2018年8月10日金曜日

佐川美術館「⽣誕110年 ⽥中⼀村展」


ビロウとアカショウビン
ビロウとコンロンカ
佐川美術館開館20周年記念の第⼆弾特別企画展として、「⽣誕110年 ⽥中⼀村展」開催されていたので、とても楽しみにして出かけた。テレビでも同様の企画がいくつもあって関心が高まっていたのだろう。平日にもかかわらず多くの人々が参加していた。

まずは、美術館の壮大さに驚く。敷地面積が28,871.58平方メートル、建築面積が6,280.08平方メートルだという。それだけではなく、周囲が水で囲まれ建物が水に浮かんでいるようでとても美しい。

「⽣誕110年 ⽥中⼀村展」は4つの章に分かれていて、多数の作品が展示されていた。これらの一連の作品から、最後期の「奄美時代」にどう至ったかを見るというのが、今回の展覧会の大きなねらいだと言えるだろう。
第⼀章 ⻘少年時代、若き南画家(1915〜1930年︓7歳〜22歳)
第⼆章 千葉時代、新しい画⾵の模索(1931〜1946年︓23歳〜38歳)
第三章 ⼀村誕⽣(1947〜1957年︓39歳〜49歳)
第四章 奄美時代、旅⽴ちと新たなる始まり(1958〜1977年︓50歳〜69歳)

しかし、田中一村を長く見続けてきていない私には、まずは「奄美時代」の作品がどのような作品なのかをできるだけ多く見たいというのが率直な気持ちだったので、今回の展示にはやや不満が残った。期待が大きすぎたと言うことかもしれない。ともあれ、一村の理解には欠かせない、大矢鞆音氏の『もっと知りたい 田中一村』に依りながら(以下の作品名はこの書籍から採った)代表作を見ていきたい。

まず、ビロウとアカショウビン(1962、最上段左)と、ビロウとコンロンカ(1962-63、最上段右)である。大矢氏の書籍の表紙を飾る、ビロウとアカショウビンは奄美に渡って聞もない頃に描いた作品で、それまでとは非常に異なった対象を本格的に描いた象徴的な作品である。ただ、これまでに描かれた鳥たちと異なって、中央にとまっているアカショウビンはやや平板に見えるのはどうしてだろうか。
ビロウとコンロンカは、「枇榔樹の森に崑崙花」として展覧会場に掲げられている。画面いっぱいにピロウ樹があり、その中央に絹の白さを生かしたのコンロンカのがくが一面に描かれている。その白さは、レビュー作の「白い花」(1947)に通じる作品と言えるだろうか。「ビロウ樹、右手前から出る葉に「堀り塗り」の手法を用い、俵屋宗達の「牛図」、伊藤若冲の「菜蟲譜」などを想起させる意欲作だと言う。」(『もっと知りたい 田中一村』、p.77、以下同じ)

榕樹に虎みみづく
アダンの海辺の図
左は、榕樹に虎みみずく(昭和40年代)である。榕樹(ガジュマル)が画面いっぱいに拡がっているその最上部に虎みみずくがじっとこちらを見つめている。また、右中央のハマユウの花から強い光が放たれている。
大矢氏が書かれているように、「厚塗りの難しい絹本に、一気に描いていく画家のカを思う。」(81)他の作品でも同様だと思われた。

右はアダンの海辺の図(1969年)で、展覧会には「アダンの海辺」として飾られている。大きく成長したアダンと繊細に描かれた海岸、遠くまで見通せる奄美の海、高い雲、奄美の田中一村を象徴する作品だと思われる。

クワズイモとソテツ
本ブログに掲げる最後の作品が、クワズイモとソテツ(1974年)である。一村は、この作品とアダンの海辺の図を「閻魔大王への土産品一命かけた一作」(92)と呼んだという。彼が亡くなったのは1977だったので、最晩年の作品である。
 (死亡した年の表記に誤りがありました。お詫びして訂正いたします)
何よりも最初にその色彩の豊かさに驚く。真っ赤なクワズイモの実が登場する。さまざまな方向に伸びるクワズイモの成長の力が、画面いっぱいにあふれている。
一村を日本のルソーとかゴーギャンなどと評価する人もいるが、そういう評価が生まれるのも納得する一枚だろう。

以上の5枚の作品だけでも、絵の対象、構図、色使いなどの描き方など、一村が奄美の自然の中でそのつど新たな世界を開いているように思われる。もし、彼がもう少し長生きできていたら、またひとつ違う世界が生み出されたのだろう。

水に取り囲まれた佐川美術館、そして田中一村の展覧会、さらに平⼭郁夫⽒、佐藤忠良⽒、樂吉左衞⾨⽒の作品も同時に見られるので、かなり混み合うので時間を選ばないといけないが、ぜひ多くの方が見に行かれることをおすすめしたい。

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