2022年8月27日土曜日

ロシアのウクライナ侵攻に関する2つの論文集をまとめました

 ロシアのウクライナ侵攻以降に作成した、ロシアのウクライナ侵攻と対ロ経済制裁に関する論文と、その背景を探るため戦間期に遡って独ソ関係を検討した論文をまとめた、以下の2つの論文集をまとめました。ご参照いただけましたら幸いです。

「論文集 ロシアのウクライナ侵攻の背景と対ロ経済制裁」(「論文集 ロシアのウクライナ侵攻の背景:ロシア経済の停滞と、国家とオリガルヒの癒着」の増補改訂版)
 【論文集】(クリックすると論文が開きます)

目次
1 ウクライナ危機、2022年初頭:ロシア・ウクライナ両国の歴史と経済関係
2 プーチン政権と一体化するロシア国有企業群:ウクライナ侵攻の背景(第2版)
3 制裁で打撃を受けるロシア企業とオリガルヒ:先進国に依存するロシア企業とオリガルヒ
4 ソネンフェルド調査最新版におけるドイツ企業
5 ウクライナの対ロシア戦争の3つの領域:グローバル経済の下での対ロ経済制裁の意義
6 スナイダー『ブラッドランド』書評
7 コンクエスト『悲しみの収穫』書評

「論文集 戦間期における独ソとその周辺諸国の経済関係」
 【論文集】(クリックすると論文が開きます)

目次
I 誤りだった戦前の日独同盟:全く異質な日独経済システム(1)
II 誤りだった戦前の日独同盟:全く異質な日独経済システム(2)
III 一次産品輸出国としての戦間期ソ連
IV 独ソの狭間、東欧諸国の戦間期対外経済構造




2022年8月24日水曜日

『北斎クローズアップ』全4冊、「II 生きるものへのまなざし」

YouTubeチャンネルを開設しました。新保博彦のチャンネルです。以下の内容を含む「北斎の須佐之男命厄神退治之図と晩年の大作群」を作成しました。(2023.5.22)

前回に引き続き、『北斎クローズアップ』全4冊、「II 生きるものへのまなざし」を紹介したい。IIは、魚介、禽鳥、昆虫、動物、草花、などあらゆる生き物を描き尽くしたいという北斎の強い意志と多彩な技術が詰まった作品群である。このブログでは4つの作品に注目した。

最初の作品は、「蟹尽くし図」(絹本一面、フリーア美術館)。

「百匹以上もの大小さまざまな蟹が、水草の上を蟹(かい)行している。」(11、本書でのページ数、以下同じ)これだけの蟹が描き分けられているのに驚くが、砂浜、水中などの背景はほとんど描かれていない。

この図を見ると、伊藤若冲の貝甲図を思い出すが、北斎の図の方が背景がさらに抽象的である。

次に、「鯉亀図」(紙本一幅、一八一三年、埼玉県立歴史と民俗の博物館)右上が全図、その他は部分図。
「ゆったりと泳ぐ二尾の鯉の脇には、やはり二匹の亀が愛嬌たっぷりに描かれている。」(16)
こちらをじっと見つめる鯉の目、北斎の作品にはよく出てくる眼差しである。
やはりここで注目したいのは、水。水草の描き方は「蟹尽くし図」とよく似ているが、水の流れは全く非現実的で、鯉や亀の動きとも対応していない。

「流水に鴨図」(絹本一幅、一八四七年、大英博物館)
「縦長の画面全体を流水とし、番(つがい)の鴨を描いている。」雌はうっすらと描かれているだけだが、「雄は、西洋画にも通じる濃彩で、群青を用いるなどして羽毛の微妙な光沢を表わし」(31)ている。部分図でその緻密な描き方がよくわかる。
そして、やはり注目は水の流れ、鴨が実際に泳いでいる場所とは異なって急である。北斎は水の流れを自在に操っている。

