2021年12月27日月曜日

強まるバブル懸念の指標とバブル研究の古典(2)

 「強まるバブル懸念の指標とバブル研究の古典(1)」では、現在のバブルの懸念を示す代表的な指標を紹介したが、(2)ではバブル研究の著名な古典を紹介したい。

まず、キンドルバーガー『熱狂、恐慌、崩壊 金融恐慌の歴史』(日本語訳、2004年)から始めよう。同書は3回翻訳されている。本論文が取り上げるのは、原書第4版MANIAS, PANICS AND CRASHES 4th ed. A History of Financial Crisesの翻訳である。第4版は、キンドルバーガー自身が著した最後の版である。2回目の翻訳となる。その後、第6版の翻訳が出た。『熱狂、恐慌、崩壊 (原著第6版) 金融危機の歴史』(日本語訳、2014年)である。第6版はR.Z.アリバーが加筆している。

キンドルバーガーの著作の最大の特徴は、第1に付録B 金融危機の類型一覧表 (1618-1998)にまとめられているように、近代の金融危機全般を取り上げ、危機に先行する投機対象、通貨膨張源、投機の頂点、危機(破綻、恐慌)、最後の貸手についてそれぞれを特徴付けたことである。第2に、他の著作とは異なって、危機の記述だけではなく、危機に対する最後の貸手の役割に特に注目したことである。彼の方法は、「数理経済学、計量経済学、あるいは両者を包含している「新しい経済史」に対抗するものとして「文献経済学」」(同書7ページ、以下括弧内の数字は同様である)だと言う。

論文では、次にガルブレイス(John Kenneth Galbraith)の『新版 バブルの物語―人々はなぜ「熱狂」を繰り返すのか』(2008年日本語訳刊行)を検討したが、このブログでは省略する。

次に、チャンセラーの『バブルの歴史 チューリップ恐慌からインターネット投機へ』(2000年)を取り上げたい。同書の原題は、DEVIL TAKE THE HINDMOST: A History of Financial Speculationである。DEVIL TAKE THE HINDMOSTは諺で、(遅れた者は鬼に食われろとばかり)われがちだ, 早いもの勝ちだという意味である。副題は金融投機の歴史になる。なお、この著作には新訳がある。『新訳 バブルの歴史─最後に来た者は悪魔の餌食』(2018年刊)である。著者のエドワード・チャンセラー(Edward Chancellor)は、フリーランスのジャーナリストで経済学者ではない。チャンセラーが記述している内容も、一六九○年代の起業熱から、一九二九年の大暴落を経て現代のカウボーイ資本主義、神風資本主義にまでの長い歴史に及ぶ。

チャンセラーは、キンドルバーガーと同様に、「投機の熱狂」に注目している。キンドルバーガーよりもより明瞭に投機の熱狂が現れる局面を、シュンペーターに依拠して説明している。「オーストリア出身の経済学者、J・A・シュンペーターは、投機の熱狂が通常、新しい産業や新しい技術が登場し、それらの可能性が過大に評価され、新規事業(ベンチャー)に引きつけられる資金が過剰になったときに発生すると指摘している。」(54)

本書エピローグは、「経済学者の暴走」と名付けられていて、幾人かの重要な経済学者への批判を試みている。金融派生商品の危険性を指摘しなかった、ノーベル経済学賞を受賞したマートン・ミラーと、連邦準備制度理事会(FRB)のアラン・グリーンスパン議長がやり玉に挙がっている。特にページが割かれているのは、ジョン・メリウェザーが設立したロング・ターム・キャピタル・マネジメント(LTCM)である。

キンドルバーガーは最後の貸手の役割を重視したが、チャンセラーはやや漠然とした用語であり、ガルブレイスが効果を否定した、投機に対する規制の必要性を主張した。

ぜひ多くの方々が、大著ではあるが示唆に富むこれらの書籍に取り組んでいただきたいと思う。なお、私の論文は以下に掲載しています。「強まるバブル懸念の指標とバブル研究の古典」2021年の論文

強まるバブル懸念の指標とバブル研究の古典(1)

アメリカ株式市場では、バブルの懸念が強まっている。その現状と、バブル研究の古典について紹介した論文を、私のweb siteに掲載したが、その簡単な紹介を2回に分けて行いたい。

バブルの懸念が強まっていることを示す重要な指標のうち一つ目は、S&P 500 Cyclically Adjusted Price to Earnings Ratio(景気循環調整後の株価収益率(CAPEレシオ))だろう。2013年にノーベル経済学賞を受賞したロバート・シラー博士によって提案されたCAPEレシオは、株式の実際の株価収益率を反映している。計算式は、株価/ 10年間の平均インフレ調整後収益である。
2021年9月のその比率は38.34で、1980年からの変動は、図1の通りである。 青い線はS&P 500のCAPEレシオ、赤い線はS&P 500の株価である。S&P 500のCAPEレシオは、新型コロナ感染症の拡大で一時的に20台に下落したものの、その後は急速に回復し、2000年のバブル期の40に近づいている。

もうひとつの指標は、バフェット指数である。バフェット指数は、GDPに対する米国株式市場の総評価額の比率である。2021年12月16日の時点で、バフェット指数は、米国の総市場価値:50.2兆ドル、年間GDP:23.6兆ドルで、$ 50.2T÷$ 23.6T = 213%となる。この数値は、過去の平均を66%も上回り、最も高い水準にあり、市場の総評価額が異常に高いと言える。

これらの主張に対する重要な反論は、私の論文を参照してください。論文では、もうひとつの指標である恐怖と欲望指数も取り上げた。

2021年の年末まで、アメリカの株式市場は、コロナ禍の落ち込みから急速に回復し、上昇を続けてきた。論文1節で紹介した3つの指数から、それらの指数が、過去と比較して非常に高く、バブルではないかとの危惧が拡がっている。もちろん、バブル説には、本文に紹介したような有力な反論もある。

以上の検討は市場全体の傾向であるが、一方で、市場の一部では、最近のIPO、例えば電気自動車メーカーのリビアンなどが上場後高騰するなど、異常な熱狂と興奮状態がなお見られる。しかし、他方で、調整も始まっている。バブル期初期に人気を博したキャシー・ウッド氏率いる米アーク・インベストメント・マネジメント(ARK Investment Management)の商品の価格が停滞している。

