2021年2月24日水曜日

辻 惟雄『よみがえる天才1 伊藤若冲』

辻 惟雄『よみがえる天才1 伊藤若冲』が2020年4月に刊行された。辻氏の最新作で、それだけでも注目されるのだが、次の様な点でも注目に値する。

同書は、筑摩書房創業80周年記念出版「ちくまプリマー新書新シリーズ」の1冊だが、そのすばらしい構成に驚かされる。左のような、67の高精細な画像が、場合によっては見開きのページで掲載されている。

目次は以下の通り。

はじめにー謎と不思議の天才絵師、伊藤若冲、第1章 生い立ち──画家としての出発、第2章 《動植綵絵》制作──画家としての名声確立、コラム1 若冲は人物画が苦手?、第3章 若冲画の世界──その多様さ、おもしろさ、コラム2 《動植綵絵》は隠し絵の宝庫?、第4章 画業の空白期と、新たな若冲像、コラム3 作品にひそむ科学の視点──フラクタルと進化論、第5章 激変した生活──最後まで画家であり続けた晩年、コラム4 精神医学からみる若冲の絵画表現、あとがき、若冲年表、参照文献。

私は、彼の作品を紹介した文献・資料をこのブログでいくつも紹介してきた。未発見の大作 伊藤若冲「十六羅漢図」(2019.8.22)、『若冲の世界』(TJmook, 狩野博幸監修) (2017.12.23)、太田彩『伊藤若冲作品集』で若冲の全作品を愉しむ (2016.7.6)、『若冲原寸美術館 100%Jakuchu!』、原寸図で若冲を楽しむ (2016.6.29)、『伊藤若冲 動植綵絵 調査研究篇』、Jakuchu Itoh (2014.3.6.)などである。

そこで、今回のブログでは、私が辻氏のこの著作で特に関心を持った箇所に限って、詳しく紹介したい。

辻氏は、若冲が「動植綵絵」を生命感に溢れた極彩色の絵画として描いた理由について、次のようにまとめられている。「その有力な仮説として挙げられるのは、仏教の「草木国土悉皆(しっかい)成仏」という思想を若冲なりに解釈し、絵として具現化したものなのではないか、というものです。「草木」は植物や生き物、「国土」はまさに国土を形成する鉱物や無生物などのことで、両者を合わせると「自然界のすべてのもの」となります。つまり「草木国土悉皆成仏」とは、自然界にあるすべてのものが仏性をそなえ、仏になれる可能性をもっているという意味の言葉です。」(94、数字は本書ページ数、以下同じ)

「「草木国土悉皆成仏」とはそのような、「アニミズム」と呼ばれる世界観をもつ思想です。」(95)「アニミズムというのは、石などの無生物も含めて自然界のありとあらゆるものに霊魂が宿るとする世界観であり、そういった霊的な存在に対する信仰のことをいいます。」(96-7)その感覚は、冒頭に掲載した「貝甲図」や「地辺群虫図」(図24)によく表れている。

辻氏は、「コラム1 若冲は人物画が苦手?」で、人物画について、「下手といってもいいほどで」と書かれている。(107)しかし私は、若冲の「草木国土悉皆成仏」思想が、人間を特別の対象とするルネッサンスの画家達と異なって、人間を特別な存在として注力して描かなかった理由ではないかと思う。

次に、辻氏は次のように指摘される。「このころ(七十三歳ごろ)から若沖は、意図的に弟子をつくり、工房で制作していく方式に切り替えていったと考えられます。弟子の数は四、五人いたようですが、彼らに水墨などを描かせては、出来のよいものに自分のハンコを押して、多くの「若沖作」の絵として世に出していきました。」(213)完璧主義者の若冲像からは、やや意外な感がするが、その時期の作品を見ると納得できる。

若冲は、この時期に多くの升目画を制作する。「白象群獣図」(図52)、「樹花鳥獣図屏風」(図61、静岡本)、「鳥獣花木図屏風」(図62、出光本、旧プライス・コレクション、左上の画像)である。「鳥獣花木図屏風」について佐藤康宏氏は「すべてはゆるみきって凡庸である」として、「絶対に若冲その人の作ではない」と主張されている。(「もっと知りたい伊藤若冲」)これに対して。辻氏は「私は若冲がいなければ、この作品はあり得なかったと考えています。」(217)として、微妙な表現に止めておられる。この興味深い論争が今後どのように展開されるか注目したい。