最後に「桜に鷲図」(絹本一幅、一八四三年、氏家浮世絵コレクション)「流水に鴨図」と同様、北斎晩年の肉筆画。
「湧き水の落ちる岩場に、凜々しい鷲が羽を休め、その背後には山桜が咲き誇っている。」 先の鯉同様に眼光鋭い鷲と、上に伸びた枝に沿って微妙な濃淡を付けて咲く山桜が、対照的に描かれている。
ところで、同じ年に描かれている「雪中鷲図」(紙本彩色、摘水軒記念文化振興財団、本書には無い)は、描かれている季節は異なるが、鷲と全体の構図は、とてもよく似ている。連作になっているのだろうか。

本書には、以上の4つを含め79の作品が掲載されている。その他に、[特別付録]『肉筆画帖』、[特別付録解説]『肉筆画帖』制作事情と作品解説、[総論]北斎の閲歴と芸術[弐]が納められている。
『北斎クローズアップ』全4冊、「I 伝説と古典を描く」とともに、ぜひご参照ください。


2022年8月5日金曜日

『北斎クローズアップ』全4冊、「I 伝説と古典を描く」

YouTubeチャンネルを開設しました。新保博彦のチャンネルです。以下の内容を含む「北斎の須佐之男命厄神退治之図と晩年の大作群」を作成しました。(2023.5.22)

東京美術から永田生慈監修・著「北斎クローズアップ」全4冊が刊行されている。北斎の重要な作品群をテーマごとに、鮮明な画像で大きなサイズ(A4)の版で印刷されている貴重な画集である。全4冊を順に紹介したい。まずは「伝説と古典を描く」と題する第1巻である。第1巻には、晩年の貴重な、疫病と闘うというこれまでに無い意図を持った作品が、多数収録されていて興味深い。本ブログでは、私が特に注目した4つの作品を5つの画像で紹介したい。

一つ目は、「朱鍾馗(しゅしょうき)図」、絹本一幅、一八四六年、メトロポリタン美術館。(左は部分図)。
北斎八十七歳の制作である。鍾馗は中国で広く信仰された厄除けの神。鍾馗を朱描きにしているのは、「男児の疱瘡除けに効果のある色とされた」(本書p.8)からだという。同書p.6-7には、34-5歳頃の鍾馗図も掲載されている。
鍾馗の表情は、その朱色とともに、見るものに強烈に迫ってくる。


二つ目と三つ目の図は、「須佐之男命厄神退治図」、板額一面、一八四五年、牛島神社旧蔵(焼失)、(注意:この図は左図、次が右図)
この図は、「須佐之男命が厄神たちに、病や凶事を起こさぬよう誓約書をとっている図である。」(26)
この図は、私のブログの「北斎晩年最大の傑作、須佐之男命厄神退治之図 No.1」でも紹介したように、関東大震災で焼失したが、凸版印刷が墨田区の復元プロジェクトに参加し、当時の彩色された絵馬を原寸大で推定復元した。上記ブログの復元版(カラー画像)と比較参照していただきたい。
本書ほど拡大してみると、中央やや右上の白い装束を着た「須佐之男命」が、朱色と思われる服をまとい、腕には疱瘡の痕が見える疱瘡神、紫と思われる衣をまとった梅毒の厄神、風邪をはやらせる疫病神の風邪の神などと闘おうとしているのがわかる。
この時代に流行した病と闘いは、一つ目の作品と同様だが、北斎晩年の重要なテーマとなっている。

参考のため、3つの神の部分を切り取った、カラーの図を順に示してみた。白黒の図ではどれになるかおわかりいただけるでしょうか。


四つ目の作品は、「龍図」と「虎図」である。この二つの作品は、ともに紙本一幅で、一八四九年に制作され、龍図はフランスのギメ東洋美術館に、虎図は太田記念美術館が所蔵していたが、二〇〇六年に対幅であることが判明した。
龍と虎の視線が見事に相対しているので、対幅であることがよくわかる。龍と虎は並び立つ二大強者。天上から姿を現した龍は墨一色で描かれ、対照的に雨中の虎は色彩豊かに描かれている。


