2018年8月10日金曜日

佐川美術館「⽣誕110年 ⽥中⼀村展」


ビロウとアカショウビン
ビロウとコンロンカ
佐川美術館開館20周年記念の第⼆弾特別企画展として、「⽣誕110年 ⽥中⼀村展」が開催されていたので、とても楽しみにして出かけた。テレビでも同様の企画がいくつもあって関心が高まっていたのだろう。平日にもかかわらず多くの人々が参加していた。

まずは、美術館の壮大さに驚く。敷地面積が28,871.58平方メートル、建築面積が6,280.08平方メートルだという。それだけではなく、周囲が水で囲まれ建物が水に浮かんでいるようでとても美しい。

「⽣誕110年 ⽥中⼀村展」は4つの章に分かれていて、多数の作品が展示されていた。これらの一連の作品から、最後期の「奄美時代」にどう至ったかを見るというのが、今回の展覧会の大きなねらいだと言えるだろう。
第⼀章 ⻘少年時代、若き南画家(1915〜1930年︓7歳〜22歳)
第⼆章 千葉時代、新しい画⾵の模索(1931〜1946年︓23歳〜38歳)
第三章 ⼀村誕⽣(1947〜1957年︓39歳〜49歳)
第四章 奄美時代、旅⽴ちと新たなる始まり(1958〜1977年︓50歳〜69歳)

しかし、田中一村を長く見続けてきていない私には、まずは「奄美時代」の作品がどのような作品なのかをできるだけ多く見たいというのが率直な気持ちだったので、今回の展示にはやや不満が残った。期待が大きすぎたと言うことかもしれない。ともあれ、一村の理解には欠かせない、大矢鞆音氏の『もっと知りたい 田中一村』に依りながら(以下の作品名はこの書籍から採った)代表作を見ていきたい。

まず、ビロウとアカショウビン(1962、最上段左)と、ビロウとコンロンカ(1962-63、最上段右)である。大矢氏の書籍の表紙を飾る、ビロウとアカショウビンは奄美に渡って聞もない頃に描いた作品で、それまでとは非常に異なった対象を本格的に描いた象徴的な作品である。ただ、これまでに描かれた鳥たちと異なって、中央にとまっているアカショウビンはやや平板に見えるのはどうしてだろうか。
ビロウとコンロンカは、「枇榔樹の森に崑崙花」として展覧会場に掲げられている。画面いっぱいにピロウ樹があり、その中央に絹の白さを生かしたのコンロンカのがくが一面に描かれている。その白さは、レビュー作の「白い花」(1947)に通じる作品と言えるだろうか。「ビロウ樹、右手前から出る葉に「堀り塗り」の手法を用い、俵屋宗達の「牛図」、伊藤若冲の「菜蟲譜」などを想起させる意欲作だと言う。」(『もっと知りたい 田中一村』、p.77、以下同じ)

榕樹に虎みみづく
アダンの海辺の図
左は、榕樹に虎みみずく(昭和40年代)である。榕樹(ガジュマル)が画面いっぱいに拡がっているその最上部に虎みみずくがじっとこちらを見つめている。また、右中央のハマユウの花から強い光が放たれている。
大矢氏が書かれているように、「厚塗りの難しい絹本に、一気に描いていく画家のカを思う。」(81)他の作品でも同様だと思われた。

右はアダンの海辺の図(1969年)で、展覧会には「アダンの海辺」として飾られている。大きく成長したアダンと繊細に描かれた海岸、遠くまで見通せる奄美の海、高い雲、奄美の田中一村を象徴する作品だと思われる。

クワズイモとソテツ
本ブログに掲げる最後の作品が、クワズイモとソテツ(1974年)である。一村は、この作品とアダンの海辺の図を「閻魔大王への土産品一命かけた一作」(92)と呼んだという。彼が亡くなったのは1977年だったので、最晩年の作品である。
 (死亡した年の表記に誤りがありました。お詫びして訂正いたします)
何よりも最初にその色彩の豊かさに驚く。真っ赤なクワズイモの実が登場する。さまざまな方向に伸びるクワズイモの成長の力が、画面いっぱいにあふれている。
一村を日本のルソーとかゴーギャンなどと評価する人もいるが、そういう評価が生まれるのも納得する一枚だろう。