市場がさらに熱狂し続けるのか、それとも一時的あるいは本格的な調整が始まるのかは、上記の指数によっても正確な予想は難しい。ただ、確実なことは、各国での大幅な金融緩和の縮小、急激なインフレーション対して金利の引き上げなどを迫られているため、株式市場は何らかの調整が避けがたいと言えるだろう。

次のブログでは、バブル研究の古典が、バブルと金融危機をどう捉えてきたかを紹介したい。

なお、私の論文は以下に掲載しています。「強まるバブル懸念の指標とバブル研究の古典」2021年の論文

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論文「中国の監視社会と監視カメラ・顔認証企業」を、私のHPに掲載しました。

新保博彦の政治・経済コラム(2021年11月15日掲載)から移動しました。2021.12.27) 

論文「中国の監視社会と監視カメラ・顔認証企業」を、私のHPに掲載しました。 目次は以下の通りです。

I 世界と中国の監視カメラ、2 中国の監視カメラ・顔認証企業、3 アメリカによる中国監視カメラ・顔認証企業への制裁、おわりに:監視社会化への対応

左の図は、「世界で最も監視されている20の都市–1,000人あたりのカメラ」で、最も監視されている都市は、中国の太原(山西省)で、10位以内に中国は8都市、中国以外は、ロンドンとインドのインドール。20都市を見ると、中国は16。これらの事実から、中国は、最も監視カメラによって監視されている社会であることがわかる。

中国は世界で人々を最も監視している社会であるが、同時に監視するための監視カメラを生産している企業が最も成長している国でもある。世界の「物理的セキュリティセクターで最も影響力のある」企業のランキングでは、中国企業は10位以内に4社、特に上位2社の杭州海康威视数字技术股份有限公司(Hangzhou Hikvision Digital Technology Co., Ltd.)浙江大华技术股份有限公司(Zhejiang Dahua Technology Co.,Ltd.)は、他社を引き離している。
また、中国では監視カメラで用いる顔認証技術も発展していて、上海商汤智能科技有限公司(SenseTime)北京旷视科技有限公司(Beijing Kuangshi Technology Co., Ltd. (Megvii))上海依图网络科技有限公司(YITU Tech)が代表的な企業である。科大讯飞股份有限公司(iFLYTEK Corporation)は、人工知能全般を事業とする企業である。
第2節では、これらの企業の現状を詳しく検討した。

中国全体の監視社会化を支えているのは、中国の監視カメラ製造企業や顔認識企業であることは言うまでも無い。これらの企業の技術を用いて、中国が監視社会化を徹底して実施しようと試みているのが、新疆ウイグル自治区においてである。それは、21世紀のジェノサイドと呼ぶことができる。

こうした事態を受けて、アメリカ政府は、中国の監視カメラ製造企業や顔認証企業に制裁を科している。「エンティティー・リスト(EL)」には、上記の多くの中国企業が対象になっている。さらに、アメリカ政府によって、これらの企業の一部を含む59の中国企業への証券投資が禁止された。

中国での監視社会化の進展、少数民族への弾圧への適用などに対して、アメリカ以外でも先進各国ではその危険性への批判が高まり、監視社会化を制止しようという動きが高まりつつある。欧州連合(EU)は人工知能(AI)の利用を制限する包括的な規制案を公表した。最も厳しい「禁止」は、すでに中国では一般的になっている、政府が個人の「格付け」にAIを用いることなどが対象となる。

なお、私の論文は以下に掲載しています。2021年の論文
中国社会と企業の最近の動向をまとめた『論文集 超管理社会をめざす中国と中国企業』は、以下に掲載しています。新保博彦の日本語版Website TOPページ


論文「新型コロナウイルス感染症と中国製薬・バイオ企業」を、私のHPに掲載しました。

新保博彦の政治・経済コラム(2021年10月7日掲載)から移動しました。(2021.12.27)

論文「新型コロナウイルス感染症と中国製薬・バイオ企業、2021年9月 (COVID-19 Infection and Chinese Pharmaceutical and Biotech Companies)」を、私のwebsiteに掲載しました。

目次は以下の通りです。

はじめに、1 新型コロナウイルス感染症とワクチン開発、2 中国製薬・バイオテクノロジー企業、3 破壊的イノベーションとしてのワクチン開発

取り上げた中国企業は、中国医药集团有限公司(以下简称“国药集团”)、China National Pharmaceutical Group Co., Ltd. (Sinopharm)、国药控股股份有限公司(SINOPHARM GROUP CO. LTD.)、科兴控股生物技术有限公司(Sinovac Biotech Ltd.)、康希诺生物股份公司(CANSINO BIOLOGICS INC.)、复星国际有限公司(FOSUN INTERNATIONAL LTD.)、上海复星医药(集团)股份有限公司(SHANGHAI FOSUN PHARMACEUTICAL (GROUP) CO., LTD.)などです。

中国の主要なワクチン開発企業は、相互に緊密に連携しつつ、中国政府や人民解放軍による、資本、人、補助金、さらには共産党などを通じての強い影響・支配下にあり、中国のワクチン開発は、政府・軍・共産党主導であることなどを明らかにしています。ぜひご参照ください。

なお、私の論文は以下に掲載しています。2021年の論文

中国社会と企業の最近の動向をまとめた『論文集 超管理社会をめざす中国と中国企業』は、以下に掲載しています。新保博彦の日本語版Website TOPページ

2021年12月2日木曜日

吉田博の絵画、NIKKEI The STYLE「世界を駆けた画家夫妻」

私は、これまでの私のブログで、版画家吉田博のすばらしい作品群を紹介してきた。ところが、日本経済新聞11月28日、NIKKEI The STYLE「世界を駆けた画家夫妻―吉田博と吉田ふじを(上) 繊細な描写、米国人を魅了」は、画家吉田博とその妻ふじをを紹介している。とても興味深い記事なので紹介したい。

日経による吉田博の経歴は次の通りである。「吉田博は、風景画の名匠として、明治・大正・昭和期に活躍した。1876年(明治9年)に現在の福岡県久留米市に生まれた博は、1902年(明治35年)に発足した太平洋画会の中心画家となり、水彩、油彩、版画の風景表現に大きな足跡を残した。・・・吉田ふじをは1887年、現在の福岡市出身で、洋画家、吉田嘉三郎の三女に生まれる。養子に入った博と、米欧旅行から帰国後の1907年に結婚。子育てをしながら、画業を続け、戦後は抽象絵画も発表、99歳で亡くなる数年前まで絵を描き続けた。」(ふじをについては改めて紹介したい、なお、「」は日経からの引用)

