得て、慰安婦問題の根本的な解決策をめざすいくつかの大胆な提案を示した。

この重要な著作を、私は私のweb siteで書評として詳しく紹介した。本ブログはそのごく一部の要約である。ぜひ書評(クリックしてください)そのものもご参照ください。

【目次と著者略歴】本書の目次は以下の通りである。第1部 「慰安婦」とは記憶との闘争、第2部 信頼できない司法府の判決文、第3部 国民をだまし、世界をだます聖域化運動、第4部 三〇年間の慰安婦歪曲、赤い水曜日

金氏のTwitterから
金柄憲氏の経歴は、奥付に依れば、次の通りである。成均館大学漢文学科を卒業、同校大学院の修士・博士課程修了。東国大学大学院で博士課程を修了。成均館大学と暻園大学の講師を経て、独立記念館専門委員を務める。国史教科書研究所所長、国史問題研究所理事である。

【慰安婦の証言の確認】第1部は、慰安婦達の証言を、ひとつずつ事実かどうか確認していくことから始める。「皮肉なことに、執筆において最も役に立った資料は、挺対協(韓国挺身隊問題対策協議会)が発刊した八冊の挺対協証言集だった。」(プロローグ, p.8, 110, ( )内の一つ目の数字は印刷版のページ数、二つ目の数字はKindle版のロケーション数)李容洙(イヨンス)、吉元玉(キルウォノク)、金学順(キムハクスン)が特に詳しく取り上げられる。以上の検討を踏まえて、「だから私は、「日本軍慰安婦被害者は一人もいない」と断言する。」(p.53, 653)という結論を得る。

このように金柄憲氏はひとつずつ事実を明らかにしつつ、次に、女性家族部の「慰安婦被害者法」に基づく「生活安定支援対象者」である彼女達に関する情報公開を情報公開法に基づいて請求した。しかし、非公開とされたので、著者は「二〇二一年一月二七日、「補助金管理に関する法律」違反の疑いで李容洙と吉元玉をソウル市鍾路警察署に告発した。」(p.43, 523)これもまた、棄却と不送致という結論だった。

【慰安所の目的、慰安婦の契約、数と収入などの実態】金柄憲氏に依れば、「基本的に日本軍慰安所は、一九三七年からの中日戦争と一九四一年からの太平洋戦争時の日本軍占領地において、現地女性の拉致、強姦、殺害のような戦争犯罪を防止するため、また民間売春宿の利用による兵士の性病を予防するために設置された。」(p.50, 607)

著者は、慰安婦の数や収入を推定する。朝鮮人慰安婦の数は2,400人から3,200人程度、収入は慰安婦証言者の証言を元に、かなりの高収入だと推測する。また、帰国後「多くの女性は解放後も、依然として花柳界に従事した。」(p.239, 3047)とも指摘する。

【河野談話、日韓合意、クマラスワニ報告書】以上の検討を踏まえて、金柄憲氏は慰安婦問題の代表的な談話、合意、報告書を批判する。著者は、「河野談話とクマラスワミ報告書の撤回こそが、日本軍慰安婦問題解決における先決課題であると確信している」(p.189, 2423)と強く主張している。

【『赤い水曜日』の意義と今後の課題】金柄憲氏の『赤い水曜日』は、挺対協証言集などでの多くの慰安婦の証言と、慰安婦に関連する朝鮮総督府などの様々な公文書などを検討し、徹底して事実の解明を試みた。また、正確を期すため情報公開を請求し、関連する裁判所の判決文も精査している。この徹底した実証主義こそが、この本の最も優れた点であり、慰安婦問題ではこれまでには極めて少なかった試みである。

このように、金柄憲氏の、一切のイデオロギー的な前提を排除し、事実をひとつずつ様々な角度から検証し、それらにのみ基づいた結論を得るという方法は、ようやく韓国で拡がろうとしている。その方法に基づいた研究は、最近の李栄薫編著『反日種族主義』によって幅広い支持を得つつある。『赤い水曜日』は、その方法に基づいた慰安婦研究だと思われる。

あわせて、金柄憲氏は、以上の考えを基礎に、「プラカードを掲げて慰安婦少女像のそばに立ち、集まりを作って慰安婦歪曲の中断を要求する集会を続け」(プロローグ, p.8, 110)ている活動家でもある。挺対協・正義連やメディアからの厳しい批判、暴言、妨害にさらされながら行動する著者の姿には本当に頭が下がる。このような研究と行動の積み重ねが、日本と韓国の真の理解を深める唯一の方法だと思われる。

【今後の課題】最後に、日本統治時代の慰安婦について一層深く理解するためには、慰安婦問題を歴史的にも解明する必要があることを付け加えておきたい。私の論文「李栄薫氏の慰安婦論 朝鮮王朝時代から戦後まで」は、李栄薫氏による、朝鮮王朝から戦後までの長い期間に、慰安婦はどのように生まれ、戦後にはどのように変化したかを明らかにした重要な研究を紹介している。金柄憲氏の研究が、これらの李栄薫氏などの歴史的な研究を踏まえた、包括的で歴史的な研究としても展開されることを期待したい。

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2022年10月6日木曜日

岩松院「八方睨み鳳凰図」

YouTubeチャンネルを開設しました。新保博彦のチャンネルです。以下の内容を含む「北斎の須佐之男命厄神退治之図と晩年の大作群」を作成しました。(2023.5.22)

小布施の岩松院を訪れた。この時期は、ちょうど栗\の季節にあたり、栗の料理や菓子を食べるためにも、小布施に訪れた人が多かった。

北斎は、小布施の豪農商・高井鴻山に招かれて、岩松院を4度訪れており、岩松院には、北斎晩年の、そして最大の作品である、次に示す「八方睨み鳳凰図」が残されている。

残念ながら、天井にある鳳凰図は、写真に撮ることが許されていなかった。そこで、ここでは、「葛飾北斎の天井絵を立体化! 名画と最新技術の融合作品『八方睨み鳳凰図3D』」が掲載した鳳凰図を掲載したい。

参拝者は、椅子に座って天井の鳳凰図を眺めることになる。まず、その色が170年以上経っているのに衰えておらず、とても鮮やかであることに驚く。

岩松院に依れば、「大きさは畳21枚分。塗り替えは1度も行っておりません。朱・鉛丹・石黄・岩緑青・花紺青・べろ藍・藍など顔料を膠水で溶いた絵具で彩色されており、周囲は胡粉、下地に白土を塗り重ね金箔の砂子が蒔かれています。」これら高価な素材の購入にかかった費用は150両、金箔は4400枚も使用したと言う。

「八方睨み鳳凰図」を理解するには、その数年前に描かれた、ボストン美術館の「鳳凰図」を見るのが良いと思う。その図は、『北斎肉筆画の世界』(TJmook, 内藤正人監修)に掲載していて、私のブログ「『北斎肉筆画の世界』(TJmook, 内藤正人監修) (2017.11.23)で、部分図を取り上げた。

ボストンの鳳凰図を見れば、複雑に一体化された岩松院の鳳凰の全体像がよくわかる。


以下の画は、ボストン美術館「鳳凰図」八曲一隻屏風、1835年の、左四曲と右四曲である。
同書(加藤陽介氏)は、次のように説明している。「松の繁茂を思わせるような背の羽毛、社殿の装飾を喚起させる繧繝(うんげん、同じ色を濃から淡へ、淡から濃へと層をなすように繰り返す彩色法)彩色による風切り羽、風に漂いどこまでも伸びる尾羽、隈が施された貌(かお)の表情は鋭い。横は二m以上あるものの、高さ三十cm程度。部屋の仕切りというよりは、節句などの飾りに用いたものであろう。」

ところで、鳳凰とは、「空想上の鳥の名。古来中国で麒麟,亀,竜とともに四瑞として尊ばれた。・・・聖徳の天子の兆しとして出現すると伝えられる。」(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)北斎も最晩年になって、聖徳の天子が現れることを祈って描いたのだろうか。北斎の晩年のひとつのモチーフを表しているように思われる。なお、伊藤若冲も「老松白鳳図」を始め、何度も描いているのはよく知られている。

