「強まるバブル懸念の指標とバブル研究の古典(1)」では、現在のバブルの懸念を示す代表的な指標を紹介したが、(2)ではバブル研究の著名な古典を紹介したい。
まず、キンドルバーガー『熱狂、恐慌、崩壊 金融恐慌の歴史』(日本語訳、2004年)から始めよう。同書は3回翻訳されている。本論文が取り上げるのは、原書第4版MANIAS, PANICS AND CRASHES 4th ed. A History of Financial Crisesの翻訳である。第4版は、キンドルバーガー自身が著した最後の版である。2回目の翻訳となる。その後、第6版の翻訳が出た。『熱狂、恐慌、崩壊 (原著第6版) 金融危機の歴史』(日本語訳、2014年)である。第6版はR.Z.アリバーが加筆している。2021年12月27日月曜日
強まるバブル懸念の指標とバブル研究の古典(2)
強まるバブル懸念の指標とバブル研究の古典(1)
アメリカ株式市場では、バブルの懸念が強まっている。その現状と、バブル研究の古典について紹介した論文を、私のweb siteに掲載したが、その簡単な紹介を2回に分けて行いたい。
バブルの懸念が強まっていることを示す重要な指標のうち一つ目は、S&P 500 Cyclically Adjusted Price to Earnings Ratio(景気循環調整後の株価収益率(CAPEレシオ))だろう。2013年にノーベル経済学賞を受賞したロバート・シラー博士によって提案されたCAPEレシオは、株式の実際の株価収益率を反映している。計算式は、株価/ 10年間の平均インフレ調整後収益である。これらの主張に対する重要な反論は、私の論文を参照してください。論文では、もうひとつの指標である恐怖と欲望指数も取り上げた。
2021年の年末まで、アメリカの株式市場は、コロナ禍の落ち込みから急速に回復し、上昇を続けてきた。論文1節で紹介した3つの指数から、それらの指数が、過去と比較して非常に高く、バブルではないかとの危惧が拡がっている。もちろん、バブル説には、本文に紹介したような有力な反論もある。
以上の検討は市場全体の傾向であるが、一方で、市場の一部では、最近のIPO、例えば電気自動車メーカーのリビアンなどが上場後高騰するなど、異常な熱狂と興奮状態がなお見られる。しかし、他方で、調整も始まっている。バブル期初期に人気を博したキャシー・ウッド氏率いる米アーク・インベストメント・マネジメント(ARK Investment Management)の商品の価格が停滞している。
市場がさらに熱狂し続けるのか、それとも一時的あるいは本格的な調整が始まるのかは、上記の指数によっても正確な予想は難しい。ただ、確実なことは、各国での大幅な金融緩和の縮小、急激なインフレーション対して金利の引き上げなどを迫られているため、株式市場は何らかの調整が避けがたいと言えるだろう。
なお、私の論文は以下に掲載しています。「強まるバブル懸念の指標とバブル研究の古典」【2021年の論文】
論文「中国の監視社会と監視カメラ・顔認証企業」を、私のHPに掲載しました。
(新保博彦の政治・経済コラム(2021年11月15日掲載)から移動しました。2021.12.27)
論文「中国の監視社会と監視カメラ・顔認証企業」を、私のHPに掲載しました。 目次は以下の通りです。I 世界と中国の監視カメラ、2 中国の監視カメラ・顔認証企業、3 アメリカによる中国監視カメラ・顔認証企業への制裁、おわりに:監視社会化への対応
左の図は、「世界で最も監視されている20の都市–1,000人あたりのカメラ」で、最も監視されている都市は、中国の太原(山西省)で、10位以内に中国は8都市、中国以外は、ロンドンとインドのインドール。20都市を見ると、中国は16。これらの事実から、中国は、最も監視カメラによって監視されている社会であることがわかる。
論文「新型コロナウイルス感染症と中国製薬・バイオ企業」を、私のHPに掲載しました。
目次は以下の通りです。
はじめに、1 新型コロナウイルス感染症とワクチン開発、2 中国製薬・バイオテクノロジー企業、3 破壊的イノベーションとしてのワクチン開発
中国社会と企業の最近の動向をまとめた『論文集 超管理社会をめざす中国と中国企業』は、以下に掲載しています。【新保博彦の日本語版Website TOPページ】
2021年12月2日木曜日
