2015年6月1日月曜日

決して忘れてはならない天安門事件と08憲章、Tiananmen Square protests of 1989 and Língbā Xiànzhāng

6月4日は、日本人も決して忘れてはならない天安門事件があった日である。まずは以下を見ていただきたい。
NHK名作選 みのがしなつかし 天安門事件 武力鎮圧(動画)

天安門事件とは、「1989年6月3日深夜から4日早暁にかけて天安門広場で発生した「血の日曜日事件」である。・・・同年4月中旬の胡耀邦(こようほう/フーヤオパン)・元中国共産党総書記の死を悼む形で起こった民主化運動は、“最後の皇帝”として君臨しつつあったトウ小平の「人治」に対して「法治」を求める学生や市民の大衆運動であった。・・・同年5月20日には北京市に戒厳令が布告され、ついには「六・四」の武力弾圧として人民解放軍が戦車などを出動させ、学生や市民に発砲するなどして多数の死者を出した。」(中嶋嶺雄)
中嶋氏の簡潔な説明は上記の通りであるが、事件の全貌は未だに明らかにされていない。中日歴史家が明らかにしなければならない、現代中国の闇のひとつである。

天安門事件に参加した劉暁波(リュウ・シャオボー、Liú Xiǎobō)が、2008年に今後の中国を構想して起草したのが、08憲章(Língbā Xiànzhāng)である。
左の「天安門事件から「08憲章」へ」はその全文も含め、劉暁波の基本的な文献となっている。

以下は、08憲章の概要である。(同書、209-227ページ)
一 前書
二、我々の基本理念
 中国の未来の運命を決定するこの歴史の岐路に立ち、百年来の近代化の歩みを省みて、下記の基本理念を再び言明する必要がある。
 自由、人権、平等、共和、民主、憲政
三、我々の基本的主張
 これにより、我々は、責任を担う建設的な公民の精神に基づいて、国家の政治制度、公民の権利と社会発展の各方面について、以下の具体的な主張を提起するものである。
 1、憲法改正、2、分権の抑制的均衡、3、立法による民主、4、司法の独立、5、公器の公用、6、人権の保障、7、公職の選挙、8、都市と農村の平等、9、結社の自由、10、集会の自由、11、言論の自由、12、宗教の自由、13、公民教育、14、財産の保護、15、財税改革、16、社会保障、17、環境保護、18、連邦共和、19、正義の転換
四、結語
署名規則
一 本憲章は公開署名とする。
二 本名または常用のペンネームで署名し、所在地と職業を明記されたい。
署名者:303名(第一次)

ところで、日本では、中国との友好関係を重視するという立場から、中国の民主化に対する支援が著しく弱い。天安門事件の報道は少なく抑制的で、弾圧された人々への支援も非常に弱い。
さらに以下のような意見まで登場している。三浦瑠麗氏は、これまでの日本の四つの選択肢の問題点を指摘し、「沖縄をアジアの首都にするために、日本は大胆に身を切り、当該地域の主権を返上するくらいの構想力が必要・・・、沖縄の当該地域の安全と治安はアジア多国籍軍と多国籍警察に委ねてもよいでしょう。」(「日本に絶望している人のための政治入門」、p.235)
このような意見に基づけば、中国の対外支配と共産党独裁体制が拡大し、日本を中心とする東アジアの自由と民主主義を後退させることは言うまでもない。

特に、ここで指摘したいのは、彼女が現在の中国の共産党独裁が不安定で、さらに歴史的には一時期の体制であることを理解していないことである。中国に共産党支配が確立したのは1949年で、まだ非常に短期間である。その期間中にも何度も解体の危機に見舞われている。中ソ対立、文化大革命、そして天安門事件などである。
そして重要なことは、第2次世界大戦以前の中国では、共産党は一部の農村部の政権であり、都市には市場経済と自由な競争を前提とする企業が発展し、日本企業との競争と協力を発展させていたことである。

詳しくは、英語論文ではあるが、私の戦間期中国を検討した以下の論文を参照していただきたい。
Hirohiko Shimpo, Japanese Companies in East Asia: History and Prospects.
Hirohiko Shimpo, Japanese Companies and Investment in China during the Second Half of the Inter-war Period Ver.2

このような過去の経験を踏まえ、中国が08憲章をひとつの土台としたような自由と民主主義の体制、自由な市場と企業活動を確立することを支援し、アジアの自由と民主主義、自由な市場と企業活動を発展させることが、今強く求められている。