ところで、「八方睨み鳳凰図」は、NTT東日本などがアルステクネの技術を活用して高精細デジタル化を行い、2022年6月2日~7月3日に、「Digital×北斎 特別展 大鳳凰図転生物語」を開催していた。今後、デジタル化された画像によって、様々な角度から詳細に、各地で見られることを期待したい。

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2022年10月2日日曜日

Google Pixel 6 Proへの移行奮戦記

これまで、私のスマホは、中国機以外で、かつ価格が安いという理由から、一貫してAsusのSIMフリー機だった。今回はおそらく人生最後の購入となる可能性が高いので、思い切って、Google Pixel 6 Pro(以下Pixelとする、SIMフリー)を選んだ。

Pixelを選んだ理由は、Google Tensor搭載とカメラ性能の高さである。今年10月にはPixel 7が出るため、一時的に約30%も割引されていたので、早速購入した。i-phoneの例を見れば、Pixel 7は円安でおそらく高くなりそうなので、あえて現行の製品を購入。
 なお、現在使っている、AsusZenFone 6(以下Asusとする)には大きな問題は無かった。これまでの経緯については、「格安スマホも3代目:Asus Zenfone 6を購入(2019.10.15)」を参照してください。

旧機Asusからの移行には、以下のような様々な難関があったので、同様の作業を必要とする方は参考にしてください。

1)旧機Asusからのデータの移行について、Pixel同梱のコードを使うとうまくいかず、旧機Asus同梱のコードで成功。理由は不明。これを除けば、基本的なデータの移行作業は比較的容易。

2)旧機AsusでのSIMカードを、Pixelに使ったものの、これまで使っていたNTT DOCOMOのネットワークにつながらない。いろいろ試してみたがうまくいかず、契約しているOCNの電話サポートに頼ることになった。そのアドバイスに従い、APNについて、旧機Asusのデータに基づいてPixelのAPNに追記し、接続できた。

3)それ以外でも、データの転送は完全ではなく、いくつかのソフトでは、改めて設定をする必要があった。

4)その他、NOKIAのワイヤレスイヤホンに接続できないということもあった。旧機Asusでの接続設定を削除してようやくつながった。おそらく同様のケースがあると思う。

5)その後しばらく使っていたが、システムの更新を求められたので実行すると、すでに設定したAPNのデータが消去されていて、2)の作業をもう一度やり直すことになった。

移行での大きな問題点は以上の通りです。Pixel 6 Proに移行して良かった点などは、別のブログで書きたいと思います。

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2022年8月27日土曜日

ロシアのウクライナ侵攻に関する2つの論文集をまとめました

 ロシアのウクライナ侵攻以降に作成した、ロシアのウクライナ侵攻と対ロ経済制裁に関する論文と、その背景を探るため戦間期に遡って独ソ関係を検討した論文をまとめた、以下の2つの論文集をまとめました。ご参照いただけましたら幸いです。

論文集 ロシアのウクライナ侵攻の背景と対ロ経済制裁(「論文集 ロシアのウクライナ侵攻の背景:ロシア経済の停滞と、国家とオリガルヒの癒着」の増補改訂版)
 論文集】(クリックすると論文が開きます)

目次
1 ウクライナ危機、2022年初頭:ロシア・ウクライナ両国の歴史と経済関係
2 プーチン政権と一体化するロシア国有企業群:ウクライナ侵攻の背景(第2版)
3 制裁で打撃を受けるロシア企業とオリガルヒ:先進国に依存するロシア企業とオリガルヒ
4 ソネンフェルド調査最新版におけるドイツ企業
5 ウクライナの対ロシア戦争の3つの領域:グローバル経済の下での対ロ経済制裁の意義
6 スナイダー『ブラッドランド』書評
7 コンクエスト『悲しみの収穫』書評

「論文集 戦間期における独ソとその周辺諸国の経済関係」
 【論文集】(クリックすると論文が開きます)

目次
I 誤りだった戦前の日独同盟:全く異質な日独経済システム(1)
II 誤りだった戦前の日独同盟:全く異質な日独経済システム(2)
III 一次産品輸出国としての戦間期ソ連
IV 独ソの狭間、東欧諸国の戦間期対外経済構造




2022年8月24日水曜日

『北斎クローズアップ』全4冊、「II 生きるものへのまなざし」

YouTubeチャンネルを開設しました。新保博彦のチャンネルです。以下の内容を含む「北斎の須佐之男命厄神退治之図と晩年の大作群」を作成しました。(2023.5.22)

前回に引き続き、『北斎クローズアップ』全4冊、「II 生きるものへのまなざし」を紹介したい。IIは、魚介、禽鳥、昆虫、動物、草花、などあらゆる生き物を描き尽くしたいという北斎の強い意志と多彩な技術が詰まった作品群である。このブログでは4つの作品に注目した。

最初の作品は、「蟹尽くし図」(絹本一面、フリーア美術館)。

「百匹以上もの大小さまざまな蟹が、水草の上を蟹(かい)行している。」(11、本書でのページ数、以下同じ)これだけの蟹が描き分けられているのに驚くが、砂浜、水中などの背景はほとんど描かれていない。

この図を見ると、伊藤若冲の貝甲図を思い出すが、北斎の図の方が背景がさらに抽象的である。

次に、「鯉亀図」(紙本一幅、一八一三年、埼玉県立歴史と民俗の博物館)右上が全図、その他は部分図。
「ゆったりと泳ぐ二尾の鯉の脇には、やはり二匹の亀が愛嬌たっぷりに描かれている。」(16)
こちらをじっと見つめる鯉の目、北斎の作品にはよく出てくる眼差しである。
やはりここで注目したいのは、水。水草の描き方は「蟹尽くし図」とよく似ているが、水の流れは全く非現実的で、鯉や亀の動きとも対応していない。

流水に鴨図」(絹本一幅、一八四七年、大英博物館)
「縦長の画面全体を流水とし、番(つがい)の鴨を描いている。」雌はうっすらと描かれているだけだが、「雄は、西洋画にも通じる濃彩で、群青を用いるなどして羽毛の微妙な光沢を表わし」(31)ている。部分図でその緻密な描き方がよくわかる。
そして、やはり注目は水の流れ、鴨が実際に泳いでいる場所とは異なって急である。北斎は水の流れを自在に操っている。

最後に「桜に鷲図」(絹本一幅、一八四三年、氏家浮世絵コレクション)「流水に鴨図」と同様、北斎晩年の肉筆画。
「湧き水の落ちる岩場に、凜々しい鷲が羽を休め、その背後には山桜が咲き誇っている。」 先の鯉同様に眼光鋭い鷲と、上に伸びた枝に沿って微妙な濃淡を付けて咲く山桜が、対照的に描かれている。
ところで、同じ年に描かれている「雪中鷲図」(紙本彩色、摘水軒記念文化振興財団、本書には無い)は、描かれている季節は異なるが、鷲と全体の構図は、とてもよく似ている。連作になっているのだろうか。

本書には、以上の4つを含め79の作品が掲載されている。その他に、[特別付録]『肉筆画帖』、[特別付録解説]『肉筆画帖』制作事情と作品解説、[総論]北斎の閲歴と芸術[弐]が納められている。
『北斎クローズアップ』全4冊、「I 伝説と古典を描く」とともに、ぜひご参照ください。


2022年8月5日金曜日

『北斎クローズアップ』全4冊、「I 伝説と古典を描く」

YouTubeチャンネルを開設しました。新保博彦のチャンネルです。以下の内容を含む「北斎の須佐之男命厄神退治之図と晩年の大作群」を作成しました。(2023.5.22)

東京美術から永田生慈監修・著北斎クローズアップ」全4冊が刊行されている。北斎の重要な作品群をテーマごとに、鮮明な画像で大きなサイズ(A4)の版で印刷されている貴重な画集である。全4冊を順に紹介したい。まずは「伝説と古典を描く」と題する第1巻である。第1巻には、晩年の貴重な、疫病と闘うというこれまでに無い意図を持った作品が、多数収録されていて興味深い。本ブログでは、私が特に注目した4つの作品を5つの画像で紹介したい。