ところで、今回の辻氏の著作が興味深いのは、上記目次に示したように、コラム欄で他分野の研究者の伊藤若冲論を取り上げられたことだろう。コラム2と3は、医師の赤瀬孝之氏、コラム4も医師の華園力氏の所説である。(p.241には氏名の誤植がある)
意外な興味深い論点が提供されているので、ぜひあわせてご参照ください。このように伊藤若冲への関心は、今なお多くの分野に広がっている。

なお、右上の「象と鯨図屏風」は、MIHO MUSEUMが所蔵している若冲最晩年の作品で、若冲の想像力の豊かさを象徴する作品のひとつである。最近になって発見され、同美術館で最初に展示されたのを見る機会を得た、私にとっては思い出深い作品である。

この新書には、若冲の主な作品とそこに込められた若冲の思想と関心、若冲が駆使した様々な技法などが、とてもわかりやすく説明されている。多くの人々、特に若い世代の人々が読まれることを期待したい。

2021年2月3日水曜日

『回顧 入江泰𠮷の仕事』

ずいぶん遅れてしまったが、貴重な写真集『回顧 入江泰𠮷の仕事』(写真:入江泰𠮷、編集:入江泰𠮷記念奈良市写真美術館、光村推古書院)を紹介します。
「奈良大和路をこよなく愛し、数多くの作品を残した写真家・入江泰𠮷(一九〇五~一九九二)」(はじめに)の作品を、時代順に紹介した写真集である。

目次は以下の通り。
はじめに
第一章 写真家への歩み「文楽」(一九四〇年代~)
第二章 新たな道を求めて(一九四五年~)、交友録、佐渡旅情
第三章 古都の暮らし、人(一九五〇年代~)
第四章 奈良大和路の写真家として(一九五〇年代後半~)
第五章 新たな大和路を求めて(一九七〇年~)、造形
第六章 十二人目の練行衆(一九四六~一九八〇年頃)、京都の庭
第七章 花は美の究極である(一九八〇年頃~一九九一年)
第八章 大和路に魅せられて(一九七五年頃~一九九一年)
解説、入江泰吉 略年譜、あとがき

まず、圧倒的な存在感を示しているのが、第2章に掲載されている「東大寺戒壇堂広目天像」(25ページ、以下数字は同書ページ数)。広目天は、西方にあって仏法を守護する四天王のひとつ。同書の表紙ともなっている。

右は、第5章の「雪の飛火野」(178-9)。「この時期、写真の世界にも変化が訪れていた。昭和二十六年頃からカラーフィルムによる写真の普及が進んでいた。私の周囲の写真仲間も、その多くがカラー写真に移行しつつあった。Lかし、私にはカラー写真に踏み切ることに躊躇があった。長年なじんできたモノクローム写真には、容易に捨てがたい愛着があったのだ。」(160)

こう言っていた入江が、カラー写真に取り組んだ1枚。その頃の写真の中でも、とりわけ明るく華やかで、いつもの飛火野とは違う1枚である。

「お水取り」の名で親しまれる東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)での、「お松明」(268-9)と名付けられた1枚。第6章に掲載されている。この章では、章のタイトル「練行衆」たちのモノクローム写真が多い。

会は天平勝宝4年(752)に始まり、われわれが日常に犯しているさまざまな過ちを、懺悔するために、また、二月堂に上堂する練行衆の道明かりとして灯されると言う。(東大寺「修二会」)
僧が松明を持って走る回廊から、炎が激しく流れ、その強烈な明るさと熱さが写真からでも十分に伝わってくる。

写真のテーマは大きく変わって、第7章は花、「ライフワークである大和の風景と関連して、もうひとつ私が長く取リ組んできたテーマに「万葉の花」がある。・・・花の写真を写す時、私は花がいちばん生き生きと美しく続く一瞬に賭けることにしている。」(293)

