この三部作で最も重要なのは、南満洲鉄道である。南満洲鉄道は戦間期日本で最大の企業であり、日本の海外進出企業でも最大の企業であった。その活動は、日本と満洲の経済発展に大きく貢献した。
私は南満洲鉄道について、Japanese Companies in East Asia: History and Prospects: Expanded and Revised Second Editionなど通じて検討してきたが、これらの研究とともに、写真や絵葉書などによる視覚的資料によって理解するのもとても良い方法のように思われる。
まず、三部作の目次の紹介である。
写真1 (Aより) |
第一部 満鉄本線の旅・大連~長春(新京)間、第二部 満洲国鉄の旅
第三部 東清(中東/北満)鉄路の旅、第四部 満鉄安奉線の旅・奉天~安東間
コラム 満洲の公共建築
高木宏之、潮書房光人社、2013年
(写真を見ていただく際のご注意:写真が原本の2ページにわたっている場合があります、以下でも同じ)
写真2 (Bより) |
第1部 SMR “Rolling Stock” Album、第2部 「あじあ」興隆の時代
第3部 日満の架け橋・鮮鉄
高木宏之、潮書房光人社、2012年
写真に見る満洲鉄道(C)
第1部 満鉄の車両と路線、第2部 鉄道以外の満鉄の事業
(付)独立守備隊
高木宏之、光人社、2010年
以下では、私なりに順序を変えて三部作の最も興味深い写真を紹介したい。第1回は南満洲鉄道関連の5枚である。
写真1:奉天駅のあじあ号
「奉天より内地宛に投函された絵葉書で、・・・画像は奉天駅第一ホームに到着したハルピン発上り12レ「あじあ」、牽引機はパシナ9(もと978、1934年川崎車両製)・・・。・・・撮影時期は機関車が改番後の1938~39年と思われる。」(「・・・」は三部作中の説明である)
あじあ号は南満洲鉄道が誇る特急であった。1934年には、あじあ号が、大連~新京間の 704.1kmを、当時の日本としては最速の最高時速120km/h(時には170km/hを記録)で走破した。なお、あじあ号の背景にある奉天駅にも注目したい。
「奉天より内地宛に投函された絵葉書で、・・・画像は奉天駅第一ホームに到着したハルピン発上り12レ「あじあ」、牽引機はパシナ9(もと978、1934年川崎車両製)・・・。・・・撮影時期は機関車が改番後の1938~39年と思われる。」(「・・・」は三部作中の説明である)
あじあ号は南満洲鉄道が誇る特急であった。1934年には、あじあ号が、大連~新京間の 704.1kmを、当時の日本としては最速の最高時速120km/h(時には170km/hを記録)で走破した。なお、あじあ号の背景にある奉天駅にも注目したい。
写真2:パシナ形のラストナンバー981
「パシナ形は合計12両で、970~ 972が1934年沙河口工場製、973~ 980が同年川崎製、981が1936年川崎製であった。981は他の11両と前頭形状が異なり、川西航空機における風洞実験にもとづく傾斜円筒面で、「ヘルメット形」と称された。」
「パシナ形は合計12両で、970~ 972が1934年沙河口工場製、973~ 980が同年川崎製、981が1936年川崎製であった。981は他の11両と前頭形状が異なり、川西航空機における風洞実験にもとづく傾斜円筒面で、「ヘルメット形」と称された。」
写真3 (Aより) |
写真3:あじあの豪華なる食堂車
あじあ号の客車は二重窓、空調完備で、写真は食堂車である。人々の表情から豊かな食事を静かに満喫していることが読み取れる。
あじあ号の客車は二重窓、空調完備で、写真は食堂車である。人々の表情から豊かな食事を静かに満喫していることが読み取れる。
写真4:沙河口汽車工場の壮観
「1929年頃の機関車職場内部の状況・・・。なお、1929年時点での同工場の年間製造能力は、機関車24両・客車48両・貨車600両、年間修繕能力は機関車240両・客車360両・貨車2.400両、従業員は日本人約1,200名・中国人約1,300名であった。」
写真4(Cより) |
現代では直接投資による現地生産を行うことは一般的であるが、南満洲鉄道はすでにこの時代に、日中協力して最先端の鉄道を現地生産していた。
写真5:満鉄直営大連ヤマトホテル
「新築の大連ヤマトホテルは、新市街の中央大広場に面した一等地に1909年6月に起工され、1914年3月に竣工した。建屋はネオ・ルネサンス様式による鉄骨レンガ・石材混造4階建で、正面にイオニア式の円柱8本を配した本絡的な西欧建築であった。絵葉書は1930年頃の撮影と思わ(れる)」
南満洲鉄道の事業は多角的に行われていた。傘下には、昭和製鋼所、満州化学工業、満州炭鉱、大連汽船、満州電業、南満州ガスなどの多彩な企業があり、そのうちのひとつがホテル経営であった。
高木宏之氏の三部作は上記のように、ひとつひとつの写真に詳しい注記があり、はじめてこれらに接する人々にも良く理解できるようになっている。これもまた三部作の重要な特徴となっている。
写真5 (Cより) |
「新築の大連ヤマトホテルは、新市街の中央大広場に面した一等地に1909年6月に起工され、1914年3月に竣工した。建屋はネオ・ルネサンス様式による鉄骨レンガ・石材混造4階建で、正面にイオニア式の円柱8本を配した本絡的な西欧建築であった。絵葉書は1930年頃の撮影と思わ(れる)」
南満洲鉄道の事業は多角的に行われていた。傘下には、昭和製鋼所、満州化学工業、満州炭鉱、大連汽船、満州電業、南満州ガスなどの多彩な企業があり、そのうちのひとつがホテル経営であった。
高木宏之氏の三部作は上記のように、ひとつひとつの写真に詳しい注記があり、はじめてこれらに接する人々にも良く理解できるようになっている。これもまた三部作の重要な特徴となっている。
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