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2015年5月6日水曜日

鷹峯の庭園(しょうざんリゾート京都)、Japanese Garden in Takagamine

しょうざんリゾート京都に行ってきた。しょうざんリゾート京都と言っても、利用したのはそのごく一部、「京都洛北の鷹ケ峯三山を背景に広がる三万五千坪の美しい庭」である。
左はその入口。

なぜか、京都の最も有名な観光地の一つとはなっていないので、訪れる人もそれほど多くはなく、静かに散歩が楽しめる。

(ブログ内の写真はクリックすると、すべて拡大できます)
訪れたのは4月の末、庭園全体が、青紅葉を中心に緑で埋め尽くされていた。

「「しょうざん」の建設は、昭和26年にさかのぼる。 ここは、西陣に生まれ、戦後いちはやくウールお召しを開発して世に広めた創設者、故・松山政雄が思い描いた「花と緑の観光工場」。 京の山々を借景に、さらに手をほどこした三万五千坪の庭園。またそこに、戦後消失の運命にあった美しい日本の建造物を移築し、広く万人におとずれてもらい公開を始めたのが「しょうざん」の始まり」だと言う。

入ってまず目に入るのが、上の玉庵である。「京都紫野大徳寺10代管長・清涼室歡渓紹忻老師の命名の茶室で、昭和39年に当地へ移築」されたという。

続いて、左の峰玉亭である。
「全国から撰りすぐりの材料と大工・左官などの職人衆を集め、昭和37年から約3年を費やして完成させた「しょうざんJ の迎賓館」である。

これら以外にもすばらしい建物がいくつもある。
この庭園の最もすばらしいのは、自然の小さな川が流れていることである。川は庭園内をいくつも流れている。川の向こうには、小さな滝があり、水はそこから流れ落ちてくる。

ここにたたずんで川の流れに耳を傾けると、ほんとうに心が落ち着く。
ぜひもう一度来て、川の流れを数分間でも動画で撮っておきたいと思う。

紅葉の季節に来れば、庭園全体が真っ赤に染まってさぞかし美しいに違いない。

庭園の入口に事務所があり、そこで、庭園に通った運転手さんの撮った写真があるが、燃えるような庭園を写していてすばらしい。
最後に、ぜひ見てほしい作品である。


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2015年4月6日月曜日

ピケティの『21世紀の資本』と、森口千晶氏の論文、Prof. Thomas Piketty and Prof. Chiaki Moriguchi


ピケティ『21世紀の資本』が専門家以外の人も含む多くの人々によって読まれ、様々な議論を呼び起こしている。
ピケティの研究の最も大きな意義は、これまで使われてこなかった多くの国の税務統計にもとづいて、各国の格差の歴史的な変化を明らかにしたことである。その意味で、新たな研究分野を切り開いたといえるだろう。
また、研究成果をすべてWeb上に公開するという方法を採っていることも画期的で、ますます活発な議論が行われるだろう。
『21世紀の資本』トマ・ピケティ
The World Top Incomes Database

ところで、ピケティとともにこの研究を推進してきたカリフォルニア大学バークレー校のエマニュエル・サエズ教授と一橋大学の森口千晶教授は、同じ方法に基づいて日本についてその実情を明らかにした。下の図の通りである。日米「上位0.1%」の高額所得者による所得占有率が、1940年頃までは日米でともに高く、1980年代半ばまではともに低かったが、それ以降、アメリカは急上昇し、日本はそれほど大きな上昇は見せていないことが明らかにされた。

森口氏は、「以上のデータは、日本の高成長は戦前には「格差社会」、戦後には「平等社会」のなかで実現したことを明確に示す。・・・日本の経済システムは戦前と戦後で全く異なるものだったとする多くの先行研究と優れて整合的である。」と述べている。(表も含めて、日本経済新聞、2015/2/11)

これを言い換えると、戦前は市場中心型社会であり、戦後はメインバンク・システムと日本的経営と言うことになるだろう。以上の事実をも明らかにした、この研究の意義は非常に大きい。
戦前の市場中心型社会では、金融資本市場が著しく発達し、企業は市場から資金を調達し、個人は資金を市場で運用していた。市場を利用できた個人は、高額の金融所得を得ていた。
一方、戦後になると市場の役割が後退し、銀行が市場に代わってその役割を果たすメインバンク・システムが確立した。企業はメインバンクから資金を調達し、個人は銀行に預金した。上記の図は、このような経済システムの変化を反映している。