吉田博の絵画、NIKKEI The STYLE「世界を駆けた画家夫妻」
日経による吉田博の経歴は次の通りである。「吉田博は、風景画の名匠として、明治・大正・昭和期に活躍した。1876年(明治9年)に現在の福岡県久留米市に生まれた博は、1902年(明治35年)に発足した太平洋画会の中心画家となり、水彩、油彩、版画の風景表現に大きな足跡を残した。・・・吉田ふじをは1887年、現在の福岡市出身で、洋画家、吉田嘉三郎の三女に生まれる。養子に入った博と、米欧旅行から帰国後の1907年に結婚。子育てをしながら、画業を続け、戦後は抽象絵画も発表、99歳で亡くなる数年前まで絵を描き続けた。」(ふじをについては改めて紹介したい、なお、「」は日経からの引用)
「養沢 西の橋」は、1896年に描かれた水彩画である。「西多摩、現在の東京都あきる野市にある渓流を描く。」渓流は博の版画作品でもしばしば取り上げられるテーマであるが、この絵では渓流が中心ではなく、緑に覆われた森を背景に、ごつごつとした岩をぬって流れる渓流が描かれている。
「霧の農家」は、1903年頃の水彩画である。「霧に包まれた農村の湿潤な大気と朦朧感の描出」と日経は特徴付けている。遠くにぼんやりと輝く日の光、その淡い光を受けて木々を写す水面などすべてが朦朧となっていて、水彩画という方法を見事に生かした表現ではないかと思われる。「米国の美術関係者を驚かせたのも、こうした繊細を極めた風景表現だったろう。」
『𠮷田博 全木版画集』に掲載されている水彩画は4点のみで、初期の上記2つの作品は掲載されていない。その意味で、NIKKEI The STYLEが紹介した作品は、𠮷田博のすべての仕事を理解する上で欠かせない作品となっている。
「『吉田博 全木版画集 増補新版』刊行される」(2021年10月23日)、「『新版画ー進化系UKIYO-Eの美』に出かけました」(2021年9月16日)、「没後70年 吉田博展(2019-21)、図録の紹介」(2020年12月2日)、「『吉田博 全木版画集』」(2017年1月9日)
2021年10月23日土曜日
『吉田博 全木版画集 増補新版』刊行される
出版社の阿部出版は、改訂について次のように説明している。「本書は、全木版画を掲載した『吉田博全木版画集』を全面改訂した増補新版となります。作品掲載サイズを実際の大小サイズに合わせて変更し、作品の色彩も初摺の状態を再現。新発見作品や新情報を加え、60頁増ながら定価据え置きの完全版となっています。」
私が確認した改訂の大きな点一覧
1) 総ページ数が大幅に増加、その最大の理由は3)である:新:263p、旧:203p
2) 版画作品数:新:265、旧:259はそれほど変わらないが、以下は大幅に増加となっている。油彩・水彩他 新:8p、旧:3p、作品刷り工程 新:5p、旧:2p。油彩などのページが増え、サイズが大きくなり、細部まで見れるようになったので、この分野での作品にも注目が集まりそうである。また、作品刷り工程では、「版の数が12面ぐらいから20面前後で、一つの版面を数回使って刷り重ね」ることが紹介されている。この作業の実態を見ると、吉田博の作品の細部にわたる「超絶技巧」の一部が理解できる。
3) 掲載版画作品数は大きく変わらないが、半ページ版あるいは1/4ページ版などだった作品が、ページ全面の大きさに変更されている作品が多くなっている。その例として次にいくつか挙げておきたい。
まず<104 渓流>である。私のブログ『吉田博 全木版画集』で、「残念なことに、なぜか画集では半ページで印刷されている。」と書いたが、全ページ版になって、流れ落ちる水と渦巻く水の精細さがよくわかり、まぶしく感じられるほどになった。<40-45 帆船>すべての画が全ページ版になって、一日の時の変化による差し込む光の違いがより鮮明になった。<156 フワテプールシクリ>「没後70年 吉田博展(2019-21)、図録」の裏表紙ともなった作品だが、「イスラム建築の精緻なアラベスクから滲む光とその乱反射」が、たたずむ教徒を浮かび上がらせている。<94-96 習作・熱海温泉・鏡之前>全作品の中で珍しい女性像だが、画面が大きくなって、ふくよかな印象をどのように出しているのだろうか、と改めて思った。
<193 春雨>雨で散りそうになった遠くの桜が、道ばたにたまった雨水に、風で揺れているせいだろうか、ぼんやりとした影を映し出している。<218 上野公園>が、<192 弘前城>と同様に、雲のようにふんわりと浮かぶ近くの桜と、塔を囲むように咲くやや遠くの桜がより対照的に美しく見えるようになった。
