2016年2月16日火曜日

投資の2つのバイブル(1): ウォール街のランダム・ウォーカー、A Random Walk Down Wall Street: The Time-Tested Strategy for Successful Investing

立春のここ数日気温が乱高下するように、日本の株式市場が乱高下している。こうした時にこそ、改めて投資についての基本的な著作を読むのが良いように思われる。このブログでは、投資のバイブルとしての評価が高い2つの著書を、できるだけそれぞれに沿って紹介したい。ただし、両書とも、論点は多岐にわたり、取り上げている資料も豊富なので、ここでは最も核心的な部分のみが取り上げられていると理解していただきたい。
また、これら著作は、実際の投資に役立つだけではなく、経済と市場の仕組み、現代の経済史などを理解するためにもとても役に立つ。ぜひお薦めしたい本である。

まず、バートン・マルキールの『ウォール街のランダム・ウォーカー 原著第10版』(A Random Walk Down Wall Street: The Time-Tested Strategy for Successful Investing)である。もうひとつはチャールズ・エリスの『敗者のゲーム 原著第6版』である。この2冊の著者は、経歴が違っているので、基本的な主張は共通しているが、取り上げている材料や叙述のスタイルが違う。その点の比較も興味深い。
マルキールは、1932年生まれ、現在はプリンストン大学教授、大統領経済諮問委員会委員、アメリカン証券取引所理事等を歴任、世界的な投信会社パンガード・グループなどの社外重役としても活躍している。一方、工リスは1937年生まれ、1972年グリニッジ・アソシエイツを設立。以後、30年にわたり代表パートナーとなり、2001年6月代表パートナーを退任。現在、ホワイトヘッド財団理事長である。

まず、マルキールは冒頭で、タイトルにあるランダム・ウォークとは、「「物事の過去の動きからは、将来の動きや方向性を予測することは不可能である」ということを意味する言葉である。」(19)と説明する。
第1部「株式と価値」の第2章から第4章は、チューリップ・バブルから始まる歴史的な検討である。とても興味深い章で、『敗者のゲーム』には無い章である。是非とも読んでいただきたいが、このブログではスペースが限られているので、別の機会に取り上げたい。

図はクリックすると拡大できます
第2部「プロの投資家の成績表」の最後の章で、投資信託の実績が歴史的に検証される。
右の図は、表2 株式投信上位20ファンドのその後の成績と、表3 90年代の花型ファンドの凋落状況、(231-2)を結合したものである。どの場合も最初の10年は、上位20ファンド平均が上回るが、その後S&P500平均が上位20ファンドを上回る。投資信託の設定数は非常に多いので、多くのファンドがS&P500平均を下回っていることが推測される。
厳密にこの図を見れば、上位20ファンドは十分健闘していると言える。ただし、著者も言っているように、それを個人投資家が見つけ出すのは至難の業ではある。

第3部「新しい投資テクノロジー」では、現代のポートフォリオ理論が検討される。この部分も研究者マルキールらしい章である。
「行動ファイナンス学派によれば、市場株価は実にあやふやなもので、株価が過剰反応することは例外的なことではなく、むしろいつもそうなのだ。その上、投資家は合理的に期待される行動から規則正しいパターンで逸脱し、非合理的な売買の聞には強い相関関係があると言うのだ。」このような主張に対して、著者は、「そういった非合理的な行動がもたらす株価形成上の歪みは、必ず合理的な投資家の裁定行為(アーピトラージ)によって矯正される」(293-4)と批判する.。

これらの批判を踏まえて著者は、市場の「効率性」を説明する。「それは何も「市場は常に正しい」ということではないのだ。私や他の効率市場論者の多くは、市場の効率性を論ずる時に主として次の二つの基準を重視している。第一は、市場が新しい投資情報をどの程度速やかに、かつ適切に織り込むかである。この点に関して市場は驚くほど迅速で、かつおおむね正しい。・・・第二の、より重要な基準は、金融市場全体について当てはまることだが、より大きなリスクをとらない限り、平均以上のリターンを得ることができない場合に、市場は効率的と言うのだ。」(333-4)

