2018年12月21日金曜日

ZTEとHUAWEIの事業活動とその脅威(2)

前回のブログから続く

クリックして拡大してご覧ください
次に、Huawei (Huawei Technologies Co., Ltd., 华为技术有限公司)である。によって、まず売上高をみると、その急成長ぶりがよくわかる。営業利益も営業活動によるキャッシュ・フローも、2017年度に大きく伸びている。ただし、負債比率が2017年度でも65.2%とほとんど変化がなく高いままである。
Huaweiのセグメント情報をみてみると、ビジネス別では、通信事業者向けネットワーク事業が49.3%、コンシューマー向け端末事業が39.3%である。地域別では、中国が50.5%であるが、欧州、中東、アフリカ(EMEA)が27.1%と高く、南北アメリカは6.5%とまだそれほど高くない。

問題は株主である。Huaweiは、「従業員の全額出資による民間企業」として株式を公開してない。このように巨大な企業が非公開なのは、中国でさえしだいに例外になりつつある。創業者任正非の持株は1.4%で、その他は従業員持株制度が所有している。
この巨大な株主である、労働組合を通じての従業員持株制度が、資金的にも人的構成でもどのような制度で、株主として経営にどのように介入しているについては明らかではない。従業員持株制度についてふれられているのは、Annual Reportでこの箇所のみである。

さらに、ZTEの箇所でも指摘したように、Huaweiについても同様に共産党と企業内共産党委員会についての記述は無い。中国政府との具体的な関係についても詳しい記述は無い。以前から指摘されている、任正非とその出身中国人民解放軍との関係、早期の段階での政府からの資金面での支援等についても十分に明らかにされていない。
表の財務データからは負債の額が非常に多いことが確認できるが、それが誰あるいはどの組織によるものかはわからない。上場していないので、成長と投資に必要な資金をどこから得ているのか、最大の株主の組合であるとすれば、組合がそれをどこから得ているかを示すべきである。

ところで、5G(第5世代移動通信システム)は、LTE、およびLTE-Advancedのさらに次世代の高速移動通信方式で、高い周波数帯を従来の低い周波数帯と組み合わせて用いることにより、通信の安定性を確保しつつ、100倍の高速化、1,000倍の大容量化を実現することをめざしている。
 ZTEとHuaweiは、この分野での急速な発展が両社の発展の原動力となっている。当面の最も重要なインフラストラクチャとなる移動通信分野で、中国政府の強い影響下にある両社の技術に依存し安全保障上の問題が生まれることを、先進各国は強く警戒している。

3 ZTEとHuaweiに対する日本の対応
米豪などのZTEとHuaweiに対する明確な対応に比較して、日本の政府や企業の対応は曖昧である。日米間の貿易戦争の過程で、日本はアメリカの一国主義に対してグローバリズムを主張している。確かにそれは、TPPを推進してきた日本の立場の主な戦略であることは疑いない。
しかし、日本企業は、これまでに特に中国政府・企業による、経営資源の移転への政治的な圧力、中国への投資に関しての様々な制限、知的所有権の侵害などの攻撃を受けてきた。そのような経緯を背景に、ようやく米豪などの主張に倣おうとしている。
(論文掲載時点に比較して、日本政府の対応は前進している)

さらに詳しくは、ZTEとHUAWEIの事業活動とその脅威(最新中国企業分析(2))論文(クリックしてください)をご参照ください。

ブログのTOPブログの目次新保博彦のホームページ

ZTEとHUAWEIの事業活動とその脅威(1)

私は私のWebsiteで、論文「ZTEとHUAWEIの事業活動とその脅威」(2018年10月2日)を公表した。このテーマがますます重要になっているので、このブログにその要約を2回に分けて掲載したい。詳しくは、ZTEとHUAWEIの事業活動とその脅威(最新中国企業分析(2))論文】(クリックしてください)をご参照ください。

米中の貿易戦争は激しさを増している。この戦争は、一面ではアメリカによる一国主義とグローバリズムの対立であるが、他面ではアメリカと中国の覇権争いのようにみえる。後者についてもう少し厳密に説明すると、グローバルな企業間競争において、中国政府とその強い影響下にある企業が、国内では自国の市場を閉鎖しながら、先進各国の市場に急速に浸透していることによる、中国政府・企業と先進各国政府・企業との対立である。対立は特に第5世代移動通信システムをはじめとする最先端産業で激しさを増している。

1 ZTEとHuaweiをめぐる最近の動き
日本経済新聞、2018/8/14によれば、「トランプ米大統領は(2018年8月)13日、2019会計年度(18年10月~19年9月)の国防予算の大枠を決める国防権限法に署名し、同法が成立した。・・・同法には、中国政府による米国でのスパイ活動に利用されている中国の通信機器大手、中興通訊(ZTE)華為技術(ファーウェイ)との契約を米政府に禁じる規定を入れた。」

アメリカでは、このような動きはかなり以前からあった。2012年に、アメリカ合衆国下院が提出した報告書”Investigative Report on the U.S. National Security Issues Posed by Chinese Telecommunications Companies Huawei and ZTE”は、様々な問題を提起し、ZTEとHuaweiに回答を求めている。
報告書はZTEとHuaweiに対して、それぞれの企業と中国政府、共産党、企業内党委員会との関係を説明すことを求めたが、両社は明らかにすることができなかったと結論づけている。この中国企業における共産党支配の問題は、中国企業全般に共通する問題であるが、両社が次世代のインフラストラクチャや防衛産業で果たしている役割から、特に先進国にとっては脅威となっている。

2 ZTEとHuaweiについて
クリックして拡大してご覧ください、以下も同様です
左の表ZTE (ZTE Corporation, 中兴通讯股份有限公司)の主な財務情報である。ZTEはHuaweiに比べて売上高は1/6でかなり小さく、その増加率も低い。2016年には一度赤字に陥ったが、翌年には回復した。ZTEの収入でのセグメント情報をみると、ビジネス・セグメントでは、Carriers’ networksが58.6%、Consumer businessが32.4%、Government and corporate businessが9.0%である。地域別にみると、国内は56.9%、中国を除くアジアが14.5%、欧米オセアニアが25.1%となっている。日本やアメリカの比重は不明である。

Nikkei Asian Review
右の図は、Nikkei Asian Reviewに掲載された図である。この図は、ZTEが公表している資料での株主をさらに遡って明らかにしている。直接の株主からさかのぼると、それぞれ共産党一党独裁の政府が100%支配する国有企業に行き着く。
ZTEは、次に検討するHuaweiとは異なって、その株主が示しているように、明確に政府の影響を強く受ける企業である。
アメリカ議会報告書が明らかにしたもうひとつの重要な問題点である、共産党の企業内委員会の問題はこの資料からは明らかにはならない。Annual Reportにも共産党に関する記述は無い。