さらに全体に言えることだが、「作品の色彩も初摺の状態を再現」したとのことだが、全体にとても明るく、鮮明になったように思われる。
4) 解説記事は、位置の移動はあるが、内容には変更が無い。
Amazon他新刊を扱う書店では、おそらく「増補新版」しか検索しないと思いますが、図書館でご覧になる場合は、この「増補新版」をご覧になることをお薦めします。また、以前の版を置いている図書館では2つの版を見比べるのも、とても興味深いと思います。
これまで私が作成した吉田博についてのブログは以下の通りです。
「『新版画ー進化系UKIYO-Eの美』に出かけました」(2021年9月16日)、「没後70年 吉田博展(2019-21)、図録の紹介」(2020年12月2日)、「『吉田博 全木版画集』」(2017年1月9日)
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2021年10月20日水曜日
李大根著『帰属財産研究 韓国に埋もれた「日本資産」の真実』が刊行
李大根氏については、奥付に紹介がある。「1939年、韓国・慶尚南道陜川生まれ.1964年、ソウル大学商学部卒業、1980年、成均館大学経済学部教授。落星台経済研究所創立に参加。」
目次は以下の通りである。
李大根氏(文春オンライン) |
李大根氏によれば、「帰属財産とは何か。一九四五年八月の解放当時、韓国で暮らしていた日本人が帰国の際に残していった財産について、新たに登場した米軍政がその財産権を米軍政に「帰属される」(vested)という意味で付けられた名称である。よって「帰属財産」(vested property)という名称は、米軍政による新造語といえる。その本質はあくまでも解放当時まで韓国にいた日本(人)の財産である。驚くべきことに、この帰属財産の資産価値は、当時の朝鮮の国富の八○〜八五%にも及んだ。」(30、本書ページ数、以下同じ)
帰属財産を、以上のように定義し、各章はその内容を詳しく明らかにしている。第三章 帰属財産の形成過程 (I): SOC建設は、鉄道、道路、港湾、山林緑化事業を取り上げるが、特に鉄道では、営業線路6,362km、従業員数10万人を超える鉄道が敷設されたことが明らかにされている。
第四章 帰属財産の形成過程 (II): 産業施設は、電気業、鉱業、製造業を詳細に検討している。電気業では、アメリカのTVAのフーバーダムに匹敵する水豊発電所(左の写真:Wikipedia)が建設された。また、全期間を通して、主要産業で最も設立会社数が多かったのは工業であり、そのうちの多くが第四期(一九三七〜四五年)に集中していた。第四期は「本格的な重化学工業化」の時期であった。
第七章 解放後の韓国経済の展開と帰属財産では、本書の重要な問題提起が整理されている。ウォーラーステインの世界システム論は、多くの植民地でモノカルチャー経済を発展させたことを明らかにしたが、これと対比しつつ、李大根氏は朝鮮が、「植民地経済の均衡的発展のために鉱工業を中心とした産業構造の高度化を行った点で、どの国の植民地支配とも完全に区別される特殊な工業化を経たのである。」(449-50)との結論を導き出している。
戦間期朝鮮経済史と反日種族主義批判の最近の動向をまとめた『論文・書評集:戦間期朝鮮経済史と反日種族主義批判』は、以下に掲載しています。【新保博彦の日本語版Website TOPページ】
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2021年10月10日日曜日
とても便利!pdfファイルのkindleファイルへの変換
アカウント&リストーアカウント・サービスーコンテンツと端末の管理ー設定ーパーソナル・ドキュメント設定を開きます。
そこには、次のように記載されています。「Send-to-Kindle Eメールアドレスの設定、以下に表示されているEメールアドレス宛に文書を送信すると、端末で読むことができます。 」
その下には、自分の利用しているkindle(ハード)やPC、タブレット、スマホなどに割り当てられたメール・アドレスがあります。そのアドレスのどれかに向けて、kindleファイルに変換してほしいpdfファイルを添付して送信します。