以上の5枚の作品だけでも、絵の対象、構図、色使いなどの描き方など、一村が奄美の自然の中でそのつど新たな世界を開いているように思われる。もし、彼がもう少し長生きできていたら、またひとつ違う世界が生み出されたのだろう。

水に取り囲まれた佐川美術館、そして田中一村の展覧会、さらに平⼭郁夫⽒、佐藤忠良⽒、樂吉左衞⾨⽒の作品も同時に見られるので、かなり混み合うので時間を選ばないといけないが、ぜひ多くの方が見に行かれることをおすすめしたい。

(ブログのTOP、ブログの目次, 新保博彦のホームページ)

2018年8月5日日曜日

『中国株二季報』でみる中国企業50社

私の私のWebsiteに、中国の代表的な企業50社について、『中国株二季報 2018年夏秋号』(DZHフィナンシャルリサーチ編)によってまとめた論文を掲載した。本ブログはその要約である。
なお、論文は『中国株二季報』でみる中国企業50社(最新中国企業分析(1))【論文】(クリックしてください)で読むことができます。

『中国株二季報』は2001年に創刊され、今では中国企業に投資する必須の文献のひとつとなっている。
最近激しさを増している、トランプ政権の対中貿易戦争を理解するためには、これらの文献によって、両国の経済を担っている代表的な企業の動向を捉えることが不可欠である。

その論文で取り上げた中国企業の50社は、4-Traders のChinaとHong Kongの株式時価総額順(2018年7月15日)の企業群に、『中国株二季報』に掲載された海外市場に上場している6社を追加した、時価総額順の上位50社である。

以下の表1は50社のうち上位10社のみを掲げている。中国最大の企業はインターネット通販の阿里巴巴集団控股有限公司(Alibaba Group Holding Ltd.)である。持株会社はもちろん、子会社のいくつかはタックス・ヘイブンのCayman Islandsで登録されていて、Cayman Islands企業として活動している。当然ながらその目的は節税や情報の秘匿であると思われる。
Alibabaの急激な発展を支えたのは、インターネット通販という新たな事業を確立したことであるが、何よりもそれを中国という巨大な市場で実現したことである。
Alibabaの事業は、CtoCのTaobao(淘宝網)、BtoCのTmall(天猫)が中核である。Alibabaの決済を担っているのは、新たに33%の株式を取得した 、Ant Financial Services(螞蟻金融服務集団)の傘下のAlipay(支付宝)である。SNSの新浪微博公司(Weibo Corp.)も傘下にある。
クリックすると拡大できます、次の図も同様です
Alibabaと並ぶ二強のもうひとつは、騰訊控股有限公司(Tencent Holdings Ltd.)である。Tencentは、対話アプリWeixin(微信、海外ではWeChat)やポータルサイトQQ.comを基盤にゲームやスマホ決済、動画配信などを展開している。
ところで、GoogleやFacebookは、世界で幅広く活動しているが、中国共産党政権はそれらの活動を認めていないため、その特殊な条件の下で、Tencentはその事業を急速に拡大している。TencentにおいてもAlibabaと同様に、個人情報を含むさまざまな情報は共産党政権が収集し監視している。監視は中国人と中国企業はもちろん、当然のことながら中国で生活する外国の個人、事業活動を行う外国企業にも及んでいる。それらの情報がどのように用いられているかは、今後中国国内だけではなく、世界の最も重要な問題のひとつとなるだろう。

上位10企業には、AlibabaとTencent以外では、金融・証券・保険の企業5社がずらりと並ぶ。中国工商銀行股份有限公司、中国建設銀行股份有限公司などである。それ以外では、石油・石炭の中国石油天然気股份有限公司、通信の中国移動有限公司が注目される。

次に中国企業にとっては非常に重要な各企業の筆頭株主について明らかにしてみたい。
その中で、最も共産党政権の強い影響下にあると思われるのが、中国の政府系ファンドとして有名な中国投資有限責任公司の傘下にある中央匯金投資有限責任公司が筆頭株主である4つの巨大銀行である。
これ以外に政府系企業は3社ある。
次に注目されるのは、中国特有の国有企業の支配である。国有企業だとみられる集団公司あるいは集団有限公司が筆頭株主になっている企業は17社ある。
以上をまとめると、共産党政権の影響力が強い企業を合計すると24社となる。中国・香港市場に上場し筆頭株主が示された論文が取り上げた41社の58.5%を占める。
その他では、一般の企業が親会社である企業(子会社)が7社、親会社が外国企業であるのは4社、個人や家族が所有しているいわゆる財閥企業は6社である。