第2節のHuawei (Huawei Technologies Co., Ltd., 华为技术有限公司)に関する部分と、第3節は、次のブログに掲載する。

ブログのTOPブログの目次新保博彦のホームページ

2018年12月4日火曜日

森本草介『光の方へ』


写実絵画への関心と、写実絵画を多数所蔵したホキ美術館の人気がますます高まっている。
ここでは、ホキ美術館を代表する画家、森本草介氏の作品集『光の方へ』(求龍堂、2012年)を紹介したい。森本草介氏は、1937年に朝鮮全羅北道に生まれ、2015年にもっと多くの作品を残されることを期待されつつ亡くなった。氏の作品が、ホキ美術館の最初の作品になったことはよく知られている。以下の作品の多くも同美術館の所蔵である。

まず、作品集のタイトルと表紙ともなった作品「光の方へ」、2004、ホキ美術館である。他の人物画と同様に、背景には何もなく、激しい動きも見られず、中央に向こうを向いた中腰の裸婦がいる。アングルの作品のように、モデルの身体のアンバランスはみられない。
柔らかい光が当たった肌からは体温が伝わってくるようにさえ感じられる。森本氏の作品の色調は、この作品のようにベージュ色に統一されていることが多い。

「背中は美しい。背中には表情があり、モデルがどんな人なのか想像を膨らませることができる」と森本氏は語ったそうである。(下記の文献、p.20)

そして、「光の方へ」は、「写実絵画の新世紀: ホキ美術館コレクション (別冊太陽 日本のこころ 241)」の表紙も飾っている。

次に「未来」、2011、ホキ美術館蔵。画集の中では、油彩最後の作品となっている。
背景や全体の色調は変わらないが、多くの作品とは異なって、女性は上半身にはうすく青みがかった白のドレスを着ている。いつものベージュ色の背景ととても対照的になっていて、美しさが際立つ。

左は、森本氏のもうひとつの田園の作品群である、「田園」、2001年、ホキ美術館
森や木々の緑色がとても弱く、やはりベージュ色で、塔や住宅の色と渾然一体となっている。川面すらもそれに近い色で、向こうに見える教会の塔が写っている。


ボルドーの香り」、2007年、十騎会第39回展(高島屋)(?)。
左上から光が入り、右下に向かって長い影ができている。光は葡萄の中に入り込み、みずみずしさが伝わってくる。

森本氏の作品には、葡萄だけではなく、他の果物やパンが並んでいる「果物たちの宴」(2001)という作品もあるが、葡萄が
たわわに実り、一粒一粒が引き立つこの作品が、私にはとても引きつけられる。



最後に、横になるポーズ」、1998年、ホキ美術館。ここに掲載した作品では最も古い時期のもの。
「「横になるポーズ」は保木さんに初めてコレクションしていただいた作品です。」「人物画については、血が流れて生きているように・・・と思って描きます。」(森本氏、ホキ美術館、収蔵作家と作品から)
「光の方へ」とは少し角度を変えて描かれていて、しばしば登場するモデルの表情が見られる。何枚かの淡い色の布が身体と台を幾重にも折り重なって覆っている。この淡く透き通って流れるような布は、どの作品にも登場してモデルの一部ともなっている。

『光の方へ』には、122の作品、その目録、年譜などが掲載されている。森本氏の絵画をゆっくりと楽しむには必須の画集である。ぜひ多くの方が手にとっていただきたいと思う。

ところで、ホキ美術館は、「ホキ美術館の写実絵画は、16世紀ルネサンス以降のダ・ヴィンチ、レンブラント、フェルメール、シャルダンなどが描いたような、物の存在感を描きだす写実絵画を念頭においています。」と説明している。しかし、ホキ美術館に並ぶ様々な画家の作品は、「写実絵画の新世紀: ホキ美術館コレクション」が示しているように、対象や手法はそれぞれかなり異なっている。それでも写実絵画とあえて呼ばれているのは、長く抽象絵画が大きな影響力を持ってきたからだろうか。

写実絵画の評価がさらに高まって、様々な手法の作品が競い合って描かれ、人々がそれらを自由に楽しむことができる環境がより整って欲しい。また、ホギメディカルの保木元社長の様な優れた経営者が、芸術活動の支援にどんどん乗り出してくれることもあわせて期待したい

2018年11月8日木曜日

歌麿の「世界で最も美しい画本」を紹介する浅野秀剛『歌麿の風流』

以下の内容を踏まえたYouTube動画を作成しました。「岡田美術館で歌麿の「雪月花」三部作を見る」、ぜひご覧ください。https://youtu.be/c2GCTUIQYKw (2023.9.23)

2013年5月2日に「世界で最も美しい画本:喜多川歌麿、Kitagawa Utamaro」を作成したが、紹介内容が少なすぎたのでここで大幅に増補改訂したい。
このブログは、歌麿の『画本虫撰』『潮干のつと』『百千鳥狂歌合』という主に3つの絵入り狂歌本を掲載した浅野秀剛『歌麿の風流』(小学館、2006年)を紹介した。『歌麿の風流』の表紙の帯にはこう書かれている。「世界でもっとも美しい「絵本」・・・子どもから大人まで、誰もが楽しめる浮世絵の世界を、最高水準の印刷技術で再現」。これらの狂歌本は歌麿のあまり知られていない重要な作品群でもあり、ぜひとも多くの人がこの書を通じて味わっていただきたい。

『歌麿の風流』p.8-9
3つの狂歌本を年代順に見ていこう。まず、『画本虫撰』(天明8年(1788))である。
「蝶 蜻蛉」、「白雲母を使った蝶と蜻蛉の羽に注目していただきたい」(かっこ内の解説は、著者によるもの、p.20、以下同じ)すべての画像はクリックしていただくと拡大され、よくわかります。
蝶の羽根は雲母で美しく輝き、蜻蛉は羽根が実に細かく描かれている。
なお、左の絵は、原本『画本虫撰』の見開き2ページの部分絵を少しずらして掲載している。

『歌麿の風流』p.14-15

右は、ひとつの画のように見えるが、実は『画本虫撰』の「虻 芋虫」(右半分)と「蛇 とかげ」(左半分)を合成している。
芋虫は葉を背景に、きめだしのみで描かれ、それが体型をうまく表現している。
「雲母がかけられた蛇の肌のぬめりにゾクゾクさせられる」(23)背の部分の雲母は黒雲母と思われるが、腹の部分は薄緑色と、うまく対照的に描き分けられている。