そうすると、Amazon Kindle サポートからメールが届きますので、<リクエストの確認>をします。
次に、コンテンツと端末の管理ーコンテンツーパーソナル・ドキュメントを開けると、あっという間に変換されたkindleファイルを見ることができます。
以上とても簡単ですが、販売されたkindleファイルと比較すると、読むのには問題ありませんが、残念ながら機能はかなり制限されているようです。
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2021年9月25日土曜日
最近の主要な論文をまとめた5つの論文集を作成しました
私が退職後書き続けた論文をテーマごとにまとめ、5つの論文集を作成しました。私のwebsiteで公開していますが、以下でも簡単にご紹介しますので、ぜひご一読ください。
これらの検討を通じて、中国企業の急成長とともに、政府・共産党の支配下で超管理社会をめざす中国企業の実態と、それと対抗するアメリカを中心とする世界の対応を明らかにしようとしました。
『論文集 戦間期日本企業の海外進出』(2021年6月14日編集)日本の海外投資と進出企業の活動は、多くの受け入れ国・地域の企業を生み、それらの企業との競争と協調(Collaboration)を通じて、受け入れ国・地域の市場経済の発展と近代化に貢献しました。
論文集では、このような環境の下での、世界と中国のファブレス・ファウンドリー、台湾EMSと半導体企業、半導体製造装置産業を牽引するASML、フィンテック企業、世界と日本の製薬・バイオ企業、などの注目すべき企業群を取り上げました。
本論文集では、これまでの両国経済・企業の分析を踏まえて、両国における日米戦争回避をめざす政治家、経済人などの活動に注目します。
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2021年9月16日木曜日
『新版画ー進化系UKIYO-Eの美』に出かけました
『千葉市美術館所蔵 新版画ー進化系UKIYO-Eの美』が、(2021年)9月15日(水)から27日(月)までの日程で、大阪高島屋 7階グランドホールで始まった。特に吉田博の作品に興味があり、ブログでも取り上げているので早速出かけた。
左は、展覧会の図録の表紙、川瀬巴水の「東京十二ヶ月 谷中の夕映」である。川瀬巴水については、機会を改めて取り上げたい。
「新版画は、江戸時代に目覚ましい進化を遂げた浮世絵版画の技と美意識とを継承すべく、大正初年から昭和のはじめにかけて興隆したジャンル」とされる。今回の展覧会は、千葉市美術館が誇る約120点で構成され、小原古邨、伊東深水、川瀬巴水、山村耕花、吉川観方、小早川清、橋口五葉、吉田博、などの多数の作品が展示されている。
展覧会は、プロローグ 新版画誕生の背景、第1章 新版画、始まる、第2章 渡邊版の精華、第3章 渡邊庄三郎以外の版元の仕事、第4章 私家版の世界という構成となっている。
やはり私は、展示の最後に位置する吉田博の作品に注目した。まず、「雲井櫻」である。作品は53.9×70.7cmと大きい。「明治32年に吉田博が初めてアメリカで自作を展示した際、デトロイト美術館に唯一買い上げられた作品が同構図の水彩画であった。」「摺りに際しては版木と紙の収縮率の違いから木と花がずれてしまい、ふたりの摺師を使ってようやく摺りあげたと伝わる。」(展覧会図録からの引用、以下同じ)吉田博作品の、刷りの特別の多さはよく知られているが、作品に近寄って見てみると、桜の花と木のずれは見事に無く、重ね刷りの跡は見つからない。画集などではとてもわからない技術の高さには本当に驚いた。
次に、吉田博を代表する「渓流」である。「《雲井櫻》とともに、吉田博が制作した特大版6点のうちの1点。」この作品もまた、右の画像サイズではとてもわからない、水の表現の驚くべき多彩さとひとつひとつの精緻な動きが、実物からよくわかる。
私の以前のブログでは、「流れ落ちる水と渦巻く水が、信じられないような精細さで描かれている。水の音が聞こえてきそうである。」と書いた。実物を鑑賞して、改めてその感を強くした。
追記:これまで私が作成した吉田博についてのブログは以下の通りです。(2021.10.23)
「『吉田博 全木版画集 増補新版』刊行される」(2021年10月23日)、「没後70年 吉田博展(2019-21)、図録の紹介」(2020年12月2日)、「『吉田博 全木版画集』」(2017年1月9日)