図はクリックすると拡大できます
第4部「ウォール街の歩き方」ではまず、4つの時代区分で見たアメリカの株と債券のリターンが比較される。この部分も第1部と同様の、詳細な歴史的な分析である。
表では、3つの時代で、普通株(S&P500)は、最もリターンが大きいが、2000年代の第Ⅳ期では、債券(高格付け,長期社債)を下回っている。また、第Ⅱ期では、普通株のリターンは物価上昇を下回っていることがわかる。(381)この事実から、著者は長期的な投資方針を立てることが必要だと主張している。

これらの検討を踏まえて、著者は本書を以下のような明解な結論で締めくくる。
「さて、ウォール街をどのように歩き出せばいいのか。それには、大別すると三通りの歩き方がある。私はそれを次のように呼ぶことにしたい。第一のアプローチは思考停止型の人の歩き方(No-Brainer Step)である。第二のアプローチは手作り型の人の歩き方(Do-It-Yourself Step)である。そして、最後のアプローチは専門家任せの歩き方(Substitute Player Step)である。
第一のアプローチをとる場合は、様々な資産クラスと同じ動きをするように設計された、いろいろなタイプのインデックス・ファンドを買うだけでいいのだ。」(432)
「どうしても自分で有望銘柄を探したいという人には(第2のアプローチの場合)、ポートフォリオの中心部分はインデックス・ファンドで運用し、残りを個別銘柄に賭けるという混合スタイルを強く勧めたい。」(454)

ところで、訳者の井手正介氏は、この本を推奨しつつ、日本の金融市場と企業の活動を踏まえて、「効率性の低い市場においても、インデックス・ファンドのメリットは大きいのだ。市場平均をそっくり持つ代わりに、パフェットにあやかってROEが高いのに低い評価しか得ていない「割安優良銘柄」、すなわち「バリュー株」を選んで、そのインデックス・ファンドを作ればいい。」(481)と提案されている。
日本の市場にあわせた非常に興味深い提案ではあるが、20%という比較的数が少ない株式が、高ROE、低PERと言う特徴に対して適切な評価を得ることができるかどうか、今後も検証していく必要があるだろう。このようなファンドが生まれ、市場での評価が高くなり、企業へのフィードバックが強くなり、企業活動の改善が図れればなお良いだろう。

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2016年2月4日木曜日

東洋経済とダイヤモンドの大学ランキング2015

恒例の大学ランキングが発表されている。『週刊東洋経済臨時増刊 本当に強い大学2015』(2015年5月27日号)と、『週刊ダイヤモンド』 2015年11月7日号である。それぞれが独自の立場で、有益なデータを公表している。

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まず、週刊東洋経済であるが、毎年発表されるランキングで重視してきたのは、「教育力」、「就職力」、「財務力」の三つだったが、今回「国際力」が加わった。各項目について2~4の指標を採用、計12指標を偏差値に換算し、その合計を平均したものを総合ポイントとしてランキングしている。
その結果、上位10位11大学に7旧帝大、早慶、そして青森中央学院大学と豊田工業大学がランクインした。どの力で各大学が評価されたのかが具体的にわからないが、4つの総合力で評価しているため、旧帝大や早慶が順当にランクインされた。一方で、青森中央学院大学では、14年に看護学部を設置し志願者が異常値といえるほど激増、高い外国人学生比率も寄与し、豊田工業大学では、就職率や自己資本比率の高さが際立つと言う。
財務力については、志願者数増減率(%}、経常利益率(2013年度、%)、自己努力収入比率(2013年度、%)、自己資本比率(2013年度、%)が検討されているが、必ずしも財務データとは言いにくい数値が含まれている。また、例年掲載される大学四季報は巻末にあるが、やや扱いが小さくなっている。詳細な財務データよりも、将来的な発展要因と一般の人々へのわかりやすさを狙った企画にシフトしていると言えるだろう。

