2020年2月12日水曜日

カラヴァッジョとその幅広い影響 宮下規久朗氏の3つの著作

前回のブログは、カラヴァッジョ展に出展されている「法悦のマグダラのマリア」の真贋論争を紹介した。カラヴァッジョは若くして死んだにも関わらず、その作品はどれも革新的だが、同時に彼の個性とともに作品も、人によって好みが分かれるものが多いように思われる。
カラヴァッジョを理解するための解説書は、私の様な素人には、なんと言っても宮下規久朗『もっと知りたいカラヴァッジョ』(東京美術、2009年)が一番だろう。
私が特に興味を持った2つの作品を紹介したい。まず、この著作の表紙を飾っている「ロレートの聖母」(1603-06年)である。

「この絵では、口レートの聖家に巡礼に来た親子の前に
聖母が顕現した情景をとらえている。巡礼者の男は汚い足の裏を見せ、きわめて現実的だが、聖母子の姿は神々しく神秘的である。」(p.53)

この絵が与えるメッセージはとてもわかりやすい。聖母も巡礼者も細部まで非常に丁寧に描かれている。カラヴァッジョの作品によく登場する、斬首などの残酷な場面や、やや大げさな動作も無く、静かに描かれている。改めて感じたのは、左上の方から光が当たり、巡礼者の顔もよく見えるが、実は意外に画面が闇の中にあることだ。

もうひとつは、カラヴァッジョ最晩年の作品「聖ウルスラの殉教」(1609年)である。
「巡礼の途上、ケルンで千人の乙女とともにフン族の手によって殉教したウルスラ。・・・闇が人物を蝕み、静寂が支配するこの画面は、カラヴァッジョの晩年様式の極致を示す。」(p.85)

この作品の闇は、これまでと比べますます深く濃くなっている。ウルスラを始め人々の顔の一部にしか光が当たらず、表情は十分にはわからない。人々はほぼ一列に並び、動きもほとんど見られない。

なお、カラヴァッジョの作品を味わうには、『もっと知りたいカラヴァッジョ』で十分のように思えるが、さらにと言う方には、Caravaggio: The Complete Works (Bibliotheca Universalis) が役に立つ。515ページと大部だが2,365円と安価、図版も豊富なのはありがたいが、版がやや小さいという難点がある。

カラヴァッジョの影響について、宮下氏は「フェルメールの光とラ・トゥールの焔 「闇」の西洋絵画史」 (小学館101ビジュアル新書、2011年)」で詳しく論じておられる。
「西洋絵画は中世の終わりごろから一貫して光と閣の対比の効果を追求してきた。ルネサンス以降、夜景表現が確立し、17世紀の初めにはカラヴァッジョが光と陰の対立を心理的なに応用した。ごの様式が瞬く間にヨーロッパ中に広がり、フランスのラ・トゥールをはじめとして、多くの画家たちが強烈な明暗対比による夜景画を好んで描くようになったのである」(p.10)

画像は、そのラ・トゥールの代表作「大工の聖ヨセフ」(1642年頃)である。画像は、「週刊 西洋絵画の巨匠 33 ラ・トゥール 」(2009年)を利用させていただいた。同書によれば、「本作で描かれるのは、夜働く養父ヨセフの手もとを、ろうそくの炎で照らす少年時代のキリスト」(p.5)。
画面は闇で覆い尽くされ、ろうそくの小さな炎がキリストがかざす手を通って、全体をわずかに明るく照らしている。小さな焔の表現と絵いっぱいに拡がる効果がとてもすばらしい。

宮下規久朗「闇の美術史 カラヴァッジョの水脈」(岩波書店、2016年)は、日本の美術史にも闇を求め、そのひとつの代表作として、北斎の娘、葛飾応為の「吉原格子先之図」「夜桜美人図」を挙げる
宮下氏は、こう書いておられる。「葛飾応為の《吉原格子先図》は、中でも人工光線による夜景を描いた稀有な例である。」(p.179)