『歌麿の風流』p.30-31

次に『潮干のつと』(寛政1年(1789)年)。
この絵も2枚の原画の合成である。左の図の左上の「「きめだし」で表わされた、さざえの蓋の質感は見事というほかはない。」(36)
右下のあわびは、「うごめく身は不気味でさえある。」(37)
ここでも、ぜひ画を拡大して見ていただきたい。ともあれ、彫りと摺りの技術でこれほどまで立体的に表現出来るとは驚きである。


『歌麿の風流』p.52-53

3つめの狂歌本が『百千鳥狂歌合』(寛政2(1790)年頃)である。
右の図は、原画の「四十雀 こまどり」の部分図だが、こまどりと菊の位置は少しずれて掲載されている。
「「きめだし」で表わされた菊花と、こまどりの鮮やかな存在感が出色。」(63)
菊の花は、先の画の芋虫よりもはるかに大きく、色を使わず細かな模様をつけたきめだしのみで豊かに表現されている。

『歌麿の風流』p.56-57

最後の1枚、「鴨 翡翠(かわせみ)」が左の部分、右は「かし鳥 ふくろう」で合成されている。
「鴨と芦に留まる翡翠の鮮やかな色調により、本画帖中でももっとも華やかな1図となっている。」(65)鮮やかな色で目立つのは雄鳥だが、その後ろには雌鳥が見える。
右の図のくりくりとしたふくろうの目、留まっている木の枝も複雑に表現されている。


このように、3つの狂歌本は、多数の動植物の様々な表情を豊かに描き、歌麿の重要な作品群となっている。浅野秀剛『歌麿の風流』は、『画本虫撰』などの3つの絵入り狂歌本以外にもいくつか紹介している。
なお、3つの狂歌本を紹介した最近の本には、菊池庸介『歌麿『画本虫撰』『百千鳥狂歌合』『潮干のつと』』もある。こちらも印刷はとても良いので、版が小さいのが残念だが、おすすめのひとつである。

ブログのTOPブログの目次新保博彦のホームページ

2018年10月19日金曜日

『小原古邨の小宇宙』

小原古邨の小宇宙』(小池満紀子著、青月社)が、最近刊行された。古邨は明治10年2月9日に、現在の石川県金沢市に生まれた。彼の作品が外国向けの土産物として制作され、海外で評価されていたため、国内ではあまりよく知られないまま今日に至ったと言う。

最近になって、原安三郎氏のコレクションに多数所蔵されていることがわかり、改めて注目されている。『小原古邨の小宇宙』は、古邨の作品をまとまって紹介した最初の本である。この本がぜひ多くの読者を得て欲しいが、あわせてこれに続いて本格的な研究が発表されることを期待したい。



蓮に雀
青月社編集部は、原安三郎氏のコレクションについて次のように説明している。「小原古邨の作品は260点あまりを所蔵。・・・これほどまとまって所蔵されている例は国内では類を見ない。加えていずれも初摺で保存状態が良く、質量ともに日本屈指の古邨コレクションといえる。」(上掲書95ページ、以下同じ)

いくつか代表的な作品を紹介しよう。多くの読者が、現代に受け継がれた繊細で美しい古邨の花鳥画の版画世界に魅了されることは間違いない。できればもう少し鮮明な画像にして欲しかった。また、制作年時などの基本情報を詳しく掲載して欲しかったと言うのが、私の率直な感想である。

右上は、本書の表紙にも選ばれた、「蓮に雀」である。鮮やかな蓮の花の右上に小さな雀が見える。蓮の葉からの長く伸びるしずくも印象的である。

崖上の鹿
左は、「崖上の鹿」である。ここでは、「・・・山肌には、きめ出しとよばれる木版画の高度な彫りと摺りの技が見られ、画面に生じた凹凸と和紙の風合いとによって、雪の質感を表現しています。」(73)
きめ出しとは、「色摺が済んだ絵を版木にのせ、絵具をつけずに板の窪んだ部分を紙の裏から刷毛やブラシで叩くように隆起させ画面の一部分に立体感を出す」手法。(アダチ版画)

雪の柳に烏
右は、「ラフカディオ・ハーンの遺著となった“Japan an Attempt at Interpretation"の表紙」(93)となった有名な作品「雪の柳に烏」である。ここにも「漆黒の烏の羽には、正面摺という木版画独特の技法」が用いられている。(83)
正面摺は、「絵が摺り上がった後、光沢を出したい部分の下に模様を彫った版木を置いて表面からこする方法」(サライ)。

本書では、拡大図が掲載されているので、羽根の部分を目をこらして見るとよくわかる。この作品の高い評価は、おそらくこの羽根の摺りと、枝に積もった雪に使われているきめ出しによるのではないだろうか。

このように、作品の質感を表現する、江戸時代から受け継がれた代表的な手法が、様々な場面で使われている。:最下段に掲載)

桜につがいの孔雀
最後に豪華な1枚、「桜につがいの孔雀」である。小原古邨の作品は色彩が抑えられているが、この作品は最も豊かな色彩で豪華に描かれているように思われる。雌の孔雀が雄の見事に拡げた羽根に隠れて見え、背後には桜が咲き乱れている。

ところで、2009年に「よみがえる浮世絵~うるわしき大正新版画~」という展覧会が、東京江戸博物館で開かれた。会では、「大正から昭和前期の近代東京において発展し、 海外からも高い評価を得た「新版画」の代表作品を一堂に紹介!」として、橋口五葉、小早川清、川瀬巴水、笠松紫浪、山村耕花、吉田博などとともに、小原古邨の作品も展示されていた。

私のブログ『吉田博 全木版画集』では、吉田博の作品を紹介したが、激しい水の動きなどの自然と、世界各地を対象にした、小原古邨とは大きく異なる作品群だった。今後も、近代の版画作品がもっと紹介され、江戸時代に比べてどのような発展と進化があったのかが明らかになることを期待したい。

:江戸時代の浮世絵には、「雲母や胡粉による華やかさの演出、きめだし・空摺・ぼかしなど、卓越した摺りが支えた、(喜多川歌麿の)「世界でもっとも美しい絵本」」(浅野秀剛『歌麿の風流』)がある。その一部は、私のブログ「歌麿の「世界で最も美しい画本」を紹介する浅野秀剛『歌麿の風流』で紹介した。