第7章でもひときわ美しいのが、「うめ」(294)。入江が亡くなる前の年の作品である。奈良公園には、片岡梅林をはじめとして梅が咲き誇るところがいくつかある。私も写真を撮りに何度か出かけた。
入江の写真集には、中西 進『入江泰吉 万葉花さんぽ (小学館文庫) 』という作品もある。

第7章と第8章は晩年の作品で、花を除くのが最後の章、第8章である。この章は、入江のよく知られた写真が多く掲載されている。

「風景写真とひとロにいうが、大和路の場合は、それほど風光明媚な景観とはいいがたい。だが、そのさりげない景貌に、風景の「風」の趣が醸されているのである。」(314)

左の写真は「これはこれはとばかりに花の吉野山」(316-7)と題されている。4月になると、吉野山は全山で、下千本から順番に桜が豪華絢爛に咲き誇る。

吉野の桜は、「「花見」のためではなく、山岳宗教と密接に結びついた信仰の桜として現在まで大切に保護されてきました。」(吉野町)奈良の風景は、どこかで信仰と結びつくことが多い。

この写真集は384ページで、ほぼすべてのページに多数の写真が掲載されており、それが時代順に並べられているので、入江がどのように写してきたかがとてもよく理解できる。また、ところどころに入江の書いた文章も掲載されているので、彼の写真家としての考えもよく理解できる。また、「交友録」(第2章)や「京都の庭」(第6章)などのコラム的な作品の紹介も、とても興味深い。ぜひ多くの方にお薦めしたい写真集である。

入江泰𠮷の他の写真集についての紹介は次の通りです。こちらもご覧ください。


2021年1月7日木曜日

谷崎潤一郎『陰翳礼讃』(写真は大川裕弘)甦る

左は、谷崎潤一郎『陰翳礼讃』に、大川裕弘氏が写真を加えて編集された著作。(パイインターナショナル、2018年)掲載された多数の写真で、「谷崎の名作がビジュアルブックとして甦る」。
『陰翳礼讃』は、雑誌『経済往来』の1933年12月号と1934年1月号に連載された。日中戦争から第2次世界大戦へ向かう直前の、東洋を強く意識する社会の雰囲気もよく理解できる。

独特の長い文章で始まる『陰翳礼讃』の最初の話題は厠である。その意外なテーマが読者を驚かす。

「茶の間もいいにはいいけれども、日本の厠は実に精神が安まるように出来ている。それらは必ず母屋から離れて、青葉の匂や苔の匂のして来るような植え込みの蔭に設けてあり、廊下を伝わって行くのであるが、そのうすぐらい光線の中にうずくまって、ほんのり明るい障子の反射を受けながら瞑想に耽り、または窓外の庭のけしきを眺める気持は、何とも云えない。」(22、数字は同書ページ、以下同じ、写真は20)

私達のトイレは室内にあり、徹底的に清潔にできていて、最近はトイレのふたは自動で開き、水も自動で流れる。現代に生きる若い世代は、この写真で始めて厠を理解できるだろう。

「もし日本座敷を一つの墨絵に喩えるなら、障子は墨色の最も淡い部分であり、床の間は最も濃い部分である。私は、数寄を凝らした日本座敷の床の間を見る毎に、いかに日本人が陰翳の秘密を理解し、光りと蔭との使い分けに巧妙であるかに感嘆する。」(130-1、写真は16-7)

座敷にももちろん明かりはある。しかし、外から差し込む光が床の間やそれぞれの調度品を照らすとき、様々な影が生まれる。その複雑な影の様を「東洋の神秘」(131)というのは大げさ過ぎると思うが、ただ家庭の中までどんどん近代化し、究極の明るさを追及する風潮に対して光と影の対照を強調するのは興味深い。

ところで、日本の伝統的な芸術作品の多くが屏風に描かれ、それらにはしばしば金地が用いられている。その作品の良さや金地の意味がよくわかるのは、下の様に暗がりから作品が浮かび上がる時かもしれない。

「・・・もう全く外の光が届かなくなった暗がりの中にある金襖や金屛風が、幾間を隔てた遠い遠い庭の明かりの穂先を捉えて、ぽうっと夢のように照り返しているのを見たことはないか。その照り返しは、夕暮れの地平線のように、あたりの闇へ実に弱々しい金色の明かりを投げているのであるが、私は黄金というものがあれほど沈痛な美しさを見せる時はないと思う。」(144、写真は158-9)

