2021年6月5日土曜日

『神業の風景画』、原雅幸氏と森本草介氏の作品を中心に

最近出版された『神業の風景画 ホキ美術館コレクション』(芸術新聞社、2020年6月)から、原雅幸氏と森本草介氏の作品を中心に紹介したい。芸術新聞社刊行のホキ美術館コレクションには、他に『超写実の人物画』、『驚異の静物画』という画集がある。

目次は、以下の通り。1章 水のある景には、森本草介氏の風景観も含まれる。2章 自然の景で、野田弘志氏の風景観、3章 人の気配には、原雅幸氏の風景観を含む、巻末には、エッセイ「風景画の魅力」松井文恵がある。

本の作りは、大きく開いて見開きで見ることが出来るような製本になっているのはとてもありがたい。画集でも、意外にこのような製本になっていない場合が多い。残念なのは、個々の画の解説が無いことである。

まず、森本草介氏の「アリエー川の流れ」(6-7、数字は掲載ページ数)2013年,68.0*210.0cmである。森本氏の作品は、私のブログ「森本草介『光の方へ』」で、「光の方へ」、「未来」、田園」、ボルドーの香り」、「横になるポーズ」を紹介した。そのうちの風景画の代表作のひとつ「田園」と比較してみると、同じ淡いベージュ色の色調であるが、2mにもなる横幅で、静かに光る水面の拡がりが特徴的である。おそらくこの地域にも農業があり、人々の賑やかな日常生活があるはずだが、森本氏によると、アリエー川の静かな川面のような、静謐な世界が広がっている。

もうひとりの代表的な画家、原雅幸氏については、私のブログ「原雅幸 3枚の写実絵画 」で、写実絵画の新世紀 ホキ美術館コレクション』(別冊太陽、2016年)に掲載されているクリストファーロビンの聲」、モンテプルチアーノ」、羊のいる風景」という3つの作品を紹介した。『神業の風景画』からは、2つの作品を紹介したい。

まずひとつめが、「マナーハウス (82-3)、2012年, 60.7*91.2cmである。画集には説明が無いので、正確かどうかはわからないが、場所は原氏が住むスコットランドだろうか。スコットランドは降雪量がそれほど多くないので、雪がふんわりと降り積もっているという感じではない。私が注目したのは、広大な敷地の屋敷の入口が画面の中心で、「クリストファーロビンの聲」と同じように奥に向かって続く道という構図である。それは希望をさし示しているのだろうか?

もうひとつの作品が、「光る海(24-5), 2010年, 97.0*162.1cmである。これも画集に説明がないが、水田があるように見えるので、日本のどこかの農村のようである。ずっと遠くに光って見えるのが海で、それがタイトルの光る海だろうか。強い光が差し込み、海だけでなく、道路や小屋の屋根などを照らし出している。前回に紹介した3つの画と今回の2つの画とも、最も印象的なのは様々な角度と強さで差し込む光である。「光る海」では、光が全体を包み込むように感じる。画には時には動物が登場するが、人の姿は見られない。

原氏には、「原 雅幸 OIL PAINTINGS, WATERCOLOR PAINTINGS」というweb siteがある。多くの作品が掲載されているし、販売もされているので、ぜひ訪れていただきたい。なお、上記の作品の画像は、そのweb siteに掲載されているのを利用させていただいた。

『神業の風景画』から、森本氏や原氏以外にも紹介したい作品は、大畑稔浩氏『仰光ー霞ヶ浦』、同『苗名の滝』、同『早春(白い影)』や、この画集ではやや例外的な描き方をする石黒賢一郎氏のモノトーンの風景や、工場の風景などもあるが、紹介はまた機会を改めたい。

ところで、写実画と言っても、対象の選び方、画材などによる描き方などが、画家によって全く異なるので、それぞれの写実画は大きく異なる。『神業の風景画』に収められた多くの画家の作品もそれぞれとても個性的である。