ブログのTOPブログの目次新保博彦のホームページ

2018年10月2日火曜日

「西宮市立甲陵中学校 37年卒 みんなのブログ」を紹介

私が卒業した中学校の卒業生の立派なブログ西宮市立甲陵中学校 37年卒  みんなのブログを紹介したい。私達が卒業して半世紀近くになっているが、ブログがある学年はそれほど多くない。ブログを開始し、日々更新している人々に感謝して、そのページを紹介したい。
ゴルフを得意とする人が多いので、トップ・ページは「第23回 甲陵中S37卒ゴルフコンペ 成績発表」となっている。それだけではなく、同窓会やその幹事会は何度も開かれていて、メンバーはとても仲が良い。もちろん今では現役は少ないが、社会の様々な場で活躍されてきたひとばかりである。ただし、とても残念なことに、最近は同級生にも訃報を聞くことがある。

なお、中学校には立派なホームページがある。ぜひご覧いただきたい。多彩な内容で校歌も流れてくる。

また、以下は私達が教えていただいた先生方である。写真が示すように、中学校は西宮市の甲山の麓にあった。左の少し奥の方には関西学院の時計塔も写っている。


私達が10代半ばなので、当時の先生方は30歳代とすると、今では80歳を超えておられることになる。何人の方がお元気でお過ごしだろうか。この歳になっても先生方が話されたこと、注意されたこと、小さな振る舞いなど覚えていることがある。

清水先生(右から2人目):私達の担任の先生。野球全盛の時代にサッカーを持ち込み、その姿があまりにかっこよく、女子生徒にはとても人気だった。スポーツマンであると共に、授業の黒板やノートなどはとても丁寧で美しい字を書かれていたことを思い出す。今もご健在である。

国井先生(左端):この世代の生徒で国井先生を思い出さない人はいないと思う。甲陵中学にはかなり広い梅林があった。梅林の手入れはとても大変だったと思われるが、それを一身に引き受けられたのが先生で、私達は職業・家庭の時間に手伝った。とても厳しい先生で、梅林や生き物の大切さを教えてくださったのだろう。

右は、この梅林の沿革を記載した西宮市の説明(碑?)である。「梅開く---甲東園梅林」から転載させていただいた。

西川先生(左から3人目):音楽室には、バッハやベートーベンなどの作曲家の肖像画が掲げられ、様々な楽器があって、独特な雰囲気だった。今回、校歌の作曲が西川先生によることに気がついた。すごい先生だったのだと改めて振り返った。

右から順に、戎居先生:国語、清水先生、佐々木先生:英語、山内先生:社会、建先生:理科、北脇先生:※、小籔先生:数学、沢先生:国語、久保先生:※、左から3人目は西川先生:音楽、佐野先生:※、国井先生。
※印の北脇先生、久保先生、佐野先生には、クラスが多かったので、私が教えていただいていないのか科目の記憶に無い。申し訳ありません。

ブログのTOPブログの目次新保博彦のホームページ

2018年9月20日木曜日

"Leonardo Da Vinci: The Complete Paintings and Drawings"を紹介します

『岩窟の聖母』ロンドン版、部分
Frank Zoellner and Johannes Nathan, Leonardo Da Vinci: The Complete Paintings and Drawings, Taschen, 2011を紹介します。
これは2巻から成り、箱に入っている。Volume I The Complete Paintings, p.252, Volume II The Graphic Work, p.699.

この膨大なページ数から成る、印刷のきわめて鮮明な本を、2011年8月に購入していたが、なんと当時は2208円、特別な安さだった。現在は5071円。どうしてこのような値段で制作できるのか、全世界で販売できるからだろうか。本当に不思議であり、喜びである。最近改訂版も出ているようである。

そして、この本のもうひとつの重要な特徴は、主要な作品が画像が大きく拡大されていることである。ここまで精細に紹介されると、絵から受ける印象が全く異なって見える。以下では、すべて部分図を掲載した。一部の画像は2ページにわたっているので、肝心の部分に筋が入ってしまっているのは残念である。
本ブログでは、Volume Iを、私の特に好きな絵を中心に紹介します。

『岩窟の聖母』ロンドン版、部分
『岩窟の聖母』第1作がルーブル美術館に(1483-86年制作)、第2作がロンドン・ナショナル・ギャラリー(1506年以前)にある。後者も最近ではレオナルド自身による作品とみなされるようになっている。

本ブログでは、聖母マリア(最上段左)と天使(右)の両方ともロンドン版を掲載した。ともにロンドン版の方が、光が強く当たり、表情が鮮明で美しい。ダ・ヴィンチを代表する女性像である。

この2つの作品の違いについて、裾分一弘氏は『もっと知りたいレオナルド・ダ・ヴィンチ』で4点を挙げている。そのうちのひとつが、「マリアの顔に当たっている光の具合が微妙に異なり、ロンドンの作品のほうが、陰影が濃くなっている。」である。(p.30)

『聖アンナと聖母子』ロンドン版、部分
『聖アンナと聖母子』、やはりルーブル美術館(1510年頃)とロンドン・ナショナル・ギャラリー(1498-99年頃)の両方にある。『聖アンナと聖母子』の場合は、ロンドン版がかなり早い段階のものだとされているし、絵からわかるようにかなり未完成である。

ルーブル美術館版は独特な構図で完成された作品である。ロンドン版の聖母マリアの表情が聖アンナに比較して微笑みがずっと優しく、ルーブル版は表情がとても抑制的に見える。

『聖アンナと聖母子』ルーブル版、部分
やはり裾分一弘氏は4点の違いを挙げている。「ルーヴルのアンナがあくまでも穏やかさをたたえているのに比ぺ、ロンドンの作品ではその目が印象的だ」「ロンドンの作品でかすか微笑みを浮かべているのに対して.ルーヴルの作品では憂いが強調されているようである」(p.70)

この2枚の代表作のそれぞれの2つの作品が、どうしてこれほどまでに違うのか、とても興味深いが、考え込んでしまう。

『洗礼者ヨハネ』、ダ・ヴィンチの遺作だと言われる。ダ・ヴィンチが、『モナ・リザ』と『聖アンナと聖母子』とともに最後まで持っていた作品である。

背景はこれまでしばしば登場した遠近法で描かれた自然ではなく黒一色で、洗礼者ヨハネのみが描かれている。その独特な微笑みとともに、人差し指が天に向けて指し示しているが、それが何を意味するかを私達に問いかけているようにみえる。
『洗礼者ヨハネ』、部分

いうまでもなくLeonardo Da Vinci: The Complete Paintings and Drawingsには、これ以外にも多数の作品が掲載されている。ぜひ実際に手にとってご覧いただきたいと思う。何度も読み返す内に、最新版の5071円でも、改めてその安さに驚くのではないだろうか。