陰翳
とは何か?谷崎は、しだいに弱まりつつあった仏教的な世界観によって、陰翳を次のように説明している。
「けれども前にも述べたように、われわれ東洋人は何でもないところに陰翳を生ぜしめて、美を創造するのである。・・・われわれの思索のしかたはとかくそういう風であって、美は物体にあるのではなく、物体と物体との作り出す陰翳のあや、明暗にあると考える。」(183-4、写真は230-1)

谷崎は最後を抑制しながらこう結んでいる。「私は、われわれがすでに失いつつある陰翳の世界を、せめて文学の領域へでも呼び返してみたい。文学という殿堂の檐(のき)を深くし、壁を暗くし、見え過ぎるものを闇に押し込め、無用の室内装飾を剝ぎ取ってみたい。それも軒並みとはいわない。一軒ぐらいそういう家があってもよかろう。まあどういう工合になるか、試しに電灯を消してみることだ。」(242)

コロナの感染拡大で、豊かな都市の象徴でもある煌々と輝くライト群も、少しずつ輝きを小さく少なくしている。このような時期に、様々な場で「試しに電灯を消してみる」ことで、別の世界を甦らせるのはとても意義があるように思える。

谷崎の独特な世界をビジュアルに表現した『陰翳礼讃』は、確かに古典を甦らせることができた。ぜひ、われわれ世代だけではなく、光輝く現代に生きる若い世代に読んで欲しいと思う。
また、古典をビジュアルに甦らせる作品が次々と現れることも期待したい。


2020年12月2日水曜日

没後70年 吉田博展(2019-21)、図録の紹介

没後70年 吉田博展が開かれている。展覧会のweb siteは、次の様に紹介している。「世界を魅了した日本の木版画があります。洋画家としての素養を持ちながら版画家として新たな境地を切り開いた吉田博(1876~1950年)の木版画です。本展は、吉田博の没後70年にあたる節目に、後半生の大仕事として制作された木版画を一挙公開します。」

私が住む地域の展覧会は、まだ開催されていないが、公式図録を入手したので、さっそく紹介したい。左は表紙で、「剱山の朝」(図録p.46、以下同じ)という作品である。

公式図録の目次は次の通り。「プロローグ、第1章 それはアメリカから始まった、第2章 奇跡の1926年、第3章 特大版への挑戦、第4章 富士を描く、第5章 東京を描く、第6章 親密な景色:人や花鳥へのまなざし、第7章 日本各地の風景I 1926-1930、第8章 印度と東南アジア、第9章 日本各地の風景II 1933-1935、第10章 外地を描く、大陸を描く、第11章 日本各地の風景III 1937-1941、エピローグ」

なお、図録のページ数は256、吉田博の生涯、194の作品、写生帖、版木、資料、略年譜、主要参考文献、作品目録からなる。また、主な箇所は日本語と英語で表記されており、海外の読者も読めるようになっている。

右は「第3章 特大版への挑戦」の代表的な作品、「渓流」(80-1)である。「動く水の面白さに焦点をしぼる」と言う。私の以前のブログで指摘したように、「残念なことに、なぜか画集では半ページで印刷されている」が、本図録では2ページ見開きで掲載されている。ぜひ詳しく見ていただきたい。流れ落ちる⽔と渦巻く⽔が、信じられないような精細さで描かれている。

吉田博は、世界各地で活動しているので、目次の通り世界各地での作品が含まれている。また、交友の範囲も広いので、様々なエピソードがある。図録で紹介されたエピソードのいくつかを紹介しよう。ひとつは、東京裁判日本側のベン・ブルース・ブレイクニ弁護士との交友である。「昭和21(1946)年5月14日に東京裁判でブレイクニ弁護士は「戦争は国際法の法規から合法とされているので犯罪ではない。戦争は国家の行為で個人の行為ではないので、個人の責任を追及し、裁くのは間違いである」と主張した。また「真珠湾攻撃が殺人罪ならば、原爆を投下した者も殺人罪になるのではないか。原子爆弾は明らかにハーグ陸戦条約第4項が禁止する兵器だ」と指摘し原爆を告発した。」(14)詳しくは、私のブログを参照していただきたい。