私のブログ「葛飾応為初の作品集『北斎娘・応為栄女集』」 (2016.2.19)は、以上の様な背景を十分に理解しないままこの作品を紹介した。宮下氏の言われる、美術における闇の位置と役割を念頭に置くと、この作品の、特に日本での意義が改めて深く理解できるように思われる。

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2020年2月8日土曜日

カラヴァッジョ 3つのマグダラのマリア

左の図は、現在あべのハルカス美術館で開催されている「カラヴァッジョ展」の最も注目されている作品「法悦のマグダラのマリア(1606年)の部分図である。展覧会の図録p.125から掲載させていただいた。(コピーのため、左に折り目による白い線が入っている)

展覧会の図録は233ページ、縦28cm、横22.5cmで、カラヴァッジョの作品13点と、同時代の個性派画家、カラヴァッジョに影響を受けたカラヴァジェスキの作品30点と、詳しい解説を掲載している。こうして同書は、カラヴァッジョを理解する重要な書籍になっていると思われる。

ところで、多数のカラヴァッジョ研究を発表されている宮下規久朗氏は、『もっと知りたいカラヴァッジョ』(東京美術、2009年、2017年に第6刷)で、この作品について次の様に解説している。「聖女は顔を上げ、法悦のような表情をしているが、これは法悦というより悔悛の場面である。聖女の頬には涙の粒がいくつも光っている。17世紀に、神と人との合ーを示す法悦というテーマが流行するが、それに従ってマグダラのマリアも次第に法悦の姿で表されるようになる。カラヴァッジョの作品はその嚆矢となった。」(p.61)

この作品には多数のコピーが存在し、真贋を巡って論争があるが、以下で少し紹介しておきたい。真贋論争を通じて、カラヴァッジョがめざしていたもの、制作途上での様々な構想や工夫が理解できるのではないだろうか。

まず、展覧会の図録の解説者(TK, 木村太郎)氏は、次のように解説している。「(この展覧会に展示された)本作品(左下の図:新保)は、2014年10月24日付の「ラ・レプッブリカJ紙上のインタビューを通じてM・グレゴーリがカラヴァッジョの真筆として公表し、2016年に東京の国立西洋美術館で開かれた「カラヴァッジョ」展で初公開された作品である(グレゴーリ2016)。」(p.122)

これに対して、宮下氏は『もっと知りたいカラヴァッジョ』でもうひとつの作品を紹介し、次のように述べている。「<マグダラのマリアの法悦>には多数のコピーが現存し、「マッダレーナ・クライン」とよばれる上(右下:新保)の作品は、最も出来のよいものである。しかし、作品の質から判断して、原作ではないかもしれない。」

展覧会図録の解説者木村氏は、「(展覧会の)本作品とクライン作品(右下)の図柄には細部に相違点がある。聖女は後者より前者のほうがわずかに若い・・・前者の画面右下に見える頭蓋骨は、後者では排されている。前者の画面左上に捕かれた、茨の冠をともなう十字架や洞窟の入り口も後者では確認できない。」(p.122)
なお、2つの図の色合いあるいは光の強さなどが異なるのは、2つの作品によるものか、書籍に掲載された時に生じたものかは残念ながらわからない。

なお、展覧会の作品のX線写真(左最下段)と、宮下氏が「原作である可能性が最も高い」(p.61)と紹介した、ロベルト・ロンギが公表した白黒写真の作品も右最下段に掲載した。ロンギの作品はクライン作品と近似していて、展覧会の作品とは構図などでかなり異なっている。

クライン作品
展覧会の作品


ロンギが公表した作品(白黒)
展覧会の作品のX線写真


















さて今後、この作品は現代の科学技術を用いてあらゆる角度から調査され、どれがカラヴァッジョの作品なのか徐々に明らかにされるだろうが、とても興味深い。

次の私のブログでは、カラヴァッジョの他のいくつかの作品を紹介し、彼が後世に与えた影響などを考えて見たい。

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