しかし、『神業の風景画』あるいは日本の現在の写実画の共通点をあえて挙げるとすれば、ひとつひとつの対象が実に精緻に描かれているということではないだろうか。Scottish Galleryが原氏の作品を、the extraordinary super-realist artist (並外れた超写実主義の芸術家)と表現しているのは、海外の人々の率直な感想だと思われる。細部を徹底して精緻に仕上げるというのは、日本の伝統的な工芸作品や、現在の工業製品にも共通する特徴だと言えるだろう。Scottish GalleryのREALIST & LYRICAL LANDSCAPESという展覧会に出展している他の画家の作品と比較すると、その点がとてもよくわかる。なお、この展覧会のタイトルの、「写実的で叙情的」という表現はとても興味深い。

最後に、『神業の風景画』には、以上では紹介しきれない多数の画家たちの「神業」が、見開きで掲載されていて、風景を主題とする写実画を十分に味わうことができるので、改めてお薦めしたい。

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2021年5月5日水曜日

「浮世絵の至宝 ボストン美術館秘蔵 スポルディング・コレクション名作選」(増補改訂版)


以下の内容を踏まえたYouTube動画を作成しました。「岡田美術館で歌麿の「雪月花」三部作を見る」、ぜひご覧ください。https://youtu.be/c2GCTUIQYKw (2023.9.23)

本ブログでは、改めて小林忠監修「浮世絵の至宝 ボストン美術館秘蔵 スポルディング・コレクション名作選」(小学館、2009年、12,000円)を紹介したい。スポルディング・コレクション(Spaulding Collection, Museum of Fine Arts, Boston) は、アメリカの大富豪スポルディング兄弟が、「作品の質を最優先して金額には糸目をつけない」という方針で明治末~大正時代に蒐集した浮世絵・約6500点からなっている。それらは褪色や紙質の劣化などを避けるため、美術館内での展示すら禁止されていた。

主な目次は以下の通りである。
はじめに、第一章 喜多川歌麿とその周辺ー歌麿、長喜、栄昌、第二章 葛飾北斎、第三章 歌川広重と歌川派ー広重、豊国、豊広、国政、国貞、第四章 鈴木春信とその周辺ー春信、春重、磯田湖龍斎、第五章 諸派ー奥村政信、西村重長、鳥居清長、北尾派、第六章 スポルディング・コレクションの「もうひとつの魅力」
作品解説(とても詳細:新保)、論考(これも重要:新保):「ボストン美術館所蔵スポルディング・コレクションの成立」アン・ニシムラ・モース、「スポルディング・コレクション「浮世絵の正倉院」」小林忠、「御伽草子から浮世絵版画までーボストン美術館所蔵「梵天国」バージョン」サラ・トンプソン

スポルディング・コレクション の作品群で最も有名な作品のひとつは、右図の喜多川歌麿「娘日時計」午ノ刻」(1794-95, 12, 12は掲載ページ数)である。「『娘日時計』は、おもに町娘たちの一日を一刻(約二時間)ごとに描いた揃物」(130)である。

右側の女性が羽織った薄衣から白い肌が透けて見えている。ところが、すでに所蔵・公開されている作品の多くは、版画の色が褪せて、その状態がよくわからない。これだけでも、歌麿の作品と、スポルディング・コレクションの保存のすばらしさがわかる。NHKの番組で、その説明を聞いてはいたが、現物で見て改めてその鮮明さがよくわかった。

「顔はあえて輪郭線を用いない「無線摺」によって表現されており、湯上りの娘の肌がいっそう柔らかく感じられる。」(130)

もうひとつ歌麿の作品を紹介しよう。「白うちかけ」(1796-98, 21)である。「女性の全身を画面いっぱいに配した『錦織歌麿形新模様』は、寛政八ー一〇年頃の作とされる揃物のひとつで、歌麿の渾身の作である。」(133)