一つ目は、「朱鍾馗(しゅしょうき)図」、絹本一幅、一八四六年、メトロポリタン美術館。(左は部分図)。
北斎八十七歳の制作である。鍾馗は中国で広く信仰された厄除けの神。鍾馗を朱描きにしているのは、「男児の疱瘡除けに効果のある色とされた」(本書p.8)からだという。同書p.6-7には、34-5歳頃の鍾馗図も掲載されている。
鍾馗の表情は、その朱色とともに、見るものに強烈に迫ってくる。


二つ目と三つ目の図は、「須佐之男命厄神退治図」、板額一面、一八四五年、牛島神社旧蔵(焼失)、(注意:この図は左図、次が右図)
この図は、「須佐之男命が厄神たちに、病や凶事を起こさぬよう誓約書をとっている図である。」(26)
この図は、私のブログの「北斎晩年最大の傑作、須佐之男命厄神退治之図 No.1」でも紹介したように、関東大震災で焼失したが、凸版印刷が墨田区の復元プロジェクトに参加し、当時の彩色された絵馬を原寸大で推定復元した。上記ブログの復元版(カラー画像)と比較参照していただきたい。
本書ほど拡大してみると、中央やや右上の白い装束を着た「須佐之男命」が、朱色と思われる服をまとい、腕には疱瘡の痕が見える疱瘡神、紫と思われる衣をまとった梅毒の厄神、風邪をはやらせる疫病神の風邪の神などと闘おうとしているのがわかる。
この時代に流行した病と闘いは、一つ目の作品と同様だが、北斎晩年の重要なテーマとなっている。

参考のため、3つの神の部分を切り取った、カラーの図を順に示してみた。白黒の図ではどれになるかおわかりいただけるでしょうか。


四つ目の作品は、「龍図」と「虎図」である。この二つの作品は、ともに紙本一幅で、一八四九年に制作され、龍図はフランスのギメ東洋美術館に、虎図は太田記念美術館が所蔵していたが、二〇〇六年に対幅であることが判明した。
龍と虎の視線が見事に相対しているので、対幅であることがよくわかる。龍と虎は並び立つ二大強者。天上から姿を現した龍は墨一色で描かれ、対照的に雨中の虎は色彩豊かに描かれている。


以上は第1部「信仰と伝説」での作品、最後に紹介するのは、第2部「孤児・物語」の作品、「雪中張飛図」(絹本一幅、一八四三年)である。
北斎最晩年の武人図。雪中とされているように、一面に粉雪が降っている中で、槍を抜いた武将が天空を見つめている。
ここまで紹介した作品の中でも、最も色彩が豊かで、緻密に描かれている作品のひとつのように思われる。左が詳細図であるが、傘の内部をはじめ、各部分が丁寧に描かれているのがわかる。

本書には、合計75作品とともに、特別付録:読本挿絵の世界、特別付録解説:北斎の読本挿絵と掲載作品の書誌、総論:北斎の閲歴と芸術[壱]も掲載されている。
なお、私のブログで関連する内容は、「疫病と闘い続ける北斎」にもある。あわせてご参照ください。


2022年7月18日月曜日

論文「誤りだった戦前の日独同盟:全く異質な日独経済システム」の紹介

ロシアのウクライナ侵攻は、人々にロシア(ソ連)とドイツ、そしてその狭間で生き残りに苦闘しているウクライナ、ポーランド、バルト3国などの、特に戦間期の歴史と経済に関心を向かわせている。まず、ナチス・ドイツであるが、その経済を理解するためには、日本と比較するのが良い。その比較を通じて、ドイツを正確に理解できるだけではなく、教科書的な理解とはとは全く異なる日本が見えてくる。論文は、「誤りだった戦前の日独同盟:全く異質な日独経済システム」で、以下はごく簡単な論文の紹介である。ぜひ論文そのものもあわせてご参照ください。論文(1)(2)」統合版】←クリックしてください。

1 ドイツの対外経済構造

独日の比較は、対外経済構造について貿易と国際収支で行い、さらに国内の有価証券市場についても行う。ただし後者はスペースの都合で省略する。

以下の表はドイツの国際収支を簡略化して示している。(図自体も簡略にしている)貿易のうち輸出が最も多かったのは、1929年の137億マルクで、その年以降減少に転じ、特に1932年からは激減している。1934年の42.6億マルクは、1929年の1/3以下である。

次に重要なのは、長期資本取引である。1920年代後半は10億マルクを超える流入が継続し、利子支払いが大きいとは言え、ドイツ経済の復興に大いに貢献した。しかし、1931年以降は、恐慌に見舞われたアメリカからの流入が止まり、ドイツ経済は困難に陥る。

ナチスが政権を取って以降、生存圏構想が浮かび上がったものの、少なくとも長期資本取引の極端な減少のデータからは、相対的に優位な経済的地位にあるドイツから、生存圏とされる国々に投資が行われたとは言えず、投資全体が急激に縮小した。

ナチスは政権を確立して以降、国際収支のデータが示すように、貿易や資本の面で、世界経済との結びつきを弱め、独自の勢力圏の確立に向かって進もうとする。しかし、独自の勢力圏であるはずの東南欧の生存圏とされる国々との経済的な相互的な結びつきは強まってはいない。そうではなく、ドイツの政策は、周知のように周辺諸国を軍事的に支配しようとするものであった。

2 日本の対外経済構造

日本の貿易は、大恐慌の影響を受けて1930-34年には一時的な停滞がもたらされたが、その後急激な拡大を見せたことがわかる。
相手国別に見て注目すべきなのは、ナチス・ドイツとは異なって、アメリカとの極めて緊密な関係である。満州国、関東州、そして中国とも貿易が活発に行われており、この点もドイツが東南欧を中心とする周辺国を、主に軍事的に支配することをめざしていたのとは大きく異なっている。

日本は第1次世界大戦までには資本輸入国であったが、戦間期に輸出国に変わろうとしていた。長期資本については、本土ベースでは、戦間期では一貫して純流出であった。1930年代後半には、流出額で年平均約6.8億円の純流出にまで増大した。相手国・地域としては、朝鮮・台湾、そして満州・中国であった。

3 まとめ

以上の検討から、戦間期のドイツと日本の対外経済構造が、非常に異なっていることが明らかになった。ナチス・ドイツは、社会主義ソ連と同様に、内外にわたって経済の土台となる市場の機能を禁止あるいは制限し、対外的には閉鎖的・自給自足的な経済構造を構築しようとした。これに対して、日本では、市場が重要な役割を果たし続け、対外的な経済構造は、ますます対立が深刻になっていたアメリカや中国とも緊密な関係が続いていた。

日本の経済は、もともとドイツとの経済関係は緊密ではなく、経済構造も著しく異なっていた。これに対して、日米間の経済関係はますます深くなっており、また日米間では経済構造も企業活動も同じ特徴を持っていて、日米間の経済・政治関係を発展させることは、両国にとって非常に有意義な戦略だった。対米関係の強化・連携と比較して、日独伊三国同盟は、現実の経済とは乖離し、将来の発展も見通せない、非現実的な戦略だったと言わざるを得ない。

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2022年4月28日木曜日

『ガラス工芸家100人 現代日本の精鋭たち (別冊炎芸術) 』を紹介します

私のブログは、しばらくロシアのウクライナ侵攻を批判する記事を書いてきた。この野蛮な行為で、人間に対する信頼を失いそうになるが、以下のような素晴らしく創造的な作品群に親しむことができて、少しほっとできる。