以上は第1部「信仰と伝説」での作品、最後に紹介するのは、第2部「孤児・物語」の作品、「雪中張飛図」(絹本一幅、一八四三年)である。
北斎最晩年の武人図。雪中とされているように、一面に粉雪が降っている中で、槍を抜いた武将が天空を見つめている。
ここまで紹介した作品の中でも、最も色彩が豊かで、緻密に描かれている作品のひとつのように思われる。左が詳細図であるが、傘の内部をはじめ、各部分が丁寧に描かれているのがわかる。

本書には、合計75作品とともに、特別付録:読本挿絵の世界、特別付録解説:北斎の読本挿絵と掲載作品の書誌、総論:北斎の閲歴と芸術[壱]も掲載されている。
なお、私のブログで関連する内容は、「疫病と闘い続ける北斎」にもある。あわせてご参照ください。


2022年7月18日月曜日

論文「誤りだった戦前の日独同盟:全く異質な日独経済システム」の紹介

ロシアのウクライナ侵攻は、人々にロシア(ソ連)とドイツ、そしてその狭間で生き残りに苦闘しているウクライナ、ポーランド、バルト3国などの、特に戦間期の歴史と経済に関心を向かわせている。まず、ナチス・ドイツであるが、その経済を理解するためには、日本と比較するのが良い。その比較を通じて、ドイツを正確に理解できるだけではなく、教科書的な理解とはとは全く異なる日本が見えてくる。論文は、「誤りだった戦前の日独同盟:全く異質な日独経済システム」で、以下はごく簡単な論文の紹介である。ぜひ論文そのものもあわせてご参照ください。【論文(1)(2)」統合版】←クリックしてください。

1 ドイツの対外経済構造

独日の比較は、対外経済構造について貿易と国際収支で行い、さらに国内の有価証券市場についても行う。ただし後者はスペースの都合で省略する。

以下の表はドイツの国際収支を簡略化して示している。(図自体も簡略にしている)貿易のうち輸出が最も多かったのは、1929年の137億マルクで、その年以降減少に転じ、特に1932年からは激減している。1934年の42.6億マルクは、1929年の1/3以下である。

次に重要なのは、長期資本取引である。1920年代後半は10億マルクを超える流入が継続し、利子支払いが大きいとは言え、ドイツ経済の復興に大いに貢献した。しかし、1931年以降は、恐慌に見舞われたアメリカからの流入が止まり、ドイツ経済は困難に陥る。

ナチスが政権を取って以降、生存圏構想が浮かび上がったものの、少なくとも長期資本取引の極端な減少のデータからは、相対的に優位な経済的地位にあるドイツから、生存圏とされる国々に投資が行われたとは言えず、投資全体が急激に縮小した。

ナチスは政権を確立して以降、国際収支のデータが示すように、貿易や資本の面で、世界経済との結びつきを弱め、独自の勢力圏の確立に向かって進もうとする。しかし、独自の勢力圏であるはずの東南欧の生存圏とされる国々との経済的な相互的な結びつきは強まってはいない。そうではなく、ドイツの政策は、周知のように周辺諸国を軍事的に支配しようとするものであった。

2 日本の対外経済構造

日本の貿易は、大恐慌の影響を受けて1930-34年には一時的な停滞がもたらされたが、その後急激な拡大を見せたことがわかる。
相手国別に見て注目すべきなのは、ナチス・ドイツとは異なって、アメリカとの極めて緊密な関係である。満州国、関東州、そして中国とも貿易が活発に行われており、この点もドイツが東南欧を中心とする周辺国を、主に軍事的に支配することをめざしていたのとは大きく異なっている。

日本は第1次世界大戦までには資本輸入国であったが、戦間期に輸出国に変わろうとしていた。長期資本については、本土ベースでは、戦間期では一貫して純流出であった。1930年代後半には、流出額で年平均約6.8億円の純流出にまで増大した。相手国・地域としては、朝鮮・台湾、そして満州・中国であった。