また、「彫り、摺りにも工夫がみられ、衣装の輪郭に墨線を施さず、紫、紅、草色の三色を対比させることで、ぞれぞれの素材がもつ柔らかな質感が巧みに表現されている。」(133)

左の画面でもかなりの大きさだが、同書の大きな画像を見ると、肌の淡い色のつややかさと、うちかけの白く見える箇所が薄く塗り分けられているのがよくわかる。


もう1枚、この著作の監修者小林忠氏が絶賛している作品のひとつを紹介しておこう。左の図の鈴木春信の作品「雪中相合傘」(1767, 80)である。

春信の男女は、この画でも、ともに華奢で男女の区別はつかない。「当時の人々は芝居を通して、「男女の相合傘=心中への道行」、というイメージをもっていたものと思われる。」(149)

小林氏は、「スポルディング・コレクション「浮世絵の正倉院」」で、「降りしきる雪を吹き墨の手法によって鉛白の白色をまいており(現在は黒変しているが)、ほかと異なってユニークな作例である。」(179)と書かれている。同書では、傘の上にふんわりと積もる雪がよくわかる。

最後に写楽の作品を挙げておきたい。写楽の作品は、上の目次にあるように、特に章を設けて掲げられていない。しかし、小林氏の「スポルディング・コレクション「浮世絵の正倉院」」では、第2節で歌麿、春信の前に取り上げられ、画のように小さな画像ではあるが一覧にされているので、写楽の多くの作品を見ることができる。

「もっとも評価の高い寛政六年(一七九四)五月狂言に取材した写楽第一期役者絵、すなわち黒雲母摺(きらずり)大首絵の名作が全二八点中の二三点も揃えられていることは、短期間の蒐集にあっては驚異的な幸運といってよい。」(175)と、小林氏は書かれている。

この書籍は12,000円と高いので、まずは図書館で現物を確認して購入されるのが良いかもしれませんが、値段の高さに見合う、浮世絵を存分に楽しめる書籍であると思います。

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2021年5月3日月曜日

Google Site 移行作業ようやくとりあえず完了

私は今Google Siteを利用して、私のweb siteを作成しているが、Googleから新しい Google Siteに移行するよう求められている。

新しい Google サイトと従来の Google サイトの比較は、以下のように説明されている。(Googleへリンク)

1)プログラミングの経験やコードの知識がなくても、ウェブサイトを作成できます。2)他の編集者を招待して、リアルタイムで共同作業できます。3)モバイルやパソコン向けにサイトが自動的に最適化されるため、どのデバイスからでも閲覧しやすいコンテンツを提供できます。

実際に移行してみてわかったことだが、1)は以前から作成できているので問題無し、2)は当面必要なし、3)は、スマホでHPを閲覧する人も多いので確かに重要である。

ただし、問題はここから、私のweb siteにも掲載しているように、3)のように設定されているので、以前の私のweb siteで設定した内容が、新しいサイトに移行すると、レイアウトがかなり大きく崩れている。結局すべてのページにわたってひとつずつ修正することになった。私の新しいGoogle siteでのweb siteは6年かけて作成してきたので、修正に数日かかってしまった。

そこで、Google Siteでweb siteを作成されている皆さんに、移行作業を始める前に、移行以前の内容を何らかの形でBack Upされることを、強くお薦めしたい。

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2021年3月23日火曜日

佐藤康宏『若冲伝』

佐藤康宏氏の『もっと知りたい伊藤若冲―生涯と作品 改訂版』は、多くの人に読まれた優れた若冲紹介書だった。同書を引き継いで、佐藤康宏『若冲伝』(河出書房新社、2019年)が刊行された。今回の著作は、これまでの研究をまとめられた、学術的な研究書としては最も包括的で、かつ大胆な問題提起を含む著作である。本書は、これまでの多くの研究に対して、ひとつひとつ丁寧に取り上げて評価していて、若冲研究の現在の到達点を示しているように思える。ただ、もっと掘り下げて論じて欲しいと思う箇所はいくつもあるので、その点を中心に紹介したい。

