English Abstract
Taichiro Mitani's "Wall Street
and the Far East" helps us consider the 2.26 Incident from an international
finance and capital relations perspective
前回のブログに続き、2.26事件を取り巻く国際的な金融・資本関係について検討し、事件について改めて考えてみたい。
三谷太一郎氏の「ウォール・ストリートと極東」は、2.26事件前後の国際関係を考察するのにも重要な文献である。
三谷氏の同書全般の課題は、「第一次世界戦争後に成立した日本の政党制と国際金融システムとの関係について具体的に検証し、その観点から日本の政党政治が何であったかを明らかにする」ことである(序)
同書の検討のすべてが興味深いが、ここでは2.26事件前後の箇所について紹介したい。もちろん、三谷氏の方法そのものも、今日でもきわめて重要である。
三谷氏は、「7 国際金融資本とアジアの戦争」の「六 中国幣制改革と四国借款団」で、Stephen Lyon Endicott, Diplomacy and Enterprise: British China policy 1933-1937に依拠して、次のような事実をあきらかにする。
当時の中国には、イギリスを含む先進国が鉄道建設を含め積極的に投資した膨大な債務があった。ところが当時銀本位制を採用していた中国は、銀の高騰に伴って国際収支が悪化しその幣制が危機に陥っていた。その影響は香港や、イギリスにも及ぼうとしていた。そこで、イギリスは国際的な責任としてだけではなく、自国の金融上の利益を護るため、リース・ロス(下記の写真)を日中を含む各国に派遣し、事態を打開しようとした。
Diplomacy and Enterpriseから |
「(一)銀本位制の放棄とポンドと連結した管理通貨制への移行。
(二)1000万ポンド借款供与。但しその半分は英国政府保証、他の半分は日本もしくは日本を含む他の諸国政府保証。
(三)借款供与は形式上満州国に対して行われ、担保は満州国政府収入に設定される。そして形式上満州国政府が受け取った手取金は、中国が満州を失ったことに対する賠償金として満州国政府から中国政府に支払われる。」(p.216-7)
このような方策によって、中国が満洲国を承認し、イギリスその他の諸国も同じ動きをすれば、先に述べた課題は解決されると考えられた。
さらに、リース・ロスはもうひとつ踏み込んだ提案を行っていた。「日中平和友好条約」である。
これによれば、「中国は満州国を承認するが、これに対して日本はまずその政治的代償として長城以南の中国の政治・行政への介入を行わない保証を与える。さらにその経済的代償として一九三二年の満州国出現前に中国が負担していた内外債の相当の割合(日本側に明らかにしたところによれば、「関税収入ノ割合ヨリシテ全体ノ三割トシ年額約百万磅ノ負担」)を満州国が承継し、その金額を中国政府に支払うというものであった。」(219)
以上の記述から、イギリスが日本に対し、非常に大胆で日本にも有利な提案を行っていたことがわかる。1933年にリットン報告書が採択されたことを契機に、日本は国際連盟を脱退したが、それが直ちに日本の孤立を生み出したわけではなく、上記のような動きもしばらくは続いたのである。
しかし、このような動きに対する、日本側の反応は以下のように冷淡なものであった。
「日本外交文書」の「九月十日の広田外相とリース・ロスの会談内容について」という文書によれば、外相は「又唯漫然ト「クレヂツト」ニ應スルハ考ヘモノニテ結極南京政府ノ浪費スルトコロトナルヘシ」(645)と述べた。
また、「九月十七日の重光外務次官とリース・ロスの会談内容について」という文書では、重光外務次官は、「満洲國ノ承認ノ如キハ支那ノ爲メニ利益ナルモ満洲國トシテハ之カ爲別ニ特ニ獲ル所ナカルヘシ兎ニ角本問題ハ日満支ノ間ニ必ス遠カラス交渉アルコトトナルヘキ處」(646)と述べた。
(注:三谷氏は、「日本外交年表並主要文書」から引用されているが、ここではより新しい「日本外交文書」を用いた。二つの文書にはやや異なる表現がある。その相違の理由についての説明は「日本外交文書」には無い)
日本側が、リース・ロスの提案を受け入れ、国際間の金融・資本関係を前提にした、より現実的な対応をしていれば、中国の幣制は安定し、日本以外の国々からも積極的な投資が行われ、外国投資による中国のいっそうの経済発展を可能にしただろう。そうすれば、日中間の関係を改善し、国際協調を推し進めることで、日本の幅広い利益が護られたであろうと思われる。
ここで冒頭の2.26事件の問題に帰るが、2.26事件の指導者や、その勃発に動揺した軍の首脳達のかなりの人々が、このような国際関係の現状を理解し、現政権に対する有効な対案の提起を行っていたとは思えない。その意味で、やはり彼らの構想が非現実的であったと言わざるを得ないように思われる。
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