2021年9月16日木曜日

『新版画ー進化系UKIYO-Eの美』に出かけました

『千葉市美術館所蔵 新版画ー進化系UKIYO-Eの美』が、(2021年)9月15日(水)から27日(月)までの日程で、大阪高島屋 7階グランドホールで始まった。特に吉田博の作品に興味があり、ブログでも取り上げているので早速出かけた。

左は、展覧会の図録の表紙、川瀬巴水の「東京十二ヶ月 谷中の夕映」である。川瀬巴水については、機会を改めて取り上げたい。

「新版画は、江戸時代に目覚ましい進化を遂げた浮世絵版画の技と美意識とを継承すべく、大正初年から昭和のはじめにかけて興隆したジャンル」とされる。今回の展覧会は、千葉市美術館が誇る約120点で構成され、小原古邨、伊東深水、川瀬巴水、山村耕花、吉川観方、小早川清、橋口五葉、吉田博、などの多数の作品が展示されている。

展覧会は、プロローグ 新版画誕生の背景、第1章 新版画、始まる、第2章 渡邊版の精華、第3章 渡邊庄三郎以外の版元の仕事、第4章 私家版の世界という構成となっている。

やはり私は、展示の最後に位置する吉田博の作品に注目した。まず、「雲井櫻」である。作品は53.9×70.7cmと大きい。「明治32年に吉田博が初めてアメリカで自作を展示した際、デトロイト美術館に唯一買い上げられた作品が同構図の水彩画であった。」「摺りに際しては版木と紙の収縮率の違いから木と花がずれてしまい、ふたりの摺師を使ってようやく摺りあげたと伝わる。」(展覧会図録からの引用、以下同じ)吉田博作品の、刷りの特別の多さはよく知られているが、作品に近寄って見てみると、桜の花と木のずれは見事に無く、重ね刷りの跡は見つからない。画集などではとてもわからない技術の高さには本当に驚いた。

次に、吉田博を代表する「渓流」である。「《雲井櫻》とともに、吉田博が制作した特大版6点のうちの1点。」この作品もまた、右の画像サイズではとてもわからない、水の表現の驚くべき多彩さとひとつひとつの精緻な動きが、実物からよくわかる。

私の以前のブログでは、「流れ落ちる水と渦巻く水が、信じられないような精細さで描かれている。水の音が聞こえてきそうである。」と書いた。実物を鑑賞して、改めてその感を強くした。

追記:これまで私が作成した吉田博についてのブログは以下の通りです。(2021.10.23)

「『吉田博 全木版画集 増補新版』刊行される」(2021年10月23日)、「没後70年 吉田博展(2019-21)、図録の紹介」(2020年12月2日)、「『吉田博 全木版画集』」(2017年1月9日)

「豊かに流れる黒髪の圧倒的な存在感や女性の清雅なたたずまいが印象的な、五葉の私家版を代表する1点。」橋口五葉の「髪梳ける女」である。

やはりこの画像からはわかりにくいが、豊かな黒髪の黒の鮮やかさと、髪の一本一本が見事に丁寧に描かれている。高島屋の展覧会ページでは、この画像よりも大きく掲載しているので、ぜひそちらも参照していただきたい。

橋口五葉のもうひとつの作品が「夏衣の女」。髪の表現は上と同じだが、こちらでは、夏衣に注目したい。黒の夏衣からは、女性の肌が透けて見える。この画をどのような技法で作成したのだろうか。図録に解説が無いのが大変残念である。

私はこの画を見て、『浮世絵の至宝 ボストン美術館秘蔵 スポルディング・コレクション名作選』にも掲載されている、喜多川歌麿「娘日時計」午ノ刻」を思い出した。歌麿の作品は、版画の色が褪せて、その状態がよくわからないものが多いが、このコレクションの画は、確かに「女性が羽織った薄衣から白い肌が透けて見えている。」

