2013年11月23日土曜日

新しい論文:戦間期後半の対中投資、Japanese Companies and Investment in China during the Second Half of the Inter-war Period

Japanese Companies in East Asia: History and Prospectsを刊行して以来初めての論文をまとめた。Japanese Companies and Investment in China during the Second Half of the Inter-war Periodである。できるだけ海外の研究者にも読んでもらいたいと、最近は英語での刊行に力を入れているが、これもそのひとつである。
この論文を、私のHPの日本語版英語版で、参照していただけましたら幸いです。

ここでは、一般の人々向けに簡単に結論を説明したい。以下の結論の一部は、上記著作を含む、すでに刊行した私の著作のなかで検討されたものもある。

永安紡織印染公司
の資料
申新紗廠の資料
1 第1次世界大戦と第2次世界大戦の間となる戦間期には、中国では、上海などの都市を中心に市場経済が急速に成長してきた。
申新紗廠永安紡織印染公司などの優れた企業が、イギリス企業や日本企業と競争しながら、活発に活動していた。上海では、それらの企業も上場する証券市場である上海華商証券交易所が発達していた。

2 日本は1920年代以降、朝鮮、台湾、満州、中国に活発に投資してきた。日本の海外投資は以下のような特徴をもっている。
1) インフラストラクチャを中心にした、2) 新興財閥や独立企業群によって担われた、3) 主に国内の金融市場に基盤を置いていた、4) 独立性が高い企業群であった、5) 現地企業との活発な競争があった。

対中投資では、現代の直接投資と酷似している在華紡が早くから投資してきた。戦間期後半になると、国策会社である北支那開発や中支那振興による投資が中心になった。国策会社と言ってもその株式の半数は広範囲な株主が所有していた。これらの直接投資は、受け入れ国や地域の経済発展に大きく貢献してきた。

3 1937年の上海事変以来、日本と中国は全面的な戦争に突入した。しかし、そのような条件のもとでも、中国における市場経済の発展と日本の活発な対中投資は、中国と日本の間に、Collaboration (協調と協力)とAlliance (同盟と提携)の関係も生み出した。そのひとつの象徴的な組織が、全国商業統制総会である。最近になって、アメリカや日本において、Collaborationの研究が進みつつある。

4 戦間期の中国と日本の経済的な相互依存関係を理解することは、今後の日中関係がどのような方向に発展していくかについて、様々な示唆を与えていると思う。

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2013年11月21日木曜日

奈良公園の紅葉 2011.12.1-3, Colored Autumn Leaves in Nara Park

11月下旬から12月上旬頃には、奈良公園の紅葉がとても美しい。ただし、この季節には、人出も多くなるし、今年のように、晴れたと思ったらその後すぐに激しい雨など、天候が不順だとなかなか美しい写真が撮りにくい。
今年は、忙しさも相まって、今のところ一連の美しい写真が撮れていないので、とりあえず2011年12月4日のブログを改訂し、追加の写真を掲載することにした。
2013年11月21日現在、以下のようには紅葉・黄葉はまだ進んでいないようである。

東大寺ミュージアムから東へ、奈良公園の中心である奈良公園シルクロード交流館に向かって進むと、右手(南側)には真っ赤に染まった木々を見ながら歩くことになる。
(掲載している写真はクリックすると、すべて拡大されます)


そのちょうど反対側(北側)の森は、銀杏の葉とその落ち葉で、森全体が全く対照的に黄色に染まっている。






銀杏の葉に埋もれた地面を、春日大社の神の使いとされる鹿が無心に食んでいる。銀杏の葉と鹿のコントラストが何とも美しい。
向こうに見える建物は、奈良公園シルクロード交流館である。

ところで、近鉄奈良駅から東大寺に向かう途中で、紅葉が美しいので有名なのが、まず依水園である。若草山や東大寺が遠くに見える。
中には、「中国の古鏡・古印・碑帖、韓国の高麗・朝鮮時代の陶磁器、日本の江戸時代の茶陶磁類などを収蔵する」寧楽美術館がある




最後に依水園の隣にある、吉城園(よしきえん)である。意外に知られていないが、とても美しい茶室と庭がある。ここも紅葉が見事である。
「吉城園は、「興福寺古絵図」によると同寺の子院であります摩尼珠院(まにしゅいん)があったところとされています。明治に奈良晒で財を成した実業家の邸宅となり、大正8年(1919年)に現在の建物と庭園が作られました。」


最近、奈良がますます美しく賑やかになっている。JR奈良駅周辺も再開発が進んでいる。
旅館やレストランのメニューの偽装で、奈良のイメージがかなり傷ついたが、もっともっと多くの観光客が訪れてほしいと思う。

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