論文の第2節は中国企業50社の産業構成を明らかにしている。最大の産業は金融・証券・保険で、第2位の産業が、IT・ソフトウエア産業である。後者の地位は、上記の通り急上昇しており、オールド・エコノミーとニュー・エコノミーとの競争がいちだんと活発になっている。
第3節は中国企業50社の財務情報を詳しく明らかにしているが、スペースの都合で、上位10社のみ掲載し、様々な興味深い事実を明らかにしているが、本ブログでは省略したい。論文を参照していただきたい。

このように、『中国株二季報』は、有力な中国企業を詳しく紹介している貴重な文献である。ぜひとも多くの方々が、この書を通じて、中国企業とその経済の理解を深めていただきたい。
また、あわせて前回のブログ「『米国会社四季報』でみるアメリカ企業100社」を読んでいただければ、アメリカ企業との比較もできる。



2018年7月10日火曜日

『米国会社四季報』でみるアメリカ企業100社

『米国会社四季報』が東洋経済新報社によって2014年に刊行が開始されて、今年は5年目になる。アメリカにおける情報技術の革新が急速に進み、その恩恵が我が国にも幅広く浸透し、アメリカ企業への関心が強まっている。また、アメリカ企業などへの直接に投資ができる証券会社も増え、有力な投資先としての意義と魅力も増してきている。

『米国会社四季報 2018春夏号』は、「注目企業」101社と「有力・成長企業」538社を掲載しているが、私は論文『米国会社四季報』でみるアメリカ企業100社 【論文】(クリックしてください)で、そのうち時価総額順に100社を選び、主要な情報を整理し、その特徴を明らかにした。

本論文で取り上げたアメリカ企業100社は、東洋経済ONLINEがまとめた、2018年4月13日の株式時価総額順による100社である。『米国会社四季報』での株式時価総額は2018年3月13日時点のものである。
論文末の付表1では100社を、本文中の表1では上位30社を一覧にした。掲載した項目は、Symbol、産業、時価総額(10億USドル)、創業年、上場市場、各Indexへの採用、PER、株主(機関投資家、その他一般株主)である。
下の表は、表1および付表1のうち上位10社と、100社の最大値、最小値、平均値である。
(クリックすると表は拡大できます、次の表も同様です)

以下では主な検討結果を簡単に紹介して行きたい。
・しばしば指摘されるように、100社の上位にはFAANG株の企業が並ぶ。F(Facebook)、A(Apple)、A(Amazon)、N(Netflix, 36位)、G(Google, Alphabet)である。
・PERの100社平均は42.56である。アメリカ企業の平均が20倍前後と言われているので、100社平均はほぼその2倍となっている。分布をみると、一桁が7社、10台が28社、20台が33社、30台が12社、40台が4社、50台が5社、それ以上が11社もある。
・アメリカ市場での機関投資家の比重は高まっていく傾向にあるが、「有力・成長企業」を除く68社の平均は71.0%を超えている。
・アメリカ企業100社の最大の産業はソフトウエア・サービスで、それに属する企業は12社、株式時価総額は100社合計の20.2%に達する。第2の産業は、医薬・バイオ・ライフサイエンスで、11社からなり、時価総額は100社計の9.4%である。
・これに対して、従来アメリカ企業の中心であった、銀行やエネルギー、自動車などの産業の地位は低下している。アメリカの自動車3社は100社にランクインしていない。

次に、全100社を付表3で、上位30社を表3で一覧にする。取り上げるのは、売上高(2017、2013年度)、希薄化後1株利益(2017、2013年度)、自己資本比率、フリーCF、ROE、研究開発費、100社の最大値、最小値、平均値である。
下の表は、表3および付表3のうち上位10社と、100社の最大値、最小値、平均値である。