「豊かに流れる黒髪の圧倒的な存在感や女性の清雅なたたずまいが印象的な、五葉の私家版を代表する1点。」橋口五葉の「髪梳ける女」である。やはりこの画像からはわかりにくいが、豊かな黒髪の黒の鮮やかさと、髪の一本一本が見事に丁寧に描かれている。高島屋の展覧会ページでは、この画像よりも大きく掲載しているので、ぜひそちらも参照していただきたい。
橋口五葉のもうひとつの作品が「夏衣の女」。髪の表現は上と同じだが、こちらでは、夏衣に注目したい。黒の夏衣からは、女性の肌が透けて見える。この画をどのような技法で作成したのだろうか。図録に解説が無いのが大変残念である。2021年8月22日日曜日
『一〇〇年前の世界一周』を見る、「すべてが不思議な国」日本
日経ナショナル ジオグラフィック社は次のように紹介している。「1905年、ひとりのドイツ人青年が世界を知る旅に出た。アメリカ、日本、朝鮮、中国、インドネシア、インド、スリランカなどを1年半かけて周遊、多くの写真を撮影した。とくに日露戦争直後に滞在した日本では、まったく異なる文化に感銘を受け、すっかり日本に魅了される。まだ世界が広かった時代、豊かな地域性を残した社会を旅した貴重な記録。大戦前の世界がいきいきとよみがえる。写真117点収録。」掲載された写真は大きくて美しく、とても見やすい。
目次は、以下の通りである。グランドツアー、大西洋:広がる水平線、新世界:いくつかの冒険、太平洋:宙に浮いた時間、極東:不思議に満ちた世界、インド洋:憂鬱な帰国、その後の世界である。まず、冒頭の1枚は、出発の船上の1枚、あふれんばかりの船客だが、そのあまりの数の多さに大丈夫かなと心配してしまう。
ワルデマールは、日本の様々な芸術作品に興味を持った。「ヨーロッパでジャポニスムの熱がわき起こってから数年がたっており、ロダン、モネ、ゴッホは歌麿、北斎、広重が描く浮世絵に夢中になった。ワルデマールもナカノに日本美術の手ほどきを受け、あらゆるジャンルに興味を持った。」(133)
2021年7月30日金曜日
中国共産党100年、ぜひ読むべき2冊
今年(2021年)7月1日、中国共産党は創立100周年を祝った。この100年間に、中国共産党は中華人民共和国を成立させ、その独裁政権による強力な指導で、世界で第2番目の経済大国に成長した。しかし、中国共産党が犯した誤りと悲劇も、その成果に匹敵するほど重大であった。
整風運動と毛沢東思想の確立
中国共産党と毛沢東について、十余年にわたる調査と数百人におよぶ関係者へのインタビューにもとづいて、包括的に批判したのが、ユン・チアン、ジョン・ハリデイ『真説 毛沢東 誰も知らなかった実像』、講談社、2017年(Jung Chang and Jon Halliday, Mao: The Unknown Story, Anchor, 2005)である。中国で毛沢東思想が確立したのは、1942年からの整風運動の直後だった。整風運動は、表向きは、「学風」、「党風」、「文風」の三風を整頓するという意味であったが、「整風運動がもたらした最大の成果は、国民党とのありとあらゆる関係が徹底的に明らかにされたことだった。毛沢東は「社交関係表」を作り「全員にあらゆる種類の社交関係を細大漏らさず書かせよ」と命じた。整風運動を終了するにあたって、当局は一人一人の党員に関する調査書類(檔案)をまとめた。」(ユン・チアン、ジョン・ハリデイ、6908、Kindle版での位置)
調査の対象とされたのは、王明をはじめ、のちに何度も批判の対象となる周恩来、彭徳懐、劉少奇など名だたる中国共産党の指導者たちが含まれていた。その結果、「整風運動以前の代表約五〇〇人のうち、半数はスパイの疑いをかけられて言語に絶する迫害を受けた。自殺した者もいれば、精神に破綻をきたした者もいた。多くが代表から外された。かわりに、毛沢東に対する忠誠の証明された新しい代表が何百人も任命された。」(7467)整風運動を通じて毛沢東は個人崇拝を確立し、毛沢東思想が共産党の指導理念となった。こうして、現在の共産党の原型が形成された。
コミンテルンとソ連から派遣され延安に滞在したピョートル・ウラジミロフ『延安日記』は、整風運動について次にように書いている。「延安では自殺するものが後を断たない。市中はまるで強制収容所のようだ。」(123)毛沢東による整風運動と同様の粛清は、スターリンの大粛清よりも前の1930-31年に始まり、共産党の歴史のあらゆる時期に、特に文化大革命と天安門事件を経て、今に至るまで続く。