目次は以下の通りである。第1章 市場の画家、第2章 模写と写生―初期作品、第3章 「動植綵絵」―制作の経緯と表現の特色、第4章 黒の若冲―水墨画と版画、「綵絵」以後、第5章 物好きの晩年、そして没後。

本書がとても残念なのは、ほとんどの画像がモノクロームで、絵を楽しむことができないことである。画像をすべてカラーにして、定価を引き上げた方が良かったのではと思う。このブログでは、主な画像は太田彩『伊藤若冲作品集』のものを利用させていただいた。

佐藤氏は、本書で動植綵絵の最も代表的な作品のひとつである「老松白鳳図」(左の図は一部)に対して以下の仮説を提示された。佐藤氏によれば、「口の下の毛の形の変化、白の羽毛と朱の鶏冠に単純化された色彩効果もあいまって、切れ長の目で舌をちろりとのぞかせた白鳳のなまめかしい表情は、きわめてエロティックな気分に満ちている。女性的なものを強く感じさせる姿だ。transvestism(トランスヴェスティズム)、服装倒錯という変態性欲をいう語がある。男の女装、女の男装のよう異性の服装をしたがる傾向を指す言葉だ。この鳳凰は、いってみれば〈女装した雄の鳳凰〉と見るべきではないかと私は思う。」(128-9)

この点についてもまた、佐藤氏らしい大胆な評価を提示された。若冲には、辻氏も言われるように「屈折した性的な願望」(辻惟雄『伊藤若冲』、p.112)があるようだが、それが佐藤氏の言う服装倒錯という欲望と言えるのかどうか、今後の論争に注目したい。

右は、「果蔬(かそ)涅槃図」である。佐藤氏は以下の清水義明氏の論文を紹介している。「(一)日本の仏教には伝統的に草木にも仏性があるという考えがあったこと、(二)大根が僧侶の質素な食事を象徴するものであったこと、(三)それが水墨画の主題となり、伝牧谿筆その他の大根の画が中世の茶席で鑑賞されたりもしたこと・・・」。(188)

そして、佐藤氏は、「「果蔬涅槃図」は、画箋紙を用いた四十代後半から六十代の水墨画の様式の到達点であり、最高傑作というべきだろう。・・・この画か母の死を記念すると同時に、その成仏と引き換えに青物問屋がいっそう繁栄するよう願いを込めている、と当時の人が理解するのは自然だったろう。」(190)と述べている。

本書では、「同種(枡目描き」)の技法で描かれた以下の「釈迦十六羅漢図」」(198-9)については、簡単な紹介しか無い。私のブログ「未発見の大作 伊藤若冲「十六羅漢図」(2019.8)」では画像とともに紹介しているので、ご参照ください。なお、画像が粗いので、「枡目描き」なのかどうか、この画の場合の特色は何かは、残念ながらわからない。







次に象鯨図(左)について。「若沖のこの屏風は、一九二八年に川崎男爵家から売りに出され大阪美術倶楽部の売立目録に記載されるもので、現在は所在不明だが、失われずどこかにあることを願ってここに掲げる。・・・二年後の八十二歳の署名を持つ「象と鯨図」(MIHO MUSEUM, 右下)は、これとほぼ同じ図柄のもので、十年ほど前に見出された・・・。二双の屏風を比較するなら、こちらの「象鯨図」の方が初発性と緊張感に富む」と佐藤氏は書かれた。(238)

「象鯨図」は鮮明ではなく、詳しい比較はできないが、「象と鯨図」の象の背景や、鯨が泳ぐ波の描き方などは、とても興味深い。両者の比較を試みるのなら、もう少し踏み込んだ説明が欲しかった。なお、辻惟雄『伊藤若冲』での評価は、同書p.236にある。