安永幸一、福岡アジア美術館編「吉田博資料集」(弦書房)によれば、博達は3年2カ月にわたって米欧諸国と北アフリカを写生して巡る大旅行を試み、各地で展覧会を開き、高い評価を得たと言う。上は博の1906年の油彩画「ヴェニスの運河」である。ふじをにも博の作品と並ぶ「ベニス」という水彩画があり、ともにヴェニスの町並みとともに、アドリア海の澄み渡った青空とそれを写す水面が描かれている。「歴史ある水上都市の光と影を確かな遠近感で写しとった。」と日経は書いている。ところで、この作品は、『𠮷田博 全木版画集』のp.206に掲載されているが、空の青さとその光が差す全体の印象は、日経版の方が強く鮮やかである。(なお、姓について、日経は吉田、画集は吉田と表記している。)

養沢 西の橋」は、1896年に描かれた水彩画である。「西多摩、現在の東京都あきる野市にある渓流を描く。」渓流は博の版画作品でもしばしば取り上げられるテーマであるが、この絵では渓流が中心ではなく、緑に覆われた森を背景に、ごつごつとした岩をぬって流れる渓流が描かれている。



霧の農家」は、1903年頃の水彩画である。「霧に包まれた農村の湿潤な大気と朦朧感の描出」と日経は特徴付けている。遠くにぼんやりと輝く日の光、その淡い光を受けて木々を写す水面などすべてが朦朧となっていて、水彩画という方法を見事に生かした表現ではないかと思われる。「米国の美術関係者を驚かせたのも、こうした繊細を極めた風景表現だったろう。」

『𠮷田博 全木版画集』に掲載されている水彩画は4点のみで、初期の上記2つの作品は掲載されていない。その意味で、NIKKEI The STYLEが紹介した作品は、𠮷田博のすべての仕事を理解する上で欠かせない作品となっている。


追記:・「中」(2021.12.5)は、吉田博の版画を紹介しているので、このブログでは追記を省略したい。
・「下」(2021.12.12)は、「戦中戦後、画業へ情熱」というテーマで、吉田博とふじをの、それ以前とは大きく性格が異なった作品が紹介されていて、とても興味深いので、機会を改めて紹介したい。(2021.12.19)

これまで私が作成した吉田博についてのブログは以下の通りです。

2021年10月23日土曜日

『吉田博 全木版画集 増補新版』刊行される

吉田博 全木版画集 増補新版』が、2021年8月に刊行された。これまで入手可能だった第2版(1996年刊)の大幅な改訂となっているので、簡単に紹介したい。25年の間に、吉田博の人気は高まる一方である。私は、今年の秋に開かれた、千葉市美術館所蔵 新版画ー進化系UKIYO-Eの美で現物を見ることができ、その作品の精緻さ、素晴らしさに改めて驚かされた。

出版社の阿部出版は、改訂について次のように説明している。「本書は、全木版画を掲載した『吉田博全木版画集』を全面改訂した増補新版となります。作品掲載サイズを実際の大小サイズに合わせて変更し、作品の色彩も初摺の状態を再現。新発見作品や新情報を加え、60頁増ながら定価据え置きの完全版となっています。」

私が確認した改訂の大きな点一覧

1) 総ページ数が大幅に増加、その最大の理由は3)である:新:263p、旧:203p

2) 版画作品数:新:265、旧:259はそれほど変わらないが、以下は大幅に増加となっている。油彩・水彩他 新:8p、旧:3p、作品刷り工程 新:5p、旧:2p。油彩などのページが増え、サイズが大きくなり、細部まで見れるようになったので、この分野での作品にも注目が集まりそうである。また、作品刷り工程では、「版の数が12面ぐらいから20面前後で、一つの版面を数回使って刷り重ね」ることが紹介されている。この作業の実態を見ると、吉田博の作品の細部にわたる「超絶技巧」の一部が理解できる。

3) 掲載版画作品数は大きく変わらないが、半ページ版あるいは1/4ページ版などだった作品が、ページ全面の大きさに変更されている作品が多くなっている。その例として次にいくつか挙げておきたい。

まず<104 渓流>である。私のブログ『吉田博 全木版画集』で、「残念なことに、なぜか画集では半ページで印刷されている。」と書いたが、全ページ版になって、流れ落ちる水と渦巻く水の精細さがよくわかり、まぶしく感じられるほどになった。

<40-45 帆船>すべての画が全ページ版になって、一日の時の変化による差し込む光の違いがより鮮明になった。<156 フワテプールシクリ>「没後70年 吉田博展(2019-21)、図録」の裏表紙ともなった作品だが、「イスラム建築の精緻なアラベスクから滲む光とその乱反射」が、たたずむ教徒を浮かび上がらせている。<94-96 習作・熱海温泉・鏡之前>全作品の中で珍しい女性像だが、画面が大きくなって、ふくよかな印象をどのように出しているのだろうか、と改めて思った。

<193 春雨>雨で散りそうになった遠くの桜が、道ばたにたまった雨水に、風で揺れているせいだろうか、ぼんやりとした影を映し出している。<218 上野公園>が、<192 弘前城>と同様に、雲のようにふんわりと浮かぶ近くの桜と、塔を囲むように咲くやや遠くの桜がより対照的に美しく見えるようになった。

さらに全体に言えることだが、「作品の色彩も初摺の状態を再現」したとのことだが、全体にとても明るく、鮮明になったように思われる。

4) 解説記事は、位置の移動はあるが、内容には変更が無い。

Amazon他新刊を扱う書店では、おそらく「増補新版」しか検索しないと思いますが、図書館でご覧になる場合は、この「増補新版」をご覧になることをお薦めします。また、以前の版を置いている図書館では2つの版を見比べるのも、とても興味深いと思います。

これまで私が作成した吉田博についてのブログは以下の通りです。

『新版画ー進化系UKIYO-Eの美』に出かけました(2021年9月16日)没後70年 吉田博展(2019-21)、図録の紹介(2020年12月2日)『吉田博 全木版画集』(2017年1月9日)

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2021年10月20日水曜日

李大根著『帰属財産研究 韓国に埋もれた「日本資産」の真実』が刊行

 李大根著、金光英実訳、黒田勝弘監訳『帰属財産研究 韓国に埋もれた「日本資産」の真実』(文藝春秋、2021年)が刊行された。日本語版でも本文が485ページに及ぶ大著である。本書は、帰属財産についての本格的な研究を通して、具体的で歴史的な事実に基づく 、韓国・朝鮮近代史の包括的な研究となっている。