もうひとつのエピソードが左の作品にある。作品名は「第2章 奇跡の1926年」の「光る海」。(61)この作品の左のページに、「ダイアナ妃と《光る海》の謎」というコラムがあり、ダイアナ妃の執務室の後ろの壁に、「光る海」が掛けられているのがわかる。監修者である、博の孫にあたる吉田司氏は、ダイアナ妃が吉田博の他の作品を購入している経緯から、この作品も同様に購入していた可能性を考察している。

第2章にある「光る海」のすぐ後ろのページに、「帆船」のシリーズがある。(64-68) 吉田司氏は、「③版画の特性を生かし同じ版で色を変え、時間の経過や天候の変化を色違いの別刷りとして制作した(「帆船」シリーズ、cat.nos 40-45)」(196)と述べている。

「帆船」では、帆船が画面の中心にあるが、「光る海」では、画面中央で海面に光が強くあたる様子が描かれている。海面の光の微妙な強弱をどのように表現されたのだろうか。

次は、裏表紙にも掲載された、「第8章 印度と東南アジア」の作品のひとつ、「フワテプールシクリ」(158)である。「イスラム建築の精緻なアラベスクから滲む光とその乱反射を表すために淡い同系色を幾度も摺り重ね、写生を超えた幻惑的な異空間を現出させている。」よく見る多数のイスラム教徒の礼拝ではなく、二人がじっと静かにたたずんでいる様子が印象的である。

インドの作品としては、「タジマハル」や「カンチェンジャンガ」、「ベナレスのガット」など多彩な作品が掲載されている。

最後に紹介する作品は、「第10章 外地を描く、大陸を描く」に掲載された「泰天(奉天?)市場」と「泰天大南門」の2枚(195)である。奉天は満洲の中核都市のひとつ、現在の瀋陽である。満洲は当時の中国で最も重工業が発展していた地域であるが、この2枚からは、その中心都市は賑やかで人々も美しく描かれているが、まだ経済発展がすみずみまで及んでいない様子もうかがえる。

私の以前のブログで、⽇本統治下にあった朝鮮の平壌にある「⼤同⾨」を紹介したが、同じような印象を持った。
これらの作品から、吉田博は、当時日本の影響下にあった地域の、普通の⼈々の⽇常生活を暖かいまなざしで描いているように思う。

最後に、吉田司氏による、「吉田博の木版画の特徴」の主な点を紹介したい。「①従来の版元制(出版元による分業=絵師・彫師・摺師が各工程を分担)と創作版画(画家自ら描き・彫り・摺る)を意識し、第三の道を模索して、自ら版元を兼ね「自摺」と称した私家版を出版した。・・・②これまで誰も作らなかった山桜を使った本格的な風景版画の特大版6点を含む、大判8点の制作に挑戦した。・・・③上記「帆船」の箇所で紹介した通り、④日本の伝統芸術である多色木版画に洋画の視点を加えた。・・・⑤「山と水の画家」とも言われ、山と水の表現に特徴がある。⑥モチーフ(題材)の豊富さに特徴がある。・・・」(196)

以上の紹介はごく一部の作品にすぎないが、この図録は、とても図録とは思えない充実した内容で2,200円、送料を入れても3,064円である。ぜひ入手されて、詳しく見ていただきたい。私は、コロナ対策を心がけながら、これから開催予定の展覧会に図録を持って出かけたいと思う。

「生誕150年 吉田博展 (Yoshida Hiroshi‒the 150th anniversary of his birth) (MOA美術館)」の動画を作成しました。あわせてご覧ください。(2026.10.17)

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追記:これまで私が作成した吉田博についてのブログは以下の通りです。(2021.10.23)

2020年11月9日月曜日

ロシアの写実画家 シーシキン

日本ではロシアの画家はまだあまりよく知られていない。2018-19年には、ロシア美術の殿堂・国立トレチャコフ美術館が所蔵する豊富なコレクションを紹介した「ロマンティック・ロシア展」も開かれたが、私は、その展覧会でも取り上げられたシーシキンを紹介したい。

