「強まるバブル懸念の指標とバブル研究の古典(1)」では、現在のバブルの懸念を示す代表的な指標を紹介したが、(2)ではバブル研究の著名な古典を紹介したい。
まず、キンドルバーガー『熱狂、恐慌、崩壊 金融恐慌の歴史』(日本語訳、2004年)から始めよう。同書は3回翻訳されている。本論文が取り上げるのは、原書第4版MANIAS, PANICS AND CRASHES 4th ed. A History of Financial Crisesの翻訳である。第4版は、キンドルバーガー自身が著した最後の版である。2回目の翻訳となる。その後、第6版の翻訳が出た。『熱狂、恐慌、崩壊 (原著第6版) 金融危機の歴史』(日本語訳、2014年)である。第6版はR.Z.アリバーが加筆している。2021年12月27日月曜日
強まるバブル懸念の指標とバブル研究の古典(2)
強まるバブル懸念の指標とバブル研究の古典(1)
アメリカ株式市場では、バブルの懸念が強まっている。その現状と、バブル研究の古典について紹介した論文を、私のweb siteに掲載したが、その簡単な紹介を2回に分けて行いたい。
バブルの懸念が強まっていることを示す重要な指標のうち一つ目は、S&P 500 Cyclically Adjusted Price to Earnings Ratio(景気循環調整後の株価収益率(CAPEレシオ))だろう。2013年にノーベル経済学賞を受賞したロバート・シラー博士によって提案されたCAPEレシオは、株式の実際の株価収益率を反映している。計算式は、株価/ 10年間の平均インフレ調整後収益である。これらの主張に対する重要な反論は、私の論文を参照してください。論文では、もうひとつの指標である恐怖と欲望指数も取り上げた。
2021年の年末まで、アメリカの株式市場は、コロナ禍の落ち込みから急速に回復し、上昇を続けてきた。論文1節で紹介した3つの指数から、それらの指数が、過去と比較して非常に高く、バブルではないかとの危惧が拡がっている。もちろん、バブル説には、本文に紹介したような有力な反論もある。
以上の検討は市場全体の傾向であるが、一方で、市場の一部では、最近のIPO、例えば電気自動車メーカーのリビアンなどが上場後高騰するなど、異常な熱狂と興奮状態がなお見られる。しかし、他方で、調整も始まっている。バブル期初期に人気を博したキャシー・ウッド氏率いる米アーク・インベストメント・マネジメント(ARK Investment Management)の商品の価格が停滞している。
市場がさらに熱狂し続けるのか、それとも一時的あるいは本格的な調整が始まるのかは、上記の指数によっても正確な予想は難しい。ただ、確実なことは、各国での大幅な金融緩和の縮小、急激なインフレーション対して金利の引き上げなどを迫られているため、株式市場は何らかの調整が避けがたいと言えるだろう。
なお、私の論文は以下に掲載しています。「強まるバブル懸念の指標とバブル研究の古典」【2021年の論文】
論文「中国の監視社会と監視カメラ・顔認証企業」を、私のHPに掲載しました。
(新保博彦の政治・経済コラム(2021年11月15日掲載)から移動しました。2021.12.27)
論文「中国の監視社会と監視カメラ・顔認証企業」を、私のHPに掲載しました。 目次は以下の通りです。I 世界と中国の監視カメラ、2 中国の監視カメラ・顔認証企業、3 アメリカによる中国監視カメラ・顔認証企業への制裁、おわりに:監視社会化への対応
左の図は、「世界で最も監視されている20の都市–1,000人あたりのカメラ」で、最も監視されている都市は、中国の太原(山西省)で、10位以内に中国は8都市、中国以外は、ロンドンとインドのインドール。20都市を見ると、中国は16。これらの事実から、中国は、最も監視カメラによって監視されている社会であることがわかる。
論文「新型コロナウイルス感染症と中国製薬・バイオ企業」を、私のHPに掲載しました。
目次は以下の通りです。
はじめに、1 新型コロナウイルス感染症とワクチン開発、2 中国製薬・バイオテクノロジー企業、3 破壊的イノベーションとしてのワクチン開発
中国社会と企業の最近の動向をまとめた『論文集 超管理社会をめざす中国と中国企業』は、以下に掲載しています。【新保博彦の日本語版Website TOPページ】
2021年12月2日木曜日
吉田博の絵画、NIKKEI The STYLE「世界を駆けた画家夫妻」
日経による吉田博の経歴は次の通りである。「吉田博は、風景画の名匠として、明治・大正・昭和期に活躍した。1876年(明治9年)に現在の福岡県久留米市に生まれた博は、1902年(明治35年)に発足した太平洋画会の中心画家となり、水彩、油彩、版画の風景表現に大きな足跡を残した。・・・吉田ふじをは1887年、現在の福岡市出身で、洋画家、吉田嘉三郎の三女に生まれる。養子に入った博と、米欧旅行から帰国後の1907年に結婚。子育てをしながら、画業を続け、戦後は抽象絵画も発表、99歳で亡くなる数年前まで絵を描き続けた。」(ふじをについては改めて紹介したい、なお、「」は日経からの引用)
「養沢 西の橋」は、1896年に描かれた水彩画である。「西多摩、現在の東京都あきる野市にある渓流を描く。」渓流は博の版画作品でもしばしば取り上げられるテーマであるが、この絵では渓流が中心ではなく、緑に覆われた森を背景に、ごつごつとした岩をぬって流れる渓流が描かれている。
「霧の農家」は、1903年頃の水彩画である。「霧に包まれた農村の湿潤な大気と朦朧感の描出」と日経は特徴付けている。遠くにぼんやりと輝く日の光、その淡い光を受けて木々を写す水面などすべてが朦朧となっていて、水彩画という方法を見事に生かした表現ではないかと思われる。「米国の美術関係者を驚かせたのも、こうした繊細を極めた風景表現だったろう。」
『𠮷田博 全木版画集』に掲載されている水彩画は4点のみで、初期の上記2つの作品は掲載されていない。その意味で、NIKKEI The STYLEが紹介した作品は、𠮷田博のすべての仕事を理解する上で欠かせない作品となっている。
「『吉田博 全木版画集 増補新版』刊行される」(2021年10月23日)、「『新版画ー進化系UKIYO-Eの美』に出かけました」(2021年9月16日)、「没後70年 吉田博展(2019-21)、図録の紹介」(2020年12月2日)、「『吉田博 全木版画集』」(2017年1月9日)