3 まとめ

以上の検討から、戦間期のドイツと日本の対外経済構造が、非常に異なっていることが明らかになった。ナチス・ドイツは、社会主義ソ連と同様に、内外にわたって経済の土台となる市場の機能を禁止あるいは制限し、対外的には閉鎖的・自給自足的な経済構造を構築しようとした。これに対して、日本では、市場が重要な役割を果たし続け、対外的な経済構造は、ますます対立が深刻になっていたアメリカや中国とも緊密な関係が続いていた。

日本の経済は、もともとドイツとの経済関係は緊密ではなく、経済構造も著しく異なっていた。これに対して、日米間の経済関係はますます深くなっており、また日米間では経済構造も企業活動も同じ特徴を持っていて、日米間の経済・政治関係を発展させることは、両国にとって非常に有意義な戦略だった。対米関係の強化・連携と比較して、日独伊三国同盟は、現実の経済とは乖離し、将来の発展も見通せない、非現実的な戦略だったと言わざるを得ない。

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2022年4月28日木曜日

『ガラス工芸家100人 現代日本の精鋭たち (別冊炎芸術) 』を紹介します

私のブログは、しばらくロシアのウクライナ侵攻を批判する記事を書いてきた。この野蛮な行為で、人間に対する信頼を失いそうになるが、以下のような素晴らしく創造的な作品群に親しむことができて、少しほっとできる。

『ガラス工芸家100人 現代日本の精鋭たち (別冊炎芸術) 』(2021年10月)を紹介したい。

まず、100人の作品の中で、私が最も注目したのは、山本茜さんの「源氏物語シリーズ 第三帖「空蝉」」である。

この作品は、「截金(きりかね)」という技法で作られていると言う。それは、「薄く伸ばした金箔を一定のかたちに切り、繊細な文様を生み出す工芸の伝統技法で、古くから仏像や仏画に用いられてきた。その截金を透明なガラスの中に浮遊するかのように封じ込めるのが「截金ガラス」」だという。(Vogueから)この作品を近くに寄って見てみると、細密な文様が、整然と並べられている。その繊細さに本当に驚いてしまう。

この作品は、その名称の通り、「『源氏物語』の奥深い世界観を作品として可視化」したものだと言う。(以下、括弧内の文章は『ガラス工芸家100人』から)

次に、川辺雅規さんの「硝子花器〈衣~koromo~〉」で、「吹きガラスという技法での作品制作」である。
何枚かのガラスを層を成すように重ねているのだろう、その重ねた部分の柔らかな曲線が、確かに衣のように見える。左側の「衣」と右側の「衣」が、それぞれ厚みの異なった曲線を描きながら重ねられている。また、外側の「衣」全体の淡い青色が、全体に優しく花を包み込む雰囲気を醸し出している。

川辺さんは、富山ガラス造形研究所や富山ガラス工房で仕事をされて来られたが、次の小島さんも富山に移り住んでおられるという。富山には、富山市ガラス美術館があり、ガラス工芸が盛んな街である。そればかりか、富山には、以前にこのブログでも紹介した富山県水墨美術館もあり、幅広い芸術活動が盛んな都市である。

最後に、小島有香子さんの「Layers of Light -Moon- #7」である。
「板ガラスを積層して削ることで模様や面の重なりが現れ、光を得てガラスの内に光の層ができ、それは見る方向によって印象が変化する。」
その技法について、富山ガラス作家協会のページでは、小島さんの技法を、「積層・研磨(板ガラスを接着して層にし、研磨によって造形)」とまとめている。
小島さんは、「満月の夜に、水面に映る月とさざ波」と書いているが、月明かりだけの夜に、さざ波が拡がっていくように見える幻想的な作品である。

本書は、100人の作家の作品紹介以外に、「ガラスを知る・見る・買う」として、「日本グラスアートの幕開け」(土田ルリ子(富山市ガラス美術館副館長))、「ガラスの技法」(古澤かおり/中島春香(富山市ガラス美術館学芸員))、「近現代ガラス関連美術館」、「ガラス工房・ギャラリー」のページがある。