『ガラス工芸家100人 現代日本の精鋭たち (別冊炎芸術) 』(2021年10月)を紹介したい。

まず、100人の作品の中で、私が最も注目したのは、山本茜さんの「源氏物語シリーズ 第三帖「空蝉」」である。

この作品は、「截金(きりかね)」という技法で作られていると言う。それは、「薄く伸ばした金箔を一定のかたちに切り、繊細な文様を生み出す工芸の伝統技法で、古くから仏像や仏画に用いられてきた。その截金を透明なガラスの中に浮遊するかのように封じ込めるのが「截金ガラス」」だという。(Vogueから)この作品を近くに寄って見てみると、細密な文様が、整然と並べられている。その繊細さに本当に驚いてしまう。

この作品は、その名称の通り、「『源氏物語』の奥深い世界観を作品として可視化」したものだと言う。(以下、括弧内の文章は『ガラス工芸家100人』から)

次に、川辺雅規さんの「硝子花器〈衣~koromo~〉」で、「吹きガラスという技法での作品制作」である。
何枚かのガラスを層を成すように重ねているのだろう、その重ねた部分の柔らかな曲線が、確かに衣のように見える。左側の「衣」と右側の「衣」が、それぞれ厚みの異なった曲線を描きながら重ねられている。また、外側の「衣」全体の淡い青色が、全体に優しく花を包み込む雰囲気を醸し出している。

川辺さんは、富山ガラス造形研究所や富山ガラス工房で仕事をされて来られたが、次の小島さんも富山に移り住んでおられるという。富山には、富山市ガラス美術館があり、ガラス工芸が盛んな街である。そればかりか、富山には、以前にこのブログでも紹介した富山県水墨美術館もあり、幅広い芸術活動が盛んな都市である。

最後に、小島有香子さんの「Layers of Light -Moon- #7」である。
「板ガラスを積層して削ることで模様や面の重なりが現れ、光を得てガラスの内に光の層ができ、それは見る方向によって印象が変化する。」
その技法について、富山ガラス作家協会のページでは、小島さんの技法を、「積層・研磨(板ガラスを接着して層にし、研磨によって造形)」とまとめている。
小島さんは、「満月の夜に、水面に映る月とさざ波」と書いているが、月明かりだけの夜に、さざ波が拡がっていくように見える幻想的な作品である。

本書は、100人の作家の作品紹介以外に、「ガラスを知る・見る・買う」として、「日本グラスアートの幕開け」(土田ルリ子(富山市ガラス美術館副館長))、「ガラスの技法」(古澤かおり/中島春香(富山市ガラス美術館学芸員))、「近現代ガラス関連美術館」、「ガラス工房・ギャラリー」のページがある。

100人もの日本を代表するガラス工芸家の作品を一度に見ることができる『ガラス工芸家100人』を、多くの読者にお薦めしたい。なお、Amazonの本書紹介ページでは、上の3人以外の10人の多彩な作品を紹介している。あわせて、ご参照ください。

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2022年4月9日土曜日

論文集『ロシアのウクライナ侵攻の背景 202204』を掲載しました。

『論文集 ロシアのウクライナ侵攻の背景 202204』(左は表紙)を掲載しました。

ここをクリックしてください。私のWebsiteからもダウンロードできます)

掲載した論文3件と書評2件は以下の通りです。

1 ウクライナ危機、2022年初頭:ロシア・ウクライナ両国の歴史と経済関係(作成日時: 2022年2月15日)
2 プーチン政権と一体化するロシア国有企業群:ウクライナ侵攻の背景(第2版)(作成日時: 2022年3月11日、第2版:2022年3月24日)
3 制裁で打撃を受けるロシア企業とオリガルヒ:先進国に依存するロシア企業とオリガルヒ(作成日時: 2022年3月29日)
4 スナイダー『ブラッドランド』:ソ連によるウクライナでのジェノサイドを告発する(1)(2022年4月6日公開)
5 コンクエスト『悲しみの収穫』:ソ連によるウクライナでのジェノサイドを告発する(2)(2022年4月6日公開)

2022年4月6日水曜日

コンクエスト『悲しみの収穫』:ソ連によるウクライナでのジェノサイドを告発する(2)

前回のスナイダー『ブラッドランド』に引き続き、スターリンによるウクライナでのジェノサイドについてのもうひとつの研究である、ロバート・コンクエスト(Robert Conquest)『悲しみの収穫 - ウクライナ大飢饉』(原著"THE HARVEST OF SORROW"、1986年、白石治朗訳、2007年、ページ数は 638p)を紹介したい。
コンクエストは、1917年、イギリス生まれの優れたソヴィエト史家であり、詩人、小説家でもある。原著ではコンクエストは、スタンフォード大学フーバー研究所の東ヨーロッパコレクションのシニアリサーチフェローなどとして紹介されている。

同書は3部構成で、第一部 主役たちー党、農民、国家、第二部 農民蹂躙、第三部 飢饉テロである。本ブログは、主に第3部を紹介する。

この著作の課題についいて、コンクエストは次のように書いている。「一九二九年から一九三二年までの間に、スターリンの指導のもとでソヴィエト共産党が、・・・ソ連邦全体の農民にたいしておこなった二つの攻撃という点に絞られる。つまり、富農撲滅運動と農業集団化の二つである。」、「つぎに、一九三二年から三三年までの間では、ウクライナおよび主としてウクライナのクゥバーニ川方面で集団化された農民が辛酸をなめた飢饉テロについて述べる。それは、農民にたいしてその能力以上に穀物の供出を割当て、最後の一握りの食糧さえも取りたて、しかも外部からの、それもソ連邦の他の地域からの、飢餓を防ぐための支援を断ち切ったためにおきたことであった。」(12)

スターリンによる穀物徴発による飢餓と、ウクライナ民族主義の弾圧

1932年に入って本格的な穀物徴発が次々と行われるようになった。この年末には、「人々は、すでに餓死しつつあった。しかし、モスクワは、要求の手をゆるめるどころか、いまこそ飢餓によるテロの道に突入していった。」(373)「人々は、冬中、死につつあったが、報告書はどれもみんな、実際に大量死がはじまるのは、一九三三年三月の初めからとしている。」(405-6)そして、つぎつぎと人肉食いにまで陥っていた。その凄惨な様子は、第十二章が詳しく描き出している。この極限状態に至って、ようやく穀物徴発は緩められていった。

また同時に、これまでも、そしてこの飢餓の最中にも、飢餓の責任を負わせる形で、ウクライナ民族主義への弾圧は執拗に続けられた。ウクライナ民族主義の粛清は、その後も「全滅のウクライナ」をめざして続けられた。「ウクライナにおいてソ連邦がとった行動にジェノサイドの罪があることは確かであろう。この協定文を起草したラファエル・レムキン教授は、少なくともそのように考えていた。」(454)とコンクエストは言う。

子供達の犠牲(第15章)

コンクエストはこの飢饉で多くの犠牲者を出した子供達を特に取り上げている。子供達を死に追いやった飢餓の描写はさらに読むのが辛くなる。「無理のないところ、私の結論はこうである。七〇〇万人の餓死者のうち、およそ三〇〇万人が子供であり、それも主として小さな子供であった。」(492)

ワシントンのホロドモール犠牲者追悼碑
飢饉の死亡者数(第16章)

何度かの国勢調査や、後の人口調査などから導き出した、コンクエストの死亡者についての結論は次の通りである。「農民の死亡者、一九三〇~三七年:一、一〇〇万人、この時期に逮捕され、その後、強制収容所で死亡したもの:三五〇万人、計一、四五〇万人。この合計のうち、富農撲滅運動によって死亡したもの六五〇万人。カザフ人の悲劇で死亡したもの:一〇〇万人、一九三二~三三年の飢饉で死亡したもの、ウクライナにおけるもの:五〇〇万人、北カフカースにおけるもの:一〇〇万人、その他の地域におけるもの:一〇〇万人」。(507-8)

(上の画像は、ワシントンのホロドモール犠牲者追悼碑、「ホロドモール」は飢えを意味するホロド(holod)と、絶滅や抹殺を意味するモル(mor)の合成語である。」)