李大根氏については、奥付に紹介がある。「1939年、韓国・慶尚南道陜川生まれ.1964年、ソウル大学商学部卒業、1980年、成均館大学経済学部教授。落星台経済研究所創立に参加。」

目次は以下の通りである。

李大根氏(文春オンライン)
李大根氏(文春オンライン)
監訳者によるまえがき、序文、第一章 なぜ帰属財産なのか、第二章 日本資金の流入過程、第三章 帰属財産の形成過程 (I): SOC建設、第四章 帰属財産の形成過程 (II): 産業施設、第五章 帰属財産の管理 (I): 米軍政時代、第六章 帰属財産の管理 (II): 韓国政府時代、第七章 解放後の韓国経済の展開と帰属財産、参考文献

李大根氏によれば、「帰属財産とは何か。一九四五年八月の解放当時、韓国で暮らしていた日本人が帰国の際に残していった財産について、新たに登場した米軍政がその財産権を米軍政に「帰属される」(vested)という意味で付けられた名称である。よって「帰属財産」(vested property)という名称は、米軍政による新造語といえる。その本質はあくまでも解放当時まで韓国にいた日本(人)の財産である。驚くべきことに、この帰属財産の資産価値は、当時の朝鮮の国富の八○〜八五%にも及んだ。」(30、本書ページ数、以下同じ)

帰属財産を、以上のように定義し、各章はその内容を詳しく明らかにしている。第三章 帰属財産の形成過程 (I): SOC建設は、鉄道、道路、港湾、山林緑化事業を取り上げるが、特に鉄道では、営業線路6,362km、従業員数10万人を超える鉄道が敷設されたことが明らかにされている。

第四章 帰属財産の形成過程 (II): 産業施設は、電気業、鉱業、製造業を詳細に検討している。電気業では、アメリカのTVAのフーバーダムに匹敵する水豊発電所(左の写真:Wikipedia)が建設された。また、全期間を通して、主要産業で最も設立会社数が多かったのは工業であり、そのうちの多くが第四期(一九三七〜四五年)に集中していた。第四期は「本格的な重化学工業化」の時期であった。

第七章 解放後の韓国経済の展開と帰属財産では、本書の重要な問題提起が整理されている。ウォーラーステインの世界システム論は、多くの植民地でモノカルチャー経済を発展させたことを明らかにしたが、これと対比しつつ、李大根氏は朝鮮が、「植民地経済の均衡的発展のために鉱工業を中心とした産業構造の高度化を行った点で、どの国の植民地支配とも完全に区別される特殊な工業化を経たのである。」(449-50)との結論を導き出している。

本書は大著ではあるが、わかりやすく書かれているので、多くの方々にぜひとも読んでいただきたい韓国・朝鮮近代史の貴重な研究である。

なお、私のさらに詳しい書評は以下に掲載しています。書評 李大根『帰属財産研究 韓国に埋もれた「日本資産」の真実』」2021年の論文

戦間期朝鮮経済史と反日種族主義批判の最近の動向をまとめた『論文・書評集:戦間期朝鮮経済史と反日種族主義批判』は、以下に掲載しています。新保博彦の日本語版Website TOPページ

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2021年10月10日日曜日

とても便利!pdfファイルのkindleファイルへの変換

pdfファイルのkindleファイルへの変換
について、最も容易だと思われる方法を以下に記載します。とても簡単なので、ぜひ利用してみてください。

アカウント&リストーアカウント・サービスーコンテンツと端末の管理ー設定ーパーソナル・ドキュメント設定を開きます。

そこには、次のように記載されています。「Send-to-Kindle Eメールアドレスの設定、以下に表示されているEメールアドレス宛に文書を送信すると、端末で読むことができます。 」

その下には、自分の利用しているkindle(ハード)やPC、タブレット、スマホなどに割り当てられたメール・アドレスがあります。そのアドレスのどれかに向けて、kindleファイルに変換してほしいpdfファイルを添付して送信します。

そうすると、Amazon Kindle サポートからメールが届きますので、<リクエストの確認>をします。

次に、コンテンツと端末の管理ーコンテンツーパーソナル・ドキュメントを開けると、あっという間に変換されたkindleファイルを見ることができます。

以上とても簡単ですが、販売されたkindleファイルと比較すると、読むのには問題ありませんが、残念ながら機能はかなり制限されているようです。

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New! 新保博彦の政治・経済コラムを開設しました。このブログとともに、コラムもよろしくお願いいたします。(2021.10.2)

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2021年9月25日土曜日

最近の主要な論文をまとめた5つの論文集を作成しました

 私が退職後書き続けた論文をテーマごとにまとめ、5つの論文集を作成しました。私のwebsiteで公開していますが、以下でも簡単にご紹介しますので、ぜひご一読ください。

『論文集 超管理社会をめざす中国と中国企業』(2021年6月11日編集、6部12章)
 この論文集には、今注目の中国企業の分析が多数含まれています。例えば、強力な政府支援で急成長する中国半導体企業5社:先行するSMIC、Huahong Group、急追するYMTC、INNOTRON、JHICC、監視カメラ製造のHikvision、DahuaとHyteraの3社、新興のAI企業:SenseTime、Megvii、CloudWalk、Yituなどです。

 これらの検討を通じて、中国企業の急成長とともに、政府・共産党の支配下で超管理社会をめざす中国企業の実態と、それと対抗するアメリカを中心とする世界の対応を明らかにしようとしました。

『論文集 戦間期日本企業の海外進出2021年6月14日編集) 
 この論文集は、戦間期日本の海外投資、日本企業の海外進出に関連する7論文を掲載しています。中心となるのは、私のJapanese Companies in East Asia: History and Prospects: Expanded and Revised Second Editionの日本語版簡略版である各論文です。 

 日本の海外投資と進出企業の活動は、多くの受け入れ国・地域の企業を生み、それらの企業との競争と協調(Collaboration)を通じて、受け入れ国・地域の市場経済の発展と近代化に貢献しました。

『論文集 分断と内向き時代のグローバル企業2021年6月21日編集)
 1970年代以降、経営資源の移転をもたらす直接投資は急激に拡大し、直接投資は、投資国・企業と投資受入国・企業の両方の発展に著しく貢献しました。しかし今、その特徴のいくつかが大きく変化し、グローバル市場が分断され、各国が内向き志向を強める時代に入りつつあります。