最近の画集は大きく鮮明な印刷になっているが、やはり新版画や浮世絵は画集ではなく、現物に近寄って見ることで、その技術の高さが本当に味わえると思う。コロナ禍でなかなか外出がかなわない日々が続くが、混みそうな時間をうまく避けて、ぜひ出かけていただきたい展覧会である。

最近(2024.12)、以下の動画を作成しました。併せてご覧いただけましたら幸いです。「𠮷田博、世界で認められた木版画」

2021年8月22日日曜日

『一〇〇年前の世界一周』を見る、「すべてが不思議な国」日本

歴史を学ぶには、写真がとても便利である。ワルデマール・アベグ、ボリス・マルタン『一〇〇年前の世界一周』は、百年前の世界と日本を「見る」一冊である。ワルデマール・アベグが撮った写真と回想録に、ボリス・マルタンが文章を付け加えている。

 日経ナショナル ジオグラフィック社は次のように紹介している。「1905年、ひとりのドイツ人青年が世界を知る旅に出た。アメリカ、日本、朝鮮、中国、インドネシア、インド、スリランカなどを1年半かけて周遊、多くの写真を撮影した。とくに日露戦争直後に滞在した日本では、まったく異なる文化に感銘を受け、すっかり日本に魅了される。まだ世界が広かった時代、豊かな地域性を残した社会を旅した貴重な記録。大戦前の世界がいきいきとよみがえる。写真117点収録。」掲載された写真は大きくて美しく、とても見やすい。

目次は、以下の通りである。グランドツアー、大西洋:広がる水平線、新世界:いくつかの冒険、太平洋:宙に浮いた時間、極東:不思議に満ちた世界、インド洋:憂鬱な帰国、その後の世界である。
このブログでは、ワルデマールが特に興味を持った日本を中心に紹介したい。

まず、冒頭の1枚は、出発の船上の1枚、あふれんばかりの船客だが、そのあまりの数の多さに大丈夫かなと心配してしまう。
次の1枚は船の下のデッキの写真(省略)だが、「迫害や貧困を逃れる移民たちであふれていた」(21)との説明がある。いつの時代もこうして豊かな地域への移民が見られる。

最初の訪問地は、アメリカン・ドリームの前哨地である、ニューヨークの摩天楼だった。20世紀の冒頭に、すでに巨大なビル群が威容を誇っていた。アメリカでは、この後の訪問地のどこにも見られない近代化が進んでいた。
マルタンは書いている。「当時のヨーロッパ人はアメリカを「無限の可能性を持つ国」と呼んでいた。彼らが新大陸に対して、いかに大きな期待を抱いていたかがわかる。」(30)
ワルデマールは、その後アメリカ西部をめざし、途中、壮大なカナディアン・ロッキーにも立ち寄る。「新世界:いくつかの冒険」(25-100)は、アメリカ・カナダ編である。その後、太平洋に出て、ハワイに立ち寄る。「太平洋:宙に浮いた時間」(101-112)である。

「極東:不思議に満ちた世界」(113-216)
の冒頭の1枚。極東の旅は、日本から始まる。この庭園がどこか記載が無いが、「ワルデマールは日本の美しさにとりこになった」(115)との説明がある。

下の写真は、表紙となった1枚。「九州の別府を訪れたとき、悪天候のためワルデマールは足止めを食うはめになった。そこでワルデマールは十七歳の芸者「コダマサン」と十五歳の舞妓「ヨボキチ」を席に呼んだ。」(136)そのときのものである。「二人の芸者の写真は私にとってこの上なく貴重なものだ。」(138)と回想している。

ワルデマールは、日本の様々な芸術作品に興味を持った。「ヨーロッパでジャポニスムの熱がわき起こってから数年がたっており、ロダン、モネ、ゴッホは歌麿、北斎、広重が描く浮世絵に夢中になった。ワルデマールもナカノに日本美術の手ほどきを受け、あらゆるジャンルに興味を持った。」(133)