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次に、刊ダイヤモンドである。同誌は、グローバル教育力、就職力、研究力の3つの指標を、それぞれ45, 30, 25点ずつで評価し、その合計点でランキングを作成している。上位10位には、7旧帝大と慶應大学(早稲田大学は11位)、東京工業大学と秋田の国際教養大学がランクインしている。図の通り、国際教養大学は、グローバル教育力が非常に評価が高い。
週刊ダイヤモンドは財務力が総合評価には含まれていないので、巻末で私立大学のみの財務力ランキングを掲載している。そこでは、収入(億円):帰属収入、利益率(%):(帰属収入ー消資支出)÷帰属収入、自己資金比率(%):(資産ー負債)÷資産が、それぞれ40, 30, 30点で評価され合計されている。その結果、帝京大学、聖路加国際大学、近畿大学、川崎医科大学、川崎医療福祉大学が上位を占めている。総合ランキングとの関係は明らかではない。

ところで、週刊東洋経済も指摘しているように、赤字に陥っている私学は、やや減少しているとは言え全私学の三分の一である。両誌は、この問題にももっと焦点を当てるべき、あるいは別に企画すべきだと思われる。ここで、経営的な危機に陥っている大学に対して、両誌の調査が示唆していることなどをまとめておきたい。
第1に、求められているのは、時代の変化に対応した特色ある大学作りである。週刊東洋経済の調査での青森中央学院大学、豊田工業大、週刊ダイヤモンドでの国際教養大学のように、他に例をみない大学・学部作りができれば、2つの大学のように東北地方という地理的なハンディを負っているにもかかわらず、旧帝大と競争できているのである。
第2に、両誌に対してを含め社会に積極的に情報を公開し、公開された情報を改革に生かすことも求められている。特に、経営危機に陥っている大学ほど、経営状態の正確な把握、詳細な財務諸表の公表が必要である。そして、経営改革を進めるためには、周辺企業の経営者、周辺自治体関係者、会計士、弁護士、コンサルタントなどの経営の専門家を積極的に経営に参加させるべきだろう。その結果、大学との直接の利害関係を持たない外部理事の比重を高め、内部関係者の比重を下げることは、一般の企業の場合と同様に不可欠な課題となっている。いわゆるガバナンス改革である。
第3に、そのようにしても、経営危機に陥った中小大学で単独での生き残りは非常に難しい。では何が可能か。大学が持つ経営資源の有効な活用をめざして大学間の連携を強化し大学の再編・統合をめざすことである。大学には研究や教育の重要な経営資源がある。図書館、IT関連設備、グラウンド、教室などはどこにでもあるその一例である。これらを共有する仕組みを作り、大学間の信頼関係を醸成し、連携から再編・統合への踏み出すことが必要だろう。これは、中小の大学の学生生活の充実や教職員の仕事環境の改善にも、直ちに貢献できると思われる。

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2016年1月26日火曜日

日本で戦前から活動する社会事業財団を紹介します。Japanese Foundations since the Inter-war Period

最近、私は日本を中心として戦前から活動する社会事業財団について調べているが、調査中にいただいた各財団の貴重な文献を簡単に紹介したい。いずれも貴重だが、残念ながら公共の図書館にはあまり所蔵されていない。