・売上高増加率(2017年度と2013年度の比較、年率)が最も高いのは、Facebook Incの50.66%である。79億ドルから407億ドルに増加した。希薄化後1株利益の増加率(2017年度と2013年度の比較、年率)では、Starbucks Corp の274.64%が最も高い。絶対額は小さいが、1000万ドルから19.7億ドルへの増加である。
・自己資本比率は、100社では32.96%であるが、金融と非金融では大きな差がある。金融の銀行6社と各種金融6社の平均は13.02%である。
・「フリーCF」は事業活動によって得たキャッシュから事業を継続するための資金を差し引いたもの」である。フリーCFが100億ドルを超える企業は17社ある。最も多いのはApple Incの388億ドル、Alphabet Incの234億ドルが続く。
・ROEは、100社のうちデータが無い34社を除く66社の平均で56.96である。日本企業が改革を通して模索している目標が10なので、上位企業の数値とは言えはるかに高い。
・研究開発費が100億ドルを超す企業は6社で、Amazon.com Incの226億ドル、Alphabet Incの166億ドル、Intel Corpの131億ドルが上位3社である。

なお、論文では、アメリカ市場の30ETF(Exchange Traded Funds)の紹介も試みているが、スペースの都合で割愛する。
このように、『米国会社四季報』は、有力なアメリカ企業を詳しく紹介している貴重な文献である。ぜひとも多くの方々が、この書を通じて、アメリカと言う国、アメリカ経済の理解を進め、アメリカへの投資のために活用していただきたい。

(ブログのTOP、ブログの目次, 新保博彦のホームページ)

2018年6月21日木曜日

木村光彦『日本統治下の朝鮮』を読む(2)

前回に続き、木村光彦『日本統治下の朝鮮』の第4章以降を紹介したい。なお、この著作の書評を、私のWebsiteにやや長文で掲載したが、以下はその要約(後半部)である。
 掲載した書評の完全版は、書評「木村光彦『日本統治下の朝鮮』を読む」【論文】(ここをクリック)していただいても読めます。

第4章では、日中戦争から帝国崩壊までの時期について、「1 総督府の膨張」では総督府の財政を、「2 食糧増産計画と農業統制」では食料生産の状況を具体的に示した。「4 軍事工業化―総力戦に不可欠な領域化」では、希少鉱物とその用途、製鉄所、軽金属工業、肥料・化学材料その他について詳しく紹介している。この過程のすべてで、野口遵の日本窒素をはじめとする多数の日本企業が活躍していることが改めて詳細に紹介されている。最後に帝国日本全体と朝鮮の1944年末の基礎資材生産能力をまとめている。

(水豊ダム、Wikipedia)
そして、「5 朝鮮の「戦争経済」とは」では、「・・・戦時期、域内の工業成長によって自給度が高まった。朝鮮史の研究者の間では、朝鮮経済は戦時期、内地経済にいっそう従属するようになったという見解が多くみられる。しかし実際は、むしろ逆であった。」(166)という結論が導かれる。
さらに注目すべきなのは、「他方、「鮮満一如」が謳(うた)われたように、朝鮮と満洲の経済的結びつきが強まった。」(166)事実である。水豊ダムの例は最も大規模な事例だが、他にも京城紡織の金秊洙が南満紡績を設立し、満洲で活躍したという事実があることも私の著作では強調した。

世界最大の鴨緑江水力発電機(東芝未来科学館)
第5章の「2 戦時期との連続・断絶」で、木村氏は、「北朝鮮の連続性、南朝鮮の非連続性」という特徴付けを、3つの南北比較で試みている。北朝鮮には、全体主義というイデオロギー、統制経済、軍事化という特徴が付けられ、それは日本統治下の北朝鮮から受けついだとされている。

わかりやすい類推ではあるが、私はこの結論について、木村氏の第5章までの分析や、それへの私の補足とは対立するばかりか、戦前日本の経済と企業について誤解を招く表現だと指摘しておきたい。確認しなければならないのは、野口遵が率いる日本窒素など日本企業などによる、市場を基礎とする企業活動は、拠点を北朝鮮に置いており、北朝鮮から朝鮮をけん引していたという事実である。また、これらの日本企業の電力・化学などを中核とする産業構成は、必ずしも軍事産業とは言えない。これに対して、北朝鮮の全体主義というイデオロギー、統制経済、軍事化からなる社会主義経済と、それを支える国有企業は、ソ連とその支援を受けた現在の北朝鮮指導部によって外部から軍事的・強制的に持ち込まれたものであり、日本の遺産を「継承」したのではない。