「京都では七宝焼きの大家、並河靖之を訪れた。・・・ワルデマールは金筋入りの小さな香炉を買うことにした。」(133)並河靖之の作品は、すでにヨーロッパで大変な人気を博していた。
(浮世絵師や並河靖之については、私のブログでも何度も取り上げている。目次(作成日時順、テーマごとの一覧をご覧ください)

日本の旅の最後のうちの1枚が、富士山である。「ワルデマールが日本と日本人に寄せた強い共感が写真に息吹を与え、浮世絵と写真のあいだに掛け橋を作ったかのようだ。確かに日本は「すべてが不思議な国」だった。」(138)

ワルデマールは、日本を出て、朝鮮、中国、シンガポール、インドネシア、ビルマ、インド、セイロンなどを旅し、インド洋、スエズ運河、地中海、アルプスを経由してドイツに帰った。
この時代には、本書と同様に貴重な旅行記が数多くある。イザベラ・バードの『朝鮮紀行』は紹介したが(上記の目次をご覧ごください)、ハーバート・G・ポンティング 『英国人写真家の見た明治日本』、ハインリッヒ・シュリーマン『シュリーマン旅行記 清国・日本』は、改めて紹介したい。 本書を含むこれらの旅行記は、20世紀初頭の世界と日本を理解するのにとても役に立つ。

2021年7月30日金曜日

中国共産党100年、ぜひ読むべき2冊

今年(2021年)7月1日、中国共産党は創立100周年を祝った。この100年間に、中国共産党は中華人民共和国を成立させ、その独裁政権による強力な指導で、世界で第2番目の経済大国に成長した。しかし、中国共産党が犯した誤りと悲劇も、その成果に匹敵するほど重大であった。

整風運動と毛沢東思想の確立

中国共産党と毛沢東について、十余年にわたる調査と数百人におよぶ関係者へのインタビューにもとづいて、包括的に批判したのが、ユン・チアン、ジョン・ハリデイ『真説 毛沢東 誰も知らなかった実像』、講談社、2017年(Jung Chang and Jon Halliday, Mao: The Unknown Story, Anchor, 2005)である。

中国で毛沢東思想が確立したのは、1942年からの整風運動の直後だった。整風運動は、表向きは、「学風」、「党風」、「文風」の三風を整頓するという意味であったが、「整風運動がもたらした最大の成果は、国民党とのありとあらゆる関係が徹底的に明らかにされたことだった。毛沢東は「社交関係表」を作り「全員にあらゆる種類の社交関係を細大漏らさず書かせよ」と命じた。整風運動を終了するにあたって、当局は一人一人の党員に関する調査書類(檔案)をまとめた。」(ユン・チアン、ジョン・ハリデイ、6908、Kindle版での位置)

調査の対象とされたのは、王明をはじめ、のちに何度も批判の対象となる周恩来、彭徳懐、劉少奇など名だたる中国共産党の指導者たちが含まれていた。その結果、「整風運動以前の代表約五〇〇人のうち、半数はスパイの疑いをかけられて言語に絶する迫害を受けた。自殺した者もいれば、精神に破綻をきたした者もいた。多くが代表から外された。かわりに、毛沢東に対する忠誠の証明された新しい代表が何百人も任命された。」(7467)整風運動を通じて毛沢東は個人崇拝を確立し、毛沢東思想が共産党の指導理念となった。こうして、現在の共産党の原型が形成された。

コミンテルンとソ連から派遣され延安に滞在したピョートル・ウラジミロフ『延安日記』は、整風運動について次にように書いている。「延安では自殺するものが後を断たない。市中はまるで強制収容所のようだ。」(123)毛沢東による整風運動と同様の粛清は、スターリンの大粛清よりも前の1930-31年に始まり、共産党の歴史のあらゆる時期に、特に文化大革命と天安門事件を経て、今に至るまで続く。