ところで、いつどういう理由で、若冲が一時期無視あるいは忘れられたのだろうか?意外にもまだ十分な説明が無いように思える。佐藤氏は1926年を若冲研究の画期的な年としたが、なぜその後若冲への評価が低くなったのだろうか。私はずっと疑問を抱き続けてきた。

佐藤氏は、この点について、次のような理由を挙げている。「東アジアの美術を伝え、美術史の研究を進めた点で、近代の茶人たちの果たした役割は大きいが、一方でその趣味に合わない造形を排除し、偏った美術観を広めた罪もまた小さくない。彼らと嗜好を同じくする学者も、平安・鎌倉時代の仏画や絵巻、室町時代の水墨画を高く位置づけ、江戸時代の絵画ではわずかに宗達と光琳のみを取るといった価値の体系を、日本の古画について作り上げた。」(263)

一部の人々の役割はそれほど大きいのだろうか?急速な近代化が進む時代的な背景等についてなどを幅広く考察する必要があるのではと、私は今も疑問に思い続けている。

ともあれ、どのような研究も進めば進むほど、疑問や議論は大きく幅広くなる。若冲ほどの天才については、なおさらである。『若冲伝』は、若冲に関する最新の研究がどこまで到達したかを知ることができる最良の研究書である。ぜひ多くの方にお薦めしたい。

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2021年2月24日水曜日

辻 惟雄『よみがえる天才1 伊藤若冲』

辻 惟雄『よみがえる天才1 伊藤若冲』が2020年4月に刊行された。辻氏の最新作で、それだけでも注目されるのだが、次の様な点でも注目に値する。

同書は、筑摩書房創業80周年記念出版「ちくまプリマー新書新シリーズ」の1冊だが、そのすばらしい構成に驚かされる。左のような、67の高精細な画像が、場合によっては見開きのページで掲載されている。

目次は以下の通り。

はじめにー謎と不思議の天才絵師、伊藤若冲、第1章 生い立ち──画家としての出発、第2章 《動植綵絵》制作──画家としての名声確立、コラム1 若冲は人物画が苦手?、第3章 若冲画の世界──その多様さ、おもしろさ、コラム2 《動植綵絵》は隠し絵の宝庫?、第4章 画業の空白期と、新たな若冲像、コラム3 作品にひそむ科学の視点──フラクタルと進化論、第5章 激変した生活──最後まで画家であり続けた晩年、コラム4 精神医学からみる若冲の絵画表現、あとがき、若冲年表、参照文献。

私は、彼の作品を紹介した文献・資料をこのブログでいくつも紹介してきた。未発見の大作 伊藤若冲「十六羅漢図」(2019.8.22)、『若冲の世界』(TJmook, 狩野博幸監修) (2017.12.23)、太田彩『伊藤若冲作品集』で若冲の全作品を愉しむ (2016.7.6)、『若冲原寸美術館 100%Jakuchu!』、原寸図で若冲を楽しむ (2016.6.29)、『伊藤若冲 動植綵絵 調査研究篇』、Jakuchu Itoh (2014.3.6.)などである。

そこで、今回のブログでは、私が辻氏のこの著作で特に関心を持った箇所に限って、詳しく紹介したい。

辻氏は、若冲が「動植綵絵」を生命感に溢れた極彩色の絵画として描いた理由について、次のようにまとめられている。「その有力な仮説として挙げられるのは、仏教の「草木国土悉皆(しっかい)成仏」という思想を若冲なりに解釈し、絵として具現化したものなのではないか、というものです。「草木」は植物や生き物、「国土」はまさに国土を形成する鉱物や無生物などのことで、両者を合わせると「自然界のすべてのもの」となります。つまり「草木国土悉皆成仏」とは、自然界にあるすべてのものが仏性をそなえ、仏になれる可能性をもっているという意味の言葉です。」(94、数字は本書ページ数、以下同じ)