まず、戦前で個人が設立した最大の財団である原田積善会を紹介したい。1920年に左の写真の原田二郎が、1020万円を拠出して、最初の大型財団原田積善会が創設された。
「原田二郎は、1849年10月10日、松阪市殿町で同心(清一郎)の長男として生れた。東京に遊学ののち、大蔵省に勤め、31才で横浜の第74国立銀行(現在の横浜銀行の前身)の頭取となり手腕を発揮するが、事情があって職を辞し松阪に戻った。
その後37才で東京に居を移して療養生活(胸部疾患)を送ったのち、1902年54才の時、明治の元勲の一人である井上馨 の依頼を受け、家運の傾きかけた大阪の鴻池家とその経営する鴻池銀行(後の三和銀行の前身)の整理、再建に当った。
1919年に鴻池の建て直しに成功してその職を去ったが、翌1920年原田二郎家を絶家のうえ全財産を拠出し、積年の計画であった原田積善会を設立。その後10年間財団の代表者として運営に当ったが、1930年5月5日、82才で死去した。」(原田積善会HPより、一部省略、改行などの修正を加えた)

会の事業支出は、最初の年度の1920年には15.9万円であったが、年々増加し、1936年以降は年間100万円を超え、全年度の合計が2116万円に達した。当初の資産の2倍を超える規模となった。
会の資産は、1920年に1360万円であったが、10年後の1930年には2610万円、1943年には5000万円を超えている。3.7倍である。このような急増の背景には、積極的な投資活動があった。
原田積善会の壮大な事業そのものだけではなく、それを支える投資活動、さらには情報公開の適切さは、この会の創設者とそれを後継した人々の先駆的な精神と、当時のそれらを支える社会の特徴を良く表している。
右は、送っていただいた、原田積善会が刊行された『原田積善会90年のあゆみ』(2011年)である。会は何度も同様の資料を公刊されているが、これが最も新しい。なお、戦前の『財団法人原田積善会事業概要』などは、近代デジタルライブラリーで読むことができる。これらで、どのような事業が行われているかをご覧いただきたい。
また、私のWebsiteでの論文「日本の財団:戦前と戦後」でこれらを全体として検討しているので、ご参照ください。
(右上が森村市左衛門)
戦前から活動している財団としてはもうひとつ紹介しておきたいのが、森村豊明会である。
我が国最初の近代的財団は森村豊明会で、1914年に森村市左衛門の寄付で創設された。その創設には、直前のアメリカの財団の影響があると言う(林雄二郎・山岡義典 『日本の財団』、中公新書)。
森村豊明会は、日本女子大学教育学部とそれに付属する幼稚園と小学校の新設資金などの拠出を第1番目の寄付の対象とするなど活発に活動した。
「森村市左衛門は、1839年、江戸京橋で代々続く武具商の家に長男 として生まれました。
市左衛門は、弟の豊を慶応義塾で英学を学ばせ、1876年に豊を始め、大倉孫兵衛、廣瀬実栄、村井保固、新井領一郎、大倉和親らと共に森村組(現森村商事㈱)を設立して、1878年ニューヨークに森村ブラザーズを開き、日本の陶器を中心とする特産品を販売し、「正直・親切」の精神が認められ事業が拡大、其の後、1904年に日本陶器合名会社(現在の㈱ノリタケカンパニーリミテド)を設立。以降、陶業技術を活かして、衛生陶器、送電線の碍子、自動車のプラグなど、各分野に進出して現在のTOTO㈱、日本ガイシ㈱、日本特殊陶業㈱などの各社に発展しました。
晩年まで教育の重要性を説き、慶應義塾、北里大学などに継続的に寄付を続けるほか、森村学園を開校、日本銀行、第一生命、富士紡績等の設立に参画、晩年キリスト教の洗礼を受け各地で講演。1919年に80歳でその生涯を終えました。」(森村豊明会HPから、一部省略、改行などの修正を加えた)
右は、送っていただいた森村豊明会『マル木の礎 新訂版』(1996年)である。貴重な文献がいくつも掲載されているが、森村豊明会の活動を示す詳細な資料は、残念ながらあまり残されていない。

戦前の日本は、この二つをはじめとする財団が活発に活動していた。当時の日本は市場経済と市場中心型コーポレート・ガバナンスを発展させていたが、それとともにこのような企業家達の先駆的な社会事業を目的とする財団活動があったことを忘れてはならない。
私のWebsiteではこれらを順次検討しているが、このブログでもその結果を簡略に紹介して行きたい。