この書籍と関連する文献、そしてアメリカの誤った対応については、私の「ローズヴェルトの対中政策と整風運動に関する文献の紹介」 【論文】で紹介しています。あわせてクリックしてご参照ください。

四千五百万人を死に追いやった大躍進(1958-62)

近代中国歴史上最も悲惨で、世界に類を見ない惨劇となった大躍進を明らかにしたのが、フランク・ディケーター『毛沢東の大飢饉: 史上最も悲惨で破壊的な人災 1958-1962』、草思社、2019年(Frank Dikötter, Mao's Great Famine: The History of China's Most Devastating Catastrophe, 1958-1962, Bloomsbury Publishing, 2010)である。

中華人民共和国が成立して十年も経っていない一九五八年から六二年にかけて、毛沢東は、十五年以内にイギリスに追いつき追い越すという、無謀な「大躍進」を開始した。この政策を担ったのが人民公社である。「河南省嵖岈(さが)山には、一九五八年二月に小麦一ヘクタール当たり四千二百キロを目標に掲げた全国初の人民公社(「スプートニク人民公社」と呼ばれた)が登場した。」(同書、96)その後、全国各地に人民公社が設立され、生産目標を競うことになった。「各公社では日常生活のあらゆる面が軍隊式に統制され、土地や労働を含むほぼすべてが集団化された。

この無謀な計画は期待された成果を生まなかっただけではなく、無理矢理大量に動員された農民の生活を破壊した。これらの事業の犠牲者である、「(雲南省陸良県で)飢餓による初めての死者が出たのは、一九五八年二月だった。六月には、あちこちで飢餓による浮腫(むくみ)の患者が現れ、千人が餓死した。」(87-8)このような事態が起こっているにもかかわらず、政府・共産党は穀物の輸出に力を入れた。「党は農村部の需要を無視した政治的な優先順位を決め、政府は契約の履行と国際的な評判を維持するために穀物輸出量を増やす決定を下した。こうした姿勢は、一九六〇年の「出口第一(何より輸出優先)」政策の採択に表れた。・・・こうした優先政策のつけは膨大な農民の死という形で回ってきた。」(233-4) 

大躍進と人民公社という無謀な政策、その結果として生じた大飢饉、この過程を推進したのは毛沢東であったが、一党独裁を維持する共産党内部では激しい対立と闘争、そして妥協と追随を伴っていた。毛沢東の推進する政策に反対する党員は「反党集団」「反党グループ」「右傾分子」「右派」として徹底的に排撃され追放された。

「中国において、一九五八年から六二年にかけて、少なくとも四千五百万人が本来避けられたはずの死を遂げたーこれが本書の見解である。」(15) しかし、「・・・たとえば、ポル・ポトやアドルフ・ヒットラー、ヨシフ・スターリンが引き起こした大惨劇に比べると、大躍進の真の姿はほとんど知られていない。」(14)ちなみに、ユン・チアン、ジョン・ハリデイは、大躍進の犠牲者を3800万人と推定している。(12082)

この書籍について詳しくは、私の「書評 『毛沢東の大飢饉』」【論文】で紹介しています。あわせてクリックしてご参照ください。

中国ではその後、よく知られている文化大革命と天安門事件が起こる。これらについての重要な文献は改めて紹介したい。

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2021年7月1日木曜日

藤田治彦『もっと知りたいウィリアム・モリスとアーツ&クラフツ』

ワクチン接種もようやく高齢者で進み、美術展も少しづつ開かれ始めた。今、奈良県立美術館では、特別展「ウィリアム・モリス 原風景でたどるデザインの軌跡」 が開かれているので、久しぶりに出かけてきた。興味深い展覧会だったが、やや規模が小さく、モリスの全貌を知るのには必ずしも十分でないと感じた。
そこで、モリスのすべてを理解するために、とても優れた書籍だと思われる、藤田治彦『もっと知りたいウィリアム・モリスとアーツ&クラフツ』(東京美術、2009年)を紹介したい。
まず、目次は以下のとおりである。