この書籍と関連する文献、そしてアメリカの誤った対応については、私の「ローズヴェルトの対中政策と整風運動に関する文献の紹介」 【論文】で紹介しています。あわせてクリックしてご参照ください。
四千五百万人を死に追いやった大躍進(1958-62)
近代中国歴史上最も悲惨で、世界に類を見ない惨劇となった大躍進を明らかにしたのが、フランク・ディケーター『毛沢東の大飢饉: 史上最も悲惨で破壊的な人災 1958-1962』、草思社、2019年(Frank Dikötter, Mao's Great Famine: The History of China's Most Devastating Catastrophe, 1958-1962, Bloomsbury Publishing, 2010)である。
中華人民共和国が成立して十年も経っていない一九五八年から六二年にかけて、毛沢東は、十五年以内にイギリスに追いつき追い越すという、無謀な「大躍進」を開始した。この政策を担ったのが人民公社である。「河南省嵖岈(さが)山には、一九五八年二月に小麦一ヘクタール当たり四千二百キロを目標に掲げた全国初の人民公社(「スプートニク人民公社」と呼ばれた)が登場した。」(同書、96)その後、全国各地に人民公社が設立され、生産目標を競うことになった。「各公社では日常生活のあらゆる面が軍隊式に統制され、土地や労働を含むほぼすべてが集団化された。
この無謀な計画は期待された成果を生まなかっただけではなく、無理矢理大量に動員された農民の生活を破壊した。これらの事業の犠牲者である、「(雲南省陸良県で)飢餓による初めての死者が出たのは、一九五八年二月だった。六月には、あちこちで飢餓による浮腫(むくみ)の患者が現れ、千人が餓死した。」(87-8)このような事態が起こっているにもかかわらず、政府・共産党は穀物の輸出に力を入れた。「党は農村部の需要を無視した政治的な優先順位を決め、政府は契約の履行と国際的な評判を維持するために穀物輸出量を増やす決定を下した。こうした姿勢は、一九六〇年の「出口第一(何より輸出優先)」政策の採択に表れた。・・・こうした優先政策のつけは膨大な農民の死という形で回ってきた。」(233-4)
大躍進と人民公社という無謀な政策、その結果として生じた大飢饉、この過程を推進したのは毛沢東であったが、一党独裁を維持する共産党内部では激しい対立と闘争、そして妥協と追随を伴っていた。毛沢東の推進する政策に反対する党員は「反党集団」「反党グループ」「右傾分子」「右派」として徹底的に排撃され追放された。
「中国において、一九五八年から六二年にかけて、少なくとも四千五百万人が本来避けられたはずの死を遂げたーこれが本書の見解である。」(15) しかし、「・・・たとえば、ポル・ポトやアドルフ・ヒットラー、ヨシフ・スターリンが引き起こした大惨劇に比べると、大躍進の真の姿はほとんど知られていない。」(14)ちなみに、ユン・チアン、ジョン・ハリデイは、大躍進の犠牲者を3800万人と推定している。(12082)
この書籍について詳しくは、私の「書評 『毛沢東の大飢饉』」【論文】で紹介しています。あわせてクリックしてご参照ください。
中国ではその後、よく知られている文化大革命と天安門事件が起こる。これらについての重要な文献は改めて紹介したい。
(ブログのTOP、ブログの目次、新保博彦のホームページ、新保博彦の(YouTube)チャンネル)
2021年7月1日木曜日
藤田治彦『もっと知りたいウィリアム・モリスとアーツ&クラフツ』
はじめに 民衆の芸術を追究し芸術の新たな地平を開拓したモリス、第1章 若きモリスとアーツ&クラフツ前史─良き仲間たちとの出会い、特集▼ラファエル前派と後継者たち、第2章 生活に美と創造の喜びを─商会設立から改組まで、特集▼V&Aとモリス関連コレクション、第3章 理想の社会をめざして─環境保護運動への展開と社会主義、特集▼モリスとテムズ川、第4章 十人分を生きた晩年─アーツ&クラフツとケルムスコット・プレス、第5章 アーツ&クラフツ運動の広がり─ロンドン発の穏やかな世界革命とその理念、おわりに アーツ&クラフツ運動の歴史的位置づけ