残念ながら、このような評価は、まだ我が国では、森口氏が言うように多くの研究が受け入れているとは思えない。戦後のメインバンク・システムが戦前の財閥に起源を持つかのような主張は今なお根強い。私は、戦前の日本の経済システムが市場中心型であると考えているが、同時に戦前の日本の企業は市場中心型コーポレート・ガバナンスであった。当時、市場中心型とは異なる財閥は有力ではあったが、支配的ではなかった。
森口氏は、「明治・大正期の経済発展のダイナミズムは、(1)資産家(商工業者・地主)による財閥系大企業への資本投下・・・」と述べているが、企業経営者をはじめとする多様な資産家による金融市場を通じた有力企業への投資と述べた方が適切である。

このように、森口氏の研究は、日本の格差について歴史的に明らかにしただけではなく、日本の経済システムの重要な変化について貴重な問題提起を行っている。
なお、戦後の変化については、改めて論じたい。

森口氏の研究については以下も参照していただきたい。
Chiaki Moriguchi and Emmanuel Saez, THE EVOLUTION OF INCOME CONCENTRATION IN JAPAN, 1886–2005: EVIDENCE FROM INCOME TAX STATISTICS.

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2015年3月31日火曜日

新しいWebsiteを公開しました。 New website is established

新しいWebsiteを公開しました。URLはhttps://sites.google.com/site/hshimpo/です。日本語版と英語版があります。まだ、情報は限られていますが、これから少しずつ充実させていきたいと思います。よろしくお願いいたします。

これまで作成してきたWebsiteの歴史は以下の通りでした。
1)私がホーム・ページをはじめて作成したのは、1999年6月です。最初のホーム・ページは、非常にシンプルなものでした。
2)2001年には現行日本語版の基礎となる、フレームをもつページを作成しました。
3)2003年9月には、現行日本語版を作成しました。
4)2004年12月には、私のOfficial Web Siteを、http://www.hshimpo.com/に移動し、できるだけ英語と日本語のページを同じような比重にするように、大幅に改訂しました。

それは大阪産業大学内における公式Websiteとしての役割を果たしてくれました。約16年間続けてきたことになります。当初は教員のWebsiteは少なく、有意義であったと思っています。今なお、大学教員のWebsiteが決して多くはないことはとても残念です。

退職にあたり、上記の全く新しいサイトを立ち上げ、退職後の活動を掲載したいと思っています。
新しいWebsiteは、Google Siteで作成しました。私のBlogはGoogle Blogで作成していますが、とても使いやすく、広告がまったく無いので読みやすいと思っています。
新しいWebsiteを、旧来のhtmlで作成するか、最近よく使われるWordPressで作成するかとても迷いましたが、思い切ってGoogle Siteを使うことにしました。これは、Siteを美しく飾る、多様な表示をするのは難しいですが、Googleの他の機能と親和性が高く、使いやすいと判断しました。

なお、新しいWebsiteの開設と共に、誤りの修正を除いて、旧Siteはそのままの形で残しておきたいと思います。あわせてよろしくお願いいたします。


2015年3月28日土曜日

大阪産業大学(経済学部)を定年退職しました。研究室を飾っていたクメール美術, Angkor Vat and A Millennium of Khmer Art

2015年3月、新保博彦は、18年間勤務した大阪産業大学(経済学部)を定年退職しました。
在職中には、大阪産業大学の教職員をはじめ多くの方々のご指導とご支援で、研究や教育はもちろん、様々な分野で仕事をさせていただきました。この場をお借りして、皆様方に心からお礼申し上げます。
なお、これまで続けてきた研究は、これからも継続していきたいと思います。

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ところで、18年間研究室の正面に掲げていた、左のポスターを改めて見直した。
これは、1998年1月から3月まで大阪市立美術館で行われた、「アンコールワットとクメール美術の1000年展」(Angkor Vat and A Millennium of Khmer Art)のポスターである。大阪産業大学に移って1年目のことなので、18年間ずっと見続けてきたポスターである。

ジャヤヴァルマン7世頭部(Head of Jayavarman VII)、12世紀末ー13世紀初頭、プノンペン国立博物館
「この像は,チャンパを撃退しクメールの版図を最大に広げたジャヤヴァルマン7世の肖像と考えられている。・・・また王は敬度な仏教徒で、仏教信仰に根ざした治世を行った。」と言われている。(下記書籍、p.148)
右下に紹介するその美術展の書籍には、この像以外にもジャヤヴアルマン7世の像はあるが、私にはこの像がとても印象深く感じられる。何よりも、じっと眼を閉じて深く黙想する姿が、仏教の精神に最もふさわしく思える。現代に生きる私達にも何が求められているかを伝えているかのようである。
私には忘れられない像なので、4月1日に開設する新しいWebsiteにも掲げたい。

