さらに詳しくは、書評論文「スペイン・インフルエンザに関する3つの基本文献の紹介【論文】(クリックしてください)をご参照ください。
まず、『流行性感冒 「スペイン風邪」大流行の記録』の調査を表1にまとめた。人口については、速水融『日本を襲ったスペイン・インフルエンザー人類とウイルスの第一次世界戦争』から補った。
表1によれば、朝鮮における死者と対人口死者率(パーミル)は、内地人が3,900人と11.7、朝鮮人で180,500人と10.8になる。台湾では、『流行性感冒』自体の試算では、内地人が630人と3.93、本島人が23,600人と6.89になる。速水氏の人口データで計算した対人口死者率(パーミル)は表の最下段に記載した。
次に先の速水氏の試算を表2で紹介しよう。速水氏は、「超過死亡(excess death)」という方法を適用される。「ここでいう超過死亡とは、ある感染症が流行した年の死亡者数を求めるに際し、その病気やそれに関連すると思われる病因による平常年の死亡水準を求め、流行年との差をもってその感染症の死亡者数とする考え方である。」(237、以下数字は上掲書ページ数)
この方法によって計算された朝鮮での死亡者と対人口死者率(パーミル)は、内地人が3,400人と10.0、本地人(朝鮮人)が230,800人と13.8となる。『流行性感冒』の調査より朝鮮人の死者が増加する。
速水氏によると、台湾では、表3のように内地人の死者と対人口死者率(パーミル)は、1,400人と9.6、本島人(台湾人)が47,500人と13.6となる。『流行性感冒』に比較して、朝鮮と同様に大幅に増加する。
以上の検討をまとめてみよう。『流行性感冒』は、日本本土について、死者が389,000人、対人口死者率(パーミル)が6.75と推計していた。速水氏は超過死亡という方法で、その数値を見直し、それぞれ453,000人と8.10とみなした。
速水氏のデータに基づけば、第1に、朝鮮と台湾の両地域は、日本本土(内地)に比較して、内地人と現地人の両方で対人口死者率(パーミル)が、高くなっていることがわかる。第2に、朝鮮と台湾の両地域で、内地人対現地人の対人口死者率(パーミル)が、後者が前者の1.4倍前後となっている。
この理由について、速水氏は「それを通じて言えることは、内地人と現地人の死亡率の間に、ある程度の較差があったことである。これは、直接には、医療や予防の面で、また間接には、日常生活の水準において、日本人が現地人よりはるかに恵まれた環境にあったことを示しているだろう。」(速水著、p.421)
スペイン・インフルエンザは、地域、人種や民族の違いには関係なく甚大な被害をもたらした。しかし、日本から現地に渡った人々は官僚や企業経営者、管理職などが多く、生活水準も高かった。これに対して、朝鮮・台湾は日本の統治下に入ってそれほど時間が経っておらず、両地域の工業化や近代化、公衆衛生の普及も始まったばかりだったことが、上記の格差に反映していると言えるだろう。
最後に、朝鮮と台湾の状態を、脇村孝平『飢饉・疫病・植民地統治-開発の中の英領インド』と比較してみよう。脇村氏は、K. D. Petterson and G. E. Pyle (1991)に基づいて、スペイン・インフルエンザによる死者が1250万~2000万人、対人口死者率(パーミル)が42~67と推定していた。対人口死者率は、日本と日本の統治下の地域に比較して大幅に高い。また、コミュニティー別にみると、ヒンドゥー(低カースト)の対人口死者率(パーミル)が約900と、現地人が異常に高く、ヨーロッパ人は40台で、その格差は日本と朝鮮・台湾と比較して著しく大きかった。
これらの数値は、第1次世界大戦直後の、イギリスのインド統治と、日本の朝鮮・台湾統治の違いの重要な一面を表している。