第2次大戦後、政治的な独立を達成した発展途上国や社会主義国、そしてそれを支援する研究者が、直接投資を帝国主義的な搾取の手段として厳しい批判を加えた。
しかし、1960年代以降の、直接投資の積極的な受け入れを進めたアジアの輸出工業化政策の成功によって、直接投資への評価は肯定的なものへと一変した。今では、直接投資をかつてのように否定的にとらえる国や研究者はほとんどいない。直接投資批判の急先鋒であったUNCTADですら、過去の立場は無かったかのように直接投資に関する報告書を毎年刊行している。
直接投資を簡単に定義すると企業の海外進出である。投資受け入れ企業の株式の10%を超える国際投資を直接投資とみなすが、一般的には過半数を超える場合が多く、100%出資も決して少なくない。
直接投資の最も重要な役割は、投資元企業の経営資源を移転することである。経営資源には、生産技術から、マーケティングや経営管理のノウハウまでも含まれる。受入国からみると、これらが一体となって受け入れられるので、受入国経済や企業の発展に大きく貢献できる。
直接投資が経営資源の移転であったからこそ、後発の発展途上国が、最先端の産業で急速な経済発展を達成できた。直接投資が一般的になった時代のアジアの発展途上国の、先進国に追いつくための時間が、直接投資が始まったころの日本に比べて、大きく短縮されたのは、この直接投資に依るところが大きい。
直接投資が発展した背景は、先進各国で市場経済と技術革新が発展し、企業間の自由な競争が激化し、より大きなビジネス・チャンスを求めて競争が国外にも拡大した結果である。経済と投資のグローバル化が、政治のグローバル化にどのように結びつくかには、様々な形態がある。経済的な結びつきが弱いまま政治的な進出が行われる場合、経済的な進出にともなって政治的な進出が行われる場合などである。
以上の検討から、20世紀は直接投資の時代と言える。それは、今では国際経済を分析する研究者のとっては常識となっている。
ところで、最新刊の日本の歴史教科書(広い意味での)は、この時代を今でも「帝国主義」の時代ととらえている。ひとつの例を挙げると、最近刊行された『もういちど読む 山川世界現代史』(2015年)である。さすがにレーニンの帝国主義の定義はないが、レーニンの理論のひとつの下敷きとなったホブソンの帝国主義論を取り上げている。帝国主義について、ホブソンは過剰生産に求め、レーニンは経済的・政治的独占に求め、その限界や崩壊を導き出した。しかし、現実には、直接投資という「資本輸出」のグローバル経済の発展に対する重要な貢献と各国の強い期待、そして伝統的な帝国主義論との乖離はますます大きくなっている。
次世代を担う若者への教育のためには、上記の書籍のようなイデオロギー的な歴史分析ではなく、現実に即した記述こそ今求められている。
上記の記述については、私の『世界経済システムの展開と多国籍企業』(1998年、右上)を参照していただきたい。また、世界的に最もよく知られている研究文献の翻訳としては、ジェフリー・ジョーンズの『国際経営講義』(Geoffrey G. Jones, Multinationals and Global Capitalism From the Nineteenth to the Twenty-first Century, 2005、左上)がある。
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