 論文集では、このような環境の下での、世界と中国のファブレス・ファウンドリー、台湾EMSと半導体企業、半導体製造装置産業を牽引するASML、フィンテック企業、世界と日本の製薬・バイオ企業、などの注目すべき企業群を取り上げました。

『論文・書評集 戦間期日米関係: 経済・企業システムの共通性と相互依存2021年6月24日編集)
 戦間期には、日米両国はきわめて近似した経済システム、企業システムを発展させており、同時に両国間経済は相互依存を強めていましいた。そのため、両国には日米関係を維持・発展させようとする政治家、官僚、企業家、軍人も決して少なくありませんでした。

 本論文集では、これまでの両国経済・企業の分析を踏まえて、両国における日米戦争回避をめざす政治家、経済人などの活動に注目します。

『論文・書評集 戦間期朝鮮経済史と反日種族主義批判2021年6月27日編集)
 この論文集第1部 戦間期朝鮮経済史研究の、論文「戦間期朝鮮企業論 - 日朝企業間のCollaboration」は、政府・朝鮮総督府統計だけではなく、日本企業の報告書や『大陸会社年鑑』などを活用し、朝鮮における日本企業と京城紡織をはじめとする朝鮮人企業の活動の実態を明らかにしました。
 これを踏まえて、エッカート、朱益鍾、木村光彦の各氏の著作を、第2部 反日種族主義に関する研究では、李栄薫編著『反日種族主義』と李宇衍論文などを検討しています。

これらの論文集は、すべて以下に掲載しています。新保博彦の日本語版Website TOPページ

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2021年9月16日木曜日

『新版画ー進化系UKIYO-Eの美』に出かけました

千葉市美術館所蔵 新版画ー進化系UKIYO-Eの美が、(2021年)9月15日(水)から27日(月)までの日程で、大阪高島屋 7階グランドホールで始まった。特に吉田博の作品に興味があり、ブログでも取り上げているので早速出かけた。

左は、展覧会の図録の表紙、川瀬巴水東京十二ヶ月 谷中の夕映である。川瀬巴水については、機会を改めて取り上げたい。

「新版画は、江戸時代に目覚ましい進化を遂げた浮世絵版画の技と美意識とを継承すべく、大正初年から昭和のはじめにかけて興隆したジャンル」とされる。今回の展覧会は、千葉市美術館が誇る約120点で構成され、小原古邨、伊東深水、川瀬巴水、山村耕花、吉川観方、小早川清、橋口五葉、吉田博、などの多数の作品が展示されている。

展覧会は、プロローグ 新版画誕生の背景、第1章 新版画、始まる、第2章 渡邊版の精華、第3章 渡邊庄三郎以外の版元の仕事、第4章 私家版の世界という構成となっている。

やはり私は、展示の最後に位置する吉田博の作品に注目した。まず、「雲井櫻」である。作品は53.9×70.7cmと大きい。「明治32年に吉田博が初めてアメリカで自作を展示した際、デトロイト美術館に唯一買い上げられた作品が同構図の水彩画であった。」「摺りに際しては版木と紙の収縮率の違いから木と花がずれてしまい、ふたりの摺師を使ってようやく摺りあげたと伝わる。」(展覧会図録からの引用、以下同じ)吉田博作品の、刷りの特別の多さはよく知られているが、作品に近寄って見てみると、桜の花と木のずれは見事に無く、重ね刷りの跡は見つからない。画集などではとてもわからない技術の高さには本当に驚いた。

次に、吉田博を代表する「渓流」である。「《雲井櫻》とともに、吉田博が制作した特大版6点のうちの1点。」この作品もまた、右の画像サイズではとてもわからない、水の表現の驚くべき多彩さとひとつひとつの精緻な動きが、実物からよくわかる。

私の以前のブログでは、「流れ落ちる水と渦巻く水が、信じられないような精細さで描かれている。水の音が聞こえてきそうである。」と書いた。実物を鑑賞して、改めてその感を強くした。

追記:これまで私が作成した吉田博についてのブログは以下の通りです。(2021.10.23)

『吉田博 全木版画集 増補新版』刊行される(2021年10月23日)没後70年 吉田博展(2019-21)、図録の紹介(2020年12月2日)『吉田博 全木版画集』(2017年1月9日)

「豊かに流れる黒髪の圧倒的な存在感や女性の清雅なたたずまいが印象的な、五葉の私家版を代表する1点。」橋口五葉髪梳ける女」である。

やはりこの画像からはわかりにくいが、豊かな黒髪の黒の鮮やかさと、髪の一本一本が見事に丁寧に描かれている。高島屋の展覧会ページでは、この画像よりも大きく掲載しているので、ぜひそちらも参照していただきたい。

橋口五葉のもうひとつの作品が夏衣の女。髪の表現は上と同じだが、こちらでは、夏衣に注目したい。黒の夏衣からは、女性の肌が透けて見える。この画をどのような技法で作成したのだろうか。図録に解説が無いのが大変残念である。

私はこの画を見て、『浮世絵の至宝 ボストン美術館秘蔵 スポルディング・コレクション名作選』にも掲載されている、喜多川歌麿「娘日時計」午ノ刻を思い出した。歌麿の作品は、版画の色が褪せて、その状態がよくわからないものが多いが、このコレクションの画は、確かに「女性が羽織った薄衣から白い肌が透けて見えている。」

最近の画集は大きく鮮明な印刷になっているが、やはり新版画や浮世絵は画集ではなく、現物に近寄って見ることで、その技術の高さが本当に味わえると思う。コロナ禍でなかなか外出がかなわない日々が続くが、混みそうな時間をうまく避けて、ぜひ出かけていただきたい展覧会である。

2021年8月22日日曜日

『一〇〇年前の世界一周』を見る、「すべてが不思議な国」日本

歴史を学ぶには、写真がとても便利である。ワルデマール・アベグ、ボリス・マルタン『一〇〇年前の世界一周』は、百年前の世界と日本を「見る」一冊である。ワルデマール・アベグが撮った写真と回想録に、ボリス・マルタンが文章を付け加えている。

 日経ナショナル ジオグラフィック社は次のように紹介している。「1905年、ひとりのドイツ人青年が世界を知る旅に出た。アメリカ、日本、朝鮮、中国、インドネシア、インド、スリランカなどを1年半かけて周遊、多くの写真を撮影した。とくに日露戦争直後に滞在した日本では、まったく異なる文化に感銘を受け、すっかり日本に魅了される。まだ世界が広かった時代、豊かな地域性を残した社会を旅した貴重な記録。大戦前の世界がいきいきとよみがえる。写真117点収録。」掲載された写真は大きくて美しく、とても見やすい。