はじめに 民衆の芸術を追究し芸術の新たな地平を開拓したモリス、第1章 若きモリスとアーツ&クラフツ前史─良き仲間たちとの出会い、特集▼ラファエル前派と後継者たち、第2章 生活に美と創造の喜びを─商会設立から改組まで、特集▼V&Aとモリス関連コレクション、第3章 理想の社会をめざして─環境保護運動への展開と社会主義、特集▼モリスとテムズ川、第4章 十人分を生きた晩年─アーツ&クラフツとケルムスコット・プレス、第5章 アーツ&クラフツ運動の広がり─ロンドン発の穏やかな世界革命とその理念、おわりに アーツ&クラフツ運動の歴史的位置づけ

ウイリアム・モリスは1834年に生まれた。第2章は、モリス27-41歳の幅広い作品を紹介している。ステンドグラス、家具、壁紙、染色、採飾手稿本などである。右は、モリス最高の絵付家具、聖ゲオルギウスのキャビネットである。「1862年ロンドン万博のためにモリス自身が絵付けした。・・・モリスによる絵付家具では最良の作である。」(27、数字は同書ページ数、以下同じ) すでにこの時期にモリスの多彩な作品を見ることができる。これらの作品を制作するために、1861年にモリス・マーシャル・フォークナー商会が創設された。

第3章では、モリス42-53歳の時期の作品が紹介される。壁紙、染色、タペストリーなどである。壁紙にはよく紹介される「るりはこべ」「セント・ジェイムズ」、そして左の「いちご泥棒」などがある。「インディゴ抜染の藍に赤(アリザリン)と黄色(ウェルド)を組み合わせた最初のテキスタイル。工程全体の完了には数日を要する〈いちご泥棒〉は、商会のコットン・プリントのなかで最も高価なものの一つになったが、最も人気のあるファブリックでもあった。」(49)第2章の時期には壁紙「アカンサス」がすでに発表されていたが、これらの作品はそれを受け継ぐものであった。
我が家にもいくつかモリス・デザインのものがあるが、そのひとつが、価格がそれほど高くなかった「いちご泥棒」のカーペットである。
第3章には、もうひとつ重要な作品群がある。タペストリーである。「第3回アーツ&クラフツ展出品の自信作」である「森」は多数の動物や鳥を配置した、121.9×452.0(cm)の大作である。
右は、同じモチーフの、さまざまな生命を育む神秘と豊穣の森を表す「きつつき」(53)である。モリスの作品にしばしば登場するアカンサスの葉が中央の木に絡み、二羽の鳥が翼を休めている。

ところで、モリスは商会の活動を拡大するだけではなく、社会への関心を広げていった。古建築物保護協会を創設し、ラスキン、カーライルと活動を共にした。「八三年からは本格的に社会主義活動に参加する。しかし、モリスは労働組合や社会主義政党の結成をめざすような職業的社会主義者ではなかった。・・・ハマスミス社会主義協会というローカルな組織をつくり、活動を続けた。」(44)

モリスは、1896年に62歳で亡くなったが、第4章は54-62歳の晩年を対象にしている。晩年の重要な作品が、大型のテキスタイルや、ケムスコット・プレスの書籍群である。左は、「ヤコブ・デ・ヴォラギネ著『黄金伝説』」である。表紙、本文をデザインしただけではなく、この本のために書体「ゴールデン体」まで作られた。
今では、電子書籍が普及しているが、それは同時にデザインされた印刷版への関心も高め、この点でもモリスへの評価も高まるのではないだろうか。