ブログのTOPブログの目次新保博彦のホームページ

2018年8月16日木曜日

DVD 東京裁判をもう一度紹介します

今日は8月15日で、第2次世界大戦が終了した日である。この戦争とその後の東京裁判について見直すために、私は2012年8月16日に「DVD「東京裁判」を改めて見直す」というブログを作成した。

DVDの内容を改めて詳しく紹介するつもりだが、そのブログで欠けていたDVDそのものの基本情報をあらかじめ簡単に紹介したい。DVDに付属しているしているリーフレット(ここをクリック)である。リーフレットは、「解説」「裁かれる日本の十七年八ケ月」「法廷を構成した人たち」から成っている。

上記の私のブログは、裁判で最も注目すべき一人のブレークニー弁護人の弁護内容を、DVD「東京裁判」の字幕とナレーションに基づいて紹介したものである。もう一度以下に掲載したい。

『戦争裁判余録』から
ここでは、当時の被告人弁護団の活動についてふれておきたい。特に、ベン・ブルース・ブレークニー(Ben Bruce Blakeney, 1908年-1963年3月4日)氏の活躍は、特筆すべきものであった。彼らの活躍は、アメリカの民主主義の強さを象徴している。

ブレークニー弁護人の弁護内容を、DVD「東京裁判」の字幕とナレーションで紹介しておこう。
「戦争は犯罪ではない。戦争に関し国際法の法規が存在していることは、戦争の合法性を示す証拠であります。戦争の開始、通告、戦闘方法、終結をきめる法規も、戦争自体が非合法なら全く無意味です。国際法は、国家利益の追及の為に行う戦争をこれまでに非合法と見做したことはない」
「歴史を振り返ってみても、戦争の計画、遂行が法廷において犯罪として裁かれた例はひとつもない。我々は、この裁判で新しい法律を打ち立てようとする検察側の抱負を承知している。しかし、そういう試みこそが新しくより高い法の実現を妨げるのではないか。“平和に対する罪”と名付けられた訴因は、故にすべて当法廷により却下されねばならない」
「国家の行為である戦争の個人責任を問うことは、法律的に誤りである。何故ならば、国際法は国家に対して適用されるものであり、個人に対してではない。個人に依る戦争行為という新しい犯罪をこの法廷が裁くのは誤りである。」「戦争での殺人は罪にならない。それは殺人罪ではない。戦争が合法的だからです。つまり合法的な人殺しなのです。殺人行為の正当化です。たとえ嫌悪すべき行為でも、犯罪としてその責任は問われなかったのです。」
「キッド提督の死が真珠湾攻撃による殺人罪になるならば、我々は、広島に原爆を投下した者の名を挙げることができる。投下を計画した参謀長の名も承知している。その国の元首の名前も我々は承知している。彼らは、殺人罪を意識していたか?してはいまい。我々もそう思う。それは彼らの戦闘行為が正義で、敵の行為が不正義だからではなく、戦争自体が犯罪ではないからです。何の罪科でいかなる証拠で戦争による殺人が違法なのか。原爆を投下した者がいる。この投下を計画し、その実行を命じ、それを黙認したものがいる。その人達が裁いている。」
(上記DVDの「前編 47.弁護側補足動議 ファーネス、ブレークニー両弁護人」から)


なお、ファーネス弁護人は、ブレークニー弁護人の発言に先立って、「真に公正な裁判を行うのならば、戦争に関係の無い中立国の代表によって行われるべきで、勝者による敗者の裁判は決して公正ではありえない。」と簡潔明瞭に述べている。

ブレークニー、ファーネス両氏については、豊田隈雄著『戦争裁判余録』(泰生社、1986年)に、「学究ブレークニー、天城山に死す」「芝居好きのファーネス」として紹介されている。あわせて参照していただきたい。ここに掲載した両氏に写真は同書から転載させていただいた。

2018年8月10日金曜日

佐川美術館「⽣誕110年 ⽥中⼀村展」


ビロウとアカショウビン
ビロウとコンロンカ
佐川美術館開館20周年記念の第⼆弾特別企画展として、「⽣誕110年 ⽥中⼀村展」開催されていたので、とても楽しみにして出かけた。テレビでも同様の企画がいくつもあって関心が高まっていたのだろう。平日にもかかわらず多くの人々が参加していた。

まずは、美術館の壮大さに驚く。敷地面積が28,871.58平方メートル、建築面積が6,280.08平方メートルだという。それだけではなく、周囲が水で囲まれ建物が水に浮かんでいるようでとても美しい。

「⽣誕110年 ⽥中⼀村展」は4つの章に分かれていて、多数の作品が展示されていた。これらの一連の作品から、最後期の「奄美時代」にどう至ったかを見るというのが、今回の展覧会の大きなねらいだと言えるだろう。
第⼀章 ⻘少年時代、若き南画家(1915〜1930年︓7歳〜22歳)
第⼆章 千葉時代、新しい画⾵の模索(1931〜1946年︓23歳〜38歳)
第三章 ⼀村誕⽣(1947〜1957年︓39歳〜49歳)
第四章 奄美時代、旅⽴ちと新たなる始まり(1958〜1977年︓50歳〜69歳)

しかし、田中一村を長く見続けてきていない私には、まずは「奄美時代」の作品がどのような作品なのかをできるだけ多く見たいというのが率直な気持ちだったので、今回の展示にはやや不満が残った。期待が大きすぎたと言うことかもしれない。ともあれ、一村の理解には欠かせない、大矢鞆音氏の『もっと知りたい 田中一村』に依りながら(以下の作品名はこの書籍から採った)代表作を見ていきたい。

まず、ビロウとアカショウビン(1962、最上段左)と、ビロウとコンロンカ(1962-63、最上段右)である。大矢氏の書籍の表紙を飾る、ビロウとアカショウビンは奄美に渡って聞もない頃に描いた作品で、それまでとは非常に異なった対象を本格的に描いた象徴的な作品である。ただ、これまでに描かれた鳥たちと異なって、中央にとまっているアカショウビンはやや平板に見えるのはどうしてだろうか。
ビロウとコンロンカは、「枇榔樹の森に崑崙花」として展覧会場に掲げられている。画面いっぱいにピロウ樹があり、その中央に絹の白さを生かしたのコンロンカのがくが一面に描かれている。その白さは、レビュー作の「白い花」(1947)に通じる作品と言えるだろうか。「ビロウ樹、右手前から出る葉に「堀り塗り」の手法を用い、俵屋宗達の「牛図」、伊藤若冲の「菜蟲譜」などを想起させる意欲作だと言う。」(『もっと知りたい 田中一村』、p.77、以下同じ)