シーシキンを含む当時のロシアの画家を紹介した文献は少ない。Britannicaによれば、Ivan Ivanovich Shishkinは、1932年1月13日 [25日, New Style]に生まれ,  1898年3月8日 [20日]に亡くなった。

上は最もよく知られた作品のひとつ「カバの森の中の小川」である。高くそびえる白樺の森の中を、女性が水をくみに行こうとしている。一本一本の白樺、森の中を流れる小川、川のほとりの草花も細かく丁寧に描かれている。白樺の森や林は、日本でもたくさん見られるので、日本的な風景の様な気がして、私が特に好きな作品のひとつである。

2枚目は「カマ川遠望」である。今度は絵の半分が空で、高い空には雲がかかり、一羽の鳥が飛んでいる。森の向こうには大河カマ川と、周辺には森林が広がる。これこそが、壮大なロシアの大地なのだろうか。

ところでシーシキンが加わったとされる移動派は、「ロシア初の独立芸術家団体。アレクサンドル2世治下の1870年に設立。・・・チェルヌイシェフスキーの社会主義思想の影響下で農奴制や資本主義を告発する作品を制作した。・・・1880年代に最大の評価を得て20世紀初めまでにロシアの主要美術学校の教職の大半を占めるに到り、1932年以降はソヴィエト社会主義リアリズムの先駆として権威化された。」(Artwords, 松本晴子)シーシキンと移動派は、どのような関係だったのだろうか?

紹介する最後の作品は、これまでの2作品とは異なって、ロシアらしい秋から冬の作品「初雪」である。この絵は、教育目的のwebsiteであるTanais Galleryから掲載した。このサイトでは多くの作品が見られるので、ぜひ訪問していただきたい。画像も拡大できる。

ロシアとは言え、まだ初雪なので、雪は深くなく、多くの木の枝には積もっていない。地上の雪も地面にふんわりと積もっているように見えるが、積もった雪の柔らかさが見事に表現されている。

ところで、シーシキンが参加した移動派が影響を受けた社会主義思想は、歪められた形ではあるとは言え、共産党とロシア革命によって受け継がれ、さらに戦間期のスターリン体制はロシア帝国による弾圧をはるかに上回る千万人を超える人々を虐殺した恐怖政治をもたらした。(私の書評論文「ネイマーク『スターリンのジェノサイド』」を参照)同じロシアの地で、かなり近い時期に生まれた、19世紀後半の一群の優れた芸術作品と、20世紀前半の殺戮の政治体制の関係をどのように理解したらいいのだろうか?

最後に、シーシキンの作品を見るにはどうしたら良いのだろうか。まず、書籍については、Kindle版はあるが解説が中心のドイツ語であり、印刷版は内容がよくわからないのに高すぎて手を出しにくい。安価にシーシキンの作品を見るには、意外にもYou Tubeが便利である。例えば、Ivan Shishkin: A collection of 352 paintings (HD)、Ivan Shishkin: A collection of 172 sketches (HD)。この2つのタイトルからわかるように、シーシキンの作品はとても多い。上記の3作品は、ほんの一部である。


2020年9月29日火曜日

原雅幸 3枚の写実絵画

 『写実絵画の新世紀 ホキ美術館コレクション』(別冊太陽、2016年)に掲載されている画家で、私が森本草介さんとともに好きな画家が原雅幸さんである。残念ながら、原さんの最近の公刊された画集を見つけられなかった。

そこで、このブログでは、原さんの同書に掲載されている3つの作品を紹介したい。まず原さんのプロフィールから。「一九五六年、大阪府泉南郡生まれ。一九七九年、多摩美術大学卒業。・・・一九九八年、渡英。二〇〇五年、エディンパラに移住。二〇〇六年、第一回リアリズムの世界(飯田美術 以後毎年)。二〇〇九年、ざ・てわざー未踏への具象ー展(日本橋三越)。」(同書、159ページ)