目次は、以下の通りである。グランドツアー、大西洋:広がる水平線、新世界:いくつかの冒険、太平洋:宙に浮いた時間、極東:不思議に満ちた世界、インド洋:憂鬱な帰国、その後の世界である。
このブログでは、ワルデマールが特に興味を持った日本を中心に紹介したい。

まず、冒頭の1枚は、出発の船上の1枚、あふれんばかりの船客だが、そのあまりの数の多さに大丈夫かなと心配してしまう。
次の1枚は船の下のデッキの写真(省略)だが、「迫害や貧困を逃れる移民たちであふれていた」(21)との説明がある。いつの時代もこうして豊かな地域への移民が見られる。

最初の訪問地は、アメリカン・ドリームの前哨地である、ニューヨークの摩天楼だった。20世紀の冒頭に、すでに巨大なビル群が威容を誇っていた。アメリカでは、この後の訪問地のどこにも見られない近代化が進んでいた。
マルタンは書いている。「当時のヨーロッパ人はアメリカを「無限の可能性を持つ国」と呼んでいた。彼らが新大陸に対して、いかに大きな期待を抱いていたかがわかる。」(30)
ワルデマールは、その後アメリカ西部をめざし、途中、壮大なカナディアン・ロッキーにも立ち寄る。「新世界:いくつかの冒険」(25-100)は、アメリカ・カナダ編である。その後、太平洋に出て、ハワイに立ち寄る。「太平洋:宙に浮いた時間」(101-112)である。

極東:不思議に満ちた世界」(113-216)
の冒頭の1枚。極東の旅は、日本から始まる。この庭園がどこか記載が無いが、「ワルデマールは日本の美しさにとりこになった」(115)との説明がある。

下の写真は、表紙となった1枚。「九州の別府を訪れたとき、悪天候のためワルデマールは足止めを食うはめになった。そこでワルデマールは十七歳の芸者「コダマサン」と十五歳の舞妓「ヨボキチ」を席に呼んだ。」(136)そのときのものである。「二人の芸者の写真は私にとってこの上なく貴重なものだ。」(138)と回想している。

ワルデマールは、日本の様々な芸術作品に興味を持った。「ヨーロッパでジャポニスムの熱がわき起こってから数年がたっており、ロダン、モネ、ゴッホは歌麿北斎広重が描く浮世絵に夢中になった。ワルデマールもナカノに日本美術の手ほどきを受け、あらゆるジャンルに興味を持った。」(133)

「京都では七宝焼きの大家、並河靖之を訪れた。・・・ワルデマールは金筋入りの小さな香炉を買うことにした。」(133)並河靖之の作品は、すでにヨーロッパで大変な人気を博していた。
(浮世絵師や並河靖之については、私のブログでも何度も取り上げている。目次(作成日時順テーマごとの一覧をご覧ください)

日本の旅の最後のうちの1枚が、富士山である。「ワルデマールが日本と日本人に寄せた強い共感が写真に息吹を与え、浮世絵と写真のあいだに掛け橋を作ったかのようだ。確かに日本は「すべてが不思議な国」だった。」(138)

ワルデマールは、日本を出て、朝鮮、中国、シンガポール、インドネシア、ビルマ、インド、セイロンなどを旅し、インド洋、スエズ運河、地中海、アルプスを経由してドイツに帰った。
この時代には、本書と同様に貴重な旅行記が数多くある。イザベラ・バードの『朝鮮紀行』は紹介したが(上記の目次をご覧ごください、ハーバート・G・ポンティング 『英国人写真家の見た明治日本』、ハインリッヒ・シュリーマン『シュリーマン旅行記 清国・日本』は、改めて紹介したい。 本書を含むこれらの旅行記は、20世紀初頭の世界と日本を理解するのにとても役に立つ。

2021年7月30日金曜日

中国共産党100年、ぜひ読むべき2冊

今年(2021年)7月1日、中国共産党は創立100周年を祝った。この100年間に、中国共産党は中華人民共和国を成立させ、その独裁政権による強力な指導で、世界で第2番目の経済大国に成長した。しかし、中国共産党が犯した誤りと悲劇も、その成果に匹敵するほど重大であった。

整風運動と毛沢東思想の確立

中国共産党と毛沢東について、十余年にわたる調査と数百人におよぶ関係者へのインタビューにもとづいて、包括的に批判したのが、ユン・チアン、ジョン・ハリデイ『真説 毛沢東 誰も知らなかった実像』、講談社、2017年(Jung Chang and Jon Halliday, Mao: The Unknown Story, Anchor, 2005)である。

中国で毛沢東思想が確立したのは、1942年からの整風運動の直後だった。整風運動は、表向きは、「学風」、「党風」、「文風」の三風を整頓するという意味であったが、「整風運動がもたらした最大の成果は、国民党とのありとあらゆる関係が徹底的に明らかにされたことだった。毛沢東は「社交関係表」を作り「全員にあらゆる種類の社交関係を細大漏らさず書かせよ」と命じた。整風運動を終了するにあたって、当局は一人一人の党員に関する調査書類(檔案)をまとめた。」(ユン・チアン、ジョン・ハリデイ、6908、Kindle版での位置)

調査の対象とされたのは、王明をはじめ、のちに何度も批判の対象となる周恩来、彭徳懐、劉少奇など名だたる中国共産党の指導者たちが含まれていた。その結果、「整風運動以前の代表約五〇〇人のうち、半数はスパイの疑いをかけられて言語に絶する迫害を受けた。自殺した者もいれば、精神に破綻をきたした者もいた。多くが代表から外された。かわりに、毛沢東に対する忠誠の証明された新しい代表が何百人も任命された。」(7467)整風運動を通じて毛沢東は個人崇拝を確立し、毛沢東思想が共産党の指導理念となった。こうして、現在の共産党の原型が形成された。

コミンテルンとソ連から派遣され延安に滞在したピョートル・ウラジミロフ『延安日記』は、整風運動について次にように書いている。「延安では自殺するものが後を断たない。市中はまるで強制収容所のようだ。」(123)毛沢東による整風運動と同様の粛清は、スターリンの大粛清よりも前の1930-31年に始まり、共産党の歴史のあらゆる時期に、特に文化大革命と天安門事件を経て、今に至るまで続く。