ウイリアム・モリスは1834年に生まれた。第2章は、モリス27-41歳の幅広い作品を紹介している。ステンドグラス、家具、壁紙、染色、採飾手稿本などである。右は、モリス最高の絵付家具、聖ゲオルギウスのキャビネットである。「1862年ロンドン万博のためにモリス自身が絵付けした。・・・モリスによる絵付家具では最良の作である。」(27、数字は同書ページ数、以下同じ) すでにこの時期にモリスの多彩な作品を見ることができる。これらの作品を制作するために、1861年にモリス・マーシャル・フォークナー商会が創設された。モリスは、1896年に62歳で亡くなったが、第4章は54-62歳の晩年を対象にしている。晩年の重要な作品が、大型のテキスタイルや、ケムスコット・プレスの書籍群である。左は、「ヤコブ・デ・ヴォラギネ著『黄金伝説』」である。表紙、本文をデザインしただけではなく、この本のために書体「ゴールデン体」まで作られた。
ところで、今モリスの作品は展覧会で見ることができるだけではなく、簡単に入手できる。住吉さやかさんは、「モリス商会消滅後、そのデザインはSanderson and Sons社とLiberty of London社が買い取り「Morris & Co.」というブランド名で現在も販売されています。」と紹介されている。
以上のように、藤田治彦『もっと知りたいウィリアム・モリスとアーツ&クラフツ』は,80ページの書籍の中に、モリスのすべての時期の多くの作品と詳しい解説を満載している。モリス作品を愛用している人をはじめ、多く人に読んでいただきたいと思う。
2021年6月5日土曜日
『神業の風景画』、原雅幸氏と森本草介氏の作品を中心に
目次は、以下の通り。1章 水のある景には、森本草介氏の風景観も含まれる。2章 自然の景で、野田弘志氏の風景観、3章 人の気配には、原雅幸氏の風景観を含む、巻末には、エッセイ「風景画の魅力」松井文恵がある。
本の作りは、大きく開いて見開きで見ることが出来るような製本になっているのはとてもありがたい。画集でも、意外にこのような製本になっていない場合が多い。残念なのは、個々の画の解説が無いことである。
もうひとりの代表的な画家、原雅幸氏については、私のブログ「原雅幸 3枚の写実絵画 」で、『写実絵画の新世紀 ホキ美術館コレクション』(別冊太陽、2016年)に掲載されている「クリストファーロビンの聲」、「モンテプルチアーノ」、「羊のいる風景」という3つの作品を紹介した。『神業の風景画』からは、2つの作品を紹介したい。
原氏には、「原 雅幸 OIL PAINTINGS, WATERCOLOR PAINTINGS」というweb siteがある。多くの作品が掲載されているし、販売もされているので、ぜひ訪れていただきたい。なお、上記の作品の画像は、そのweb siteに掲載されているのを利用させていただいた。
『神業の風景画』から、森本氏や原氏以外にも紹介したい作品は、大畑稔浩氏『仰光ー霞ヶ浦』、同『苗名の滝』、同『早春(白い影)』や、この画集ではやや例外的な描き方をする石黒賢一郎氏のモノトーンの風景や、工場の風景などもあるが、紹介はまた機会を改めたい。
ところで、写実画と言っても、対象の選び方、画材などによる描き方などが、画家によって全く異なるので、それぞれの写実画は大きく異なる。『神業の風景画』に収められた多くの画家の作品もそれぞれとても個性的である。
しかし、『神業の風景画』あるいは日本の現在の写実画の共通点をあえて挙げるとすれば、ひとつひとつの対象が実に精緻に描かれているということではないだろうか。Scottish Galleryが原氏の作品を、the extraordinary super-realist artist (並外れた超写実主義の芸術家)と表現しているのは、海外の人々の率直な感想だと思われる。細部を徹底して精緻に仕上げるというのは、日本の伝統的な工芸作品や、現在の工業製品にも共通する特徴だと言えるだろう。Scottish GalleryのREALIST & LYRICAL LANDSCAPESという展覧会に出展している他の画家の作品と比較すると、その点がとてもよくわかる。なお、この展覧会のタイトルの、「写実的で叙情的」という表現はとても興味深い。
最後に、『神業の風景画』には、以上では紹介しきれない多数の画家たちの「神業」が、見開きで掲載されていて、風景を主題とする写実画を十分に味わうことができるので、改めてお薦めしたい。