最初に紹介する作品は、上の「クリストファーロビンの聲」、「イギリス南東部のケントの風景」だそうだが、左側の大木から、木の葉、そして敷き詰められた落ち葉まで、ひとつひとつが細かく正確に描かれている。おそらく気の遠くなる作業だろう。このような森に入れば、落ち葉を踏みしめながら、森のずーっと先をめざして、そこに何が見えるかを楽しみに進むだろう。大樹の根の下には、たくさんのウサギの巣の穴が見え、一瞬クリストファー・ロビンの楽しそうな声が聞こえるようだと言う。左側の大木群の向こうにはぐっと開かれた場がありそうだが、そこから光が差し込む。森の多い日本では、この様な風景はあちこちに見られるように思える。

今度は、1枚目とも3枚目とも異なって全体が深い雲に覆われた暗い絵、「モンテプルチアーノ」である。「標高600メートル余りの小高い丘の上にある城壁に囲まれた美しいトスカーナの町」モンテプルチアーノ。トスカーナはよく知られているワインの産地だが、モンテプルチアーノは、イタリアの赤ワイン用ブドウ品種名でもある。丘の上の教会か修道院に、原さんは神を見たというが、私には信仰と権威と権力の象徴であるように見える。全体の色調は暗いが、右上の雲間から差し込む、最初の絵と同様な太陽の強い光が、緑の大地を明るく照らしている。

最後の1枚は「羊のいる風景」、今度は、おそらく原さんが住んでいる、「スコットランド南部の早春の風景」である。最初の絵とは異なってスコットランドなので、早春とは言えかなり寒いはずだが、森と草原の全体に深く光が差し込んでいるから、とても暖かそうに感じる。木々や木の葉だけでなく、草を無心に食んでいる羊の毛までひとつひとつが細かく描かれていて、暖かさをいっそう強く感じる。

『写実絵画の新世紀』を見ればすぐにわかるように、写実絵画と言っても、写実の方法も対象も画家によってとても異なる。ほんとうに写実絵画という分類が出来るだろうかとさえ思える。
原さんは、「ただ美しい風景では自分の絵にできない。何か気になるものが潜む風景でしか私の絵にならない」(58)と語る。私は、原さんの何か気になるものが潜む風景になぜか共感し、そこにいるかのようにさえ感じられる。
多くの方にも、『写実絵画の新世紀』では、見開き2ページで大きく細かく見ることにできるので、この3作品をぜひ見ていただきたいと思う。

なお、森本草介さんの絵と画集についても、私のブログであわせてご参照ください。:森本草介『光の方へ』』(2018.12.4)

2020年9月13日日曜日

縦型ディスプレイを購入、とても快適、おすすめです

画面右側の縦型のディスプレイを購入した。機種は、マウスコンピューター iiyama モニター ディスプレイ XUB2792HSU-B1Dである。解像度はフルHD, 1920x1080px、左のディスプレイも同じ解像度である。この数値から見ると、高さはほぼ倍に、横幅は半分になっている。並べて見ると、机の上はアンバランスで、何か不自然な感じはするが、後に見るように、使い勝手はとても良い。

歳を取るにつれ、画面の文字がどんどん見にくくなり、まずWindowの設定で、全体を125%の設定にした。それはそれでとても良かったが、今度は縦型のデータが見にくくなってきた。
そこで、縦型に設置できるディスプレイを探して、この製品を購入した。ちなみに縦型にできる機能を、マウスコンピュータではピボット機能と呼んでいる。なお、2つの画面ともChromeでは100%の表示である。

設置してまずは驚いた。こんなに下の方までよく見える。右は私のwebsiteだが、スマホでも比較的見やすいように、横幅を800pxに設定しているので、ぴったりで作業がとてもやりやすい。最初の画像にあるように、横型だと横幅に十分な余裕があるが、作成が進むと、かなり下までスクロールする必要がある。

左は、私のブログである。横幅は960pxに設定している。ちょうど1回分が収まってくれる。今も新ディスプレイで作業しているが、とてもやりやすい。
他方、左側に置く横型のディスプレイでは、これまで通り主な作業である文書・表の作成やメールの読み書き等を行っているが、特に問題はない。

ディスプレイは、テレビもそうだが、高性能のものがどんどん安くなっている。まずは2つを並列して使い、場合によっては並列し、ひとつは縦型にするととても仕事が進む。ぜひお薦めしたい。
なお、2画面や縦型の設置の作業はとても簡単である。