飢饉情報の隠蔽

飢饉の情報は様々なルートで西欧、アメリカに伝わっていた。しかし、「アメリカ合衆国は、当時、ソ連邦と国交を結んでおらず(一九三三年十一月まで)、国務省は国交樹立のための準備をするよう命じられていた。こうした背景のなか、飢饉テロにかんする報告は、当局によって無益なものと受けとめられていた。」(516)多くの人が隠蔽に関わったが、「最大の嘘つき」はニューヨーク・タイムズのW・デュランティで、彼は、「ソ連の欺瞞にたいする西ヨーロッパ最大の協力者として、スターリン自身をインタビューするとか、スターリンに称賛されるとか、あらゆる種類の特典を与えられていた。」(530)以上のコンクエストの指摘は、スナイダーのものとも一致する。

コンクエストの結論:飢饉の原因

コンクエストの飢饉の原因についての結論は、次の通りである。「一、飢饉は、スターリンとその仲間たちによる穀物のあまりにも過度の徴発にその原因があった。二、ウクライナの党のリーダーたちは、当初、スターリンとその仲間たちに徴発目標があまりにも高すぎることを明白にしていた。三、徴発目標は、それにも拘わらず飢餓が始まるまで強制されていた。四、ウクライナのリーダーたちは、スターリンとその仲間たちにこの点を指摘していたし、スターリンたちには他のものからも真実を知らされていた。五、それでも穀物の徴発は続けられた。」(546-7)

なお、エピローグでは、その後の推移が書かれている。その後、ウクライナの解体がめざされたが、ウクライナの自主独立を潰すことは一時的にしかできなかった。そして、コンクエストは次のように結ぶ。「ウクライナの自由は、世界全体の政治的、道徳的問題の鍵であり、鍵となるべきものである。」(578)1986年に書かれたこの言葉は、今そのまま生きている。

ロシアによるウクライナ侵攻:歴史は繰り返そうとしている

ソ連とロシアの専制がやや緩み、過去の政策の反省と修正が行われたのは、スターリン批判が行われた1956年からの一時期と、1980年代後半からのペレストロイカの時期である。これらの時期には、ソ連時代の犯罪を記録した文献も一部は公開された。しかし、2000年になると、ソ連KGB出身のプーチンが権力を掌握し、あらゆる批判を押さえ込んで、再びウクライナや周辺諸国を支配下に置こうとしてきた。歴史は繰り返されようとしている。


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スナイダー『ブラッドランド』:ソ連によるウクライナでのジェノサイドを告発する(1)

ロシアによるウクライナ侵攻が始まって1ヶ月半、各地でロシアによるジェノサイドが明らかになりつつあるが、ロシアの侵攻は止まらない。なぜロシアはウクライナに侵攻するのか、それを考えるのには、歴史を遡ることも必要である。なかでも、1932-33年にソ連がウクライナで引き起こした飢饉に注目したい。 

本ブログと次回ブログでは、この飢饉を明らかにした、重要な文献を二つ紹介したい。まず、ティモシー・スナイダー(Timothy Snyder)『ブラッドランド〈上〉〈下〉―ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実』(原著"Bloodlands"、
2010年、布施由紀子訳、2015年)である。スナイダーは1969年生まれ、イェール大学教授である。

本書全般の課題:流血地帯(ブラッド・ランド)

スナイダーは次のように定義する。「流血地帯(ブラッド・ランド)は、ヨーロッパ・ユダヤ人の大半が暮らしていた土地であり、ヒトラーとスターリンの覇権主義政策が重複した領域であり、ドイツ国防軍と赤軍が戦った戦場であり、ソ連の秘密警察、NKVD(内務人民委員部)とナチス親衛隊が集中的に活動した地域でもあった。・・・。一九三〇年代から四〇年代初頭にかけての政治地理学でいえば、ポーランド、バルト三国、ソヴィエト・ベラルーシ、ソヴィエト・ウクライナ、ソヴィエト・ロシアの西部国境地帯がここに入る。」(16、地図は1933年頃、22-23)

ここで、ナチスとソ連は1,400万人を殺害した。この数値には、戦闘任務に就いていた兵士は含まれていない。

「ヨーロッパで起きた大量殺人は、たいていホロコーストと結びつけられ、ホロコーストは、迅速な死の大量生産と理解される。だがこのイメージはあまりに単純ですっきりしすぎている。ドイツとソ連の殺戮場で使われた殺害方法はむしろ原始的だった。一九三三年から四五年までのあいだに流血地帯で殺された一四〇〇万人の民間人と戦争捕虜は、食糧を絶たれたために亡くなっている。」(19)

ウクライナにおける1932-33年の飢饉

この殺戮の最初は、このブログが注目する、ウクライナにおける1932-33年の飢饉であり、「第1章 ソ連の飢饉」が取り上げている。(これ以外の章も重要であるが、別の機会に紹介したい)1928年から32年にかけてスターリンの第1次5か年計画が実施された。この直後にソヴィエト・ウクライナで農業の集団化が一気に進み、ウクライナ農民は、共産党に搾取される「第二の農奴制」(68)が始まったと理解した。

1931年秋には始めて不作が明らかになり、同年末には多数の農民がすでに飢え始めていた。スターリンと共産党はその事実を知りながら、農村からの徴発をいっそう厳しくした。飢饉の実態は、以下の節が詳しく描いているが、あまりにもひどい実態で、読むのが本当につらい。「静まり返った村」、「たがいを食べ合う子供達」

人肉食(カニバリズム)は人間社会のタブーであり、文献でもタブーである。・・・飢饉にはカニバリズムがつきものだ。ウクライナでは、ある時点でまったくといってよいほど穀物がなくなり、人肉が唯一の肉となった。」(101)

10カ国語を読むことができるというスナイダーは、国勢調査、わずかな当局の記録、後の様々な研究などから、次のような結論を導き出した。「一九三二年から三三年にかけて、ソヴィエト・ウクライナで餓死した人、または栄養失調の関連疾患で死亡した人の総数は、およそ三三〇万人と考えるのが妥当のようだ。これらの人々のうち、約三〇〇万人はウクライナ人で、残りがロシア人、ポーランド人、ドイツ人、ユダヤ人などだった。」「「ジェノサイド」という用語を考案したポーランド・ユダヤ人の国際弁護士、ラファウ・レムキンは、のちにウクライナのケースを「ソ連によるジェノサイドの典型例」と呼ぶこととなった。」(105)

ジェノサイドについては、私の「書評 ネイマーク『スターリンのジェノサイド」(私のHP, 2020年の論文も参照。

ジェノサイドの原因

このジェノサイドの原因について、スナイダーの見解を見てみよう。「農村経済から工業経済へと、大きな痛みをともなう移行にかかる当初資本をどこから引っぱってくればよいのか。ひとつの方法として、農民から「余剰収穫物」を取りあげることが考えられた。それを売り、機械類の輸入に必要な外貨を獲得する。そしてその金で、増大しつつある労働者階級の胃袋を満たそうというのだ。」(45)そして、選ばれたのが豊かな穀倉地帯で多数の農民を抱えるウクライナであり、徹底した徴発が行われたウクライナでの抵抗を民族主義として弾圧し支配しようというロシア民族の野望である。

ロシアによるウクライナ侵攻の歴史的背景のひとつ

スターリンによるウクライナにおける飢餓と弾圧は、ソ連崩壊後の混乱したロシアを掌握した、ソ連のKGB出身者プーチンによるウクライナ侵攻に受け継がれる。ウクライナをロシアの支配下に置こうとする戦略は、それを成し遂げるための徹底した情報操作と軍事力の行使を伴っている。

いくつか重要な歴史的課題

ところで、ウクライナの悲惨な飢饉を、世界は様々なルートで知っていた。しかし、ソ連との関係を考慮して、その事実を隠蔽したものがいた。代表的な人物として、スナイダーは次の人物を挙げる。ニューヨークタイムズ紙のモスクワ特派員で「一九三二年にピュリツァー賞を受賞したデュランティは、・・・「現実には飢饉などはなく」、ただ「栄養不良のために病気にかかって死ぬ人が増えている」だけだと断言した。」(109)こうしたアメリカ有力紙の世論操作も影響して、1933年11月にアメリカはソ連を承認し、その後第2次世界大戦における、ルーズベルトとスターリンの同盟が進められた。