第5章では、アーツ&クラフツ運動がヨーロッパ、アメリカそして日本に広がっており、日本の民藝運動もその一つであることが明らかにされている。

ところで、今モリスの作品は展覧会で見ることができるだけではなく、簡単に入手できる。住吉さやかさんは、「モリス商会消滅後、そのデザインはSanderson and Sons社とLiberty of London社が買い取り「Morris & Co.」というブランド名で現在も販売されています。」と紹介されている。

以上のように、藤田治彦『もっと知りたいウィリアム・モリスとアーツ&クラフツ』は,80ページの書籍の中に、モリスのすべての時期の多くの作品と詳しい解説を満載している。モリス作品を愛用している人をはじめ、多く人に読んでいただきたいと思う。

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2021年6月5日土曜日

『神業の風景画』、原雅幸氏と森本草介氏の作品を中心に

最近出版された『神業の風景画 ホキ美術館コレクション』(芸術新聞社、2020年6月)から、原雅幸氏と森本草介氏の作品を中心に紹介したい。芸術新聞社刊行のホキ美術館コレクションには、他に『超写実の人物画』、『驚異の静物画』という画集がある。

目次は、以下の通り。1章 水のある景には、森本草介氏の風景観も含まれる。2章 自然の景で、野田弘志氏の風景観、3章 人の気配には、原雅幸氏の風景観を含む、巻末には、エッセイ「風景画の魅力」松井文恵がある。

本の作りは、大きく開いて見開きで見ることが出来るような製本になっているのはとてもありがたい。画集でも、意外にこのような製本になっていない場合が多い。残念なのは、個々の画の解説が無いことである。

まず、森本草介氏の「アリエー川の流れ」(6-7、数字は掲載ページ数)2013年,68.0*210.0cmである。森本氏の作品は、私のブログ「森本草介『光の方へ』」で、「光の方へ」、「未来」、「田園」、「ボルドーの香り」、「横になるポーズ」を紹介した。そのうちの風景画の代表作のひとつ「田園」と比較してみると、同じ淡いベージュ色の色調であるが、2mにもなる横幅で、静かに光る水面の拡がりが特徴的である。おそらくこの地域にも農業があり、人々の賑やかな日常生活があるはずだが、森本氏によると、アリエー川の静かな川面のような、静謐な世界が広がっている。

もうひとりの代表的な画家、原雅幸氏については、私のブログ「原雅幸 3枚の写実絵画 」で、『写実絵画の新世紀 ホキ美術館コレクション』(別冊太陽、2016年)に掲載されている「クリストファーロビンの聲」、「モンテプルチアーノ」、「羊のいる風景」という3つの作品を紹介した。『神業の風景画』からは、2つの作品を紹介したい。

まずひとつめが、「マナーハウス」 (82-3)、2012年, 60.7*91.2cmである。画集には説明が無いので、正確かどうかはわからないが、場所は原氏が住むスコットランドだろうか。スコットランドは降雪量がそれほど多くないので、雪がふんわりと降り積もっているという感じではない。私が注目したのは、広大な敷地の屋敷の入口が画面の中心で、「クリストファーロビンの聲」と同じように奥に向かって続く道という構図である。それは希望をさし示しているのだろうか?

もうひとつの作品が、「光る海」 (24-5), 2010年, 97.0*162.1cmである。これも画集に説明がないが、水田があるように見えるので、日本のどこかの農村のようである。ずっと遠くに光って見えるのが海で、それがタイトルの光る海だろうか。強い光が差し込み、海だけでなく、道路や小屋の屋根などを照らし出している。前回に紹介した3つの画と今回の2つの画とも、最も印象的なのは様々な角度と強さで差し込む光である。「光る海」では、光が全体を包み込むように感じる。画には時には動物が登場するが、人の姿は見られない。

原氏には、「原 雅幸 OIL PAINTINGS, WATERCOLOR PAINTINGS」というweb siteがある。多くの作品が掲載されているし、販売もされているので、ぜひ訪れていただきたい。なお、上記の作品の画像は、そのweb siteに掲載されているのを利用させていただいた。