この書籍と関連する文献、そしてアメリカの誤った対応については、私の「ローズヴェルトの対中政策と整風運動に関する文献の紹介」 論文で紹介しています。あわせてクリックしてご参照ください。

四千五百万人を死に追いやった大躍進(1958-62)

近代中国歴史上最も悲惨で、世界に類を見ない惨劇となった大躍進を明らかにしたのが、フランク・ディケーター『毛沢東の大飢饉: 史上最も悲惨で破壊的な人災 1958-1962』、草思社、2019年(Frank Dikötter, Mao's Great Famine: The History of China's Most Devastating Catastrophe, 1958-1962, Bloomsbury Publishing, 2010)である。

中華人民共和国が成立して十年も経っていない一九五八年から六二年にかけて、毛沢東は、十五年以内にイギリスに追いつき追い越すという、無謀な「大躍進」を開始した。この政策を担ったのが人民公社である。「河南省嵖岈(さが)山には、一九五八年二月に小麦一ヘクタール当たり四千二百キロを目標に掲げた全国初の人民公社(「スプートニク人民公社」と呼ばれた)が登場した。」(同書、96)その後、全国各地に人民公社が設立され、生産目標を競うことになった。「各公社では日常生活のあらゆる面が軍隊式に統制され、土地や労働を含むほぼすべてが集団化された。

この無謀な計画は期待された成果を生まなかっただけではなく、無理矢理大量に動員された農民の生活を破壊した。これらの事業の犠牲者である、「(雲南省陸良県で)飢餓による初めての死者が出たのは、一九五八年二月だった。六月には、あちこちで飢餓による浮腫(むくみ)の患者が現れ、千人が餓死した。」(87-8)このような事態が起こっているにもかかわらず、政府・共産党は穀物の輸出に力を入れた。「党は農村部の需要を無視した政治的な優先順位を決め、政府は契約の履行と国際的な評判を維持するために穀物輸出量を増やす決定を下した。こうした姿勢は、一九六〇年の「出口第一(何より輸出優先)」政策の採択に表れた。・・・こうした優先政策のつけは膨大な農民の死という形で回ってきた。」(233-4) 

大躍進と人民公社という無謀な政策、その結果として生じた大飢饉、この過程を推進したのは毛沢東であったが、一党独裁を維持する共産党内部では激しい対立と闘争、そして妥協と追随を伴っていた。毛沢東の推進する政策に反対する党員は「反党集団」「反党グループ」「右傾分子」「右派」として徹底的に排撃され追放された。

「中国において、一九五八年から六二年にかけて、少なくとも四千五百万人が本来避けられたはずの死を遂げたーこれが本書の見解である。」(15) しかし、「・・・たとえば、ポル・ポトやアドルフ・ヒットラー、ヨシフ・スターリンが引き起こした大惨劇に比べると、大躍進の真の姿はほとんど知られていない。」(14)ちなみに、ユン・チアン、ジョン・ハリデイは、大躍進の犠牲者を3800万人と推定している。(12082)

この書籍について詳しくは、私の書評 『毛沢東の大飢饉』」論文で紹介しています。あわせてクリックしてご参照ください。

中国ではその後、よく知られている文化大革命天安門事件が起こる。これらについての重要な文献は改めて紹介したい。

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2021年7月1日木曜日

藤田治彦『もっと知りたいウィリアム・モリスとアーツ&クラフツ』

ワクチン接種もようやく高齢者で進み、美術展も少しづつ開かれ始めた。今、奈良県立美術館では、特別展「ウィリアム・モリス 原風景でたどるデザインの軌跡 が開かれているので、久しぶりに出かけてきた。興味深い展覧会だったが、やや規模が小さく、モリスの全貌を知るのには必ずしも十分でないと感じた。
そこで、モリスのすべてを理解するために、とても優れた書籍だと思われる、藤田治彦『もっと知りたいウィリアム・モリスとアーツ&クラフツ』(東京美術、2009年)を紹介したい。
まず、目次は以下のとおりである。

はじめに 民衆の芸術を追究し芸術の新たな地平を開拓したモリス、第1章 若きモリスとアーツ&クラフツ前史─良き仲間たちとの出会い、特集▼ラファエル前派と後継者たち、第2章 生活に美と創造の喜びを─商会設立から改組まで、特集▼V&Aとモリス関連コレクション、第3章 理想の社会をめざして─環境保護運動への展開と社会主義、特集▼モリスとテムズ川、第4章 十人分を生きた晩年─アーツ&クラフツとケルムスコット・プレス、第5章 アーツ&クラフツ運動の広がり─ロンドン発の穏やかな世界革命とその理念、おわりに アーツ&クラフツ運動の歴史的位置づけ

ウイリアム・モリスは1834年に生まれた。第2章は、モリス27-41歳の幅広い作品を紹介している。ステンドグラス、家具、壁紙、染色、採飾手稿本などである。右は、モリス最高の絵付家具、聖ゲオルギウスのキャビネットである。「1862年ロンドン万博のためにモリス自身が絵付けした。・・・モリスによる絵付家具では最良の作である。」(27、数字は同書ページ数、以下同じ) すでにこの時期にモリスの多彩な作品を見ることができる。これらの作品を制作するために、1861年にモリス・マーシャル・フォークナー商会が創設された。

第3章では、モリス42-53歳の時期の作品が紹介される。壁紙、染色、タペストリーなどである。壁紙にはよく紹介される「るりはこべ」「セント・ジェイムズ」、そして左の「いちご泥棒」などがある。「インディゴ抜染の藍に赤(アリザリン)と黄色(ウェルド)を組み合わせた最初のテキスタイル。工程全体の完了には数日を要する〈いちご泥棒〉は、商会のコットン・プリントのなかで最も高価なものの一つになったが、最も人気のあるファブリックでもあった。」(49)第2章の時期には壁紙「アカンサス」がすでに発表されていたが、これらの作品はそれを受け継ぐものであった。
我が家にもいくつかモリス・デザインのものがあるが、そのひとつが、価格がそれほど高くなかった「いちご泥棒」のカーペットである。
第3章には、もうひとつ重要な作品群がある。タペストリーである。「第3回アーツ&クラフツ展出品の自信作」である「」は多数の動物や鳥を配置した、121.9×452.0(cm)の大作である。
右は、同じモチーフの、さまざまな生命を育む神秘と豊穣の森を表す「きつつき」(53)である。モリスの作品にしばしば登場するアカンサスの葉が中央の木に絡み、二羽の鳥が翼を休めている。