2016年1月10日日曜日

七十二候を味わう、 the seventy-two divisions of the four seasons

明けましておめでとうございます。今年も新保博彦のブログをよろしくお願いいたします。

新年にあたり、改めて七十二候と二十四節気について考えてみた。
七十二候(しちじゅうにこう、the seventy-two divisions of the four seasons)とは、「二十四節気の各節気を、初候・二候・三候に三分したもの」で、二十四節気(にじゅうしせっき、the 24 seasonal divisions of a year in the old lunar calendar)とは「太陰太陽暦で季節を正しく示すために設けた暦上の点。一太陽年を24等分し、立春から交互に節気・中気を設け、それぞれに名称を与えた。」ものである。

とは言ってもわかりにくいので、これを毎日の生活で理解できる3つの商品を紹介したい。
それぞれの画像はクリックすれば大きくなるので、ぜひ大きくしてご覧ください。


まずはじめに、『カレンダー2016 七十二候めくり 日本の歳時記 (ヤマケイカレンダー2016) 』である。
カレンダーなので毎日机やその他の場所で楽しめる。何より掲載されている写真が大きく秀逸である。
今日(1月10日)は、芹乃栄(せりすなわちさかう)で、「冷たい空気に身が引き締まるころ。清冽な水の流れるそばには、青々とした芹が育っています。」との説明が写真とともにある。



次に、2012年に初版が出版された、『日本の七十二候を楽しむ ―旧暦のある暮らし』である。これは本なので、カレンダーよりは2ページにわたる詳しい説明が並ぶ。
候のことば:春の七草、旬の日:つめきりの日、旬の行事:どんど焼き、旬の魚介:鱈(真鱈)などである。春の七草、鱈には絵も付いている。





これらの作品もとてもすばらしいが、持ち歩くのはやや大変である。スマートフォンで気軽に学べるもののひとつが、うつくしいくらしかた研究所の暦というページである。
ここでは、小寒(しょうかん)、第六十七候 せりすなわちさかうの説明はもちろん、旬のレシピ
ムール貝のパエリアの詳しい説明が載っている。
このページの最下段まで進めば、スマートフォン用のアプリがダウンロードできるようになっている。



10年ほど前になるが、客員研究員としてアメリカのUCSDに滞在している際に、英会話の教室に少しの期間通っていた。そこには、台湾や韓国の若い学生や研究者が熱心に参加していて、彼らとの交流はとても楽しかった。最後の時間に、私が日本を紹介する機会があり、日本には四季があり、日本人はその変化を感じ楽しみながら生活していると言ったことがある。
その気持ちは今も変わらないが、上のようなもので、毎日を味わっていけば、本当に生活が豊かになると思う。ぜひお薦めしたい。

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2015年12月21日月曜日

SSDを128GBから256GBに取り替える、このような単純な作業がWindows 8.1はできない

私が使っているPCのシステムが入っているCドライブのSSDの容量(128GB)が小さくなってきたので、256GBに取り替えたが、システムの復元がなかなかうまくいかなかった。そこで、その過程を以下で報告し参考にしていただきたい。今やSSDはPCの動作を速くするためには必須であり、この間価格もようやく下がってきたので、同じことを考えている人は少なくないと思う。

私のPCの状態は次の通り:Windows8.1(購入時には8だったがupgradeしている)、64ビット。

まず当然ながらWindows 8.1でシステムイメージを作成しドライブを復元する方法を試みた。
「コントロールパネル\システムとセキュリティ\ファイル履歴」で、システムイメージバックアップを行った。問題はこのときに、Microsoftは、このイメージを使って復元を行う際にどのような制約があるかを明らかにすべきであった。私は何も制約がないと思い、これを使って、入れ替えた容量の大きなSSDにシステムを復元した。その結果動作はしたが、以下の図(拡大して見れます)のようになり、Cドライブの容量を増加させることはできなかった。
Cドライブは元のサイズのままで、右から2つめの回復パーティションを挟んで、134GBもの未割り当て領域ができてしまっていた。これをCドライブと結合する方法をいろいろと試みたができなかった。