『神業の風景画』から、森本氏や原氏以外にも紹介したい作品は、大畑稔浩氏『仰光ー霞ヶ浦』、同『苗名の滝』、同『早春(白い影)』や、この画集ではやや例外的な描き方をする石黒賢一郎氏のモノトーンの風景や、工場の風景などもあるが、紹介はまた機会を改めたい。

ところで、写実画と言っても、対象の選び方、画材などによる描き方などが、画家によって全く異なるので、それぞれの写実画は大きく異なる。『神業の風景画』に収められた多くの画家の作品もそれぞれとても個性的である。

しかし、『神業の風景画』あるいは日本の現在の写実画の共通点をあえて挙げるとすれば、ひとつひとつの対象が実に精緻に描かれているということではないだろうか。Scottish Galleryが原氏の作品を、the extraordinary super-realist artist (並外れた超写実主義の芸術家)と表現しているのは、海外の人々の率直な感想だと思われる。細部を徹底して精緻に仕上げるというのは、日本の伝統的な工芸作品や、現在の工業製品にも共通する特徴だと言えるだろう。Scottish GalleryのREALIST & LYRICAL LANDSCAPESという展覧会に出展している他の画家の作品と比較すると、その点がとてもよくわかる。なお、この展覧会のタイトルの、「写実的で叙情的」という表現はとても興味深い。

最後に、『神業の風景画』には、以上では紹介しきれない多数の画家たちの「神業」が、見開きで掲載されていて、風景を主題とする写実画を十分に味わうことができるので、改めてお薦めしたい。

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2021年5月5日水曜日

「浮世絵の至宝 ボストン美術館秘蔵 スポルディング・コレクション名作選」(増補改訂版)


以下の内容を踏まえたYouTube動画を作成しました。「岡田美術館で歌麿の「雪月花」三部作を見る」、ぜひご覧ください。https://youtu.be/c2GCTUIQYKw (2023.9.23)

本ブログでは、改めて小林忠監修「浮世絵の至宝 ボストン美術館秘蔵 スポルディング・コレクション名作選」(小学館、2009年、12,000円)を紹介したい。スポルディング・コレクション(Spaulding Collection, Museum of Fine Arts, Boston) は、アメリカの大富豪スポルディング兄弟が、「作品の質を最優先して金額には糸目をつけない」という方針で明治末~大正時代に蒐集した浮世絵・約6500点からなっている。それらは褪色や紙質の劣化などを避けるため、美術館内での展示すら禁止されていた。

主な目次は以下の通りである。
はじめに、第一章 喜多川歌麿とその周辺ー歌麿、長喜、栄昌、第二章 葛飾北斎、第三章 歌川広重と歌川派ー広重、豊国、豊広、国政、国貞、第四章 鈴木春信とその周辺ー春信、春重、磯田湖龍斎、第五章 諸派ー奥村政信、西村重長、鳥居清長、北尾派、第六章 スポルディング・コレクションの「もうひとつの魅力」
作品解説(とても詳細:新保)、論考(これも重要:新保):「ボストン美術館所蔵スポルディング・コレクションの成立」アン・ニシムラ・モース、「スポルディング・コレクション「浮世絵の正倉院」」小林忠、「御伽草子から浮世絵版画までーボストン美術館所蔵「梵天国」バージョン」サラ・トンプソン

スポルディング・コレクション の作品群で最も有名な作品のひとつは、右図の喜多川歌麿「「娘日時計」午ノ刻」(1794-95, 12, 12は掲載ページ数)である。「『娘日時計』は、おもに町娘たちの一日を一刻(約二時間)ごとに描いた揃物」(130)である。

右側の女性が羽織った薄衣から白い肌が透けて見えている。ところが、すでに所蔵・公開されている作品の多くは、版画の色が褪せて、その状態がよくわからない。これだけでも、歌麿の作品と、スポルディング・コレクションの保存のすばらしさがわかる。NHKの番組で、その説明を聞いてはいたが、現物で見て改めてその鮮明さがよくわかった。