「「草木国土悉皆成仏」とはそのような、「アニミズム」と呼ばれる世界観をもつ思想です。」(95)「アニミズムというのは、石などの無生物も含めて自然界のありとあらゆるものに霊魂が宿るとする世界観であり、そういった霊的な存在に対する信仰のことをいいます。」(96-7)その感覚は、冒頭に掲載した「貝甲図」や「地辺群虫図」(図24)によく表れている。

辻氏は、「コラム1 若冲は人物画が苦手?」で、人物画について、「下手といってもいいほどで」と書かれている。(107)しかし私は、若冲の「草木国土悉皆成仏」思想が、人間を特別の対象とするルネッサンスの画家達と異なって、人間を特別な存在として注力して描かなかった理由ではないかと思う。

次に、辻氏は次のように指摘される。「このころ(七十三歳ごろ)から若沖は、意図的に弟子をつくり、工房で制作していく方式に切り替えていったと考えられます。弟子の数は四、五人いたようですが、彼らに水墨などを描かせては、出来のよいものに自分のハンコを押して、多くの「若沖作」の絵として世に出していきました。」(213)完璧主義者の若冲像からは、やや意外な感がするが、その時期の作品を見ると納得できる。

若冲は、この時期に多くの升目画を制作する。「白象群獣図」(図52)、「樹花鳥獣図屏風」(図61、静岡本)、「鳥獣花木図屏風」(図62、出光本、旧プライス・コレクション、左上の画像)である。「鳥獣花木図屏風」について佐藤康宏氏は「すべてはゆるみきって凡庸である」として、「絶対に若冲その人の作ではない」と主張されている。(「もっと知りたい伊藤若冲」)これに対して。辻氏は「私は若冲がいなければ、この作品はあり得なかったと考えています。」(217)として、微妙な表現に止めておられる。この興味深い論争が今後どのように展開されるか注目したい。

ところで、今回の辻氏の著作が興味深いのは、上記目次に示したように、コラム欄で他分野の研究者の伊藤若冲論を取り上げられたことだろう。コラム2と3は、医師の赤瀬孝之氏、コラム4も医師の華園力氏の所説である。(p.241には氏名の誤植がある)
意外な興味深い論点が提供されているので、ぜひあわせてご参照ください。このように伊藤若冲への関心は、今なお多くの分野に広がっている。

なお、右上の「象と鯨図屏風」は、MIHO MUSEUMが所蔵している若冲最晩年の作品で、若冲の想像力の豊かさを象徴する作品のひとつである。最近になって発見され、同美術館で最初に展示されたのを見る機会を得た、私にとっては思い出深い作品である。

この新書には、若冲の主な作品とそこに込められた若冲の思想と関心、若冲が駆使した様々な技法などが、とてもわかりやすく説明されている。多くの人々、特に若い世代の人々が読まれることを期待したい。

2021年2月3日水曜日

『回顧 入江泰𠮷の仕事』

ずいぶん遅れてしまったが、貴重な写真集『回顧 入江泰𠮷の仕事』(写真:入江泰𠮷、編集:入江泰𠮷記念奈良市写真美術館、光村推古書院)を紹介します。
「奈良大和路をこよなく愛し、数多くの作品を残した写真家・入江泰𠮷(一九〇五~一九九二)」(はじめに)の作品を、時代順に紹介した写真集である。

目次は以下の通り。
はじめに
第一章 写真家への歩み「文楽」(一九四〇年代~)
第二章 新たな道を求めて(一九四五年~)、交友録、佐渡旅情
第三章 古都の暮らし、人(一九五〇年代~)
第四章 奈良大和路の写真家として(一九五〇年代後半~)
第五章 新たな大和路を求めて(一九七〇年~)、造形
第六章 十二人目の練行衆(一九四六~一九八〇年頃)、京都の庭
第七章 花は美の究極である(一九八〇年頃~一九九一年)
第八章 大和路に魅せられて(一九七五年頃~一九九一年)
解説、入江泰吉 略年譜、あとがき

