ヴェネツィアに行ってきました。実はルネッサンス絵画を楽しむために、ヴェネツィアに入る前に、フィレンツェにも行ってきたのですが、以下のヴェネツィアの風景に圧倒されて、私の中ではフィレンツェがすっかり影が薄くなってしまいました。しかし、専門家の間では、フィレンツェは世界で第4位のすばらしい観光都市です。(月刊100万部を誇る旅行雑誌Travel+Leisureによる)
ヴェネツィアの中心地はやはりサンマルコ広場、これは夜の写真である。広場は一日中世界の観光客で夜遅くまで埋め尽くされていいる。
この広場を中心に政治を行ったヴェネツィア共和国は、伝説では421年に建国され、697年に最初の国家元首が選出され、1797年にナポレオンに滅ぼされるまで続いた。東地中海貿易を基盤にした海洋国家である。
国のあり方など日本も学ぶところの多い歴史的な国家である。
サンマルコからの対岸にはすばらしい景色が眺められる。まず左は、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂(1687年)である。
「大運河(カナル・グランデ)の入り口に建つ。水上からサン・マルコ広場への目印。1630~31年頃に共和国の守護者聖母マリアに捧げるために建設された。設計は口ンゲーナだが、聖堂が完成したのは彼の死から5年後のこと。ヴェネツィア・パロック様式最大の傑作。」(塩野七生・宮下規久朗『ヴェネツィア物語』、p.36)
この聖堂をを対岸に見ながら、波の音を聞きながらの食事はすばらしい。海には、ボートが浮かび、「イタリアで最も写真におさめられる場所となっている」と言う。
もう一方では、右の写真のように、サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂(1610年)が美しく眺められる。
「本島にもっとも近い対岸の島にあり、その名を冠した聖堂は、アンドレア・パラーディオの傑作として名高い。1565~1610年にかけて建造され、礼拝堂の正面と静謐な内部空間は、古代ローマの古典儀式を取り入れている。鐘楼に登ると町とラグーナの全景が一望できる。」(上記書、同ページ)
そして今やヴェネツィアを最も有名にしている、ヴェネツィアン・ガラスの拠点、ムラーノ島がある。
左の写真は、ムラーノ島の工房で、短時間のデモンストレーションで馬を作っているところ。これをみてすっかりヴェネツィアン・ガラスにとりつかれてしまい、ある小さな作品を購入したが、その結果幸運なことにおまけにこの馬をいただくことになった。
この工房を初め多数の作家が、新たな製品にチャレンジしている。
最後に楽しんだのが、フェニーチェ劇場だった。意外にも建物はそれほど大きくはなかった。
公演はプッチーニのトスカ、音楽は、Riccardo Frizza、トスカはSvetlana Kasyanだった。本場のオペラには、ヨーロッパ各国だけではなく、日本やアメリカからも多くの観客を得ていた。
このようにヴェネツィアはすばらしい世界的な観光都市である。しかし、サービスという点では、接客が良いとは必ずしも言えず、レストランの価格も円安という条件を考慮しても全般的に高く、観光客にやさしいとは言えないように思われた。
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帰国後。名古屋のボストン美術館でヴェネツィア展が行われていたので行ってきた。副題「魅惑の都市の500年」にふさわしい多様な作品が集められていた。ただ、ヴェネツィア派の画家であるティツィアーノ、ティントレット、ヴェロネーゼの作品が多数集められたということではないのが少し残念だった。
その代わり、モネの晩年の作品ヴェネツィアの運河(1908年)が展覧会を華やかにしていた。印象派のモネが、光あふれるヴェネツィアを描く最もふさわしい画家の一人だということを示す作品だと思われた。
そして、もう1点、展覧会の中でも特に目を引いたのが、右の作品、リーノ・タリアピエトラのガラス作品である。画像では見にくいかもしれないが、実に細い線の加工がガラス器全体にわたって施されていて、ヴェネツィア・ガラスの新たな世代の作品を楽しむことができる。これ以外には、彼のWeb siteで、すばらしい作品群が見られる。
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