在職中には、大阪産業大学の教職員をはじめ多くの方々のご指導とご支援で、研究や教育はもちろん、様々な分野で仕事をさせていただきました。この場をお借りして、皆様方に心からお礼申し上げます。
なお、これまで続けてきた研究は、これからも継続していきたいと思います。
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ところで、18年間研究室の正面に掲げていた、左のポスターを改めて見直した。
これは、1998年1月から3月まで大阪市立美術館で行われた、「アンコールワットとクメール美術の1000年展」(Angkor Vat and A Millennium of Khmer Art)のポスターである。大阪産業大学に移って1年目のことなので、18年間ずっと見続けてきたポスターである。
「この像は,チャンパを撃退しクメールの版図を最大に広げたジャヤヴァルマン7世の肖像と考えられている。・・・また王は敬度な仏教徒で、仏教信仰に根ざした治世を行った。」と言われている。(下記書籍、p.148)
右下に紹介するその美術展の書籍には、この像以外にもジャヤヴアルマン7世の像はあるが、私にはこの像がとても印象深く感じられる。何よりも、じっと眼を閉じて深く黙想する姿が、仏教の精神に最もふさわしく思える。現代に生きる私達にも何が求められているかを伝えているかのようである。
私には忘れられない像なので、4月1日に開設する新しいWebsiteにも掲げたい。
右が、「アンコールワットとクメール美術の1000年展」のための書籍である。そこには展覧会で展示された多数の像等の多数の写真が掲載されていて、非常に興味深い。古書店でも安価で出回っているので、ぜひご参照ください。
いくつか代表的な作品を紹介していこう。
左:デーヴァター(女神) :「若き日のアンドレ・マルローが,この女神の浮彫を壁面から剥ぎ取って盗み出そうとしたことで一躍有名になった。・・・不思議な微笑みを浮かべた表情は「東洋のモナリザ」という愛称にふさわしい。」(上記書籍、冒頭のカラーのページ)
右:ドゥルガー(Durga)、プレアンコール期、7世紀前半、プノンペン国立博物館
「ドゥルガーはシヴァの神妃で、とりわけ水牛の魔神マヒシャを殺す女神として知られる。」「美しく豊満な身体を誇るこの女神は、サンボール・プレイ・クック様式の最も代表的な」作品として知られる。
(上記書籍、p.66) 最も早い時期の作品だが、その技術の高さに驚かされる。
最後に紹介するのが、ポスターのジャヤヴアルマン7世頭部の同時期に作られた、女尊(Bodhisattva as a Female Figure)、12世紀末ー13世紀初頭、ギメ国立東洋美術館である。
「クメールでは王を神仏と同体とするデーヴァラージャ(神王)信仰が行われたが、王族や貴紳たちも死後神仏と一体となることを願い、自分や親族を神仏の姿で表した像を寺院に奉納した。ジャヤヴァルマン7世が建立したアンコールのプレア・カンから発見されたこの像もそのような信仰に基づき、王の最初の妃で、若くして亡くなったジャヤラージャデーヴィーを女尊になぞらえて、いわば彼女の肖像として造像したものとする説がある。」(上記書籍、p.150)
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アジアの社会とアジアの美術の歴史を理解するのには、東南アジアに栄えた、1000年にわたるクメール美術をよく理解することが大切だと思われる。
しかし、近代のクメールと言えば、私達はどうしてもクメール・ルージュを思い起こす。
1975年4月にクメール・ルージュはプノンペンを占領した。1979年1月、ベトナムの支援を受けた救国民族統一戦線によるプノンペン占領でクメール・ルージュ政権は崩壊した。
この間、クメール・ルージュは、旧政権関係者、富裕層、各種専門家および知識人などに対して大量の虐殺を行った。その政権は、当時の中国の共産党政権(文化大革命時代と一時期が重なる)によって支援された。
その意味で、クメール・ルージュや当時の中国の共産党政権は、現代アジアの共産主義を象徴する政権のひとつと考えられる。中国では、文化大革命を推進した毛沢東思想が一部では復権している。
このような共産主義がアジアの歴史の一時期のことにすぎないのか、アジア社会のどこかに根ざしたものかを考える上でも、クメール美術を味わうことは意義があるように思える。実は、それは私の研究テーマのひとつでもある。
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