榕樹に虎みみづく
アダンの海辺の図
左は、榕樹に虎みみずく(昭和40年代)である。榕樹(ガジュマル)が画面いっぱいに拡がっているその最上部に虎みみずくがじっとこちらを見つめている。また、右中央のハマユウの花から強い光が放たれている。
大矢氏が書かれているように、「厚塗りの難しい絹本に、一気に描いていく画家のカを思う。」(81)他の作品でも同様だと思われた。

右はアダンの海辺の図(1969年)で、展覧会には「アダンの海辺」として飾られている。大きく成長したアダンと繊細に描かれた海岸、遠くまで見通せる奄美の海、高い雲、奄美の田中一村を象徴する作品だと思われる。

クワズイモとソテツ
本ブログに掲げる最後の作品が、クワズイモとソテツ(1974年)である。一村は、この作品とアダンの海辺の図を「閻魔大王への土産品一命かけた一作」(92)と呼んだという。彼が亡くなったのは1977だったので、最晩年の作品である。
 (死亡した年の表記に誤りがありました。お詫びして訂正いたします)
何よりも最初にその色彩の豊かさに驚く。真っ赤なクワズイモの実が登場する。さまざまな方向に伸びるクワズイモの成長の力が、画面いっぱいにあふれている。
一村を日本のルソーとかゴーギャンなどと評価する人もいるが、そういう評価が生まれるのも納得する一枚だろう。

以上の5枚の作品だけでも、絵の対象、構図、色使いなどの描き方など、一村が奄美の自然の中でそのつど新たな世界を開いているように思われる。もし、彼がもう少し長生きできていたら、またひとつ違う世界が生み出されたのだろう。

水に取り囲まれた佐川美術館、そして田中一村の展覧会、さらに平⼭郁夫⽒、佐藤忠良⽒、樂吉左衞⾨⽒の作品も同時に見られるので、かなり混み合うので時間を選ばないといけないが、ぜひ多くの方が見に行かれることをおすすめしたい。

ブログのTOPブログの目次新保博彦のホームページ

2018年8月5日日曜日

『中国株二季報』でみる中国企業50社

私の私のWebsite、中国の代表的な企業50社について、『中国株二季報 2018年夏秋号』(DZHフィナンシャルリサーチ編)によってまとめた論文を掲載した。本ブログはその要約である。
なお、論文は『中国株二季報』でみる中国企業50社(最新中国企業分析(1))論文】(クリックしてください)で読むことができます。

『中国株二季報』は2001年に創刊され、今では中国企業に投資する必須の文献のひとつとなっている。
最近激しさを増している、トランプ政権の対中貿易戦争を理解するためには、これらの文献によって、両国の経済を担っている代表的な企業の動向を捉えることが不可欠である。

その論文で取り上げた中国企業の50社は、4-Traders のChinaとHong Kongの株式時価総額順(2018年7月15日)の企業群に、『中国株二季報』に掲載された海外市場に上場している6社を追加した、時価総額順の上位50社である。

以下の表1は50社のうち上位10社のみを掲げている。中国最大の企業はインターネット通販の阿里巴巴集団控股有限公司(Alibaba Group Holding Ltd.)である。持株会社はもちろん、子会社のいくつかはタックス・ヘイブンのCayman Islandsで登録されていて、Cayman Islands企業として活動している。当然ながらその目的は節税や情報の秘匿であると思われる。
Alibabaの急激な発展を支えたのは、インターネット通販という新たな事業を確立したことであるが、何よりもそれを中国という巨大な市場で実現したことである。
Alibabaの事業は、CtoCのTaobao(淘宝網)、BtoCのTmall(天猫)が中核である。Alibabaの決済を担っているのは、新たに33%の株式を取得した 、Ant Financial Services(螞蟻金融服務集団)の傘下のAlipay(支付宝)である。SNSの新浪微博公司(Weibo Corp.)も傘下にある。
クリックすると拡大できます、次の図も同様です
Alibabaと並ぶ二強のもうひとつは、騰訊控股有限公司(Tencent Holdings Ltd.)である。Tencentは、対話アプリWeixin(微信、海外ではWeChat)やポータルサイトQQ.comを基盤にゲームやスマホ決済、動画配信などを展開している。
ところで、GoogleやFacebookは、世界で幅広く活動しているが、中国共産党政権はそれらの活動を認めていないため、その特殊な条件の下で、Tencentはその事業を急速に拡大している。TencentにおいてもAlibabaと同様に、個人情報を含むさまざまな情報は共産党政権が収集し監視している。監視は中国人と中国企業はもちろん、当然のことながら中国で生活する外国の個人、事業活動を行う外国企業にも及んでいる。それらの情報がどのように用いられているかは、今後中国国内だけではなく、世界の最も重要な問題のひとつとなるだろう。

上位10企業には、AlibabaとTencent以外では、金融・証券・保険の企業5社がずらりと並ぶ。中国工商銀行股份有限公司、中国建設銀行股份有限公司などである。それ以外では、石油・石炭の中国石油天然気股份有限公司、通信の中国移動有限公司が注目される。

次に中国企業にとっては非常に重要な各企業の筆頭株主について明らかにしてみたい。
その中で、最も共産党政権の強い影響下にあると思われるのが、中国の政府系ファンドとして有名な中国投資有限責任公司の傘下にある中央匯金投資有限責任公司が筆頭株主である4つの巨大銀行である。
これ以外に政府系企業は3社ある。
次に注目されるのは、中国特有の国有企業の支配である。国有企業だとみられる集団公司あるいは集団有限公司が筆頭株主になっている企業は17社ある。
以上をまとめると、共産党政権の影響力が強い企業を合計すると24社となる。中国・香港市場に上場し筆頭株主が示された論文が取り上げた41社の58.5%を占める。
その他では、一般の企業が親会社である企業(子会社)が7社、親会社が外国企業であるのは4社、個人や家族が所有しているいわゆる財閥企業は6社である。

論文の第2節は中国企業50社の産業構成を明らかにしている。最大の産業は金融・証券・保険で、第2位の産業が、IT・ソフトウエア産業である。後者の地位は、上記の通り急上昇しており、オールド・エコノミーとニュー・エコノミーとの競争がいちだんと活発になっている。
第3節は中国企業50社の財務情報を詳しく明らかにしているが、スペースの都合で、上位10社のみ掲載し、様々な興味深い事実を明らかにしているが、本ブログでは省略したい。論文を参照していただきたい。