ソ連によるウクライナ飢饉と、中国の「4500万人の死」

最後に、ソ連によるウクライナ飢饉と、中国の「4500万人の死」をもたらした大躍進政策における飢饉は、同じ原因で生まれたことを付け加えたい。中ソは、共産主義という共通のイデオロギーをもとに、後発国の工業化を進めるために、農業地域からの大規模で強制的な農産物の徴発を容赦なく進め、農産物を輸出して工業のための設備・材料などをを調達した。中国の大躍進期の飢饉については、フランク・ディケーター(Frank Dikötter)『毛沢東の大飢饉: 史上最も悲惨で破壊的な人災 1958-1962』が詳しい。あわせて参照していただきたい。私の書評 『毛沢東の大飢饉 史上最も悲惨で破壊的な人災 1958-1962』私のHP, 2020年の論文も参照。

次回のブログは、コンクエスト『悲しみの収穫』を紹介したい。


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2022年3月29日火曜日

論文「制裁で打撃を受けるロシア有力企業とオリガルヒ」をHPに掲載しました。(1)

 論文制裁で打撃を受けるロシア有力企業とオリガルヒ:先進国に依存するロシア企業とオリガルヒ」をHPに掲載しました。以下は、2回に分けた、その要約です。なお、前の論文「プーチン政権と一体化するロシア国有企業群:ウクライナ侵攻の背景」もあわせて参照していただければ幸いです。2つの論文もあわせてご参照ください。

1 制裁で打撃を受けるロシアの有力企業

本論文では、ForbesのGLOBAL 2000 How The World's Biggest Public Companies Endured The Pandemicを利用して、表1を作成し、改めてロシア有力企業の基本的な特徴をまとめ、さらにロシアのウクライナ侵攻に対して先進民主主義諸国からの制裁が、これらの企業群にどのように影響しているかについて見た。

第1に、Forbesの調査におけるロシア企業は、2000社のうちわずかに24社に過ぎない。第2に、産業別に見ると、Oil & Gas Operations(石油・天然ガス事業)や、Materials(素材、製鉄を含む)などに、産業別に大きな偏りが見られる。第3に、売上高基準で作成された諸表を参照すると、掲載されている各年20社に大きな変更は無い。

第4に、本論文で改めて強く指摘する重要な特徴は、ロシア有力企業上位15社のうち13社がロンドン証券市場に上場していることである。これらの企業の発展のためには、モスクワ証券市場だけではなく、ロンドン市場で巨額の資金を幅広く受け入れる必要があった。しかし、侵攻直後に大幅な下落に見舞われ、その後しばらく、ロシア企業の株式は取引が停止された。表1は、各企業の52 week range (Price (USD))を表示した。この価格を見れば、ロシア有力企業の株式が、一時は侵攻の結果として、ほぼすべての企業で0ドル寸前まで下落する、信じがたい暴落であったことがわかる。

第5に、株式公開企業と非公開企業を含め、ロシアの主力企業の多くが国有企業であり、国有企業でない場合も、国有企業の民営化の過程で、特定の経営者や彼らの投資会社が株式の多数を所有している例が多い。

2 ロシアが依存する外資系企業

2節は、ロシアに進出している外資系企業について考察する。Forbesは、「ロシアで最大の外国企業50社—2019年 フォーブスの評価」 と題する調査を発表した。本論文は多くの補足も含まれたジェトロ 翻訳版に基づいて、表2にまとめ紹介したい。

この調査は、金融機関以外の「外国資本比率50%超の企業」を対象にしていて、現地資本と提携する資源開発関連企業などが含まれていないと推測される。

国別では、米国1兆3327億ルーブル、ドイツ1兆1384億ルーブル、フランス9589億ルーブル、日本9053億ルーブルが4大国で、やや金額が少なくなって韓国、英国、スウェーデン、スイス、英国・オランダ、中国と続く。産業別では、自動車が1兆8438億ルーブルと突出して多く、小売り1兆1824億ルーブル、食品8581億ルーブル、たばこ8354億ルーブルが、自動車に続く。以上のようにこの調査に含まれている企業の多くは国民生活に直結するような産業ばかりである。

以上から、ロシアが先進国経済と企業に全般的に依存していることは明らかである。このような条件の下で、先進民主主義国のロシアに対する制裁は、次第にロシア企業と経済全体の成長を止めるだろう。

3節とおわりには次のブログで:


論文「制裁で打撃を受けるロシア有力企業とオリガルヒ」をHPに掲載しました。(2)

本ブログは、論文「制裁で打撃を受けるロシア有力企業とオリガルヒ」を紹介する前回のブログに続きます。論文は、HPに掲載しています。ご参照ください。

3 有力企業とともに資産が激減するオリガルヒ
3節は、Forbes, Forbes WORLD'S BILLIONAIRES LIST, The Richest in 2021から、ロシアの富豪上位15人を取り上げ、1節に登場したロシア企業とのきわめて密接な関係を明らかにした。
この表の上位の富豪の一部については、前の論文で紹介した。それは、株式時価総額第4位のNovatek取締役のLeonid V. Mikhelsonが富豪第5位、同じく同社取締役のGennady N. Timchenkoが富豪第6位に、株式時価総額第5位のNorilsk Nickel会長のVladimir PotaninがOlderfrey Holdings Ltd, the Companyを通じて、富豪第2位に入っていることを明らかにした。
表3に依れば、さらに株式時価総額第9位の鉄鋼業Severstalの多数株主であるAlexey Mordashovが富豪第1位に、株式時価総額第8位のNovolipetsk Steel (NLMK)のChairman of the Board of DirectorsのVladimir Lisinが富豪第3位に、株式時価総額第6位のLukoil会長(President)のVagit Alekperovが富豪第4位に入っている。株式時価総額7位のPolyusのSuleiman Kerimovが富豪第10位である。株式時価総額6位以下の企業での巨額の資産を持つ富豪が目立っている。

ところで、表3は、ロシアの富豪達の資産は制裁によって大幅に減少していることも示している。資産額左の項目はForbes2021年調査当初の金額、右側の金額は2022年3月26日の評価額である。全体として見れば約25%の減少である。

彼らの資産がどのように蓄積されているかについては、Forbesは詳細を明らかにしていない。自社の株式やロシアの国債などのロシアの金融資産であれば、大幅に減少しているだろう。しかし、彼らもロシア経済の現実を理解していて、その多くをヨーロッパ最大の金融市場ロンドン、金融資産の情報が秘匿できるスイス、そして西インド諸島などのタックス・ヘイブンに分散して所有していると推測できる。しかし、スイスやタックス・ヘイブンも今回は制裁に同調している。

おわりに:オリガルヒと先進民主主義国の財閥
オリガルヒは、一般にロシアにおける新興財閥と訳されている。より詳しく言えば、旧ソ連が崩壊し、それまで社会主義国家が所有していた資産を破格の安価で購入し、それをもとにして企業を興し、巨大な企業と、経営者個人として巨額の資産を手に入れた経営者達を指す。ロシアが引き継いだ社会主義国家ソ連は、革命の際に多くの人々の財産を無償で暴力的に手に入れていたので、オリガルヒ達はその資産を実際の評価とは見合わない安価で購入できたのである。売却の過程を通じて、国家の政治家・官僚と企業の経営者達の間で、緊密な関係ができあがった。その緊密な関係が、ロシアのウクライナ侵攻に見られるような政権の暴走を生み出したと言えるだろう。
以上のようなロシアの新興財閥は、先進民主主義各国の財閥、新興財閥とは全く異なる発展の過程をたどっている。先進諸国の財閥、新興財閥は、まず個人経営の小さな会社を興し、株式会社の設立に進み、資本の蓄積に長い歴史をかけて巨大企業にまで成長してきた。その過程では、金融市場での株式の公開、社債の発行を通じて、機関投資家や個人投資家から、事業のための必要な資金を調達してきた。一部の企業では国家の支援を受けてきたこともあるが、それは支配的ではなかった。

