2016年3月7日月曜日

2.26事件を金融・証券市場と経済の実態から考える、「日本証券史」を読む

English Abstract
"A History of Japanese Securities" illuminates the actual conditions of the financial and securities market and economy in the period of the 2.26 Incident

In the 1930s, based on the development of heavy and chemical industrialization and extensive overseas investment, the Japanese economy favorably developed and financial and securities markets continued to support this development. Regarding stock prices, the index, which set July 1928 to 100, fell sharply as a result of the Great Depression that began in 1929. However, recovery began in 1932 and the rise continued after that. Neither the ringleaders of the 2.26 Incident nor the military leaders disturbed by the rebellion could understand the actual economic conditions. Both leaders were unable to develop an appropriate counterproposal for the economic policy administration.

2.26事件から80年を契機にして、事件の研究が続々と発表されている。私も事件を改めて理解したいと思い、様々な研究を参照してみた。しかし、最も注目されている筒井清忠氏の研究を含め2.26事件の主要な研究の多くが、あまりにも当事者周辺の研究に偏りすぎていているのではないかとの疑問を抱き続けている。

そこでまず、事件の背景のひとつとなる当時の国内の金融・証券市場と経済の実態について、「日本証券史」によって考えてみたい。「日本証券史」は」有沢広巳氏が監修し、そうそうたるメンバーによって編集され執筆された、コンパクトではあるが優れた文献である。

ここで注目する「第III編 昭和期-終戦まで」での、いくつか重要な論点を紹介したい。総説(上)では、新興財閥が牽引した重化学工業化、満洲への投資の急伸(140-2)、財閥の株式公開(176-81)、軍部と財閥の和解(180-1)、企業設立ブームと景気の急速な回復(181-3)、新興財閥と公開株式会社(186-91)、満洲経営と資本市場(191-5)など、どれをとっても重要な検討と結論をみることができる。私が別のデータを基礎に検討した内容と、基本的には一致している。

これらの基本的な主張とともに、興味深い研究が含まれている。それが、まず「投信の発足」である。
1941年11月、まさに太平洋戦争が開始されようとしていた時期に、野村証券が提出した投資信託承認申請書が認可された。認可にあたって大蔵省は次のように述べている。
「本制度は株式に対する新たな固定的投資家層を開拓することにより、浮動株を減じ、株価の安定に資し、株式投資の健全化に向かって一歩進むるとともに、産業資金の流通にも役立つこととなろう。また証券の民衆化、国民貯蓄の増強にも役立ち、さらに中小投資家が危険分散的に証券投資をなし、また証券投資につき専門家的知識を利用し、かつその管理を専門家に委ね得ることとなり、多大の便益があるものと考える」(217)戦争中も好調を維持し、「三年八カ月にわたって設定総額は五億二千八百五十万円にのぼった(受益者延べ人員十五万六千人)。」(218)と言う。

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もうひとつ注目する項目が、「戦前の株価」である。
「資本主義経済は、企業の活動を中心にして動いている。その企業の成果・内容を評価する市場が株式市場であり、評価を縮約的に示すものが株価にほかならない。その意味で一国経済の動きは株価に反映される。」(240)
右の図(241)は、明治維新以降の株価指数と景気循環を一覧にしている。1930年代をみると、1930年から38年5月までは上昇局面で、株価もほぼそれと同様の動きを示している。

私の著書から引用して詳しく検討してみよう。
以下は、「日米コーポレート・ガバナンスの歴史的展開」第2章の表2.2である。
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この表からは、いくつかの重要な事実が明らかになる。第1に、左から3つめの覧に示されているように、株式時価総額/GNPは、どの時期でもほぼ100%前後で一貫して高い。この水準は戦後よりも高く、戦前の株式市場の重要性を示している。
第2に、株価であるが、1928年7月を100とする指数が1929年に始まる世界恐慌の結果として大幅に下落する。しかし、1932年には回復を始め、その後上昇を続けているのである。「日本証券史」でのデータよりも上昇は長く続いていることが示されている。

1930年代には、日本の重化学工業化の進展と海外への活発な投資によって、経済は順調に発展し、金融・証券市場はその発展を支え続けていたのである。
これまで明らかになった資料や諸研究によって、2.26事件の指導者や、その勃発に動揺した軍の首脳達のかなりの人々が、以上の経済の実態を正確に理解できておらず、経済政策において当時の政権に対して優れた対案を用意していたとはとても言えないように思われる。

次のブログでは、「2.26事件について考える」という関心の下で、国際的な金融・資本関係における当時の日本の動きについて見ていきたい。あわせてご検討いただければ幸いです。

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