私自身の能力では無理かなと思って、Microsoft Communityに質問した。そのやりとりは、クリックしてご覧ください。

結局、解決策は見つからなかったので、MicrosoftのAnswer Deskに電話で問い合わせしたが、結局できないという返事だった。
できないなら、システムイメージバックアップを行う条件を明示すべきではないかと言ったが、適切な回答は無かった。Microsoft社にクレームの処理をして欲しいと言ったが、アメリカ本社に伝えますとのことだけだった。ITの巨人Microsoftの対応はこの程度のものかと本当にがっかりした。

Windowsを使ってのシステムイメージの作成と復元はあきらめ、「LB イメージバックアップ11 Pro」を購入して試みた。いくつか問題はあったが、Cドライブの拡張はうまくいき、今のところ問題なく作動している。
この程度の機能をWindowsが持っていない、サポートもまったく貧弱、問題発生後の対応もお粗末で、世界のPCの基本ソフトで高いシェアを誇るMicrosoftのもうひとつの側面を見せつけられた感じがした。巨額の利益を得ているのだから、その利益の一部をソフトウェアの改善、サポートの充実に振り向けて欲しいと思う。それこそが顧客志向なのではないか。

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2015年11月6日金曜日

ヴェネツィアと、ヴェネツィア展(名古屋ボストン美術館)に行ってきました。Venezia

ヴェネツィアに行ってきました。実はルネッサンス絵画を楽しむために、ヴェネツィアに入る前に、フィレンツェにも行ってきたのですが、以下のヴェネツィアの風景に圧倒されて、私の中ではフィレンツェがすっかり影が薄くなってしまいました。しかし、専門家の間では、フィレンツェは世界で第4位のすばらしい観光都市です。(月刊100万部を誇る旅行雑誌Travel+Leisureによる)


ヴェネツィアの中心地はやはりサンマルコ広場、これは夜の写真である。広場は一日中世界の観光客で夜遅くまで埋め尽くされていいる。
この広場を中心に政治を行ったヴェネツィア共和国は、伝説では421年に建国され、697年に最初の国家元首が選出され、1797年にナポレオンに滅ぼされるまで続いた。東地中海貿易を基盤にした海洋国家である。
国のあり方など日本も学ぶところの多い歴史的な国家である。


サンマルコからの対岸にはすばらしい景色が眺められる。まず左は、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂(1687年)である。

「大運河(カナル・グランデ)の入り口に建つ。水上からサン・マルコ広場への目印。1630~31年頃に共和国の守護者聖母マリアに捧げるために建設された。設計は口ンゲーナだが、聖堂が完成したのは彼の死から5年後のこと。ヴェネツィア・パロック様式最大の傑作。」(塩野七生・宮下規久朗『ヴェネツィア物語』、p.36)
この聖堂をを対岸に見ながら、波の音を聞きながらの食事はすばらしい。海には、ボートが浮かび、「イタリアで最も写真におさめられる場所となっている」と言う。

もう一方では、右の写真のように、サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂(1610年)が美しく眺められる。
「本島にもっとも近い対岸の島にあり、その名を冠した聖堂は、アンドレア・パラーディオの傑作として名高い。1565~1610年にかけて建造され、礼拝堂の正面と静謐な内部空間は、古代ローマの古典儀式を取り入れている。鐘楼に登ると町とラグーナの全景が一望できる。」(上記書、同ページ)