終章では、貿易、投資、人の移動などで順に、朝鮮統治の結果が検証されている。なかでも興味深いのは、「投資は内地に巨額の利益を生んだか」の箇所である。
「内地人投資者は対朝鮮投資から高利潤を上げたといわれる。」しかし、「朝鮮の対外投資収益支払額(すべて内地向けとみなす)は一九三〇年代、内地の国民所得の〇・五%未満、非農業部門の財産(利潤・利子)所得に対しても、一・五%未満にすぎない(表6-3)」(197-8)この低さは、当時の朝鮮在住の日本人はいうまでもなく、在朝鮮日本企業が得た収益の多くを朝鮮に再投資していたことを表している。日本は対朝鮮投資の利益の多くを内地に環流させたわけではなかった。
そして、以下のまとめで本書が締めくくられる。「総合的にみれば、日本は朝鮮を、比較的低コストで巧みに統治したといえよう。巧みに、というのは、治安の維持に成功するとともに経済成長(近代化と言い換えてもよい)を促進したからである。」(202)

木村光彦氏の実証主義に徹した朝鮮論による『日本統治下の朝鮮』は、日本統治下の朝鮮経済を理解するため基礎的な事実を広範囲に明らかにした。今後、この課題を考えるための基本的な著作となるだろう。新書という形式でもあり、多くの専門家ではない読者に幅広く読まれることを期待したい。イデオロギーや民族感情、政治的配慮ではなく、実証主義に徹した歴史研究こそが、日本と韓国・北朝鮮の関係を抜本的に改善する基礎である。

木村光彦『日本統治下の朝鮮』を読む(1)

日本統治下朝鮮の経済についての画期的な著作が刊行された。木村光彦『日本統治下の朝鮮 統計と実証研究は何を語るか』、中公新書、2018年4月25日発行である。この著作の書評を、私のWebsiteにやや長文で掲載したが、以下はその要約である。
 掲載した書評の完全版は、書評「木村光彦『日本統治下の朝鮮』を読む」【論文】(ここをクリック)していただいても読めます。

木村氏の著作のねらいは、「まえがき」の次の一節に簡潔明瞭に要約されている。「本書ではそのような[共産主義思想](この[ ]は新保による補足を示す)イデオロギーを排し、実証主義に徹した朝鮮論を提示したい。論点は経済にしぼる。幸い、近年、この分野の研究は長足の進歩をとげ、かつての見解を一変させる議論も登場している。それは、統計データの整備・分析の進展によるところが大きい」(iv、数字はページ数、以下同じ)

目次は以下の通りである。
まえがき
序章 韓国併合時―一九一〇年代初期の状態とは
第1章 日本の統治政策―財政の視点から
第2章 近代産業の発展―非農業への急速な移行
第3章 「貧困化」説の検証
第4章 戦時経済の急展開―日中戦争から帝国崩壊まで
第5章 北朝鮮・韓国への継承―帝国の遺産
終章 朝鮮統治から日本は何を得たのか

野口遵(Wikipediaより)
以下では重要な章を、2回のブログに分けて詳しく紹介したい。
第2章は、「1 農業生産の増加―貨幣経済の進展」から始まり、最も重要な箇所のひとつである「2 鉱工業の高成長―未開発からの勃興」に進む。
この節で最も注目されるのは、近代産業発展の担い手となった、様々な分野の日本企業、なかでも野口遵と日本窒素の活動の紹介である。 それは内地にも見られなかった大規模な事業で、以下の節で詳説されているように、朝鮮半島の経済を一気に世界的なレベルに高めた。
日本窒素の子会社朝鮮窒素(Wikipediaより)

次節に以下の様な適切な記述がある。「比較経済史の観点からみると、工業化の進展は、欧米の植民地にはない特異なものであった。とくに、本国にも存在しない巨大水力発電所やそれに依拠する大規模工場群の建設は、日本の朝鮮統治と欧米の植民地統治の違いを際立たせる。」(85)「野口遵による大規模電源開発と化学工業」「世界的化学コンビナートの出現」「野口のさらなる事業展開」(73-78)、さらに第4章「電源開発―水豊ダム」(127-8)をぜひ参照していただきたい。