ロシアの新興財閥は、その発展のために国家と一体になることが不可欠だが、本論文が様々な角度から一貫して主張したように、先進諸国の市場と資本、技術が幅広く必要である。先進諸国との広範囲な結びつきが弱まれば、ロシアは市場機能が弱体化し、再び国家と国家官僚が支配的な地位に就く、ソ連時代の混乱と停滞の社会主義経済に戻ってしまうことになるだろう。


2022年3月11日金曜日

論文「プーチン政権と一体化するロシア国有企業群」をHPに掲載しました(2)

このブログは、論文「プーチン政権と一体化するロシア国有企業群:ウクライナ侵攻の背景後半の要約です。論文は、以下に掲載していますのでご覧ください。私のHPのTopページ

3 非公開企業あるいは国有企業群:国防・軍事と原子力産業

前のブログで紹介した、論文2節は、Sberbankを除く、株式時価総額の大きなロシアの株式公開企業5社について検討してきた。この3節は、株式を公開していないか、政府以外の投資家の株式所有がきわめて小さい、ロシアの重要な国有企業のうち、国防・軍事関連企業と原子力企業について検討したい。

3.1 国防・軍事産業

Rostec(ロステック)は、安達・岩﨑論文の「表7 露経済誌RBC500ランキングによる売上高上位のロシア企業(2015~2020年)」の第5位に位置する、企業名通りの巨大国有企業である。

Rostecでは、次に見るUACとの段階的な合併が継続され、完成すると、Rostecは民間および軍用の航空機および航空機器の最大のメーカーになる。2019年に直接支配された事業体として、やはり次に見るRosoboronexport がある。

RostecのCEOであるチェメゾフは、先に指摘したセチン同様、「プーチンの側近集団」の一人である。

(上は参考図(部分)、出所:RFE/RL: Uncensored News, Russian Arms Deals, October 22, 2018)

United Aircraft Corporation (UAC)の株式は、連邦政府が92.3%を所有する。2006年に設立された同社を構成する企業は、軍用機のSukhoi、RSK MiG、民間航空機のIrkutなどよく知られた軍事・民間航空機企業である。

売上高は、Forbsの調査の20位程度になる。ただ、売上高の増加は顕著で、2017年には2013年の2倍を超えている。軍用機の輸出は国内に比べて増加傾向にあり、全体の4割を占めている。

もうひとつ重要な企業は、武器輸出を担う国営企業Rosoboronexport(ロスオボロンエクスポルト)である。同社は「外国との軍事技術協力の分野でロシア連邦の国家政策の遂行に積極的に関与している。」とその事業を誇示している。ミヘエフ社長は「2017年に世界53カ国と総額約150億ドル(1兆6000億円)の契約を結んだ」と強調した。


3.2 原子力企業ROSATOM

ロシアを代表する国有原子力企業は、ROSATOM(ロスアトム)である。同社は安達・岩﨑論文の表7の第10位の企業である。10年間の海外注文は、原子力発電所建設が974億ドル、ウラン製品が132億ドル、核燃料集合体およびその他の活動が295億ドルである。(左は参考図、Ths Economist, Russia leads the world at nuclear-reactor exports, Aug 7th 2018)

2019年の天然ウラン市場では、ROSATOMはカザフスタンの原子力企業NAC Kazatompromに次ぐ2位で14%を占めている。核燃料製造市場のシェアでは、アメリカのWestinghouse、フランスのFramatomeに次ぐ3位の16%である。

ROSATOMの監査役会議長キリエンコは、プーチン政権を支える一人だが、ロシアの野党指導者ナワリヌイ氏の毒殺を試みた6人の一人としてEUから制裁対象とされた。

日本経済新聞は、ロシア原子力企業の強みを、次のように指摘している。「主軸を担うロスアトムは国営企業だ。原子力に関する権限が国や民間企業、自治体など広範に分散した日米欧に比べて一貫した体制を採用するのは明確な違いがある。」 この強みは、ロシア国有企業全般に当てはまる。

おわりに:プーチン政権と一体化する国有企業群

第1に、ロシアを代表する企業での国有企業の割合は著しく高い。3節の国防・軍事企業と原子力企業は言うまでも無く、石油・資源産業の株式公開企業でも国家の株式所有比率は高い。一部の企業では経営者の株式所有比率が高い場合もあるが、主要な国有企業、その経営者とプーチン政権は深く結びついている。

第2に、ロシアの主要企業を産業別にみると、石油・天然ガス、資源産業、国防・軍事、原子力産業である。それは言うまでも無く、国の経済の特徴と一致している。それに対して、最先端のIT産業や半導体、医薬、消費財・サービスなどの、国民生活向上に関連する産業の発展は遅れている。

第3に、資源、軍事を中心とするロシア企業の発展に、ヨーロッパやアメリカの企業は深く関わってきた。ドイツの役割は突出しているが、その他のヨーロッパ諸国やアメリカも例外では無い。欧米諸国とその企業は、プーチン政権の資源・軍事戦略の推進に重要な役割を果たしてきたと言わざるを得ない。しかし、今回のロシアのウクライナ侵攻によって、欧米諸国のプーチン政権への融和政策は根本的に見直されるだろう。


論文「プーチン政権と一体化するロシア国有企業群」をHPに掲載しました(1)

論文「プーチン政権と一体化するロシア国有企業群:ウクライナ侵攻の背景」をHPに掲載しました。論文の前半をこのブログで要約しましたので、ご覧ください。論文は、以下に掲載しています。私のHPのTopページ

2022年2月24日に、ロシアのウクライナ侵攻が始まった。それは、巨大軍事国家ロシアのプーチン政権が、独立したウクライナを圧倒的な軍事力で支配下に置こうとする明白な侵略行為であり、第2次世界大戦後最大の人道危機を引き起こしている。このような事態を生み出した理由は何かを考えるためには、ロシアの経済と企業を明らかにすることが必要である。

1 ロシア企業概観

ForbsGLOBAL 2000 How The World's Biggest Public Companies Endured The Pandemicのランキングは、世界2000社を調査しているが、ロシア企業はそのうち24社が含まれる。

ロシア企業で最大の時価総額はSberbank の857億ドルで、2000社の時価総額順では74位となる。ロシア企業と世界上位企業との差は非常に大きい。産業別に見ると、最大は石油・天然ガス事業で、Rosneft、Surgutneftegas、Gazpromがそれぞれ総合評価の2,3,4位で、その他の4社もすべて10位以内に入っている。

2 最有力な公開企業群:石油・天然ガスと資源産業

Rosneft(ロスネフチ)は時価総額777億ドルで、ロシア企業第2位の企業である。 その最大の株主は、ROSNEFTEGAZで、同社の所有比率はグループ全体で50.76%である。ROSNEFTEGAZは100%国有企業であり、ROSNEFTEGAZのRosneftの株式の所有比率が過半数を超えているので、Rosneftも国有企業とみなすことができる。

Rosneftは世界の石油生産の6%を占めており、Rosneftを除くロシア企業が7%で、合わせたロシア合計がサウジアラビアと同じ量となる。一企業としてのRosneftが、世界でもロシアでもいかに巨大企業かがよくわかる。

Rosneftは、ロシアのウクライナ侵攻によって、取引停止に追い込まれているモスクワ証券取引所で、以下の各社と同様に取引が停止され、London Stock Exchangeにも上場しているが、ロンドンでの株価は暴落し、現在(2022年3月9日)は取引が停止されている。

なお、Rosneftで注目すべきは、ドイツの元首相であるシュレーダーが取締役会議長に就任していることである。ドイツのロシアとの緊密な連携のひとつの例であるが、後にまた検討す
るように、シュレーダーはその中心にいる。さらに、最高経営責任者セチンは、「プーチンの側近集団」の一人として、政権を支えている。 プーチンの側近集団、プーチン政権を支える集団のうち、経済関係者・経営者たちは、しばしばオリガルヒ(新興財閥)と呼ばれる。