右が、「アンコールワットとクメール美術の1000年展」のための書籍である。そこには展覧会で展示された多数の像等の多数の写真が掲載されていて、非常に興味深い。古書店でも安価で出回っているので、ぜひご参照ください。


いくつか代表的な作品を紹介していこう。

左:デーヴァター(女神) :「若き日のアンドレ・マルローが,この女神の浮彫を壁面から剥ぎ取って盗み出そうとしたことで一躍有名になった。・・・不思議な微笑みを浮かべた表情は「東洋のモナリザ」という愛称にふさわしい。」(上記書籍、冒頭のカラーのページ)


右:ドゥルガー(Durga)、プレアンコール期、7世紀前半、プノンペン国立博物館
「ドゥルガーはシヴァの神妃で、とりわけ水牛の魔神マヒシャを殺す女神として知られる。」「美しく豊満な身体を誇るこの女神は、サンボール・プレイ・クック様式の最も代表的な」作品として知られる。
(上記書籍、p.66) 最も早い時期の作品だが、その技術の高さに驚かされる。



最後に紹介するのが、ポスターのジャヤヴアルマン7世頭部の同時期に作られた、女尊(Bodhisattva as a Female Figure)、12世紀末ー13世紀初頭、ギメ国立東洋美術館である。

「クメールでは王を神仏と同体とするデーヴァラージャ(神王)信仰が行われたが、王族や貴紳たちも死後神仏と一体となることを願い、自分や親族を神仏の姿で表した像を寺院に奉納した。ジャヤヴァルマン7世が建立したアンコールのプレア・カンから発見されたこの像もそのような信仰に基づき、王の最初の妃で、若くして亡くなったジャヤラージャデーヴィーを女尊になぞらえて、いわば彼女の肖像として造像したものとする説がある。」(上記書籍、p.150)


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アジアの社会とアジアの美術の歴史を理解するのには、東南アジアに栄えた、1000年にわたるクメール美術をよく理解することが大切だと思われる。

しかし、近代のクメールと言えば、私達はどうしてもクメール・ルージュを思い起こす。
1975年4月にクメール・ルージュはプノンペンを占領した。1979年1月、ベトナムの支援を受けた救国民族統一戦線によるプノンペン占領でクメール・ルージュ政権は崩壊した。
この間、クメール・ルージュは、旧政権関係者、富裕層、各種専門家および知識人などに対して大量の虐殺を行った。その政権は、当時の中国の共産党政権(文化大革命時代と一時期が重なる)によって支援された。
その意味で、クメール・ルージュや当時の中国の共産党政権は、現代アジアの共産主義を象徴する政権のひとつと考えられる。中国では、文化大革命を推進した毛沢東思想が一部では復権している。
このような共産主義がアジアの歴史の一時期のことにすぎないのか、アジア社会のどこかに根ざしたものかを考える上でも、クメール美術を味わうことは意義があるように思える。実は、それは私の研究テーマのひとつでもある。

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2015年1月5日月曜日

2015年 明けましておめでとうございます:日中和平工作の再評価、Peace Moves between Japan and China in the Inter-war Period


明けましておめでとうございます
今年も「新保博彦のブログ」をよろしくお願いいたします


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今年は1945年の終戦から70年。ひとつの大きな区切りの年だが、もうひとつ重要な意味を持っている年でもある。この年で、戦前の出版物の著作権が切れ、多くの重要な著作や資料が自由に見ることができるようになる。おそらくこの年にあわせているのだろう、「近代デジタルライブラリー」などの掲載資料が格段に増えつつあるように思える。

ところで、今日のブログではひとつの重要な課題を取り上げたい。「日中和平工作」である。1937年の盧溝橋事件以来、日本と中国は本格的な戦争の時代に入った。この時期は、本格的な戦争の時期ではあったが、同時に和平工作の時代でもあった。結果的には成功しなかったが、日中両国の多数の人々による和平への活動が幅広く行われていたことは注目に値する

日中和平工作を概観できるのは以下のWebsiteである。少し前の展示であるが、今なお外務省Websiteで閲覧できる、特別展示「日中戦争と日本外交」を紹介しておこう。展示史料解説(PDF)
I 盧溝橋事件の発生
II 全面戦争への拡大
III トラウトマン工作と「対手トセズ」声明
 「昭和12年11月上旬,広田弘毅外務大臣は,ドイツに和平斡旋を要請し,トラウトマン駐華大使を仲介とした和平交渉が行われました。しかし交渉はまとまらず,昭和13年1月16日,日本政府は「爾後国民政府ヲ対手トセズ」との声明を発表しました。」
IV 汪兆銘工作
 「「対手トセズ」声明により,蒋介石率いる重慶政権との和平交渉が事実上打ち切りとなり,日本は新たな和平交渉相手として,汪兆銘に接触しました。これに呼応した汪兆銘は重慶を離脱し,昭和15年3月には汪兆銘を首班とする南京国民政府が成立しました。しかし,日本政府は同政府の即時承認を行わず,11月30日になって,日華基本条約と日満華共同宣言に調印しました。これにより,日本は正式に南京政府を承認しました。」
しかし、これ以降も何度も和平工作は続けられる。
V 和平工作の蹉跌