100人もの日本を代表するガラス工芸家の作品を一度に見ることができる『ガラス工芸家100人』を、多くの読者にお薦めしたい。なお、Amazonの本書紹介ページでは、上の3人以外の10人の多彩な作品を紹介している。あわせて、ご参照ください。

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2022年4月9日土曜日

論文集『ロシアのウクライナ侵攻の背景 202204』を掲載しました。

『論文集 ロシアのウクライナ侵攻の背景 202204』(左は表紙)を掲載しました。

ここをクリックしてください。(私のWebsiteからもダウンロードできます)

掲載した論文3件と書評2件は以下の通りです。

1 ウクライナ危機、2022年初頭:ロシア・ウクライナ両国の歴史と経済関係(作成日時: 2022年2月15日)
2 プーチン政権と一体化するロシア国有企業群:ウクライナ侵攻の背景(第2版)(作成日時: 2022年3月11日、第2版:2022年3月24日)
3 制裁で打撃を受けるロシア企業とオリガルヒ:先進国に依存するロシア企業とオリガルヒ(作成日時: 2022年3月29日)
4 スナイダー『ブラッドランド』:ソ連によるウクライナでのジェノサイドを告発する(1)(2022年4月6日公開)
5 コンクエスト『悲しみの収穫』:ソ連によるウクライナでのジェノサイドを告発する(2)(2022年4月6日公開)

2022年4月6日水曜日

コンクエスト『悲しみの収穫』:ソ連によるウクライナでのジェノサイドを告発する(2)

前回のスナイダー『ブラッドランド』に引き続き、スターリンによるウクライナでのジェノサイドについてのもうひとつの研究である、ロバート・コンクエスト(Robert Conquest)『悲しみの収穫 - ウクライナ大飢饉』(原著"THE HARVEST OF SORROW"、1986年、白石治朗訳、2007年、ページ数は 638p)を紹介したい。
コンクエストは、1917年、イギリス生まれの優れたソヴィエト史家であり、詩人、小説家でもある。原著ではコンクエストは、スタンフォード大学フーバー研究所の東ヨーロッパコレクションのシニアリサーチフェローなどとして紹介されている。

同書は3部構成で、第一部 主役たちー党、農民、国家、第二部 農民蹂躙、第三部 飢饉テロである。本ブログは、主に第3部を紹介する。

この著作の課題についいて、コンクエストは次のように書いている。「一九二九年から一九三二年までの間に、スターリンの指導のもとでソヴィエト共産党が、・・・ソ連邦全体の農民にたいしておこなった二つの攻撃という点に絞られる。つまり、富農撲滅運動と農業集団化の二つである。」、「つぎに、一九三二年から三三年までの間では、ウクライナおよび主としてウクライナのクゥバーニ川方面で集団化された農民が辛酸をなめた飢饉テロについて述べる。それは、農民にたいしてその能力以上に穀物の供出を割当て、最後の一握りの食糧さえも取りたて、しかも外部からの、それもソ連邦の他の地域からの、飢餓を防ぐための支援を断ち切ったためにおきたことであった。」(12)

スターリンによる穀物徴発による飢餓と、ウクライナ民族主義の弾圧

1932年に入って本格的な穀物徴発が次々と行われるようになった。この年末には、「人々は、すでに餓死しつつあった。しかし、モスクワは、要求の手をゆるめるどころか、いまこそ飢餓によるテロの道に突入していった。」(373)「人々は、冬中、死につつあったが、報告書はどれもみんな、実際に大量死がはじまるのは、一九三三年三月の初めからとしている。」(405-6)そして、つぎつぎと人肉食いにまで陥っていた。その凄惨な様子は、第十二章が詳しく描き出している。この極限状態に至って、ようやく穀物徴発は緩められていった。