このように、『中国株二季報』は、有力な中国企業を詳しく紹介している貴重な文献である。ぜひとも多くの方々が、この書を通じて、中国企業とその経済の理解を深めていただきたい。
また、あわせて前回のブログ「『米国会社四季報』でみるアメリカ企業100社」を読んでいただければ、アメリカ企業との比較もできる。



2018年7月10日火曜日

『米国会社四季報』でみるアメリカ企業100社

『米国会社四季報』が東洋経済新報社によって2014年に刊行が開始されて、今年は5年目になる。アメリカにおける情報技術の革新が急速に進み、その恩恵が我が国にも幅広く浸透し、アメリカ企業への関心が強まっている。また、アメリカ企業などへの直接に投資ができる証券会社も増え、有力な投資先としての意義と魅力も増してきている。

『米国会社四季報 2018春夏号』は、「注目企業」101社と「有力・成長企業」538社を掲載しているが、私は論文『米国会社四季報』でみるアメリカ企業100社 論文】(クリックしてください)で、そのうち時価総額順に100社を選び、主要な情報を整理し、その特徴を明らかにした。

本論文で取り上げたアメリカ企業100社は、東洋経済ONLINEがまとめた、2018年4月13日の株式時価総額順による100社である。『米国会社四季報』での株式時価総額は2018年3月13日時点のものである。
論文末の付表1では100社を、本文中の表1では上位30社を一覧にした。掲載した項目は、Symbol、産業、時価総額(10億USドル)、創業年、上場市場、各Indexへの採用、PER、株主(機関投資家、その他一般株主)である。
下の表は、表1および付表1のうち上位10社と、100社の最大値、最小値、平均値である。
(クリックすると表は拡大できます、次の表も同様です)

以下では主な検討結果を簡単に紹介して行きたい。
・しばしば指摘されるように、100社の上位にはFAANG株の企業が並ぶ。F(Facebook)、A(Apple)、A(Amazon)、N(Netflix, 36位)、G(Google, Alphabet)である。
PERの100社平均は42.56である。アメリカ企業の平均が20倍前後と言われているので、100社平均はほぼその2倍となっている。分布をみると、一桁が7社、10台が28社、20台が33社、30台が12社、40台が4社、50台が5社、それ以上が11社もある。
・アメリカ市場での機関投資家の比重は高まっていく傾向にあるが、「有力・成長企業」を除く68社の平均は71.0%を超えている。
・アメリカ企業100社の最大の産業はソフトウエア・サービスで、それに属する企業は12社、株式時価総額は100社合計の20.2%に達する。第2の産業は、医薬・バイオ・ライフサイエンスで、11社からなり、時価総額は100社計の9.4%である。
・これに対して、従来アメリカ企業の中心であった、銀行やエネルギー、自動車などの産業の地位は低下している。アメリカの自動車3社は100社にランクインしていない。

次に、全100社を付表3で、上位30社を表3で一覧にする。取り上げるのは、売上高(2017、2013年度)、希薄化後1株利益(2017、2013年度)、自己資本比率、フリーCF、ROE、研究開発費、100社の最大値、最小値、平均値である。
下の表は、表3および付表3のうち上位10社と、100社の最大値、最小値、平均値である。














売上高増加率(2017年度と2013年度の比較、年率)が最も高いのは、Facebook Incの50.66%である。79億ドルから407億ドルに増加した。希薄化後1株利益の増加率(2017年度と2013年度の比較、年率)では、Starbucks Corp の274.64%が最も高い。絶対額は小さいが、1000万ドルから19.7億ドルへの増加である。
自己資本比率は、100社では32.96%であるが、金融と非金融では大きな差がある。金融の銀行6社と各種金融6社の平均は13.02%である。
「フリーCF」は事業活動によって得たキャッシュから事業を継続するための資金を差し引いたもの」である。フリーCFが100億ドルを超える企業は17社ある。最も多いのはApple Incの388億ドル、Alphabet Incの234億ドルが続く。
ROEは、100社のうちデータが無い34社を除く66社の平均で56.96である。日本企業が改革を通して模索している目標が10なので、上位企業の数値とは言えはるかに高い。
研究開発費が100億ドルを超す企業は6社で、Amazon.com Incの226億ドル、Alphabet Incの166億ドル、Intel Corpの131億ドルが上位3社である。

なお、論文では、アメリカ市場の30ETF(Exchange Traded Funds)の紹介も試みているが、スペースの都合で割愛する。
このように、『米国会社四季報』は、有力なアメリカ企業を詳しく紹介している貴重な文献である。ぜひとも多くの方々が、この書を通じて、アメリカと言う国、アメリカ経済の理解を進め、アメリカへの投資のために活用していただきたい。

ブログのTOPブログの目次新保博彦のホームページ

2018年6月21日木曜日

木村光彦『日本統治下の朝鮮』を読む(2)

前回に続き、木村光彦『日本統治下の朝鮮』の第4章以降を紹介したい。なお、この著作の書評を、私のWebsiteにやや長文で掲載したが、以下はその要約(後半部)である。
 掲載した書評の完全版は、書評「木村光彦『日本統治下の朝鮮』を読む」論文】(ここをクリックしていただいても読めます。

第4章では、日中戦争から帝国崩壊までの時期について、「1 総督府の膨張」では総督府の財政を、「2 食糧増産計画と農業統制」では食料生産の状況を具体的に示した。「4 軍事工業化―総力戦に不可欠な領域化」では、希少鉱物とその用途、製鉄所、軽金属工業、肥料・化学材料その他について詳しく紹介している。この過程のすべてで、野口遵の日本窒素をはじめとする多数の日本企業が活躍していることが改めて詳細に紹介されている。最後に帝国日本全体と朝鮮の1944年末の基礎資材生産能力をまとめている。

(水豊ダム、Wikipedia)
そして、「5 朝鮮の「戦争経済」とは」では、「・・・戦時期、域内の工業成長によって自給度が高まった。朝鮮史の研究者の間では、朝鮮経済は戦時期、内地経済にいっそう従属するようになったという見解が多くみられる。しかし実際は、むしろ逆であった。」(166)という結論が導かれる。
さらに注目すべきなのは、「他方、「鮮満一如」が謳(うた)われたように、朝鮮と満洲の経済的結びつきが強まった。」(166)事実である。水豊ダムの例は最も大規模な事例だが、他にも京城紡織金秊洙が南満紡績を設立し、満洲で活躍したという事実があることも私の著作では強調した。