日中和平工作を理解する必読の文献を以下に挙げておきたい。
1. 『日本外交文書 日中戦争』(全4冊)
以下は、日中和平工作を進めた今井武夫の資料である。
2. 今井武夫『日中和平工作 : 回想と証言1937-1947』、みすず書房、2009年。
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3. 今井貞夫著、高橋久志監修『幻の日中和平工作―軍人今井武夫の生涯』、中央公論事業出版、2007年。
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(表紙写真は、中央に蒋介石、その右後ろに今井武夫)
4. 広中一成著、今井貞夫資料提供・一部執筆『日中和平工作の記録: 今井武夫と汪兆銘・蔣介石』、彩流社、2013年。この書籍は多数の写真で構成されているので、最初に読むのに適しているかもしれない。
(表紙写真は、前列右が汪兆銘)

この今井武夫の資料が、近く「今井武夫関係文書」として国会図書館憲政資料室に寄託される予定だそうである。(上記文献4, p.9参照)

この課題に対して専門的な研究が増加するのと共に、多くの人々が注目することを期待したい。
なお、私は、この動きと軌を一にする、日中間の経済と企業活動でのCollaborationについて、以下の論文で詳しく検討している。
Japanese Companies and Investment in China during the Second Half of the Inter-war Period.
私のホーム・ページ英語版に掲載しましたのでご参照ください。

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2014年11月20日木曜日

奈良・大和文華館で酒井抱一展、Houitsu Sakai in Nara

(「洗練の極致 光琳と琳派」、p.26-27)
奈良の大和文華館で、特別展「酒井抱一展」が開催された。奈良で酒井抱一が、特に左の「夏秋草図屏風」が見られるなんて想像もしていなかったので、さっそく行ったが、ブログへの記載が遅れてしまった。

「酒井抱一(宝暦11年~文政11年/1761~1828)は姫路藩主酒井雅楽頭家に生まれ、若い頃から大名家の子息として教養を積む一方で、吉原の妓楼主、遊女、狂歌師、戯作者などとも親しい交流があり、様々な教養を身に付けてい」た。(特別展 酒井抱一 江戸情緒の精華 Website)

「11代将軍徳川家斉の父、治済(はるさだ)の依頼で、光琳作の「風神雷神図屏風」の裏に描いた作品。雷雨に打たれた夏草は雷神の、野分に吹かれる秋草は風神の、ちょうど裏に配されている。右隻には薄(すすき)の陰にそっとたたずむ白百合や仙翁花(せんのうげ)といった光琳の命日月の花が、左隻には追慕の情を意味する藤袴(ふじぱかま)が描かれている。銀地が亡くなった人を悼むノスタルジーの色であるところから、これらを描くことで光琳を追想しようとしたともいわれている。」(「小学館ウィークリーブック 洗練の極致 光琳と琳派」、p.27)

上記の画像ではよくわからないが、画面の多くの部分を占める銀地の屏風は酒井抱一の独自の美意識の表れであり、先行者である尾形光琳の「風神雷神図屏風」や「紅白梅図屏風」が金地を使ったのと対抗したのだろうか。また、右上に流れている夕立の後のにわたずみ(潦、雨が降って、地上にたまり流れる水)や、草花の緑青、朱などの非常に濃い色が多用されている。

ところで、酒井抱一の業績を継いだのが、鈴木其一である。下は、鈴木其一の代表作「夏秋山水図屏風」である。抱一とは異なって、其一は中央に向かって左右から激しく流れ込む水を、金泥と群青で鮮やかに描いている。動きそのものの力強さと現実感は、これまでの琳派とはやや異なる。

(「洗練の極致 光琳と琳派」、p.30-31)









来年は琳派400年記念祭が予定されており、「琳派は日本が創造した、世界に誇る最上の美である」として様々な企画が準備されている。酒井抱一の作品にもう一度関西で会えるかもしれないし、鈴木其一の作品にも出会えるかもしれない。とても楽しみである。

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