第3位はGazprom(ガスプロム)で、今特に注目されている企業である。GazpromもRosneftと同様にほぼ国有企業である。

Gazpromの傘下にあるNord Stream AGは、2005年に設立され、バルト海を通った天然ガスパイプラインを計画、建設、およびその後の運用を行っている国際的なコンソーシアムである。Gazpromの子会社Gazprom international projectsが過半数の株式を持ち、ドイツなどの企業も株式を所有している。また、Nord Stream 2 AGは、Nord Stream 2パイプラインの計画、建設、その後の運用のために設立されたプロジェクト会社で、Gazpromの子会社Gazprom international projects によって所有されている。このプロジェクトに深く関わっているのが、やはりシュレーダーである。彼は、Nord Stream AG の株主委員会議長でもある。Gazprom取締役会副議長のミレルは、次に見るEN+GROUPデリパスカなどともに、米国財務省の対象となっている制裁対象となっている。(2018年)

上記2社に比較してやや株式時価総額が小さい上位企業が、NovatekNorilsk NickelLukOilである。

Novatek(ノバテク)取締役の一人であるミケルソンは、ForbsのForbes WORLD'S BILLIONAIRES LISTに掲載されたロシアの大富豪の一人である。また、同じく取締役のティムチェンコは、後に検討するチェメゾフや、セチンと同様に、「プーチンの側近集団」の一人である。

LukOil(ルークオイル)2020年のIFRS連結決算は、昨年と一昨年に比べ大幅に悪化している。石油・天然ガス事業の企業だが、事業の中心は、ロシア内の探索と生産である。

最後にNorilsk Nickel(ノリリスク・ニッケル)は、ニッケルだけではなく、銅、自動車の排気ガス中の有害物質を取り除くための触媒であるパラジウムを生産している。Norilsk Nickelの第2位の株主はUC Rusal Plc(ルサール)で、その株主はEN+GROUPで、その企業の株式はデリパスカが35.0%所有している。デリパスカはかつてルサールを率いていた。このように、ニッケル・パラジウム・アルミニウムなどの資源関連企業が、政権と緊密な関係を持つ人物を通じて、相互に深く結びついている。

次のブログで、「非公開企業あるいは国有企業群:国防・軍事と原子力産業」を取り上げるが、さしあたり、次のように言える。

旧ソ連=ロシアや中国では、市場経済の歴史的経験が無いまま社会主義へ移行し、社会主義体制が崩壊後、社会主義下の国有企業が、少しずつ民営化され、国家の所有比率が高いまま実質的には国有企業として存続し、経済の基幹部門を依然として支配している。両国では歴史的経験の無い民営化が困難を極め、最近では逆に国家の経済・企業への関与が強まっている。民営化の過程で、企業の経営を担った経営者達は、かつての社会主義革命によって国民から収奪した国有財産から膨大な富を獲得し、国家と企業の癒着と一体化を進めた。


2022年2月17日木曜日

「ウクライナ危機、2022年初頭」をHPに掲載しました。

2022年初頭 、ウクライナを巡る動きがいちだんと緊迫している。北京オリンピック開催期間中であるにもかかわらず、ロシアの軍隊がウクライナ国境全域に配置され、侵攻する可能性が高まっている。論文「ウクライナ危機、2022年初頭」(論文掲載のweb pageに移動します、また論文末にはロシア・ウクライナ年表があります)は、ロシアのウクライナへの侵攻の動きを、歴史的な両国関係と、ヨーロッパ経済と政治の変化に対する、ロシアの軍事的対応として捉える。以下は論文の簡単な紹介です。

1 ウクライナ危機、現状と歴史

ロイター社の「「緊迫するロシアとウクライナ」 によれば、米戦略国際問題研究所(CSIS)のセス・ジョーンズ、フィリップ・ワシエレフスキー は、ロシアによるウクライナへの攻撃が、1)東部からの攻撃、2)西部まで侵攻し全面占領(左の図)、3)制海権の確保を、想定していると伝えている。

ウクライナはロシア(旧ソ連)の抑圧と支配を受けてきた。ソ連の重要な構成国であり、穀倉地帯のウクライナで、1932-33年にはロシアによる農業集団化と農産物輸出を優先する政策によって大規模な飢饉が引き起こされた。黒川祐次『物語 ウクライナの歴史 ヨーロッパ最後の大国』は、「この飢饉によりウクライナ共和国では三五〇万人が餓死し、出生率の低下を含めた人口の減少は五〇〇万人におよび、その他北カフカス在住のウクライナ人約一〇〇万人が死んだとしている。」と指摘している。

ようやく、1991年にソ連が解体、ウクライナが独立し、2004年には、大統領選挙の不正に対する抗議とその後の政治的な改革をめざす運動である「オレンジ革命」が起こり、ヨーロッパで進む経済・政治統合への動きに呼応する動きがウクライナで活発になる。

2 ロシアの「勢力圏」と、資源支配の戦略

小泉悠『「帝国」ロシアの地政学 「勢力圏」で読むユーラシア戦略』は、ロシアが「大国=「主権国家」を中心とするヒエラルキーの及ぶ範囲が勢力圏である」と見なしていると指摘しているが、要するに、ロシアの侵攻計画は、歴史を後戻りさせて、解体したソ連邦の支配を維持・復活させる戦略である。

左の表の通り(クリックして拡大して見てください)、ロシアは経済的に見れば、原油・天然ガスの輸出国で、その輸出が経済を支えている。この状態はかなり以前から続いており 、原油・天然ガスという重要なエネルギー製品と、強大な軍事力を武器に、「勢力圏」を拡大しようとしている。


3 中・東欧におけるEUとNATO

EUとNATOの中・東ヨーロッパへの展開については、右の表の通りである。EUへは第5次拡大を契機に中・東欧に拡大が続き、さらにアルバニア他3か国が加盟候補国となっている。NATOについては、1999年のハンガリー、ポーランド、チェコ(チェコスロバキア)から2020年の北マケドニア(マケドニア)へと拡大が続いている。

このような中・東欧諸国のEUとNATOへの加盟の動きは、ロシアの国境に迫っており、ロシアの危機感は強まっている。しかし、それらへの加盟の動きは中・東欧諸国自身の意思と選択によるものであり、自由で民主主義的な経済・政治制度の優位がもたらした結果であり、ロシアがそれを押しとどめる権限は無い。

4 ウクライナの貿易、原子力産業

ウクライナの貿易で、重要なのは地域別構成で、ロシアの比重が輸出入とも10%前後で高くない。もはや、ウクライナにとってロシアは経済的に依存している国ではなくなりつつある。

また、ウクライナにおける原子力産業で、ロシア離れの動きが強まっている。現在、ウクライナでは、4か所15基の原発が稼働している。 ロシアとの対立が深まる過程で、ウクライナでは、ロシアの天然ガスパイプラインへの依存を減らすために、チェルノブイリ事故があったにもかかわらず、原子力への依存が高まっている。原子力産業において、ウクライナは長くロシア製に依存していたが、機器・設備や燃料をロシア製からアメリカ製などへの切り替えが進められつつある。

おわりに:ウクライナ危機と台湾危機  

ソ連の解体は、ヨーロッパに大きな変化をもたらした。EUとNATOはソ連の影響下にあった中・東欧諸国で拡大を続け、自由な経済システムと民主主義的な政治制度が、それらの国々に受け入れられた。ロシアのウクライナ侵攻計画は、その動きを止めようとする、ロシアの軍事力にのみ依存した強い抵抗である。EUとNATO、米英が侵攻計画を阻止し、政治的に解決できるかどうかは、ヨーロッパの将来に大きな影響を与えるだろう。

ロシアの軍事拡大戦略ともに、アジアと世界を戦争の危機に直面させているのが、中国による台湾への侵攻計画である。ロシアの侵攻計画がどのような結果をもたらすかは、中国の軍事拡大戦略による台湾危機にも大きな影響をもたらすだろう。