世界最大の鴨緑江水力発電機(東芝未来科学館)
第5章「2 戦時期との連続・断絶」で、木村氏は、「北朝鮮の連続性、南朝鮮の非連続性」という特徴付けを、3つの南北比較で試みている。北朝鮮には、全体主義というイデオロギー、統制経済、軍事化という特徴が付けられ、それは日本統治下の北朝鮮から受けついだとされている。

わかりやすい類推ではあるが、私はこの結論について、木村氏の第5章までの分析や、それへの私の補足とは対立するばかりか、戦前日本の経済と企業について誤解を招く表現だと指摘しておきたい。確認しなければならないのは、野口遵が率いる日本窒素など日本企業などによる、市場を基礎とする企業活動は、拠点を北朝鮮に置いており、北朝鮮から朝鮮をけん引していたという事実である。また、これらの日本企業の電力・化学などを中核とする産業構成は、必ずしも軍事産業とは言えない。これに対して、北朝鮮の全体主義というイデオロギー、統制経済、軍事化からなる社会主義経済と、それを支える国有企業は、ソ連とその支援を受けた現在の北朝鮮指導部によって外部から軍事的・強制的に持ち込まれたものであり、日本の遺産を「継承」したのではない。

終章では、貿易、投資、人の移動などで順に、朝鮮統治の結果が検証されている。なかでも興味深いのは、「投資は内地に巨額の利益を生んだか」の箇所である。
「内地人投資者は対朝鮮投資から高利潤を上げたといわれる。」しかし、「朝鮮の対外投資収益支払額(すべて内地向けとみなす)は一九三〇年代、内地の国民所得の〇・五%未満、非農業部門の財産(利潤・利子)所得に対しても、一・五%未満にすぎない(表6-3)」(197-8)この低さは、当時の朝鮮在住の日本人はいうまでもなく、在朝鮮日本企業が得た収益の多くを朝鮮に再投資していたことを表している。日本は対朝鮮投資の利益の多くを内地に環流させたわけではなかった。
そして、以下のまとめで本書が締めくくられる。「総合的にみれば、日本は朝鮮を、比較的低コストで巧みに統治したといえよう。巧みに、というのは、治安の維持に成功するとともに経済成長(近代化と言い換えてもよい)を促進したからである。」(202)

木村光彦氏の実証主義に徹した朝鮮論による『日本統治下の朝鮮』は、日本統治下の朝鮮経済を理解するため基礎的な事実を広範囲に明らかにした。今後、この課題を考えるための基本的な著作となるだろう。新書という形式でもあり、多くの専門家ではない読者に幅広く読まれることを期待したい。イデオロギーや民族感情、政治的配慮ではなく、実証主義に徹した歴史研究こそが、日本と韓国・北朝鮮の関係を抜本的に改善する基礎である。

木村光彦『日本統治下の朝鮮』を読む(1)

日本統治下朝鮮の経済についての画期的な著作が刊行された。木村光彦『日本統治下の朝鮮 統計と実証研究は何を語るか』、中公新書、2018年4月25日発行である。この著作の書評を、私のWebsiteにやや長文で掲載したが、以下はその要約である。
 掲載した書評の完全版は、書評「木村光彦『日本統治下の朝鮮』を読む」論文(ここをクリック)していただいても読めます。

木村氏の著作のねらいは、「まえがき」の次の一節に簡潔明瞭に要約されている。「本書ではそのような[共産主義思想](この[ ]は新保による補足を示す)イデオロギーを排し、実証主義に徹した朝鮮論を提示したい。論点は経済にしぼる。幸い、近年、この分野の研究は長足の進歩をとげ、かつての見解を一変させる議論も登場している。それは、統計データの整備・分析の進展によるところが大きい」(iv、数字はページ数、以下同じ)

目次は以下の通りである。
まえがき
序章 韓国併合時―一九一〇年代初期の状態とは
第1章 日本の統治政策―財政の視点から
第2章 近代産業の発展―非農業への急速な移行
第3章 「貧困化」説の検証
第4章 戦時経済の急展開―日中戦争から帝国崩壊まで
第5章 北朝鮮・韓国への継承―帝国の遺産
終章 朝鮮統治から日本は何を得たのか

野口遵(Wikipediaより)
以下では重要な章を、2回のブログに分けて詳しく紹介したい。
第2章は、「1 農業生産の増加―貨幣経済の進展」から始まり、最も重要な箇所のひとつである「2 鉱工業の高成長―未開発からの勃興」に進む。
この節で最も注目されるのは、近代産業発展の担い手となった、様々な分野の日本企業、なかでも野口遵と日本窒素の活動の紹介である。 それは内地にも見られなかった大規模な事業で、以下の節で詳説されているように、朝鮮半島の経済を一気に世界的なレベルに高めた。
日本窒素の子会社朝鮮窒素(Wikipediaより)

次節に以下の様な適切な記述がある。「比較経済史の観点からみると、工業化の進展は、欧米の植民地にはない特異なものであった。とくに、本国にも存在しない巨大水力発電所やそれに依拠する大規模工場群の建設は、日本の朝鮮統治と欧米の植民地統治の違いを際立たせる。」(85)「野口遵による大規模電源開発と化学工業」「世界的化学コンビナートの出現」「野口のさらなる事業展開」(73-78)、さらに第4章「電源開発―水豊ダム」(127-8)をぜひ参照していただきたい。

ところで私は、私の著作Japanese Companies in East Asia: History and Prospects: Expanded and Revised Second Editionで、日本窒素などの新興財閥の企業形態が、金融市場に基盤を置く市場中心型コーポレート・ガバナンスの企業であったこと、その特徴を持つ企業は、市場の幅広い株主から資金を調達し、利益の多くを株主に還元する企業だったことを明らかにした。この企業形態は、社会主義国では大部分を占め、発展途上国では支配的な企業形態である国有企業とは全く異なっていた。

第2章にはもうひとつ注目すべき節がある。「3 驚異的な発展と朝鮮人の参画」である。「ここでとりわけ強調すべきは、産業発展に被統治者の朝鮮人が広く関与したことである。・・・。驚異的な発展は、統治側・被統治側の双方の力が結合して起こったのである。」(85)
この点について詳しくはエッカートの『日本帝国の申し子』を参照していただき、さらに多数の朝鮮人企業について詳しくは私の著作を参照していただきたい。

すでにみたような急速な経済発展があれば、全体としてみれば、朝鮮人の賃金も上昇し、生活水準も改善すると予想される。木村氏は、第3章で、小作農の増加、食料消費量と身長の変化から、それを捉えようとした。