ところで私は、私の著作Japanese Companies in East Asia: History and Prospects: Expanded and Revised Second Editionで、日本窒素などの新興財閥の企業形態が、金融市場に基盤を置く市場中心型コーポレート・ガバナンスの企業であったこと、その特徴を持つ企業は、市場の幅広い株主から資金を調達し、利益の多くを株主に還元する企業だったことを明らかにした。この企業形態は、社会主義国では大部分を占め、発展途上国では支配的な企業形態である国有企業とは全く異なっていた。

第2章にはもうひとつ注目すべき節がある。「3 驚異的な発展と朝鮮人の参画」である。「ここでとりわけ強調すべきは、産業発展に被統治者の朝鮮人が広く関与したことである。・・・。驚異的な発展は、統治側・被統治側の双方の力が結合して起こったのである。」(85)
この点について詳しくはエッカートの『日本帝国の申し子』を参照していただき、さらに多数の朝鮮人企業について詳しくは私の著作を参照していただきたい。

すでにみたような急速な経済発展があれば、全体としてみれば、朝鮮人の賃金も上昇し、生活水準も改善すると予想される。木村氏は、第3章で、小作農の増加、食料消費量と身長の変化から、それを捉えようとした。

2018年5月25日金曜日

ボストン美術館浮世絵名品展 鈴木春信

「ボストン美術館浮世絵名品展 鈴木春信」(あべのハルカス美術館)に行ってきた。予想外に入場者が多く、男性も多いのは少し驚いた。浮世絵や春信に対する関心が急速に高まっているのを感じることができた。

「ボストン美術館には、600点以上の春信作品が所蔵され、世界一のコレクションを誇ります。このうちの半数以上を占めるスポルディング・コレクションは門外不出、たとえボストン美術館であっても展示されることはありません。今回はそれと並ぶ質量を誇るビゲロー・コレクションより選りすぐりの作品を展示します。」(展覧会HP、かっこ付き文書は以下同じ)



展覧会は次のような構成になっていた。

第1章は絵暦交換会の流行と錦絵の誕生、第2-4章は以下の通り、第5章は江戸の今を描くで、春信に前後する作家の作品も展示されている。以下で、3つの章の代表作を紹介したい。

第2章 絵を読む楽しみ
《見立玉虫 屋島の合戦》(1766-67年頃、左の上段)
「屋島の合戦において那須与一が、平家方の官女玉虫の誘いを察し船上の扇を見事射抜いたという物語が原典」
春信の作品の特徴のひとつは、古典や故事に倣って制作することである。それが多くの人に人気を博した理由かもしれない。

第3章 江戸の恋人たち
《寄菊 夜菊を折り取る男女》(1769-70年頃、左の中段)
「闇夜にまぎれて菊の花をとろうとする若衆が、灯火を差し掛ける若い娘と目を合わせています。」

このページ下段で紹介する「夜の萩」と同様のモチーフで、若い男女の恋の、春信独特の世界が描かれている。

第4章 日常を愛おしむ
《五常 智》(1767年、左の下段)
「手習いの少女たち。江戸時代は子どもの教育に熱心で、男女問わず識字率は高かったといいます。」
春信の作品には、当時の人々の日常の生活を丁寧に描いている作品が多く、この作品を通して当時の生活が、意外に現代に近いことに気がつかされる。

ところで、春信の代表作は以上に止まらない。スポルディング・コレクション (Spaulding Collection, Museum of Fine Arts, Boston) が所蔵している「雪中相合傘」は有名である。

小林忠氏は、「浮世絵の至宝 ボストン美術館秘蔵 スポルディング・コレクション名作選」(小学館、2009年)で、「降りしきる雪を吹き墨の手法によって鉛白の白をまいており(現在は黒変しているが)、ほかと異なってユニークな作例である。」(179ページ)と書かれている。

画像ではわかりにくいが、「雪の白や着物の白には空摺(凹凸のみで模様を加える技法)が、施されている。」(次に掲げる文献, p.16)春信の作品を含む浮世絵は、作家ごとの個性的なテーマと作品群だけではなく、制作の多様な表現力と独創性な技術がすばらしい。

