佐藤康宏氏の『もっと知りたい伊藤若冲―生涯と作品 改訂版』は、多くの人に読まれた優れた若冲紹介書だった。同書を引き継いで、佐藤康宏『若冲伝』(河出書房新社、2019年)が刊行された。今回の著作は、これまでの研究をまとめられた、学術的な研究書としては最も包括的で、かつ大胆な問題提起を含む著作である。本書は、これまでの多くの研究に対して、ひとつひとつ丁寧に取り上げて評価していて、若冲研究の現在の到達点を示しているように思える。ただ、もっと掘り下げて論じて欲しいと思う箇所はいくつもあるので、その点を中心に紹介したい。
目次は以下の通りである。第1章 市場の画家、第2章 模写と写生―初期作品、第3章 「動植綵絵」―制作の経緯と表現の特色、第4章 黒の若冲―水墨画と版画、「綵絵」以後、第5章 物好きの晩年、そして没後。
本書がとても残念なのは、ほとんどの画像がモノクロームで、絵を楽しむことができないことである。画像をすべてカラーにして、定価を引き上げた方が良かったのではと思う。このブログでは、主な画像は太田彩『伊藤若冲作品集』のものを利用させていただいた。
佐藤氏は、本書で動植綵絵の最も代表的な作品のひとつである「老松白鳳図」(左の図は一部)に対して以下の仮説を提示された。佐藤氏によれば、「口の下の毛の形の変化、白の羽毛と朱の鶏冠に単純化された色彩効果もあいまって、切れ長の目で舌をちろりとのぞかせた白鳳のなまめかしい表情は、きわめてエロティックな気分に満ちている。女性的なものを強く感じさせる姿だ。transvestism(トランスヴェスティズム)、服装倒錯という変態性欲をいう語がある。男の女装、女の男装のよう異性の服装をしたがる傾向を指す言葉だ。この鳳凰は、いってみれば〈女装した雄の鳳凰〉と見るべきではないかと私は思う。」(128-9)この点についてもまた、佐藤氏らしい大胆な評価を提示された。若冲には、辻氏も言われるように「屈折した性的な願望」(辻惟雄『伊藤若冲』、p.112)があるようだが、それが佐藤氏の言う服装倒錯という欲望と言えるのかどうか、今後の論争に注目したい。
右は、「果蔬(かそ)涅槃図」である。佐藤氏は以下の清水義明氏の論文を紹介している。「(一)日本の仏教には伝統的に草木にも仏性があるという考えがあったこと、(二)大根が僧侶の質素な食事を象徴するものであったこと、(三)それが水墨画の主題となり、伝牧谿筆その他の大根の画が中世の茶席で鑑賞されたりもしたこと・・・」。(188)
そして、佐藤氏は、「「果蔬涅槃図」は、画箋紙を用いた四十代後半から六十代の水墨画の様式の到達点であり、最高傑作というべきだろう。・・・この画か母の死を記念すると同時に、その成仏と引き換えに青物問屋がいっそう繁栄するよう願いを込めている、と当時の人が理解するのは自然だったろう。」(190)と述べている。
本書では、「同種(「枡目描き」)の技法で描かれた以下の「釈迦十六羅漢図」」(198-9)については、簡単な紹介しか無い。私のブログ「未発見の大作 伊藤若冲「十六羅漢図」(2019.8)」では画像とともに紹介しているので、ご参照ください。なお、画像が粗いので、「枡目描き」なのかどうか、この画の場合の特色は何かは、残念ながらわからない。
ところで、いつどういう理由で、若冲が一時期無視あるいは忘れられたのだろうか?意外にもまだ十分な説明が無いように思える。佐藤氏は1926年を若冲研究の画期的な年としたが、なぜその後若冲への評価が低くなったのだろうか。私はずっと疑問を抱き続けてきた。
佐藤氏は、この点について、次のような理由を挙げている。「東アジアの美術を伝え、美術史の研究を進めた点で、近代の茶人たちの果たした役割は大きいが、一方でその趣味に合わない造形を排除し、偏った美術観を広めた罪もまた小さくない。彼らと嗜好を同じくする学者も、平安・鎌倉時代の仏画や絵巻、室町時代の水墨画を高く位置づけ、江戸時代の絵画ではわずかに宗達と光琳のみを取るといった価値の体系を、日本の古画について作り上げた。」(263)
一部の人々の役割はそれほど大きいのだろうか?急速な近代化が進む時代的な背景等についてなどを幅広く考察する必要があるのではと、私は今も疑問に思い続けている。
ともあれ、どのような研究も進めば進むほど、疑問や議論は大きく幅広くなる。若冲ほどの天才については、なおさらである。『若冲伝』は、若冲に関する最新の研究がどこまで到達したかを知ることができる最良の研究書である。ぜひ多くの方にお薦めしたい。
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