まず、圧倒的な存在感を示しているのが、第2章に掲載されている「東大寺戒壇堂広目天像」(25ページ、以下数字は同書ページ数)。広目天は、西方にあって仏法を守護する四天王のひとつ。同書の表紙ともなっている。

右は、第5章の「雪の飛火野」(178-9)。「この時期、写真の世界にも変化が訪れていた。昭和二十六年頃からカラーフィルムによる写真の普及が進んでいた。私の周囲の写真仲間も、その多くがカラー写真に移行しつつあった。Lかし、私にはカラー写真に踏み切ることに躊躇があった。長年なじんできたモノクローム写真には、容易に捨てがたい愛着があったのだ。」(160)

こう言っていた入江が、カラー写真に取り組んだ1枚。その頃の写真の中でも、とりわけ明るく華やかで、いつもの飛火野とは違う1枚である。

「お水取り」の名で親しまれる東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)での、「お松明」(268-9)と名付けられた1枚。第6章に掲載されている。この章では、章のタイトル「練行衆」たちのモノクローム写真が多い。

会は天平勝宝4年(752)に始まり、われわれが日常に犯しているさまざまな過ちを、懺悔するために、また、二月堂に上堂する練行衆の道明かりとして灯されると言う。(東大寺「修二会」)
僧が松明を持って走る回廊から、炎が激しく流れ、その強烈な明るさと熱さが写真からでも十分に伝わってくる。

写真のテーマは大きく変わって、第7章は花、「ライフワークである大和の風景と関連して、もうひとつ私が長く取リ組んできたテーマに「万葉の花」がある。・・・花の写真を写す時、私は花がいちばん生き生きと美しく続く一瞬に賭けることにしている。」(293)

第7章でもひときわ美しいのが、「うめ」(294)。入江が亡くなる前の年の作品である。奈良公園には、片岡梅林をはじめとして梅が咲き誇るところがいくつかある。私も写真を撮りに何度か出かけた。
入江の写真集には、中西 進『入江泰吉 万葉花さんぽ (小学館文庫) 』という作品もある。

第7章と第8章は晩年の作品で、花を除くのが最後の章、第8章である。この章は、入江のよく知られた写真が多く掲載されている。

「風景写真とひとロにいうが、大和路の場合は、それほど風光明媚な景観とはいいがたい。だが、そのさりげない景貌に、風景の「風」の趣が醸されているのである。」(314)

左の写真は「これはこれはとばかりに花の吉野山」(316-7)と題されている。4月になると、吉野山は全山で、下千本から順番に桜が豪華絢爛に咲き誇る。

吉野の桜は、「「花見」のためではなく、山岳宗教と密接に結びついた信仰の桜として現在まで大切に保護されてきました。」(吉野町)奈良の風景は、どこかで信仰と結びつくことが多い。

この写真集は384ページで、ほぼすべてのページに多数の写真が掲載されており、それが時代順に並べられているので、入江がどのように写してきたかがとてもよく理解できる。また、ところどころに入江の書いた文章も掲載されているので、彼の写真家としての考えもよく理解できる。また、「交友録」(第2章)や「京都の庭」(第6章)などのコラム的な作品の紹介も、とても興味深い。ぜひ多くの方にお薦めしたい写真集である。

入江泰𠮷の他の写真集についての紹介は次の通りです。こちらもご覧ください。


2021年1月7日木曜日

谷崎潤一郎『陰翳礼讃』(写真は大川裕弘)甦る

左は、谷崎潤一郎『陰翳礼讃』に、大川裕弘氏が写真を加えて編集された著作。(パイインターナショナル、2018年)掲載された多数の写真で、「谷崎の名作がビジュアルブックとして甦る」
『陰翳礼讃』は、雑誌『経済往来』の1933年12月号と1934年1月号に連載された。日中戦争から第2次世界大戦へ向かう直前の、東洋を強く意識する社会の雰囲気もよく理解できる。