ところで、モリスは商会の活動を拡大するだけではなく、社会への関心を広げていった。古建築物保護協会を創設し、ラスキン、カーライルと活動を共にした。「八三年からは本格的に社会主義活動に参加する。しかし、モリスは労働組合や社会主義政党の結成をめざすような職業的社会主義者ではなかった。・・・ハマスミス社会主義協会というローカルな組織をつくり、活動を続けた。」(44)

モリスは、1896年に62歳で亡くなったが、第4章は54-62歳の晩年を対象にしている。晩年の重要な作品が、大型のテキスタイルや、ケムスコット・プレスの書籍群である。左は、「ヤコブ・デ・ヴォラギネ著『黄金伝説』」である。表紙、本文をデザインしただけではなく、この本のために書体「ゴールデン体」まで作られた。
今では、電子書籍が普及しているが、それは同時にデザインされた印刷版への関心も高め、この点でもモリスへの評価も高まるのではないだろうか。

第5章では、アーツ&クラフツ運動がヨーロッパ、アメリカそして日本に広がっており、日本の民藝運動もその一つであることが明らかにされている。

ところで、今モリスの作品は展覧会で見ることができるだけではなく、簡単に入手できる。住吉さやかさんは、「モリス商会消滅後、そのデザインはSanderson and Sons社Liberty of London社が買い取り「Morris & Co.」というブランド名で現在も販売されています。」と紹介されている。

以上のように、藤田治彦『もっと知りたいウィリアム・モリスとアーツ&クラフツ』は,80ページの書籍の中に、モリスのすべての時期の多くの作品と詳しい解説を満載している。モリス作品を愛用している人をはじめ、多く人に読んでいただきたいと思う。

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2021年6月5日土曜日

『神業の風景画』、原雅幸氏と森本草介氏の作品を中心に

最近出版された『神業の風景画 ホキ美術館コレクション』(芸術新聞社、2020年6月)から、原雅幸氏と森本草介氏の作品を中心に紹介したい。芸術新聞社刊行のホキ美術館コレクションには、他に『超写実の人物画』、『驚異の静物画』という画集がある。

目次は、以下の通り。1章 水のある景には、森本草介氏の風景観も含まれる。2章 自然の景で、野田弘志氏の風景観、3章 人の気配には、原雅幸氏の風景観を含む、巻末には、エッセイ「風景画の魅力」松井文恵がある。

本の作りは、大きく開いて見開きで見ることが出来るような製本になっているのはとてもありがたい。画集でも、意外にこのような製本になっていない場合が多い。残念なのは、個々の画の解説が無いことである。

まず、森本草介氏の「アリエー川の流れ」(6-7、数字は掲載ページ数)2013年,68.0*210.0cmである。森本氏の作品は、私のブログ「森本草介『光の方へ』」で、「光の方へ」、「未来」、田園」、ボルドーの香り」、「横になるポーズ」を紹介した。そのうちの風景画の代表作のひとつ「田園」と比較してみると、同じ淡いベージュ色の色調であるが、2mにもなる横幅で、静かに光る水面の拡がりが特徴的である。おそらくこの地域にも農業があり、人々の賑やかな日常生活があるはずだが、森本氏によると、アリエー川の静かな川面のような、静謐な世界が広がっている。

もうひとりの代表的な画家、原雅幸氏については、私のブログ「原雅幸 3枚の写実絵画 」で、写実絵画の新世紀 ホキ美術館コレクション』(別冊太陽、2016年)に掲載されているクリストファーロビンの聲」、モンテプルチアーノ」、羊のいる風景」という3つの作品を紹介した。『神業の風景画』からは、2つの作品を紹介したい。

まずひとつめが、「マナーハウス (82-3)、2012年, 60.7*91.2cmである。画集には説明が無いので、正確かどうかはわからないが、場所は原氏が住むスコットランドだろうか。スコットランドは降雪量がそれほど多くないので、雪がふんわりと降り積もっているという感じではない。私が注目したのは、広大な敷地の屋敷の入口が画面の中心で、「クリストファーロビンの聲」と同じように奥に向かって続く道という構図である。それは希望をさし示しているのだろうか?

もうひとつの作品が、「光る海(24-5), 2010年, 97.0*162.1cmである。これも画集に説明がないが、水田があるように見えるので、日本のどこかの農村のようである。ずっと遠くに光って見えるのが海で、それがタイトルの光る海だろうか。強い光が差し込み、海だけでなく、道路や小屋の屋根などを照らし出している。前回に紹介した3つの画と今回の2つの画とも、最も印象的なのは様々な角度と強さで差し込む光である。「光る海」では、光が全体を包み込むように感じる。画には時には動物が登場するが、人の姿は見られない。

原氏には、「原 雅幸 OIL PAINTINGS, WATERCOLOR PAINTINGS」というweb siteがある。多くの作品が掲載されているし、販売もされているので、ぜひ訪れていただきたい。なお、上記の作品の画像は、そのweb siteに掲載されているのを利用させていただいた。

『神業の風景画』から、森本氏や原氏以外にも紹介したい作品は、大畑稔浩氏『仰光ー霞ヶ浦』、同『苗名の滝』、同『早春(白い影)』や、この画集ではやや例外的な描き方をする石黒賢一郎氏のモノトーンの風景や、工場の風景などもあるが、紹介はまた機会を改めたい。

ところで、写実画と言っても、対象の選び方、画材などによる描き方などが、画家によって全く異なるので、それぞれの写実画は大きく異なる。『神業の風景画』に収められた多くの画家の作品もそれぞれとても個性的である。

しかし、『神業の風景画』あるいは日本の現在の写実画の共通点をあえて挙げるとすれば、ひとつひとつの対象が実に精緻に描かれているということではないだろうか。Scottish Galleryが原氏の作品を、the extraordinary super-realist artist (並外れた超写実主義の芸術家)と表現しているのは、海外の人々の率直な感想だと思われる。細部を徹底して精緻に仕上げるというのは、日本の伝統的な工芸作品や、現在の工業製品にも共通する特徴だと言えるだろう。Scottish GalleryのREALIST & LYRICAL LANDSCAPESという展覧会に出展している他の画家の作品と比較すると、その点がとてもよくわかる。なお、この展覧会のタイトルの、「写実的で叙情的」という表現はとても興味深い。

最後に、『神業の風景画』には、以上では紹介しきれない多数の画家たちの「神業」が、見開きで掲載されていて、風景を主題とする写実画を十分に味わうことができるので、改めてお薦めしたい。

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