そして今やヴェネツィアを最も有名にしている、ヴェネツィアン・ガラスの拠点、ムラーノ島がある。
左の写真は、ムラーノ島の工房で、短時間のデモンストレーションで馬を作っているところ。これをみてすっかりヴェネツィアン・ガラスにとりつかれてしまい、ある小さな作品を購入したが、その結果幸運なことにおまけにこの馬をいただくことになった。
この工房を初め多数の作家が、新たな製品にチャレンジしている。



最後に楽しんだのが、フェニーチェ劇場だった。意外にも建物はそれほど大きくはなかった。

公演はプッチーニのトスカ、音楽は、Riccardo Frizza、トスカはSvetlana Kasyanだった。本場のオペラには、ヨーロッパ各国だけではなく、日本やアメリカからも多くの観客を得ていた。

このようにヴェネツィアはすばらしい世界的な観光都市である。しかし、サービスという点では、接客が良いとは必ずしも言えず、レストランの価格も円安という条件を考慮しても全般的に高く、観光客にやさしいとは言えないように思われた。

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帰国後。名古屋のボストン美術館でヴェネツィア展が行われていたので行ってきた。副題「魅惑の都市の500年」にふさわしい多様な作品が集められていた。ただ、ヴェネツィア派の画家であるティツィアーノ、ティントレット、ヴェロネーゼの作品が多数集められたということではないのが少し残念だった。

その代わり、モネの晩年の作品ヴェネツィアの運河(1908年)が展覧会を華やかにしていた。印象派のモネが、光あふれるヴェネツィアを描く最もふさわしい画家の一人だということを示す作品だと思われた。



そして、もう1点、展覧会の中でも特に目を引いたのが、右の作品、リーノ・タリアピエトラのガラス作品である。画像では見にくいかもしれないが、実に細い線の加工がガラス器全体にわたって施されていて、ヴェネツィア・ガラスの新たな世代の作品を楽しむことができる。これ以外には、彼のWeb siteで、すばらしい作品群が見られる。

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2015年10月15日木曜日

四国大学経営情報学部創設時メンバー4名が再会、2015年10月、Shikoku University

10月14日、四国大学経営情報学部創設時の4名が再び大阪に集まった。
残念ながら、逆光でやや見にくくなってしまったが、中央左が、田中先生、右端が竹内先生、中央右が澤江先生、左が新保である。
(写真はクリックしていただくと大きくなります)
昨年4月に同じメンバーで集まったので、1年半ぶりの再会である。
昨年もそうだったが、何よりも驚いたのは、86歳の田中先生、83歳の竹内先生が、昨年と全く変わらずお元気だったことである。耳が遠く鳴られて大きな声を出さないといけないということもなく、話の内容が混乱していたり、繰り返しであると言うこともなかった。
田中先生は、今でも時には自転車で各地を訪問されておられるが、なかでも東日本大震災の被災地を回られた経験を詳しくお話しになられた。ご友人とはオリンピックまでがんばろうと声を掛け合っているとのことだった。
竹内先生は、四国大学と甲子園大学で講義されていた内容を今どのように深められているかを熱心に語られた。ご専門の内容を詳しくわかりやすく、熱く語られる話しぶりは全く変わっておられない。なお、竹内先生の教え子の太田隼介さんのブログに竹内先生が書かれています。
本会の今年の圧巻は、わざわざ岡山から参加していただいた澤江先生のクラシック・ギターの演奏だった。大学生の頃から始められ、今ではハーモニカの演奏者とともに老人ホームを訪問されたり、大学祭で演奏されたりと活躍されているとのことである。

そして、四国大学創設時の佐藤久子理事長(四国大学の歴史のページへリンク)、当時の斉藤晴男学長(Wikipediaの情報へリンク)、経営情報学部の今居謹吾教授(教授のAmazonの著書のページへリンク)等の、私達を指導していただき、すでに故人となられた方々、また、創設時の多くの学生達を懐かしく思い出した。
おそらく、四国大学は地方の大学として、入学者の確保と教育に大変な苦労をされていると思い、今後のいっそうの発展を、全員で大阪から応援しようということで会は終了した。

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