「顔はあえて輪郭線を用いない「無線摺」によって表現されており、湯上りの娘の肌がいっそう柔らかく感じられる。」(130)

もうひとつ歌麿の作品を紹介しよう。「白うちかけ」(1796-98, 21)である。「女性の全身を画面いっぱいに配した『錦織歌麿形新模様』は、寛政八ー一〇年頃の作とされる揃物のひとつで、歌麿の渾身の作である。」(133)

また、「彫り、摺りにも工夫がみられ、衣装の輪郭に墨線を施さず、紫、紅、草色の三色を対比させることで、ぞれぞれの素材がもつ柔らかな質感が巧みに表現されている。」(133)

左の画面でもかなりの大きさだが、同書の大きな画像を見ると、肌の淡い色のつややかさと、うちかけの白く見える箇所が薄く塗り分けられているのがよくわかる。


もう1枚、この著作の監修者小林忠氏が絶賛している作品のひとつを紹介しておこう。左の図の鈴木春信の作品「雪中相合傘」(1767, 80)である。

春信の男女は、この画でも、ともに華奢で男女の区別はつかない。「当時の人々は芝居を通して、「男女の相合傘=心中への道行」、というイメージをもっていたものと思われる。」(149)

小林氏は、「スポルディング・コレクション「浮世絵の正倉院」」で、「降りしきる雪を吹き墨の手法によって鉛白の白色をまいており(現在は黒変しているが)、ほかと異なってユニークな作例である。」(179)と書かれている。同書では、傘の上にふんわりと積もる雪がよくわかる。

最後に写楽の作品を挙げておきたい。写楽の作品は、上の目次にあるように、特に章を設けて掲げられていない。しかし、小林氏の「スポルディング・コレクション「浮世絵の正倉院」」では、第2節で歌麿、春信の前に取り上げられ、画のように小さな画像ではあるが一覧にされているので、写楽の多くの作品を見ることができる。

「もっとも評価の高い寛政六年(一七九四)五月狂言に取材した写楽第一期役者絵、すなわち黒雲母摺(きらずり)大首絵の名作が全二八点中の二三点も揃えられていることは、短期間の蒐集にあっては驚異的な幸運といってよい。」(175)と、小林氏は書かれている。

この書籍は12,000円と高いので、まずは図書館で現物を確認して購入されるのが良いかもしれませんが、値段の高さに見合う、浮世絵を存分に楽しめる書籍であると思います。

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2021年5月3日月曜日

Google Site 移行作業ようやくとりあえず完了

私は今Google Siteを利用して、私のweb siteを作成しているが、Googleから新しい Google Siteに移行するよう求められている。

新しい Google サイトと従来の Google サイトの比較は、以下のように説明されている。(Googleへリンク)

1)プログラミングの経験やコードの知識がなくても、ウェブサイトを作成できます。2)他の編集者を招待して、リアルタイムで共同作業できます。3)モバイルやパソコン向けにサイトが自動的に最適化されるため、どのデバイスからでも閲覧しやすいコンテンツを提供できます。

実際に移行してみてわかったことだが、1)は以前から作成できているので問題無し、2)は当面必要なし、3)は、スマホでHPを閲覧する人も多いので確かに重要である。

ただし、問題はここから、私のweb siteにも掲載しているように、3)のように設定されているので、以前の私のweb siteで設定した内容が、新しいサイトに移行すると、レイアウトがかなり大きく崩れている。結局すべてのページにわたってひとつずつ修正することになった。私の新しいGoogle siteでのweb siteは6年かけて作成してきたので、修正に数日かかってしまった。

そこで、Google Siteでweb siteを作成されている皆さんに、移行作業を始める前に、移行以前の内容を何らかの形でBack Upされることを、強くお薦めしたい。

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