2つの論文は、私のHPからダウンロードできる、日本語版、英語版
いわゆる従軍慰安婦について、朝日新聞の報道がでたらめな情報に依拠していたことが、ようやく明らかになった。これを契機に、朝鮮史全体の再検討も始まることになるだろう。従軍慰安婦報道の訂正は、朝鮮史研究の一つの出発点に過ぎない。
私の上記の論文は、日本の朝鮮統治期における日本の海外投資、日本企業の活動と、日本企業と朝鮮企業とのCollaborationを明らかにした。
目次は以下の通りである。
1 戦間期朝鮮の代表的な企業、
2 朝鮮人系企業の発展と朝鮮人企業家の活躍、
3 京城紡織、
朝鮮で活躍した日本企業は、他の地域の日本企業と同様に、1) 株式は広く分散して所有され、主に市場から資金を調達する、2) 企業は株主に活動の成果を還元する、3) 企業の情報は積極的に公開する、市場中心型コーポレート・ガバナンスを持つ企業であった。
朝鮮窒素肥料 興南工場、Wikipedia |
建設中の水豊ダム、Wikipedia |
その傘下にある朝鮮鴨緑江水力発電と満州鴨緑江水力発電は、1937年に鴨緑江下流の平安北道新義州府の日満国境で、水豊(スプン、Supung)発電所の建設に着手し、1944年3月に竣工した。水豊発電所は出力10万kWの発電機を七つ持つ世界最大級の発電所であった。朝鮮に進出した日本企業は、朝鮮経済の発展と近代化に大きく貢献した。
多くの朝鮮人が日本企業の経営に参加していた。金秊洙、朴興植、韓相龍、閔奎植、閔大植、方義錫、玄俊鎬などの朝鮮人企業家が有名である。朝鮮人は株主としても重要な役割を担っていた。当然のことながら、朝鮮人が経営に参加する企業も、市場中心型コーポレート・ガバナンスを持っていた。朝鮮人経営者が中心の、朝鮮を代表する企業である京城紡織も同様であった。
本論文で取り上げた代表的な朝鮮人系企業には、一部の韓国人研究者が主張するような、民族資本や買弁資本は存在しなかった。朝鮮人が活躍の場を広げ、その結果経済発展をめざそうとすれば、日本企業とのCollaborationやAllianceを進めようとするのは当然の結果であった。戦間期の朝鮮人系企業の歩みは、後進国企業がめざす、最も一般的な歩みのひとつであった。
朝鮮人企業家の活動に注目したエッカートの優れた研究は、今でも朝鮮研究の出発点あるいは土台となっている。ただし、エッカートやエッカートを翻訳した朱益鍾は、両社に共通する市場中心型コーポレート・ガバナンスについては、残念ながら十分に検討していない。同時に、エッカートや朱益鍾が朝鮮殖産銀行を含む銀行の役割を過大に評価し過ぎている。さらに朱益鍾は、京城紡織の財務情報を検討しているが、それを日本企業と比較していないため、その最も重要な共通点についての評価が不十分であるように思われる。
戦間期朝鮮人企業の本格的な研究はますます広がりを見せるだろう。その結果、日本の投資、日本企業の活動の朝鮮経済の発展への貢献、日本企業と朝鮮とのCollaborationやAllianceが具体的に明らかになるだろう。
関連する私のブログ
・エッカート『日本帝国の申し子』、Carter J. Eckert, Offspring of Empire
・イザベラ・バード『朝鮮紀行』を読む (1)、Isabella Bird Bishop, Korea And Her Neighbours
・イザベラ・バード『朝鮮紀行』を読む (2)、Isabella Bird Bishop, Korea And Her Neighbours
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