独特の長い文章で始まる『陰翳礼讃』の最初の話題はである。その意外なテーマが読者を驚かす。

「茶の間もいいにはいいけれども、日本のは実に精神が安まるように出来ている。それらは必ず母屋から離れて、青葉の匂や苔の匂のして来るような植え込みの蔭に設けてあり、廊下を伝わって行くのであるが、そのうすぐらい光線の中にうずくまって、ほんのり明るい障子の反射を受けながら瞑想に耽り、または窓外の庭のけしきを眺める気持は、何とも云えない。」(22、数字は同書ページ、以下同じ、写真は20)

私達のトイレは室内にあり、徹底的に清潔にできていて、最近はトイレのふたは自動で開き、水も自動で流れる。現代に生きる若い世代は、この写真で始めて厠を理解できるだろう。

「もし日本座敷を一つの墨絵に喩えるなら、障子は墨色の最も淡い部分であり、床の間は最も濃い部分である。私は、数寄を凝らした日本座敷の床の間を見る毎に、いかに日本人が陰翳の秘密を理解し、光りと蔭との使い分けに巧妙であるかに感嘆する。」(130-1、写真は16-7)

座敷にももちろん明かりはある。しかし、外から差し込む光が床の間やそれぞれの調度品を照らすとき、様々な影が生まれる。その複雑な影の様を「東洋の神秘」(131)というのは大げさ過ぎると思うが、ただ家庭の中までどんどん近代化し、究極の明るさを追及する風潮に対して光と影の対照を強調するのは興味深い。

ところで、日本の伝統的な芸術作品の多くが屏風に描かれ、それらにはしばしば金地が用いられている。その作品の良さや金地の意味がよくわかるのは、下の様に暗がりから作品が浮かび上がる時かもしれない。

「・・・もう全く外の光が届かなくなった暗がりの中にある金襖や金屛風が、幾間を隔てた遠い遠い庭の明かりの穂先を捉えて、ぽうっと夢のように照り返しているのを見たことはないか。その照り返しは、夕暮れの地平線のように、あたりの闇へ実に弱々しい金色の明かりを投げているのであるが、私は黄金というものがあれほど沈痛な美しさを見せる時はないと思う。」(144、写真は158-9)

陰翳
とは何か?谷崎は、しだいに弱まりつつあった仏教的な世界観によって、陰翳を次のように説明している。
「けれども前にも述べたように、われわれ東洋人は何でもないところに陰翳を生ぜしめて、美を創造するのである。・・・われわれの思索のしかたはとかくそういう風であって、美は物体にあるのではなく、物体と物体との作り出す陰翳のあや、明暗にあると考える。」(183-4、写真は230-1)

谷崎は最後を抑制しながらこう結んでいる。「私は、われわれがすでに失いつつある陰翳の世界を、せめて文学の領域へでも呼び返してみたい。文学という殿堂の檐(のき)を深くし、壁を暗くし、見え過ぎるものを闇に押し込め、無用の室内装飾を剝ぎ取ってみたい。それも軒並みとはいわない。一軒ぐらいそういう家があってもよかろう。まあどういう工合になるか、試しに電灯を消してみることだ。」(242)

コロナの感染拡大で、豊かな都市の象徴でもある煌々と輝くライト群も、少しずつ輝きを小さく少なくしている。このような時期に、様々な場で「試しに電灯を消してみる」ことで、別の世界を甦らせるのはとても意義があるように思える。

谷崎の独特な世界をビジュアルに表現した『陰翳礼讃』は、確かに古典を甦らせることができた。ぜひ、われわれ世代だけではなく、光輝く現代に生きる若い世代に読んで欲しいと思う。
また、古典をビジュアルに甦らせる作品が次々と現れることも期待したい。