明けましておめでとうございます
今年も「新保博彦のブログ」をよろしくお願いいたします
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今年は1945年の終戦から70年。ひとつの大きな区切りの年だが、もうひとつ重要な意味を持っている年でもある。この年で、戦前の出版物の著作権が切れ、多くの重要な著作や資料が自由に見ることができるようになる。おそらくこの年にあわせているのだろう、「近代デジタルライブラリー」などの掲載資料が格段に増えつつあるように思える。
ところで、今日のブログではひとつの重要な課題を取り上げたい。「日中和平工作」である。1937年の盧溝橋事件以来、日本と中国は本格的な戦争の時代に入った。この時期は、本格的な戦争の時期ではあったが、同時に和平工作の時代でもあった。結果的には成功しなかったが、日中両国の多数の人々による和平への活動が幅広く行われていたことは注目に値する
日中和平工作を概観できるのは以下のWebsiteである。少し前の展示であるが、今なお外務省Websiteで閲覧できる、特別展示「日中戦争と日本外交」を紹介しておこう。展示史料解説(PDF)
I 盧溝橋事件の発生
II 全面戦争への拡大
III トラウトマン工作と「対手トセズ」声明
「昭和12年11月上旬,広田弘毅外務大臣は,ドイツに和平斡旋を要請し,トラウトマン駐華大使を仲介とした和平交渉が行われました。しかし交渉はまとまらず,昭和13年1月16日,日本政府は「爾後国民政府ヲ対手トセズ」との声明を発表しました。」
IV 汪兆銘工作
「「対手トセズ」声明により,蒋介石率いる重慶政権との和平交渉が事実上打ち切りとなり,日本は新たな和平交渉相手として,汪兆銘に接触しました。これに呼応した汪兆銘は重慶を離脱し,昭和15年3月には汪兆銘を首班とする南京国民政府が成立しました。しかし,日本政府は同政府の即時承認を行わず,11月30日になって,日華基本条約と日満華共同宣言に調印しました。これにより,日本は正式に南京政府を承認しました。」
しかし、これ以降も何度も和平工作は続けられる。
V 和平工作の蹉跌
日中和平工作を理解する必読の文献を以下に挙げておきたい。
1. 『日本外交文書 日中戦争』(全4冊)
以下は、日中和平工作を進めた今井武夫の資料である。
2. 今井武夫『日中和平工作 : 回想と証言1937-1947』、みすず書房、2009年。
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4. 広中一成著、今井貞夫資料提供・一部執筆『日中和平工作の記録: 今井武夫と汪兆銘・蔣介石』、彩流社、2013年。この書籍は多数の写真で構成されているので、最初に読むのに適しているかもしれない。
(表紙写真は、前列右が汪兆銘)
この今井武夫の資料が、近く「今井武夫関係文書」として国会図書館憲政資料室に寄託される予定だそうである。(上記文献4, p.9参照)
この課題に対して専門的な研究が増加するのと共に、多くの人々が注目することを期待したい。
なお、私は、この動きと軌を一にする、日中間の経済と企業活動でのCollaborationについて、以下の論文で詳しく検討している。
Japanese Companies and Investment in China during the Second Half of the Inter-war Period.
私のホーム・ページ英語版に掲載しましたのでご参照ください。
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