この作品とともに、「夜の萩」が、「今、浮世絵がおもしろい! 第5巻 鈴木春信」の付録として41.0*57.2(cm)の特大ポスターとして見ることができる。

この作品は、「墨一色の背景に、秋の虫の音に誘われて屋外に出た若衆と娘の親しげな様子を描いたロマンチックな図。」(上掲書, p.19)雪中相合傘と同様に、若いユニセックスの男女が、流れるような曲線で描かれている。

同書は春信の作品を、「青春」「流麗」「温故」の3つのキーワードで捉え、「雪中相合傘」と「夜の萩」は「青春」のページで紹介している。

同書には、これらと同様に評価の高い「坐鋪八景」や春画「風流艶色真似ゑもん」が掲載されていて、春信の全貌を知るのにとても役に立つ。価格が680円とお手頃だが、現在では増し刷りされていないようで、古書でしか入手出来ないのは残念である。

関連する私のブログ:「浮世絵の至宝 ボストン美術館秘蔵 スポルディング・コレクション名作選」 (2012.7.29)

(ブログのTOP、ブログの目次, 新保博彦のホームページ)

2018年5月8日火曜日

並河靖之七宝記念館館

新保博彦の(YouTube)チャンネルを開設しました。「並河靖之の七宝と並河靖之七宝記念館の庭園」を掲載しています。(2023.5.7)
*****

日本を代表する七宝家並河靖之の展覧会には、これまでいくつも出かけていたが、なかなか行く機会の無かった並河靖之七宝記念館館にようやく行くことができた。
京都地下鉄の東山駅に近く、周辺には観光地、寺院、美術館が多く、いくつかを掛け持ちで巡ると良いかもしれない。

今はまさに5月の新緑の季節、館も周辺も緑でとても美しい。昨日からの雨で緑がさらに鮮やかに感じる。

右の写真は主屋から眺めた庭園の全景である。
「庭園は七代目小川治兵衛(屋号:植治)が手がけ、琵琶湖疏水(明治23年・1890竣工)を導水した池」(記念館パンフレット)が庭園の中心となっている。
駅に近いにもかかわらず意外に静かで、主屋とともに多くの外国の賓客を楽しませたと思われる。

左の写真は主屋の応接室である。
手前に置かれているのは、並河靖之が得た多くの記念のメダルが入れられた額である。

主屋の反対側には工房があるが、残念ながらそこでの写真撮影はできなかった。
並河の作品の評価は日増しに高まっているように思われるので、近い将来七宝の制作過程や工房の姿がより詳しく紹介される日を待ちたい。

ここで、改めて、私の過去のブログでの並河の作品を紹介したい。まず、「並河靖之 七宝展 明治七宝の誘惑-透明な黒の感性」(伊丹市立美術館)(2017年9月17日)である。この展覧会で驚いたのは、その図録のすばらしさだった。それは、「248ページからなり、多数の鮮明な画像とともに、詳しい論説や説明が掲載されており、並河靖之の一連の作品を理解するために必須の書籍になっていると思われる。」(上記ブログ)

展示された作品はすばらしいものばかりだったが、やはり右上の「桜蝶図平皿」(明治中期の作品、図録では33番)を再掲しておきたい。
図録の次のページには詳細図があるが、桜と蝶が細部にわたって克明に制作されているのがよくわかる。(当初の原稿の黄色の箇所に誤りがあり修正しました)

そして、これに対応する作品も紹介しておこう。
同じような構図で、背景がピンク色になっているのが、左の「桜蝶文皿」(『七宝』INAXギャラリーより)である。先の図録(94)では、記念館所蔵の下図が掲載されている。

私は、Pinterestの私のページでこの作品を紹介しているが、おそらく最も多くピンを保存していただいているひとつが、この作品である。
ピンク色の背景の皿がとても珍しいと言うことだろう。

並河靖之とその工房の作品群は、明治時代の工芸作品の水準の高さを示しているが、それはその後の日本の製造業の発展の先駆けとなったと言えるだろう。多くの人々がその作品に触れ、また記念館を訪問されることを期待したい。

私の並河についてのもうひとつのブログ(2013年10月17日):「日本の工芸:七宝、並河靖之、Shippo, Yasuyuki Namikawa」