また同時に、これまでも、そしてこの飢餓の最中にも、飢餓の責任を負わせる形で、ウクライナ民族主義への弾圧は執拗に続けられた。ウクライナ民族主義の粛清は、その後も「全滅のウクライナ」をめざして続けられた。「ウクライナにおいてソ連邦がとった行動にジェノサイドの罪があることは確かであろう。この協定文を起草したラファエル・レムキン教授は、少なくともそのように考えていた。」(454)とコンクエストは言う。

子供達の犠牲(第15章)

コンクエストはこの飢饉で多くの犠牲者を出した子供達を特に取り上げている。子供達を死に追いやった飢餓の描写はさらに読むのが辛くなる。「無理のないところ、私の結論はこうである。七〇〇万人の餓死者のうち、およそ三〇〇万人が子供であり、それも主として小さな子供であった。」(492)

ワシントンのホロドモール犠牲者追悼碑
飢饉の死亡者数(第16章)

何度かの国勢調査や、後の人口調査などから導き出した、コンクエストの死亡者についての結論は次の通りである。「農民の死亡者、一九三〇~三七年:一、一〇〇万人、この時期に逮捕され、その後、強制収容所で死亡したもの:三五〇万人、計一、四五〇万人。この合計のうち、富農撲滅運動によって死亡したもの六五〇万人。カザフ人の悲劇で死亡したもの:一〇〇万人、一九三二~三三年の飢饉で死亡したもの、ウクライナにおけるもの:五〇〇万人、北カフカースにおけるもの:一〇〇万人、その他の地域におけるもの:一〇〇万人」。(507-8)

(上の画像は、ワシントンのホロドモール犠牲者追悼碑、「ホロドモール」は飢えを意味するホロド(holod)と、絶滅や抹殺を意味するモル(mor)の合成語である。」)

飢饉情報の隠蔽

飢饉の情報は様々なルートで西欧、アメリカに伝わっていた。しかし、「アメリカ合衆国は、当時、ソ連邦と国交を結んでおらず(一九三三年十一月まで)、国務省は国交樹立のための準備をするよう命じられていた。こうした背景のなか、飢饉テロにかんする報告は、当局によって無益なものと受けとめられていた。」(516)多くの人が隠蔽に関わったが、「最大の嘘つき」はニューヨーク・タイムズのW・デュランティで、彼は、「ソ連の欺瞞にたいする西ヨーロッパ最大の協力者として、スターリン自身をインタビューするとか、スターリンに称賛されるとか、あらゆる種類の特典を与えられていた。」(530)以上のコンクエストの指摘は、スナイダーのものとも一致する。

コンクエストの結論:飢饉の原因

コンクエストの飢饉の原因についての結論は、次の通りである。「一、飢饉は、スターリンとその仲間たちによる穀物のあまりにも過度の徴発にその原因があった。二、ウクライナの党のリーダーたちは、当初、スターリンとその仲間たちに徴発目標があまりにも高すぎることを明白にしていた。三、徴発目標は、それにも拘わらず飢餓が始まるまで強制されていた。四、ウクライナのリーダーたちは、スターリンとその仲間たちにこの点を指摘していたし、スターリンたちには他のものからも真実を知らされていた。五、それでも穀物の徴発は続けられた。」(546-7)

なお、エピローグでは、その後の推移が書かれている。その後、ウクライナの解体がめざされたが、ウクライナの自主独立を潰すことは一時的にしかできなかった。そして、コンクエストは次のように結ぶ。「ウクライナの自由は、世界全体の政治的、道徳的問題の鍵であり、鍵となるべきものである。」(578)1986年に書かれたこの言葉は、今そのまま生きている。

ロシアによるウクライナ侵攻:歴史は繰り返そうとしている

ソ連とロシアの専制がやや緩み、過去の政策の反省と修正が行われたのは、スターリン批判が行われた1956年からの一時期と、1980年代後半からのペレストロイカの時期である。これらの時期には、ソ連時代の犯罪を記録した文献も一部は公開された。しかし、2000年になると、ソ連KGB出身のプーチンが権力を掌握し、あらゆる批判を押さえ込んで、再びウクライナや周辺諸国を支配下に置こうとしてきた。歴史は繰り返されようとしている。


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